第一章‐⑳ 4th bout VSキャリバン・ハーシェルⅡ
キャリバン・ハーシェルの超能力《風力操作》は、ランクⅨに相当する気体操作能力である。
キャリバンは特に圧縮、振動、流動操作など、気体でさえあればなんでもありの応用性を武器とした技巧派として、超能力ランク上位に食い込んでいる。
時速二〇〇キロで走るエアカーの上で平然と立っていられるのも、この能力のおかげ。自身に吹き付ける向かい風をすべて受け流すことで、ほぼ無風の状態で立っていられるのだ。
それは同時に、エアカーの加速にも一役買うことになる。
『スリップストリーム』に近い現象を引き起こしていたのだ。
物体が加速し続けると、あまりの速度に前にある『空気』が壁となり、加速の妨げとなってしまうのだ。飛行機やリニアモーターカーの先端が流線型のフォルムを描くのは、空気抵抗を減らし、『空気の壁』をできるだけ受け流すためだったりする。
そしてスリップストリームとは、前を走る車のぴったり真後ろにつけることで前の車が『空気の壁』を押し退けた後の道を走行し、スムーズな加速を行える――というレーシングにおける走行技術だ。
キャリバンはエアカーの前に気流を作り出すことで、本来時速二〇〇キロの車体にぶつかってくる『空気の壁』を押しのけている。
エアカーは従来の何十倍もスムーズに加速を行っているのだ。
オマケにパワードスーツが地上をほぼ制圧し、エアバイクを着々と追い詰める。
まさに四面楚歌な状況でありながら――
――けれど、天堂佑真はエアバイクを突っ走らせる。
「それでは、一発目ぇ!」
キャリバンの箒が鋭くスイングされ、空気を切り裂く衝撃波の球体が放たれた。
不安定な足場となるエアカーからの投擲が理由か、佑真達のエアバイクの二メートルほど真横の道路に激突し――刹那。
球状の衝撃波が爆裂し、高速道路を粉々に倒壊させた。
「おおおッ」
余波で呷られる車体を必死に持ちなおし、佑真はチラッと背後を見る。
どうやらバランスをとるのに必死なのは相手方も同じようだ。
しかし、キャリバンの箒は躊躇いなく振りぬかれる。
「はああああぁっ!!!」
ふたたび放たれる豪風の球体――今度は二弾だ。
虚空を裂きながらエアバイクの頭上を通り過ぎ、両球体は佑真達の50メートルほど前でぶつかり合った。
轟音を撒き散らし、斬撃の暴風波が吹き荒れる。
コンクリートを、まるで発泡スチロールをカッターで切断するかのように簡単に切り裂き、目の前の道路から粉塵が巻き上がる。
回避するスペースもなく佑真は粉塵の中へと突入する。
シュッと空気を裂く音が聞こえ――第六感を頼りにバッと逸らした顔の真横を、フットボールほどの大きさの弾頭が通過。
エアバイクの目の前に着弾し、爆炎が炸裂した。
「「――――っ!?」」
前・下方からの熱線と飛礫に襲われ、車体がふたたびバランスを崩す。
焦げる火薬の匂い。
大方、粉塵によって佑真達の視界が塞がったところを奇襲したつもりなのだろう。
だが佑真もそう簡単にやられるほど、ここまでの数時間を甘く見ていない。
粉塵に突入した瞬間に浮力を上げて瓦礫を回避しながら蛇行を始め、極力の被弾を回避しようと試みていたのだ。
成功といえば成功。だが弾頭の着弾点は、エアバイクのわずか一メートル真横だった。こんな偶然に感謝していては命がもたない。
粉塵から飛び出し、佑真はつかの間に息をつく。
「ギリギリだな。相手にとっちゃ粉塵なんて目くらましにもならないのか!?」
「たぶん、パワードスーツには夜間で戦うことも想定されているから、赤外線か超音波で相手を探知する機能がついてるんだと思う! 電波遮断のできない私達は圧倒的不利かも!」
「それに、敵は地上だけじゃねえしなッ!」
佑真が思い切りハンドルを切る。
一秒と挟まずして真横三メートルをキャリバンの鎌鼬が駆け抜けた。コンクリートを完膚なきまでに切断し、アスファルトが浮かびあがる。
くるくると箒を回したキャリバンは『空気の弾』を連射。
躱せばそれでよい、というほどキャリバンの『空気の弾』は甘くなかった。
地面や壁、電光掲示板に当たるたびに『空気の弾』は爆裂する。
その際、球状の衝撃波を撒き散らすのだ。
空中を走るエアバイクにとって風は鬼門。ちょっとした強風でも車体のバランスに影響を及ぼすのに、『空気の弾』の爆裂は四方八方から予測不能の突風を吹き散らす。
しかもその上で、畳みかけるように襲い来るパワードスーツの弾頭。
五体が連携し、佑真の逃げた先に次々と弾頭をぶち込み、爆煙を巻き上げる。余波は空気の弾とまったく同じ役割を果たすし、熱は真夏と相まって佑真の思考力を奪っていく。
幾度も呷られる車体。
全身を使ってバランスを取らなければいけない二輪車の特徴も相まって、佑真の体力・精神力はともに確実に磨り減っていた。
「はぁ、はぁ、波瑠、大丈夫か!?」
風切り音がうるさく大声を張る佑真。
「わ、私は大丈夫! 佑真くんこそ無理してない!?」
「無理しなきゃどうにもできねえ奴らと戦ってんだよ! 気にすんな!」
強がってみたが、肩で息をしているのは抱きついている波瑠にはバレバレだろう。汗がひどければ暑さに思考もぼんやりしてくる。
(やべぇ、くそ、もっと集中しないと……!)
「せやあああぁっ!」
キャリバンの雄叫びでハッとした佑真の耳元で、ひゅん、と風切り音が鳴る。
エアバイクのわずか十センチ真横――手を伸ばせば届く距離に縦一直線に裂け目が走った。
地面が断層のようにズレ、そこへパワードスーツの弾頭が着弾。
これまでの比にならない轟音が響き、瓦礫が弾け飛んだ。
「波瑠ッ!」「――ぁっ!?」
咄嗟に波瑠の体を支えるように手を回す佑真。
車体が爆風で派手に傾き――壁際を走っていたことが幸い、壁と車体が擦れて火花を散らすが、転倒の事態には至らないで済んだ。
二人がかりの体重移動で強引にエアバイクの体勢を戻し、ちらっと背後を見る。
高速道路はド派手に崩れ去っていた。半分以上が倒壊し、まさに跡形も無い。
さすがに佑真だけでなく波瑠の心にも、恐怖がグッと圧力をかけてくる。
…………今度こそ、逃げ切る手段なんて残されていないのではないか?
いくら逃げたところで、相手には多くの兵士と科学技術が用意されている。今回の集団を撒けばめでたくハッピーエンド、とはならないのだ。対するエアバイクはいつか限界が来てしまう。
覚悟を決めるなら、今の内じゃないか、と。
「……佑真くん、もういいよ。これ以上やると佑真くんも私も、二人とも死んじゃうよ!」
「わかってんだよそんなこと! だけど諦めんな波瑠! まだ絶対逃げ切れないわけじゃないだろ! 考える! この状況をなんとかする方法、考えるから!」
佑真は叫んだ。
諦めが悪いのだけが取り柄というのは――決して冗談じゃない。
どれだけの逆境にあろうと、負けを認めて諦めるなんて人生一回きり。
超能力を諦めた、あの時だけで十分だ。
「――――――波瑠」
……波瑠は、隣にまで接近していたエアカーを見上げた。
キャリバンの碧眼が、波瑠を真っ直ぐに見ていた。
「わかっているとは思いますが、アナタ達はもう限界です。アタシの次の一撃で、天堂佑真もろとも命を落とすでしょう。ですがその前に、波瑠」
金髪碧眼の少女が箒を構える。
「アナタなら……この状況を打破することが、できるんじゃないですかぁ?」
「………………キャリ、バン?」
強烈な暴風が音という音を妨げているはずなのに、少女の声は波瑠にまで届く。
届くからこそ、その内容に波瑠は首を傾げた。
「ランクⅩ――《霧幻焔華》。
何人にも敵うことのない、大軍をも滅ぼすその能力を使えば一瞬で状況は入れ替わります。アタシの攻撃はおろか、パワードスーツすべてを薙ぎ払うことができるはずですぅ」
その表情に、疑念を抱かずにはいられなかった。
(どうして……どうしてなの、キャリバン。そんなに辛そうな顔をしてまで、キャリバンは波瑠と戦うの……?)
箒の周囲でそよ風が囁き始める。
「けれどそれは、五年前の話だ」
そよ風は突風となり。
「今の守られるだけのアナタなら、アタシに敗北はありえません」
突風は台風となり。
「どうせ戦うなら、アタシの蹴りを受け、オベロン先輩の業火を受け、ステファノ先輩に切り裂かれ――それでも命懸けで死地に飛び込んできたそこの阿呆の方が脅威となるでしょう」
逃避行を一瞬で終わらせる準備は整った。
ランクⅨの少女が構えた全力は、遠き日の戦争であれば城壁を打ち崩す程の破壊力を秘める激風だった。天堂佑真はおろか、寮長や並みの超能力者にも防ぐことは不可能の必殺。
それは、波瑠が最も理解していた。
かつてキャリバンが波瑠を見つめていたように、波瑠だって、キャリバンの努力を傍で見守っていたのだから。
「……キャリバン。その力は、キャリバンの超能力は私達を傷つける為に鍛えたものじゃないでしょう! あなたは誰かを護る為に、必死に頑張っていたんじゃなかったの!?」
「違いますよぉ」
キャリバンの静かな怒声が響く。
聞いたこともない怒りに満ち充ちた声に、仇を睨むかの苛烈な視線に、波瑠はまるい目を大きく見開いていた。
「他の誰かなんてどうでもいい。アタシは波瑠を護る為に強さを求めたんです」
「…………私の、ため?」
「波瑠がもう苦しまなくていいように。波瑠の前に仲間の死体が届く、そんな現実を失くすために! 波瑠が一人で抱え込まずに済む、そんな世界を作るために! だってアナタは、アタシの、唯一の友達だったから!」
……だけど、と彼女の無力を懺悔する声が。
「アタシにはアナタを救えなかった」
――だから、と親友の自分を想う気持ちが。
「他の選択肢なんてもう、とっくのとうに無くなっているんですよぉ」
波瑠の心臓を凍り付かせた。
キャリバンの努力は知っていた。
同じ部屋で過ごしていて気づかないワケがなかった。
ただ、誰の為の努力かは知らなかった。
応援していれば十分だと思っていた。
その全てが波瑠のための努力であり。
その成果が今、波瑠を殺す為に振るわれようとしている。
「――――待てよ」
驚愕と後悔に頭が真っ白になりかけた波瑠は、佑真の言葉に意識を引き戻す。
「テメェ、言ってること全部が矛盾してるって理解してんだろうな!? テメェのその攻撃はオレと波瑠を殺すぞ。それでもソイツを、波瑠を護る為の力だと言い切れるのか!?」
現在、波瑠の傍に立つ佑真の放った氷柱より鋭い言葉の弾丸を。
「えぇ――言い切ってやりますよぉ」
過去、波瑠の傍にいたキャリバンは正気を失った笑みで跳ね返した。
「アタシは全身をズタズタに引き裂いてでも、波瑠を【ウラヌス】へ取り戻すと誓ったんです。今度こそ波瑠を逃がさないように。波瑠にすべてを背負わせない為に! その為だったら、たとえ親友だろうと殺してみせる。
この一撃が、結果的に波瑠を地獄から遠のかせる結果になってくれるのならば、躊躇う理由はありません」
「…………そうか」
破綻していた。
護るべき者を殺すと言う彼女は、すでに破綻しきっていた。
けれどその破綻に対して、佑真は言葉を返さなかった。
彼女を否定できるのはもう、この世であと一人しかいない。
キャリバンの口元から、歪な笑みが消える。
「アタシは波瑠を護る為に、全身全霊で波瑠を殺します。
だからアナタはアナタの護りたい者のために超能力を使ってください、波瑠」
箒が振り降ろされ、撃風の竜が炸裂する――その瞬間に。
護りたい者達を護るために。
佑真の腰に回されていた両腕が、そっと外された。




