●第百七十五話 聖人の守護、天使の加護
つい先日に発生した『芦ノ湖事件』において、二つの異能の力が表社会に露出した。
一つはボロボロに死にかけていた第『〇』番大隊の面々を半日も経たずに回復させた、謎の治癒能力。
幸い『死者を生き返らせる力』とまでは認識されていないものの、天皇波瑠が何かトンデモナイ治癒能力を持っていることが世間に知れ渡った。
もう一つは、天堂佑真が持つ超能力を消去する異能だ。
この力を手に入れることができれば、超能力至上主義の社会をひっくり返すことも可能かもしれない。
超能力至上主義に反感を覚える人たちが『反能力社会派』として集まり始め、大なり小なりニュース番組を賑わせているタイミングで発見された――アンチ異能。
『反能力社会派』にとって、佑真が持つ《零能力》がどのように映ったのか。
果たして今の社会にとって、超常的な回復能力と異能を消す異能力のどちらが有益に見えたのか。
今回佑真達を狙ったのは、そんな思想を抱えた国内の過激派集団の一つだ。
☆ ☆ ☆
「レーニンは潜水艇を」
「ソフィア、他の敵を叩け」
背中合わせで即座に役割分担すると、ソフィアは背中に水の翼を生やして飛び立った。
「波瑠、お前もソフィアさんの方へ――」
「待った天堂君!」
レーニンの制止に、今すぐ飛び立とうとしていた波瑠はバランスを崩す。
「キミ達は釣り人達の避難に注力してくれ」
「あいつらはオレ達の敵だ、オレ達が戦うべきっすよ!」
「言っただろう、これはお礼だ」
レーニンは剣を構えながら、
「それと『万が一』に対する罪悪感は抱かなくていい。ボクとソフィアは、超能力でいうところの『世界級能力者』程度には強いから」
その瞬間、レーニンの纏う雰囲気が変わる。
鋭く研ぎ澄まされた、戦意という名のオーラがロシアの魔術師に宿る。
「……レーニン、さん?」
「さあ来るぞ、身構えろ!」
三人が下肢にグッと力を込めたと同時に、潜水艇の凍り付いた扉が蹴破られた。
中から武装した屈強な男たちが、様々な近代兵器を持って飛び出してくる。
戦闘の男が構えるのは、騎兵銃と分類されるライフルだ。
数十年前ならいざ知らず、二一〇〇年代における『銃』は超能力台頭の時代において過小評価をされてきた。超能力使用状態の強敵に対しては、せいぜい牽制程度の効果しか発揮できなくなったからだ。
そんな時勢においてライフル銃に求められたのは、防ぐことができない弾速。
敵が超能力を発動する前に射抜くことである。
常人には視認できない速度で銃弾が放たれたるかと思われたが、号砲はいつまで経っても鳴り響かなかった。
「な、何故だ!?」
ライフル銃を構える敵兵の困惑に対する答えは、波瑠の《霧幻焔華》だ。
一定範囲内で増加した熱量を奪い取る――ようは発火を抑制することで、ライフル銃の『発砲』という現象を抑えつける《氷結地獄》。元々は波瑠の母親、天皇真希が得意としていた近代兵器の大多数を封じる力である。
「へえ、見事な超能力だ」
レーニンは能力を発動しながらしれっと立っている波瑠を横目に、ダッと駆け出した。
潜水艇の内部から出てきた敵兵の数は七人。国籍はおそらく日本。全員が武装し、似たような制服を着こんでいる。
一応全員が超能力使用状態だが、サブマシンガンやアサルトライフルを携行している辺り、超能力ではない攻撃手段を主とする集団だろう。
こういった敵に、天堂佑真はすこぶる相性が悪い。悪寒を覚える佑真の視界を、金色の流星が通過した。
「ふっ――!」
大きく跳躍して、一気に潜水艇へと接近したレーニンだ。
敵兵は乗船を防ごうと銃口を向けるが、やはり引き金を引いても銃弾は放たれない。
困惑する隙をついて、レーニンの剣が敵兵の一人を捉えていた。
「グッ……!」
けれど奇妙なことに、剣は敵兵の肩を強打するに留まっていた。
「!《硬化能力》か!」
「その通りだ!」
ライフル銃を手放しながらコンバットナイフを取り出し、切りかかってくる敵兵。
レーニンは大剣を持っているとは思えない程身軽にナイフを躱し、脇腹を蹴打。
潜水艇の壁に強打された敵兵が呻いた隙に、もう一発、左拳を叩き込んで無力化した。
「テメェ何者だ!?」
『魔術師だよ』
ロシア語で返答しながら、迫りくる敵兵の一人に剣の切っ先を向けるレーニン。
対する敵兵の武器は、警棒に近い。
一度剣身が交わるが、レーニンの持つ大剣の威力を受け止めきれていない。敵兵を押し潰す勢いで自重を乗せるレーニンにむかって。敵兵の更に一人がコンバットナイフを突き出した。
大剣を手放して刃を躱し、左拳、右拳と叩き込んだ末に海中へと蹴り飛ばす。
「この野郎ッ!」
その隙に警棒を持っていた敵兵が、一太刀浴びせんと警棒を振り降ろした。
レーニンは警棒を、右腕で受け止める。
ゴッ、と重い衝撃が走ったが、半袖から伸びる白色の肌には一切の傷がついていなかった。
「テメェも《硬化能力》か!?」
叫ぶ敵兵の顔面を掴み、容赦なく船体に叩きつける。脳震盪を起こしただろう敵兵を海中に放り投げると、レーニンはあることに気づいた。
この三人の敵兵に気を取られているうちに、残り四人が潜水艇から飛び降りて波瑠や佑真の後を追おうとしていたのだ。
『戻れ、アスカロン!』
レーニンは大剣を手に取ると、ふたたび跳躍。
彼ら敵兵の進路を断つ位置に一足で着地し、大剣を真横に薙いだ。
たったそれだけの剣圧が、敵兵四人を扇ぐ突風と化す。
「喰らえ!」
けれど剣圧に耐える敵兵の一人が、超能力を発動した。大気中の窒素を一ヶ所に凝縮して、筒状の空気咆で押し出したのだ。
レーニンの眉間を貫く空気弾の一撃。
ボフッ!! と窒素が破裂する音が響き渡った。
けれどレーニンの顔面の真横で発生した爆発で、レーニンが傷を負うことはない。
あえて言うならば、呼吸器の周囲の窒素濃度が一時的に上昇したことがレーニンにとっての脅威だっただろう。故に金髪の魔術師は大剣を構えなおすや否や、敵兵のど真ん中へと突進した。
「クソッ、ふざけるな!」
接近してくるレーニンに対し、敵兵の一人が脇差と思しき刀を投げる。投剣術と呼ばれるれっきとした技術の一つだ。鋭い切っ先を前にレーニンは防御の姿勢を取らず、直進を続ける。
刃がレーニンの右肩と接触した瞬間、刀の方が固い壁にぶつかるように弾かれていた。
驚愕に驚愕を重ねる敵兵たちとの間合いにて、レーニンは大剣を引き戻した。
〝悪竜裁く聖なる蒼銀〟
レーニン=ブレイフマンが振るうのは、キ◯スト教の聖人・ゲオルギウスが悪竜を退治した際に用いたとされる伝説の剣を模した〝霊装〟である。
剣が持つ力は、守護と制裁。
善なる人を守護し、悪なる竜を制裁する恩恵を。
故に〝悪竜裁く聖なる蒼銀〟を手にしたレーニンに傷をつけるには、悪竜の咆哮に匹敵する超高火力が必須となる。推定になるが、アスカロンの守護は波瑠の《霧幻焔華》をも無傷で乗り越える耐久性を誇るだろう。
超能力ではない以上『世界級能力者』に名を連ねることはないが、彼もまた、魔術という世界の一側面では怪物扱いされる強者の一人なのだ。
そして悪竜を退治した剣閃が、敵兵を容赦なく切り伏せていく。
命にトドメを刺さないのは、レーニンが天皇波瑠と天堂佑真の流儀を『芦ノ湖事件』を経て垣間見ていたからだ。
彼らの代わりに戦闘するのだから、彼の貫く『正義』の一端を担ってみよう。……有り体に言ってしまえば、殺し合いの最中でもそんな余裕を持っていることになるのだが。
レーニンは佑真の歩む覇道の甘さを噛みしめながら、敵兵七人を制圧してみせたのだった。
☆ ☆ ☆
しばらくすると、同じ制服の敵兵を水流で拘束したソフィアが、空をビューッと飛んで戻って来た。レーニンが無傷ならソフィアも無傷。『世界級能力者』並みに強い、という文言はハッタリではないようだ。
「……今回、オレら出番なかったな」
「だねぇ……結局〝ヌシ〟は釣れなかったしね」
そしてレーニンとソフィアは警察と会うのが気まずいらしく、捕まえた敵兵を拘束まで済ませると、どこかへ一度隠れると言って去ってしまった。
佑真と波瑠は、敵兵たちを警察へと引き渡し、レンタルした釣り竿を返してきたところだ。その後でエアバイクに乗り、今は漁師のおっちゃんに聞いた料亭へ向かっている。
すっかり夕暮れになってしまった。五月初日も慌ただしい一日で、佑真達の旅路に平穏の二文字はないのかもしれない。
「にしても、連中の狙いが《零能力》の方だとはな」
「『反能力社会派』の立場になって考えると、《零能力》って名前の響きだけで反感の象徴っぽいもんね。そりゃ異能を消す異能の仕組みを知りたいと思うよね」
「それって人体解剖コースだろ……? SNSでバズったり能力を狙われたり、最近のオレ散々だな」
「私は裏社会で有名人だったけど、佑真くんは表社会で有名人になっちゃったね」
「表からも裏からも狙われて、逃げ場ねぇなオレら」
「だけど――釣りを教えてくれたり、道具を貸してくれたりする人もいるし、レーニンさんやソフィアさんみたいに優しい人もいるよ。この世界は皆が皆、悪い人じゃないでしょう?」
えへへと微笑む波瑠。誰よりも悪意に接しているくせに、という本音は喉の奥にしまっておくことにする。
「波瑠、その二人なんだけどさ」
佑真はエアバイクの速度を緩めながら、
「お前はレーニンさんとソフィアさんから、悪意ってやつを感じなかったんだよな?」
「……うん。あの二人は悪い感じがしなかった。だから魔術師だって言われた時、すごくビックリしたよ」
「そうか……クソ……なあ波瑠、オレ達と魔術師が同じ釣り堀にいた、なんて偶然あると思うか?」
「ないと思うよ」
波瑠はサイドカーに収まった状態で、首をフリフリと横に振った。
「ソフィアさんは私と同じように敵がいることを把握していたし、その敵は私達を狙う『敵』だった。二人はたぶん、私を追っていたんじゃないかな。だから横槍を警戒するために、他の集団も把握していた」
「だろうな。釣り堀もちょうど対岸にいたし。……となると一体全体、あの人たちはどうしてオレらを見逃すどころか手まで貸してくれたのか」
「お礼って言ってたじゃない。お魚のお礼」
「戦闘を肩代わりするには、軽すぎるんすけど」
「じゃあ佑真くん、立場を逆にして考えてみれば?」
「え?」
「そうしたら佑真くんだったら、助けると思うんだけどな」
思わず波瑠の顔を見ると、彼女はニッコニコの笑顔で断言していた。佑真は今すぐハンドルを離して頭を抱えたくなる。
「…………反論できねぇ」
「レーニンさんとソフィアさんがいい人で、今回はたまたま助けてもらえた。そういう話だったってことでいいんじゃないかな?」
「ま、終わったもんをグチグチ考えていても仕方ねえもんな」
佑真がため息をついたところで、教えてもらった料亭が見えてきた。幸い駐車場が隣にあるようだ。
「……いやしっかし、オレ達今回は出番なかったな」
「傍観者で観光客だったね」
☆ ☆ ☆
そんな置いてけぼりカップルが入ろうとしている料亭に、レーニン=ブレイフマンとソフィアの二人は先んじて来店していた。
『助けてくれてありがとよ!』というワケで船盛を無料でご馳走になってしまい、申し訳なさと嬉しさが半々だ。
「すごいですねレーニン、船に刺身がたくさん乗っています!」
「面白いなこの料理。食べるのが惜しくなる」
ソフィアはパシャパシャと写真を撮りまくっているし、レーニンも興奮を抑えられない。
「しかし、天堂君と波瑠さんには悪いことをしたな」
「敵を全員押し付けましたからね。後処理までやればよかったですか?」
「謎の外国人よりも『オレの道だ!』で有名な彼らの方が、日本の警察も信用しやすいだろう」
「それもそうですね」
さくっと納得したソフィアは、レーニンに目を向ける。食べてもいいですか? と瞳が強く訴えかけていた。どうぞと手で示すと、ソフィアはうっきうきの笑顔で赤身に箸を伸ばした。
「なあソフィア」
「? なんですか、レーニン」
「キミはまだ、波瑠さんを捕まえるために行動できるか?」
「………………」
箸がうまく使えないソフィアは刺身を掴めず、見かねた亭主がフォークを出してくれた。
「………………レーニンは?」
「………………」
「………………」
「………………同じ考えのようだな」
「ですっ」
風情もへったくれもないが、サクッとフォークを突き立てて刺身を食べるソフィア。
レーニンは短くため息をついて、箸におそるおそる手を伸ばした。
「『双頭の鷲』本部の方にはボクから連絡しよう。任務を交代させてほしいと」
「あ、待ってくださいレーニン。わたしから一つ提案があります」
やっぱり箸がうまく使えない同僚にフォークを渡しながら、ソフィアはいたずらっ子のように口元を緩めた。
「彼らの事はもう少しだけ、わたし達で監視しませんか?」
最初は意味がわからなかったが、理解した瞬間、レーニンもニヤッとしてしまった。
「すごいことを考えるな、ソフィア」
「レーニンは真面目人間なので、組織に背くような真似はしたくないかもしれませんが……」
「いや、少しくらいはいいだろう。ボクもまだまだ日本観光したいしな」
悪い笑みを浮かべる二人は、ガラガラッと扉の開く音に反射的に振り返った。
「「「「あ」」」」
噂をすれば何とやら。
監視対象との思いがけない再会に、ユーラシア大陸の魔術師達は苦笑いする他なかった。
【休章 悪竜裁く聖なる蒼銀 完】
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
というわけで【休章 悪竜裁く聖なる蒼銀】でした。
今回の話はあんまり面白くないかもしれませんね……四話も読ませてなんですが、退屈でしたらすみません。
しかし今回の話のテーマはそういった『退屈さ』。二人を取り巻く環境が様々であれば、日々が常にジェットコースターというわけでもないんだぜ――なんて話を書きたかったのでした。釣り堀ってその象徴かなと思いまして。
釣り上げる一瞬の盛り上がりまで、ひたすら退屈な時間を耐える感じ。
まあ波瑠が釣りに目覚めたり、潜水艇を釣り上げたり、割と非日常体験ですが(笑)
今回登場した新キャラ、レーニン=ブレイフマンとソフィア。
彼らの裏話は機会があれば活動報告あたりで書きますが、周囲の釣り人を含めて、すぐ仲良くなっちゃえる佑真波瑠の犠牲者として登場してもらいました。
元々「何が何でも捕まえてやる!」って熱意もない二人なので、ほだされるのは時間の問題だったのだと思います。
こんなところで。
第八章【富士接近編】の更新は十月半ばになりそうです。八章は心情描写と戦闘描写が入り乱れるので、もう大苦戦。すみません。
それでも精一杯面白いものをお届けする予定なので、お待ちいただければ幸いです。




