●第百九十八話 Oath 02
まずは屋外に出よう。
何気なくそう判断したことが功を奏し、佑真と波瑠は潰されていく旅館から間一髪のところで飛び出していた。
激しい地鳴りと崩れ去る轟音に、内臓を直接揺さぶられる。
黄金の津波が流れ、屋根の上から飛び立った複数の人影が、里のあらゆる方向へと散らばっていく。その光景を見上げていた佑真の隣で、口元をおさえる波瑠。
「……っ! ほ、他の宿泊客は……従業員の人達は……」
旅館は半壊していた。
中にいた人達が避難する余裕なんてなかった。呼びかける暇もなかった。今すぐ助けなければ、とふらり一歩目を踏み出そうとした波瑠の肩を誰かが掴んだ。
着物を着た女性――この旅館の女将である藤林幸子だ。
「大丈夫よ。今日は宿泊客を取ってないし、従業員も私だけにしていたから。被害者はいないわ」
「よ、よかった……」
「あなた達こそ怪我はない!?」
二人とも、飛び出した際の擦り傷がわずかに痛む程度だ。
大丈夫ですと答える波瑠。一方の佑真は、旅館を呑み込んだ黄金の津波を未だ睨み付けている。
心当たり、なんて単純な言葉では済まされない既視感。
つい先日死闘を繰り広げたばかりの男が、黄金の津波の上に直立している――!
「金世杰……なんでお前がここにいるんだ!?」
佑真が思わず叫び声を上げると、黄金の上に立つ男がゆっくりと顔をこちらに向けてきた。
偽物や作り物ではない。芦ノ湖での戦闘で日向克哉に奪われた右腕は、今も失われたままだ。すでに腹部から血が流れ落ちている。それは夢人達と交戦している最中に負った傷かもしれないが、普通の人間ならうずくまって苦しむような傷だ。
そんな深手を負いながらも、金世杰はゆらりと左腕を上げた。
「……逃げろ…………零能力、者…………!」
微かに、そんな声が聞こえたような気がした。
刹那。
動作に呼応した黄金が無数の『鞭』へ変質し、一斉に佑真達へと振り抜かれる。
「――――――!!」
悲鳴を上げる間もない。藤林幸子が佑真と波瑠の胴体を抱え込み、高く遠くへ跳躍する。およそ人間離れした身体能力で空中へ逃れたが、金世杰の追撃が迫る。
『黄金の鞭』はぐにゃりと軌道を九十度捻じ曲げ、垂直に打ち上げられた。
空中にいる三人を的確に捉える、黄金の連閃。
「ランタロウ!!」
幸子が叫ぶ。
すると瞬雷の速度で駆けつけたランタロウが、幸子に体当たりをした。
呻きながらも強く吹っ飛び、『黄金の鞭』の直撃を回避。ランタロウもまた反動で元来た方向へと戻っていく。
背中からの着地になるかと思われたが、SETを起動させていた波瑠が気流によるクッションを作って何とか無傷で着地した。
――――が。
休む暇など与えられない。
金世杰は続いて『黄金の針』を乱射。
火の雨をも彷彿とさせる、夜空を埋め尽くす黄金色の牙。
「……っ!」
波瑠が氷壁を幾重にも張り、三人どころか周囲一帯へ盾として広げた。
壊れる度に再生する氷壁。しかし『黄金の針』は止むどころか、勢いを増して降り注ぐ。
「だったらオレが!」
佑真が右拳を握りしめ、前へ出ようとする。
深く息を吸う。心臓が脈動を加速させる。右目に灼けるような痛みが走る。
〝零能力・神殺しの雷撃〟を呼び起こそうとした、その時。
――――その力を行使するのか?
白衣を着た悪魔が、目の前で笑った。
――――また人を殺すのか。あの感覚が病みつきになっちまったみてェだな?
「…………くそ、ふざけんなよ……!」
果たして〝雷撃〟は、佑真の右腕に顕れなかった。
その様子を横目に見ていた波瑠は、立ち止まってしまった佑真の背後に違和感を覚えた。彼女は敵意や悪意を察知する『超常的第六感』を身に着けている。その直感が訴える。佑真に危険が迫っていると。
「佑真く」
けれど、忠告は間に合わない。
いつの間にか佑真のぴったり背後まで接近していたスーツの男の掌底が、佑真の背中を捉える。
ゴッッッ!! と骨の折れる雑音が体外にまで響く。
その勢いで氷の盾の範囲外まで投げ出された佑真を、『黄金の針』が蹂躙した。
突き刺さる。突き刺さる。突き刺さる。
鋭い痛みを、佑真はうまく感じ取れなかった。先の掌底によって脊髄が何か異常をきたしている。体内にマグマでも流し込まれたような違和感。神経という神経にノコギリの刃を立てられたような不快感。無意識のうちに悲鳴を上げる。意識を保てていること自体に違和感を覚える。
皮肉にも、三秒後。
佑真の全身に突き刺さった『黄金の針』は、超能力を解除された。
それこそがトドメだった。辛うじて塞がっていた傷口が一斉に開かれることで、大量の血液があふれ出す。
意識が熔ける。
これまで味わったどの苦痛よりも苦しい。
(ああ、これが)
――――ああ、それが、テメェが俺様に与えた痛みだ。
(オレはこんな苦痛を、鉄先恒貴に与えたのか)
――――その行為を『悪』と断じず、どう述べる?
(………………)
バラバラに霧散しつつある意識を、日の光のように暖かな何かが繋ぎ止めていた。
改めて氷の盾を張った波瑠が、その状態で《神上の光》を行使しているのだ。
戦うこともできず、無残に散りゆく殺人者を。
それでも失わせるワケにはいかないと、決死の形相で。
「余計な真似を」
そんな彼女の蒼髪を乱雑に掴む手があった。
佑真を殴り飛ばしたスーツの男が、またも気づかぬうちに波瑠の背後を取っていた。すでに藤林幸子は倒されている。あまりにも不自然な出現を繰り返すこの男こそが〝姿を消す能力者〟なのだろう。
悲鳴を上げる波瑠をお構いなしに、男は腕力で少女の体を持ち上げた。
「天堂佑真は我々にとっても厄介な存在なのでな。金世杰の試運転ついでに排除する」
「……っ、あなた達は、一体……!?」
「名乗る組織のような名も無い。ただ告げるべきことがあるとすれば、我々の目的が《神上の光》、貴様ということだけだ」
スーツの男が懐から札を取り出し、波瑠につけようとする。
「はあああああああああ!!」
寸前で波瑠の咆哮が轟いた。
どんな体勢であろうと、どんな苦悶を味わっていようと発動できるのが超能力の利点だ。波瑠は自分の髪が掴まれた状態で、自分諸共スーツの男へ『凍結』を仕掛けた。
足元からせり上がる氷塊。
「むっ」
スーツの男は咄嗟に波瑠を投げ飛ばし、凍結から逃れる。
《神上の光》である程度回復していた佑真は、波瑠を抱き留めるために立ち上がろうとしたが。
――――触れていいのか? ソイツに、その手で?
「…………! 波瑠!!」
何度でも、幻影が立ちはだかる。
お前に自由は許されないと、悪魔の呪いが手足を縛りつける。
波瑠は肩から落下した。右肩を押さえている。着地の衝撃が祟ったに違いない。佑真が受け止めていれば、怪我をせずに済んだかもしれないのに……。
「私は大丈夫、それより、幸子さんを!」
駆け寄ろうとした佑真を機先する波瑠。この間にも『黄金の針』は降り注いでいる。彼女はそれを氷の壁で防ぎ続けている。負担があまりにも多すぎる。
スーツの男が軽く右手を払った。
「やはり《零能力》が最も厄介だな。こうも〝遁術〟を削除され続けては、一々術式を組む魔力が無駄である」
空拳だった右手に、彼は武骨な籠手をはめ込んだ。
「神崎、天堂佑真はお前に任せる。俺は《神上の光》をやる」
「了解だ」
すると佑真達を挟み込む形で、一本の槍を手にした青年――神崎が現れる。
「立ち上がってくれよ零能力者。金世杰の試運転にお前ほど適した敵役はいないんだから」
☆ ☆ ☆
黄金の津波から飛びのいた夢人を、一人の少女が追いかける。
白い死に装束を纏った彼女は地震滝かぐら。
かぐらは両手に宝玉を握り、夢人は手裏剣を構える。
「随分と可愛い男の子ですけれど、あたしの相手が務まるのです?」
「やってみなくちゃ分からないでしょ、そういうのは!」
先手を取ったのは夢人だ。空中で器用に体を捻りながら手裏剣を投擲。大きなカーブを描く高速回転の得物がかぐらを襲うが、彼女に触れる三十センチほど手前で不自然に軌道を逸らされる。
(今の、風を操る能力か……?)
着地する二人。
旅館の屋根から、という高度を物ともせずに二人は交戦を続ける。
手裏剣、苦無、あるいは鎖鎌。周囲を移動しながら次から次へと忍び道具を投げる夢人に対し、何らかの方法で投擲物の軌道を曲げ続けるかぐら。相手が攻撃に移る隙を与えず、けれど防御を崩すこともできず。ある種の膠着状態が訪れる。
「――にしても不自然ですね。いくら『忍者』とはいえ、ここまで多くの忍具を持ち歩けるものなのでしょうか?」
かぐらのその呟きに夢人はドキリとしたが、決して表情にも仕草にも動揺は反映されない。ひとえに冷静でい続ける《脳波制御》の賜物だ。
とはいえ、夢人の『忍び道具』の数には仕掛けがある。
《神上の宙》
質料を司るこの奇跡には、波瑠でいう生と死のように二方向の奇跡が存在する。
即ち『分解』と『構築』。
富士の樹海で多くの『銀燐機竜』を分解した奇跡とは逆。
『天使の力』を媒体として何らかの物体を『構築』することもできるのだ。
(本当は石とか土とか何らかの素材があった方がやりやすいんだけど、得意な武器だけは『天使の力』から『構築』する訓練を重ねたからね!)
故に夢人は、いついかなる時でも武器を生成することができる。
数にも制限がない。
無限の武具錬成と、その手数の多さを活かした投擲術。自由自在に手裏剣を、苦無を投げる技術を以てしても、地震滝かぐらの謎の『防壁』は破れない!
「無駄ですよ、無駄無駄! あたしの〝魔術〟は特に遠距離攻撃に対して絶対の防御力を発揮します! このまま攻撃し続けてもこれといって成果は――」
「成果ならあるよ」
夢人は両手に、これまでとは別の忍具を『構築』しながら告げる。
「貴女が何らかの方法を使って逸らし続けた忍具だけど、果たしてすべてが手裏剣や苦無だと思ったら大間違いだ」
バッと足元を確認した地震滝かぐらが、顔を青ざめさせる。
「……! 撒き菱を混ぜていたのですか!」
「ぼくが貴女の全方位から攻撃を仕掛けていたのは、貴女の逃げ場を奪うためだ。最善を尽くしていたつもりだろうけれど、すでに貴女は一歩たりとも動けなくなっている。そしてこれでトドメだ」
夢人が両手に装備した物。その名は手甲鉤。鋭い鉤爪のついた手甲は忍者の伝統的な暗器である。
そう、直接自らの手で相手を引き裂く近接戦闘用の武具。
一斬必殺の刃を携えた夢人は大きく跳躍した。自らが撒いた撒き菱を跳び越え、かぐらに確実な一閃を刻むために。
けれど、かぐらの余裕は消えなかった。
夢人は両腕を薙ぎ払う。
直撃するかと思ったその時。
夢人の腕は、かぐらの体をちょうど避けるように動作そのものを変えられて、振り抜かれた。
「――――、な」
「なんて、撒き菱程度で焦るような弱者が『伊賀の忍の里』に喧嘩を売ると思うのですか?」
地震滝かぐらはクツクツと笑う。
夢人は自分の意思とは無関係に動いた両腕に違和感を覚える間もなく、不用意にもかぐらの傍に着地してしまった。
白い死に装束の彼女は、夢人の額に両手の珠をかざす。
「潮の満ち引きを意の物とする〝鹽乾珠〟と〝鹽盈珠〟。あたしの魔術はこの二つの宝玉を応用し、ありとあらゆる〝流れ〟を掌握するのです」
例えば『黄泉比良坂』周囲の人工海流の〝流れ〟を。
例えば手裏剣や苦無の飛来する〝流れ〟を。
例えば夢人の腕が振り抜かれる、一連の動作の〝流れ〟を。
「この世の全ては〝流れ〟ていく。故にあたしの魔術は全てを掌握する! 確かに接近戦は苦手ですが、あくまで『接近戦を主流とする者と比べれば』です」
かぐらが邪悪に微笑み、二つの宝玉が色を変化させる。
なんらかの攻撃が発動される――――間一髪に、男の怒声が轟いた。
「〝火遁〟」
シンプルに一節。夢人とかぐらを囲う一帯に、いくつもの焙烙玉――火薬を詰め込んだ簡易的な爆弾のようなもの――が降り注がれる。
忍者の全盛期といえる戦国時代や江戸時代での焙烙玉は、威嚇や着火剤としての性能しか備えていなかったという。しかし忍者とは、常に最先端の科学を取り入れ進化する者を指し示す言葉だ。
二一三二年。科学が限界点に到達した時代における焙烙玉の火力は、はるか四百年前とは比べ物になるはずもなく。
「この場は老い耄れに任せて征け、夢人。お主が師と仰ぐ者の下へ」
年老いた声を呑み込むほどの爆破音が、数珠繋ぎに炸裂する。
そして一拍。
広範囲にて劫ッッッ!!! と紅焔が噴き上がった。
「これのどこが姿をくらます〝遁術〟というのですか!」
江戸の大火もかくやという熱の奔流だが、中央に立つかぐらの付近でのみ不自然な軌道を描く。かぐらの〝流れを操る魔術〟は炎の流れも掌握し、己に被害が及ばないよう調節するなど朝飯前といったところか。
「何を言うか小娘。すでにお主は夢人の姿を見失っておる――〝遁術〟としてはこの上ない成果じゃと思うがのう」
やがて火炎が晴れると、里長様・藤林大士がかぐらの前に現れていた。
傍らには若き忍者、百地虎徹と藤林東を引き連れて。
「さて。何用かは知らぬが五百年の歴史を持つ『里』への来客じゃ。長として丁重にもてなすとしようかのう」
「自信満々なようですが、そう簡単に行かせませんよ。あたしの〝魔術〟は神の御業。所詮人間として『忍の里』に籠っていた老人では役不足ですよ?」
☆ ☆ ☆




