●第百八十九話
[Never Ending]
富士山麓にある施設で、二人の『人外』が向き合っていた。
「目と鼻の先でドンパチやってやがったのに、お前は手を出さないんだな」
「時空間の制約なく出現できる貴様の言えることか?」
……黒羽美里や天堂佑真は最後まで勘違いしていたが、富士の樹海は決して【月夜】の本拠地ではない。そも富士山とは、静岡県と山梨県にまたがっている霊峰だ。
佑真達がいた側はあくまで鉄先恒貴や月影空が使用していた施設であり、人外がいる施設は別にある。そうそう見つかる場所にあれば、こうして特殊な液体を満たした『容器』に漬かれないだろう。
それほどの敵対者が世界中にいる人外。
人にも神様にも、人にも悪魔にも、人にも死体にも見える人外。
天皇劫一籠は、笑う。
「貴様のお気に入りが崩壊を迎えているが、放置していて良いのか?」
「ボクは所詮『観測者』だ。この世界を観測することはできても、手出しすることは許されない。成り行きを見守るだけだよ」
「二度、その制約を破っている。ペナルティがあるはずだが?」
「心配しているフリはやめろよな。……幸い、ボクが契約を結んだ女神は掛け値なしの善神なんでね。もう二度と人間界に干渉しない、という条件でギリギリ『観測者』を続けているのさ」
対する人外――十文字直覇は肩をすくめた。
「ボクの話はいいだろう。――なあ人外、鉄先恒貴はお前のお気に入りだったはずだ。決して《神上》の適正も持たず、無機亜澄華よりも劣っていたはずなのに気に掛け続けた男が死んだぞ。何故手を出さなかった?」
「……、」
「もし介入していれば、救えたかもしれないのに。むしろ天敵である天堂佑真を殺せたかもしれないのに。新しい『計画』は愛弟子を見殺しにしなければいけない程大事なものなのか?」
「無論。たった一人の男のために『計画』にズレが生じることは許されない」
「オイオイ、声が震えているぞ。それはギャグか何かか、世界は救えたのに仲間達を救えなかった英雄?」
「故に、全てを犠牲にしてでも我は新世界創造を成し遂げるのだよ。挑発する態度にこそ焦りが見えるぞ、少女一人救えなかった英雄?」
沈黙があった。
しばらくして、十文字直覇がしびれを切らしてため息をついた。
「はぁ……このやり取りも飽きたモンだ。やめやめ」
十七歳の女子高生の姿が揺らぐ。陽炎のように揺れる彼女は、最後にこう言い放った。
「ボクは確かにお前が嫌いだけれど、それでも時々思うよ。人外だって英雄だって、もっと人間らしく泣いたっていいじゃないか――ってさ」
★ ★ ★
無機亜澄華の遺体は回収できなかった。
それどころか、パワードスーツに乗っていた者や月影空といった多くの人間の所在を、生存を、確認する余裕もなかった。
限界まで暴れ尽くし、気絶した波瑠。
ただ、呆然と立つ佑真。
二人を連れて、黒羽美里と夢人は富士の樹海から急いで脱出する。
こんな場所に残っていたら、少なくとも二人のどちらかが壊れてしまう。
後の事を【ウラヌス】や夢人の『組織』に丸投げして、とにかく遠ざかっていく。
大量の悪意が撒き散らされた戦場に背を向けて。
★ ★ ★
太平洋沖に、日本の所有する監獄島がある。
五年前に『the next children』というプロジェクトで使用されたものの、そのまま米軍との戦争の舞台になり、荒廃。新たな使用法として、極悪な犯罪者を収容する脱出不能の大監獄島へ姿を変えていた。
名を『黄泉比良坂』。
地獄へと続く大監獄に、一人の囚人がいた。
「それで、我に何用か」
金世杰。
かつて第三次世界大戦を休戦まで持ち込んだ英雄の一人であり。
中華帝国が誇る『世界級能力者』の一人であり。
天堂佑真や【ウラヌス】との激戦の末に身柄を拘束され、『黄泉比良坂』に収監された男である。
そんな男が今いるのは、檻の中ではなく面会室だ。
……SETを取り上げられて囚人服に身を包み、体内にマイクロチップを埋め込まれ、手錠を施された上で椅子に縛り付けられている。しかも怪しい動きをすれば即座に急所を避けた自動狙撃が行われ、常に精神干渉系の能力者に表層心理を見張られている。
不審な行動を取るつもりは一切ないが、散々な扱いである、と思わなくもない金世杰。彼とガラス越しに向かい合っているのは、しかし金世杰の知らない人間だった。
「はじめまして、金世杰殿。私の名は草壁最理。素性は伏せさせていただきます」
「……」
金世杰は眉をひそめる。
草壁はスーツを着慣れた感のある、見た目三〇歳前後の男性だ。このような監獄ではなく東京二三区で走り回っているのが相応しそうだが、向かいの椅子に躊躇なく腰かけた。
「貴殿の第三次世界大戦での活躍、勿論耳にしています」
「今の我は『正義の味方』ではない、ただ愚かな密入国者である」
「ご謙遜を。貴方は【ウラヌス】になど劣っていなかった。私には、貴方があの少年に勝ちを譲ったように見えていました」
……どうやら、草壁は芦ノ湖での戦闘のテレビ中継を見たようだ。監獄の外に自分が与えた影響を心配しつつ、金世杰は草壁の称賛をしばらく聞き流す。
ひとしきり金世杰を褒めて満足したのか、草壁は「それで本題なんですが」と軽くネクタイに手を触れた。
「貴方のご経験と能力を借りて、一つの問題の対処を協力していただきたい」
「…………。それは、どういう意味であるか」
金世杰は『なぜ「黄泉比良坂」に入れられる程の極悪犯罪者に頼むのか』や『なぜ日本人が中華帝国人の自分に声をかけるのか』といった疑問を一緒くたにして問いかける。
「此度の問題に対処するには、【ウラヌス】ではいけない。貴方が適役なのです」
「…………であれば、まずその問題とやらの詳細を知りたいのだが」
営業スマイルを浮かべた草壁はスーツのポケットに手を入れて、
「《神上の光》と零能力者の殺害、及び【天皇家】への反撃。その一手を協力してほしいのですよ」
そのポケットから取り出した木札が、光を放った。
光はガラスを貫通して金世杰の胸を照らし――円形に空いた穴から、トクトクと血が流れ始める。
胸の奥が張り裂けるような痛みを発した。
心臓が拍動するたびに、体内に異常な熱が発生する錯覚を得た。
どうやら先ほどの光が金世杰の心臓に、決して小さくない穴をあけたらしい。
「……ぐ、貴、様……!?」
手錠をされて椅子に縛り付けられている以上、胸を押さえることも叫びもがいて床を転がることもできない。ただひたすらに歯を食いしばる金世杰の周囲で、赤いランプが激しく点灯していた。
大音量のアラートの中で、草壁最理は別の木札を取り出して誰かと連絡を取り始める。
「地震滝、こちらは完了した、脱出の手引きと、神崎に『準備』の指示を頼む」
「……何をする気だ……?」
木札をしまった草壁は、にこりと営業スマイルに戻った。
「金世杰。貴方の経験と能力を貸していただきますが、貴方の意識と生命が残っていると多少の不都合がありますので。一旦死んでいただきます」
「…………ここは、日本最高峰の監獄島である」
「承知の上です」
「ここを太平洋に面した米国やオセアニア諸国が放置しているのは、他国であっても野放しにしてはならぬ、人類全体に牙をむく極悪犯罪者が収容されているからである! 故に警備体制も対超能力者用の設備も整っている!」
「心臓を貫いたのによく喋りますね、流石は『世界級能力者』です。もうじき死ぬのですから、走馬燈に浸りなさっては?」
草壁の余裕は崩れない。よほど脱出に自信があるのだろう。
むしろ余裕をなくしているのは、金世杰の方だった。
天堂佑真の慈悲によって生かされているはずの自分が――天堂佑真に救われた自分がこうも容易く命を落とすのは、彼への恩義に反する。
たとえ脱出不能の監獄に入れられても、自分は救われたのだ。
まだ何もこの世界へ報いていないのに、死んでいい理由がない。
なのに。
出血は止まらない。
(……、ここまでであるか)
無数の死を第三次世界大戦で生み出したからこそ、英雄は己のあっけない死に絶望する。
金世杰が息を引き取ったことを確認すると、草壁は大きな体を担いで面会室を飛び出していた。
「対超能力者用の設備が整っている――だったか」
金世杰に向けていた丁寧な口調は、もちろん作り物だ。それが剥がれた以上、苦しいネクタイを締めている必要もない。乱雑にそれを外しながら、草壁は呟く。
「それを攻略する方法くらい、貴方ならば思いついただろうに。
……オカルトだ。私達は故に《神上》を生み出した【天皇家】へ牙をむく」
彼が走り抜けた足跡を残すように、垂れ続ける一筋の血液があった。
「時代はまた動く。旧時代の英雄よ、戦力として徹底的に利用させてもらうぞ」
【第八章 富士接近編 完】
物語は続く。
英雄譚とは、決して喜劇のみでは紡がれない。
ここが一つの正念場。
さあ、大きな壁と対峙せよ。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回は恒例のあとがきです。
先に予告しますと、【第九章 忍の里の神上編】は十二月半ばの予定です。できるだけ早くお届けできるよう頑張ります。




