●第百八十三話 三位:臨界突破
「第五位と第八位の敗北、と。うひょひょ、鉄先君自慢の『科学』も半分以下までへし折られてしまったねぇ」
白衣の老人は、モニターに映し出されていた『銀燐機竜』と招待客たちの戦いを見ていた。
同じ部屋にいた鉄先恒貴は、その部屋にはもういない。
「さっさと第一位をぶつけてしまえばいいものを。出し惜しみをしているから周回遅れになるんだよ☆ ま、丹精込めて作った玩具を壊されるのを忌避するのは人間らしい感情だ」
別段、白衣の老人も部屋に居残る用はない。低反発クッションを腰にあてていた椅子から立ち上がると、老人はガラス越しの部屋へ少しだけ目線を移した。
十字架にはり付けられた無機亜澄華の裸体。
果たして生きているのか、死んでいるのか。
白衣の老人はそんな些末なことに興味はない。
鉄先恒貴がこの半年間、あの肉体を視界に入れない日がなかったという事実が重要だ。
ああ、そういえば、と。
老人はどこか楽しそうに呟く。
「鉄先君を救った『英雄』もまた、己が愛した女に執着していたっけ。うひょひょ、善悪かかわらず、人間っていうのはどうしようもない生物だねぇ☆」
白衣を翻し歩く老人の手首には、SETが巻かれていた。
「さて、鉄先君の『計画』は最後まで進む価値があるからね。例外には例外がぶつかろう。月影の苗字を持つ者は、そういうヤツを支えるべく暗躍するのさ」
☆ ☆ ☆
無力化した以上は『銀燐機竜』を夢人の《神上の宙》で分解する必要があるワケだが、もう一回使えるかな? という気軽な発想から佑真は〝零能力・模倣神技〟を発動する。
左手から放射された純白のレーザービームは二機の『銀燐機竜』をバラバラに分解し、中の操縦者が転がり出てきた。今回は三次元的な戦闘になったこともあってか、決して無傷とはいかなかったらしい。
波瑠が《神上の光》で回復させるのを見守りながら、
「なんだ、一回感覚を掴んじまえば〝模倣神技〟も上手くできるもんだな」
「おおっと、ぼくの存在価値はわずか二回で奪われてしまったぞ?」
「まだ止まってないと使えないし、頼るぜ弟子一号」
「へへっ頑張りますよー。そういやなんでファン二号だったんです?」
「そりゃ『私が一号だもんねーポッと出の男の子には譲らないよー』ってことでは?」
「佑真くん正解。ちょっと恥ずかしいから明言しないでほしかったけど」
「愛されてますね師匠一号」
「あ、目覚めましたよ」
美里が操縦者二名に手を差し伸べる。夢人が「こっちの方に行けば樹海を抜けるかぼくの仲間と会えると思いますんで、気を付けて進んでください。何かあればこの花火を上空へ」と罪なき操縦者に円筒を渡していた。
《静動重力》の操縦者、《精神支配》の操縦者にも、夢人は自主的に同じことをしている。
佑真に憧れて『正義の味方』を目指し始めた、とか言っていたが元々の気質が容易にうかがえる行動だ。
一方で引っかかるのは、美里を含めて操縦者に悪意ある人間がいないこと。『銀燐機竜』から解放されて表情を明るくする彼らに、佑真は静かに拳を握りしめる。
(……人材として利用されている大人がいる……桜だってそうだった。集結が殺してしまった五百人も、行橋このえと一緒にいた実験動物たちもだ。【月夜】の連中は目的のために他を犠牲にすることに、あまりにも抵抗が無さすぎる)
対峙すべき悪意の総量が、大きい。
何をどこまで砕けばハッピーエンドを導けるのか、わからないまま樹海を進んでいる。
鉄先恒貴を倒せば終わりなのか。
本当にそれだけで、『銀燐機竜』という呪いを打ち消すことができるのか。
募る疑問をぶつけるサンドバックはない。移動が再開されるとしばらくして、波瑠と美里が話し始めていた。
「久々に《黒曜霧散》見たけど、黒曜石はどこから取ってきたの?」
「《核力制御》で地面が掘り返された際の爆風に原石が紛れていたので、その周囲を掘り返せばもっと見つかるだろう――と思っていたのですが」
美里はそこで方位測定中の夢人に目を向けた。
「原石の一つを頼りに、夢人君が《神上の宙》で大量生産してくれました」
「おっと新情報の気配。質料を操る奇跡で?」
波瑠がこてっと首をかしげる。夢人は右手を軽く開きながら、
「《神上の光》が生死を司るように、《神上の宙》は『分解』と『構築』を使いこなすんです。構成後の物体があれば複製品を作れますよ」
こんな感じで――とその辺の石ころを拾った夢人は、ポケットに忍ばせていた黒曜石の原石の一部を砕いて石ころに乗せ、純白の波動を放出させる。
石ころが一瞬真っ白に光ったかと思えば、次に夢人が手を開くと、ただの石ころは黒曜石の原石に姿を変えていた。
「何この金塊大量生産な奇跡は」
「石ころを一旦『質料』に戻し、原石の構成を参考にしながら『組み替えて』います」
「「「………………???」」」
「期待通りのリアクションをありがとうございます。非科学的には〝錬金術〟が一番近いらしいですが、正直ぼくにも『構築』を使いこなす自信はありません」
困り笑いの夢人くん。
この手の話に専門家が不在であるのは大問題だった。
「なんて雑談をしているうちに、もうすぐ目的の研究施設の入り口があるという富士山間近まで来てしまいました」
「ついに来たか……周りの景色何一つ変わりないから実感がわかん……」
「これが富士の樹海の自殺スポットたる所以かもね。ここから先は?」
「正直にいえば、足を使って探すことになります。似たような景色しか連なっていない以上、わたしも完璧な意味での位置は把握しかねます」
「これはぼくの出番な予感……! 忍者スキルを存分に使って敵の基地への侵入を引率する役割が与えられたような!」
夢人がやる気満々で腕をぐるりと回し、一歩を踏み出した時だった。
――――ランクⅩの第三位《臨界突破》は、限界を引き出す能力と称されている。
たとえば皮膚の硬度。たとえば動体視力。たとえば腕力や脚力。
能力者のありとあらゆる『何か』の限界を引き出し、圧倒的な速度と膂力で敵を殲滅する超能力である。
能力者である十六夜鳴雨が日本の黒い部分の奥深くに属する人間なせいで実態はあまり知られていないが、《集結》とともに『世界級能力者』に選出されていることから、その恐ろしさは推して知るべきだろう。
そして。
実際に死闘を繰り広げた小野寺誠に「《臨界突破》と戦ってみて一番恐ろしかったのは?」と聞いてみれば、彼はきっとこう答える。
異様なまでの速度。
人間が戦闘機並みの超音速で動き続けるのは、本当に恐ろしかった――と。
《臨界突破》はそういう力であり、『銀燐機竜』の内にはそういう怪物級の超能力がある。
それはさておき。
――――ッッッゴ!! と。
突如、あらぬ方向からマッハ3――時速3000キロメートル超えの超速度で突っ込んできた『銀燐機竜』が起こしたソニックブームが、四人を吹っ飛ばした。
あまりにも突然の出来事に、佑真には思考する余地も暇も存在しなかった。
足が勝手にフワと浮いたかと思えば、背中を木の幹に殴打していた。けれど木の幹はめくれ上がる大地によって根元から抜け、ホームランボールより猛烈な勢いで再び体が飛ばされていく。土砂や樹木の破片が津波と化していた。全身に殴りつける小石でさえ、自らの肉体に牙をむく凶悪な武器だった。
破壊の突風が止んだ。
視界には、目一杯青い空が広がっていた。
大量の葉っぱがクッションになってくれたおかげで、軽傷で済んだらしい佑真。寝転がっている状態から体を起こそうとするが、即席ベッドが葉っぱ製であるために踏ん張る場所がないことに気づく。
「…………、クソ。生きているだけ幸いだと思うべきか」
崩れないように気を遣いながら顔だけを動かしていると、へし折れた木の上で「おーい」と手を振る夢人を見つけた。
「佑真さんも葉っぱのベッドですか。お互い豪運ですね」
「違ぇよ。信じられるか? あの突風の中で波瑠が周囲の葉っぱを大量に落としたおかげで、オレ達は生きているらしい」
「…………まさかぁって言いたいですけど、エネルギー変換だからこその選択肢ですか」
「完全にソニックブームを抑えることはできなかったみたいだけどな」
夢人がシュルリとロープを垂らした。佑真はそれを伝って葉っぱのベッドから降りていく。
「ぼくらは異様な距離を吹っ飛ばされてしまったようですけど、波瑠さん自身と美里さんは大丈夫ですかね?」
「とりあえず電話するか……、は?」
携帯端末を取り出そうとした佑真だったが、ポケットに突っ込んだ右手が引き出されることはなく、あの衝撃波の中で波瑠の行動を目視する程の動体視力を持つ両目が、ある一点を見つめていた。
「佑真さ…………っと。これはこれは……」
「………………クソ野郎が」
《脳波制御》で感情を制御できるはずの夢人も露骨に表情を歪める。
毒を吐いた佑真の視界にあったのは、ボロボロにひしゃげた『銀燐機竜』の機体だった。
おそらく先ほどのソニックブームを巻き起こした、第三位《臨界突破》の機体だ。中から赤黒い液体が少しずつあふれ出ている。惨劇は容易に想像できた。
「……第三位の《臨界突破》を全く制御できていなかった結果ですね。あの突進は奇襲ではなく、暴走だったのでしょう」
純白のレーザービームを突き刺して『銀燐機竜』を解体しながら、夢人が告げる。台詞は冷静だが、声音の奥底に明確な怒気が含まれていた。
「なあ夢人。オレは零能力者だから知らないんだけど、本来、超能力っていうのはさ。何回も何回もずっと使っていくことで、自分のものになるんだよな?」
「……勉強や運動と同じですよ。学校で勉強する、地域の少年野球団で練習する、そういったものとの差なんてありません。確かにSETを使えば誰だって発動できるけれど、本当の意味で『超能力者』になるなら、それ相応の努力が必要です」
「ああ――だからこうなるんだよな。あまりにも強すぎる力を別人が借りようとすれば、努力を怠ったツケを支払う羽目になる」
佑真は中から出てきた人間を――それを人間と呼んでいいのか迷ったけれど――せめてと破片の山から引っ張り出しながら、奥歯を食いしばった。
能力を制御しきれずに傷ついたのは《静動重力》に続いて二人目だ。
問題は彼かも彼女かもわからないこの人が、『銀燐機竜』に強制的に乗せられていること。
払う必要のないツケを支払い、ズタズタにされた人間がいる。
明確に被害者と呼ぶべき人間が。/あるいは、どこかにいる。
どうしたって救わなきゃいけない人間が。/どうしたって殺さなきゃいけない人間が。
「………………、」
何か思考が踏み越えてはいけない一線を越えた気がしたが、佑真がそれを深く考える前に、夢人が肩を叩いた。
「佑真さん、まずは波瑠さん達の安否を確認しましょう。それと、ぼくから一つ提案があります」
夢人は固まってしまった佑真の右手を勝手に動かして、携帯端末を奪い取った。
「波瑠さんの《神上の光》を〝零能力・模倣神技〟で再現し、この人の命を救います」
☆ ☆ ☆
ソニックブームを『エネルギー変換』で抑えられるだけ抑え込んだ波瑠でも、軽く十メートル以上は吹っ飛ばされていた。偶然隣にいたおかげで波瑠の能力の恩恵を受けた美里も傍にいる。軽傷で済んでいるのは幸いだ。
夢人がいない以上、方向感覚や位置情報が狂うかもしれない。
下手に動くよりもまず、二人は周囲の安全を確認していた。
「ド派手にやってくれましたね……」
一瞬過ぎて波瑠には確信が持てないが、先ほど目の前を突っ込んでいったのは《臨界突破》を搭載した『銀燐機竜』だろう。《霧幻焔華》でもできないことはないが、それだけのエネルギーをどこから引っ張ってくるか、という話に繋がる。
五メートル級の機体がもたらしたソニックブームは辺り一面の木々を薙ぎ払い、樹海を荒れ地とする代わりに開けた視界を残していった。木が流された距離はキロ単位。横幅も数十メートル。恐らく上から見れば、樹海の中に土砂でできた運河があるような印象を受けるだろう。
携帯端末を取り出そうとする波瑠だったが、ポケットは生憎空っぽだった。ソニックブームの際に飛んできた木の枝がスカートの端を引き裂き、穴から落ちてしまったようだ。
仕方ないのでSETに付随された簡易端末機能を起こしてメッセージを送ることに。この機能を使うのは人生初かもしれない。
「うう、使い方イマイチわかんないな。このアプリを立ち上げればいいの?」
「やりましょうか?」
「…………お願いします」
不必要にモタモタしていると、横から美里がポチポチと画面をいじってメッセージを送ってくれた。
「ん? 波瑠様、携帯端末を失くした際の連絡手段をまともに用意していないのですか?」
「い、一応この指輪を使えばお互いの位置情報を送信できるけど……SETあるしいいかなって……私の場合はSET手放したら実質終わりみたいなトコあるし……」
「…………………………」
「『迂闊だなぁ携帯端末なんていつ落とすかわからないじゃないか周りの大人たちは他にもっと指導しなかったのか!?』って目が悠然と語っているのですけれど……!」
これでも美里は、困っている人を見かけるとすぐどこかへ行ってしまう系救世主・天皇真希と第三次世界大戦を乗り越えた軍人だ。振り回されてきた分、連絡手段とかには厳しいのかもしれない。
なまじ超能力が強すぎるから何とかなっていた系お嬢様・天皇波瑠は居心地悪そうに肩をすくめる。やがてSETには佑真から『合流するから五分だけ待ってて』とメッセージが返ってきた。夢人も一緒にいるようだ。
「その辺の指導はまたにするとして――波瑠様。佑真様達との合流も考えたいですが、先の『銀燐機竜』が飛来してきた方を見てください」
「ん?」
「わたしも利用した『出入口』が見えます。……どうやらあの『銀燐機竜』は、あの『出入口』から一気に飛び出してきたようですね」
美里の手を借りて木の隙間から顔を覗かせると、遠方に樹海に似つかない建造物の入り口があった。『出入口』の他には大きな建造物が見えないため、火山の近くであるにもかかわらず地下施設らしい。
「なんでわざわざ、樹海に隠れていた『出入口』を……?」
「普通に考えれば意図せぬ超能力の暴走ですが、深読みすれば波瑠様をおびき寄せるためでしょう」
美里の考えのどちらが正解かはわからないが、とにもかくにも敵の本陣の『出入口』だ。
二人がコソコソしている間に、『出入口』から新たな『銀燐機竜』が出てきた。
慌てて木陰に潜る二人。念のため能力演算領域を活性化させた状態で息をひそめていたが、白銀のドラゴンは波瑠達を素通りして《臨界突破》が通った道を飛んで行ってしまった。
「……このスルーはわざとかな?」
「《臨界突破》の機体を回収しに、あるいは佑真様と夢人くんを討ちに行った?」
「後者かな。メッセージを送る……より到着の方がどう考えても早いよね」
「通話機能は?」
「ありません」
美里、再び氷柱の視線モード。この一件が終わり次第、絶対に連絡手段を増やそうと誓う波瑠なのだった。実際に恋人に危機を伝えられない時点で失態も失態である。
「五年間も一人で逃げ回ったツケだなぁ……『二人で逃げる』に関しては素人も同然なのに、まあ何とかなるでしょって思い込みが……」
「集団で行動する時の鉄則ですからね。指輪のようなアクセサリーに通信機の機能を組み込むのが最も良いと思います。脚にベルトを巻くとか、髪飾りに仕込むとか」
「そのアドバイスはまたの機会にいただきたいです……本題に戻るけど、門番が『出入口』の内側にいるみたいだね」
ちらっと顔を覗かせる波瑠。
『出入口』は五メートル級のパワードスーツが何機も出入りするだけあって、飛行機の整備場のような広大さをしている。その中に、待機をしている『銀燐機竜』が一機残っているのだ。
「鉄先恒貴の言葉を馬鹿正直に捉えれば、残る機数は今飛んでいったものを含めて四機」
ちなみに波瑠と美里は、《臨界突破》の機体があの後どうなったかを把握できていない。
「そのうち二機は佑真様達の方へ向かった――となれば、この一機とどこかにいる一機を倒せば鉄先恒貴の『計画』通りとなります」
「たぶん、そうなっちゃったら手のひらの上なんだよね。何か逆転させる一手を見出したいんだけど……わざとあの一機を倒さず、『出入口』から突入するとか?」
「……わざと倒さないのには利益を見出せませんが、それくらい予想外の発想による逆転の一手ですね。侵入という観点は素晴らしいです」
「むしろ勢いで強行突破しちゃおうか」
「ゴールが近づいてきたからといって焦りは禁物ですよ。……桜様がいれば協力を頼めるのですが」
「《電子操作》か。雷撃とか砂鉄を操るとかなら私もできるけど、桜みたいな機械への干渉は繊細過ぎて真似できなかったんだよね」
「というか桜様なら『銀燐機竜』のプログラムに介入できそうですが」
「あはは……こんな危険な場所に桜を呼ぶわけにはいかないけどね」
波瑠と美里は考える。
『計画』に乗って目標地点の目の前までは辿りつけた。ここから先、どのようなアドリブを交えれば鉄先恒貴の裏をかけるのか。
「こういうの、佑真くんと夢人くんの方が得意そう」
「言ってはなりません波瑠様」
真面目系優等生タイプの二人は、必死になって考える。
☆ ☆ ☆
《臨界突破》は【第六十七話 限りなく零に近い勝率-α】【第六十八話 剣と拳の激突の末に】の二話で誠と十六夜が戦っています。
限界を引き出す超能力。制御できる方がすごいかもしれない。




