●第百九十二話 Fake 03
服部さん家もただの三階建ての民家だった。
五分程度歩いてたどり着いた家を前に、波瑠はちょっとだけ肩を落とした。
「忍の里とはいったい……」
「波瑠様、お気持ちはわかりますがここはレジャー施設ではなく本物です。忍者が忍ばない方が間違っているでしょう」
「そりゃそうだけど、せっかくなら何かそれっぽいものを見てみたい」
「わたしに言われましても。とりあえず服部さんに聞いてみては?」
「そうする」
波瑠がインターホンに手を伸ばすと、バウッバウッ! と犬の大きな鳴き声が響いた。
「うわわっ、番犬?」
「知らない人間が訪問すると吠えるようにしつけられているのでしょうかね?」
「気が立っている子や人見知りの子も吠えると思うけど、忍の里だけに訓練なのかな? というかインターホン押して大丈夫なのかな?」
波瑠が躊躇っている間もバウワウッと威嚇が続いていたが、
「ん? その声は波瑠か?」
「ん? その声は佑真くん!?」
リードを手にした天堂佑真が、吠えるお犬様に引っ張られて庭から玄関先までやってきた。十数時間ぶりの再会だが、予想外のタイミングでつい声が上ずってしまう。
「やっぱり波瑠だ。大丈夫だぞランタロウ、この女の子はオレの知ってる人だかんな」
対する佑真が何とも言えない笑みを作る。波瑠が違和感に「ん?」と首を傾げる間に、佑真は吠え続ける番犬をなだめるためにしゃがんでいた。ワシワシーっと背中を撫でると、番犬ことランタロウ君はおとなしく『お座り』する。
しゃがんだまま顔を上げる佑真。
「よかった波瑠、目を覚ましてたんだな。もうすぐお昼になるから、様子を見に行こうと思ってたんだ」
「う、うん。佑真くんも無事でよかっ………………どうしたの、包帯やガーゼだらけで」
十数時間ぶりに顔を合わせた彼氏は普段通りの赤い半そでパーカーだが、袖から伸びる腕は包帯でグルグル巻きになっていた。ほっぺには絆創膏。額にはガーゼ。首筋も大きなガーゼが貼られている。おそらくズボンやシャツの下もボロボロだろう。……ある意味では佑真らしい姿なのだが。
「あ、あー、これはランタロウに噛まれて」
「嘘つかないで」
ランタロウからもワフンッと抗議の声が上がった。佑真は苦笑まじりにランタロウの背中を撫でる。
「……問題です。天堂佑真の傷は、普通の薬や《神上の光》でもすぐに治らない場合があります。一体オレは何をしたのでしょう?」
「〝零能力〟の使用に伴う反動……でも、そんな全身が傷つくほどの反動なんて! 何度〝零能力〟を使ったの!?」
「他人の家の玄関先であんまり大声出すなよ波瑠。つうか、気づかなかったのか? まさかまだ体育館に行っていないのか?」
佑真は目線だけで美里に問いかける。
「すでに行きましたよ。ですが知らなければ気づけませんよ――あの場の死体を含めた全被害者の傷を、佑真君が〝零能力・模倣神技〟で塞いでいた、なんて」
「え……?」
美里がため息をつくように告げた事実に、波瑠の頭はついていかなかった。
確かに思い出してみれば――体育館に寝かされている遺体は妙に綺麗だった。波瑠が《神上の光》を使って回る間も、傷が塞がるような方向性での治癒はなかった。脳機能とか心音の復活とか体を起こすとか、そういう目で見てもよくわからない形での蘇生だけだった。
(それに被害者っていっても、全員が確実に死んでいたワケじゃない。重軽傷者がいてもおかしくない状況で、だけど私に『治してくれ』って声がかからなかったのは、すでに佑真くんが全員を回復させていたから!?)
だが疑問は残る。
「〝模倣神技〟って夢人くんの《神上の宙》を模倣したアレだよね? 私の《神上の光》もできるようになっていたの!?」
「《神上の光》を模倣しなきゃいけない状況が一回あって、その時にな。ただし死者を生き返らせることはできない劣化版だ」
だから死体だけが残っていた。
オリジナルの《神上の光》にしか、死者を生き返らせる大偉業はなしえないから。
「とはいえ〝零能力〟の反動があったのはオレも予想外だよ、克服したつもりだったからな。おかげで全身ズタボロになっちまって、夢人や美里さんには心配かけちまった」
「全くです。反動があるならせめて軽傷者だけでも病院に任せてもよい、と再三申しましたのに、佑真君はたいそう意固地でした」
「責任を自分で取っただけっすよ。意地張らせてください」
二人は冗談めかしているが、波瑠にはやっぱり笑えない出来事だ。
佑真に押し付けてはいけない責任を押し付けて、その上、彼の身体を傷つけてしまった。
〝零能力〟は誰かを護るための力だ。誰かを救うための希望だ。
波瑠と鉄先恒貴が生み出した被害者を、回復するのは波瑠の役目だったはずだ。
それを彼に押し付けてしまった。悲劇の後始末なんて形で〝零能力〟を使わせたから、佑真の意志と〝零能力〟がかみ合わず、反動が発生した。
また自分のせいだ。多くの人が傷ついていく。巻き込まないように気を付けても。自分一人で背負おうとしても。自分の周囲に偶然居合わせるだけで、誰も彼もが傷ついていく。
ましてや、今回ばっかりは。
何もかもが、自分の力が起こしたことなのだから――――。
「波瑠? 大丈夫か? 顔色悪いぞ!?」
「波瑠様!? 波瑠様!!」
ぐらっと視界が揺れた。
かと思えば全身から力が抜けて、代わりに赤と白の極彩色がチカチカと点滅し始める。脳みそに釘を突き刺されたような不快感が襲った。食道をこみ上げる何かがあった。こらえることもできず、茂みに強く吐き出さざるを得なかった。
「くそ、ええと、美里さんどうしよう!?」
「佑真君、落ち着いてください。服部さん家に大人はいますか?」
「修次さんがいる、呼んできます! 来いランタロウ!」
ズルズルと全身から力が抜けていく。代わりにとでも言うように心臓がバクンバクンと鼓動を加速させる。全身の血管が熱い。目の前が真っ白になっていく。
ついぞ地面に倒れ込んだ波瑠は、最後に佑真の背中を見て気を失った。
☆ ☆ ☆
国立超能力者育成専門学校こと、盟星学園高校。
ゴールデンウィークで授業こそ休みだが、校門で待ち合わせをする男子生徒がいた。
火道寛政。
現在三年生であり、文武両道かつ容姿端麗という天が五物も六物も与えたような才能を持つことから校内にファンクラブを持っている彼も、今日ばっかりは明るい表情をしていない。
休日出勤している部活動の少女達が「そんな寛政様も素敵……!」と見惚れていたのだが――寛政と待ち合わせていたのが女子中学生だとわかった途端に解散していった。
火道寛政は皆の王子様。
故にファンクラブは、彼と接する少女の邪魔をしてはいけないのだ――明日は我が身だから。
なんて余談はさておき。
「火道先輩、すみません。休みの日なのに呼び出しちゃって」
「いいよ、桜ちゃん。ちょうど俺もキミに話があったんだ」
火道寛政が営業スマイルで出迎えたのは、天皇桜という女子中学生だった。
関係性は『弟子の彼女の妹』と無駄にややこしいが、年の離れた友人、くらいには親しい。
そんな二人がわざわざ待ち合わせをしてまで休日に顔を合わせたのは、共通の『大切な人達』に関する話をしたかったからだ。
「ここで話すのもなんだし、カフェテリアにでも行こうか」
「えっ? 盟星学園ってカフェテリアあるんですか?」
「食堂とは別にね。盟星学園は設備だけ見れば、大学に近いんだよ」
「すごいなぁ高校。こっちは教室で班になって給食ですよ、班になって給食」
「健全でいいじゃないか。三年間もいると、食堂の同じメニューに飽きていくよ」
桜の入場の手続きを済ませ、二人はさっさとカフェテリアへ向かう。
三年間もいただけあって移動は最短ルート。常に桜の歩行ペースに合わせられ、しかもさり気なーく「何か飲む?」と聞かれて桜はジュースを奢らせてしまった。極めつけには、座る前に椅子を引いてくれるサービスつきだった。
「先輩、この王子様スキルはいつ身に着けたんですか?」
「ん? 何のこと?」
「しまった無自覚王子様だ」
なぜ寛政に彼女ができないのか。桜の中に大きな疑問が生じる。
「それで、話なんですけど。真剣な話なんですけど……正直、どう切り出せばいいのか分からないんですけど……」
「佑真クンと波瑠ちゃんのこと、だろう?」
桜は思わず寛政の顔を見つめていた。桜が困っているからこそ、自分から直球で話題を持ちかける。この臨機応変な気遣いも王子様スキルの一つかもしれない。
「大丈夫、俺も【ウラヌス】から個人的に連絡を貰って、大体の内容を把握している。……いや、本音を言えば把握したくない内容だったけどね。桜ちゃんも?」
「わたしも雄助……じゃなくて【ウラヌス】からです。富士山の近くで、お姉ちゃんとお兄ちゃんにすごく大変なことがあったって」
部活動の掛け声が遠くに聞こえるカフェテリアでは、語るのもはばかられる内容だ。
桜はスカートのすそを、ギュッと握りしめた。
「特にお兄ちゃんがやったことは、絶対にまずいと思うんですよ」
「そうだね。佑真クンの信念、波瑠ちゃんの生き方に反する行動だ」
「……だから、その、わたし、今、すごく怖いんです。お兄ちゃんとお姉ちゃんが苦しんでいるのに、何もしてあげられなくて。電話したくても、どう声を掛ければいいのかもわからなくて……二人はただの兄妹や姉妹じゃないんです。わたしにとっては、わたしを地獄の底から救い出してくれた命の恩人で、かけがえのない大切な人で……!」
寛政がそうっとハンカチを差し出してくれた。
気づかないうちに、涙が頬を伝っていたようだ。胸の奥底からあふれ出す不安に、恐怖に、押し潰されそうになっていたから。
「桜ちゃんはいい子だ。俺の妹や弟にも見習ってほしいくらいだよ」
「…………ぐすっ」
寛政を相談の相手に選んでよかった、と桜は思う。
身近で自分の気持ちを正直に話せる相手なんて、多いようで、全然いない。
中学の友人たちに話せる内容ではないし、頼れそうな誠と秋奈はよりによって京都にいる。
寛政しかいなかった。だけど寛政に話してよかった。
包み込んでくれるような年上の優しさに、今だけは甘えさせてほしかったから。
桜が泣き止むまで待ってくれた寛政は、ふと前のめりになった。
「そんな桜ちゃんだからこそ、俺は一つの提案を持ち掛けたい」
「? なんですか?」
「俺はこれから伊賀へ向かう。もしよかったら、一緒に行かないか?」
一瞬、何故だか迷いそうになって。
迷う理由がなかったので、桜は力強く頷き返した。
☆ ☆ ☆
おでこに、ひんやりと冷たい感覚があった。
頬が熱い。呼吸が浅くて、空気を肺の深くまで吸い込めない。とろんと全神経が衰えていて、口の中にキモチワルイ後味がある。
枕もとに置かれていたコップで口を注ごうと寝返りを打つと、傍らに人の気配を感じた。
佑真がぼうっと壁に寄りかかっていた。美里が濡れタオルを絞っていた。ちょうど襖を開いた夢人は、大きく膨らんだレジ袋を手にしていた。
ふすま。畳敷。生けてある花。達筆すぎて読めない書。
どうやら波瑠は気を失っている間に、また里長さん家の部屋に運ばれていたようだ。
「ゼリーとか軽食とか買ってきました――あ、波瑠さん気が付いたみたいですよ」
「本当だ。波瑠、大丈夫か? 水飲む? ポカリ?」
「……お水がほしいです」
弱弱しい笑みしか浮かべられていない自覚がある。佑真がコップにミネラルウォーターを注いでくれた。美里の手を借りて何とか上半身を起こし、ちびちびと口に含む。
冷たい水が喉を通って胃に落ちていくのが、やけにハッキリと理解できた。全身がカッカと熱を発しているせいだ。
「波瑠様、風邪をひかれていたみたいです。先ほど熱を測ったら38度もありました」
「うえぇすごい熱……これが風邪の感覚なんだね……38度って大丈夫なの?」
「ただの風邪だってよ。ずっと風邪ひいたことないからわかんないよな、大丈夫だぞ」
佑真が右手を少し伸ばした。頭を撫でてくれるのかな、と思ったが手は空中でピタッと止まってしまった。
「……佑真くん?」
「……悪い、何でもない。とにかく大丈夫だよ」
変な位置で弄ばれる右手に、何となくコップを渡してみる。
「待って待って、さらりと波瑠さん凄いですね。よく『バカは風邪ひかない』って言いますけど、実は天才も風邪ひかないんですか?」
「いいや夢人、よく言うだろう。バカと天才は紙一重って」
「ちょっと佑真くん、病人にツッコミさせないで」
波瑠がツッコミを入れると空気が緩んだ。
入り口に突っ立っていた夢人が、佑真の隣に腰を下ろす。佑真は胡坐だが、夢人はきっちりとした正座だ。
「波瑠さん、好みがわからないので適当に買ってきました。ゼリーにおにぎりにカップスープに、あとアイスもあります。冷凍庫です。お腹すいたら食べてください。アイスや熱湯は何なりとお呼びください」
「あはは、至れり尽くせりだ。ありがとう夢人くん」
「用意周到すぎるわ。お前はプロのパシリか」
「忍者ってある意味パシリですから。暫定師匠の彼女さんのためなら当然です」
そういえば師匠やら弟子やらの話あったなぁ、と波瑠が水を飲みながら思っていると、襖からひょこっと見知らぬ人が顔を出した。
「おい夢人、忍者はパシリではなく金を貰える仕事だ。全忍者に謝れ」
「げっ、服部さん。藤林さんに百地さんも。どこから聞いてたんですか?」
「パシリ云々のところだけだよ」
一人は茶髪のサバサバした感じのお兄さん。
一人はきっちりした感じの色黒なお兄さん。
一人は髪を丸刈りにした筋肉質のお兄さん。
「波瑠さん、こちらはさっき波瑠さんを運ぶのを手伝ってくれた服部修次さん、藤林東さん、百地虎徹さんです」
慌てて頭を下げる波瑠。ちなみに名前の紹介は、先ほど波瑠が目を配った順番と同じだ。
病人なんだから無理すんなや、と服部に告げられる。体の動作の一つ一つが重苦しいのは事実だが、病気になったことがほとんどない波瑠には気遣われる状況が新鮮だ。
服部さん他三人は、部屋には入らずに夢人と佑真に対して、
「夢人、それに天堂君。里長様が帰ってくるのは三時間後になるってよ」
「話があるから待っていてくれ、って言ったのは里長様の方なのにごめんね。もう少しだけのんびりしてて」
「了解です。佑真さんも、ちゃんと身を休めていてくださいね」
「わかってるよ、念を押すな念を」
なんてやり取りをしてどこかに行ってしまった。
忙しない様子だが、波瑠の《神上の光》で五十人強が生き返り、また富士の樹海では捜索が続いている。『伊賀の忍の里』も総動員で動いているのかもしれない。
「……ねえ、夢人くん、美里さん。少しだけ佑真くんと二人きりにしてもらっていいかな?」
「へ?」
「べ、別に変なことしようってワケじゃないよ。傷を治さないと辛いだろうし、それに……その、少し二人だけで話したいんだ」
「別に席を外すくらいは構わないですけど……」
「わたしは立場上、病状の波瑠様を放っておくことなどできません。佑真君、面倒をかけますがお話が終わったら連絡をいただけますか?」
「大丈夫だよ美里さん。そんなにひどい風邪じゃないって」
「風邪を引いたことのない波瑠様が風邪を引いている時点で、それはひどいのです」
「平均値はズルい……」
五年の隔たりがあったって美里は波瑠の保護者なので、これ以上の口答えはできなかった。
二人は少しだけ躊躇しながらも、部屋から出てくれた。
襖がトンと軽い音を立てて閉まる。
これまで、佑真と二人きりになって嫌な沈黙なんてほとんどなかったのに。
今日の沈黙は、そわそわと指を遊ばせていないと居心地を悪く感じた。
「なあ、波瑠」
佑真が勝手におにぎりを手に取り、ラッピングをペリペリとはがしながら。
「オレ、初めて人を殺しちまったよ」
沈黙を打ち破り、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
☆ ☆ ☆




