●第百七十四話 ヌシを釣り上げろ
「ロシアから来たんすか! じゃあ今の日本とかクソ暑いっすよね! 水分補給ちゃんとしてますか? 熱中症は気をつけないとダメっすよ!」
「ありがとう。大丈夫だ」
「お魚食べたことありますか? お箸使えますか? お醤油つけると美味しいですよ? 困ったことがあったらすぐ声をかけてくださいね!」
「感謝します。大丈夫です、お魚とても美味しいです」
レーニンとソフィアの両手には、お皿とお箸。
監視対象のお二人に直接手渡されたそれらから毒や薬物を疑うのは、さすがに二人の良心に反してしまった。
(本来ならば接触などありえないんだが……こう警戒心ゼロだとな……)
(警戒心どころか、好奇心を向けられています。波瑠さん可愛い)
内心では困っていても、提供された焼き魚は二人が気を緩める一要素として大活躍して。
彼らの下に集まった一般の釣り人達もまた、レーニン達に優しく接してくれている。
観光客だとカン違いされているようで――半分くらい観光目的で来日したとはいえ――地元の漁師に至っては「プロの刺身を食わせてやる」と魚片手にどこかへ行ってしまった。
「ほんでレーニンさん、何しに日本に来たんすか?」
「あ、ああ。富士山を見に来たんだ」
白米を幸せそうに頬張る佑真に問われ、反射的に答えてしまう。できるだけ会話したくないのだが、佑真達の興味はなぜか自分達にあるようだ。
「やっぱ富士山っすよね。この辺のホテルなら富士山を眺めながら温泉入れますし!」
「あ、ああ。そうなんだよ」
「わたしは日本の海鮮丼が気になっています。マグロとイクラの親子丼」
(ソフィア、キミは自分から会話を転がすのか!)
「えへへ、きっと美味しいですよー海鮮丼。ちょうど海の幸に恵まれた地域ですし、探せばいいお店がたくさんあるはずですっ」
「オレも海鮮丼食いたくなってきたな。刺身山盛りのヤツ」
「なんだ兄ちゃん達、昼飯も晩飯も魚か?」
「あ、それもそうっすね。どうするか波瑠?」
「佑真くん、私は三食お魚でも大丈夫な人だよ」
「よし決定」
「ハハハ、せっかく沼津に来たんだもんな。ネットに載ってない美味い店を紹介するぞ」
「おっ、オジサン気前いいっすね!」
「ソフィアさん、よかったら後で一緒に行きませんか?」
「いいですね、波瑠さん。検討しましょう」
「…………」
流れるように進む会話に、レーニンは少しばかり圧倒される。しれっとソフィアが混じっているのが気になるが、佑真と波瑠が他の人達と親し気なのも驚きだ。
日本人とは、ここまで容易く他人との距離を詰められる生き物なのだろうか?
「レーニンさんはどうっすか?」
「あ、ああ。時間が合えば共にしよう」
「レーニン、三回連続『あ、ああ』って言ってる、です」
「……すまない。日本語での会話には慣れていないんだ。少し緊張している」
正確には、レーニンは監視対象と接することに対してテンパっているのだが(そして揚げ足を取るのがソフィアだという点に疑問を抱きたくなるが)、
「あはは、緊張しないでくださいよ。日本語上手ですし、オレ達は年下ですし」
佑真達はまた好意的に受け止めてくれた。
きっと、日本人だからどうというワケではない。
彼らが親しみやすい人柄なのだ。
「でも実は、私も緊張しちゃってました。最初は声かけていいのか迷っちゃったしね」
「そうなのですか?」
「だってお二人すごい美男美女ですし、わざわざ日本に男女二人でって……ねぇ?」
「うむ。お邪魔虫かと迷いまくった」
「オジャマムシ? どういう意味かわかりかねるな……これが日本語特有の『行間を読む会話』なのか? ソフィア、キミはわかるか?」
と、レーニンが顔を向けると。
ソフィアの白い素肌は、太陽熱にあてられたソレ以上に赤らんでいる気がした。
「……ソフィア? 熱中症か?」
「疑問に思ったことをなんでもわたしに聞かないでほしい、です」
「痛い痛い。叩かないでくれ」
ペシペシと肩を叩かれ、その様子を見る佑真と波瑠の何とも言えない表情まで確認してようやく、レーニンは言わんとしていたことを理解した。
「なるほど。残念だけどボク達は恋人ではない、仕事の仲間だ。邪魔だなんてとんでもない、魚をもらえて嬉しいくらいだ」
「あー……レーニンさんそういう人か」
「でも二人で旅行って、あと一押しレベルなんじゃないかなぁ」
「あと一押しなのか、ソフィア?」
「疑問に思ったことをなんでもわたしに聞かないでほしい、です!『憤怒』の大罪重ねますよ!?」
「すでに重ねていそうなんだが!?」
ペシペシがバシンバシン! に変わったあたりで、どこかへ行っていた漁師さんが「おーい、嬢ちゃん達ー!」と豪快に手を振った。
お待ちかね、超☆新鮮な刺身のご到着だ――と振り返った瞬間に、予想外の事が発生した。
「お、オイ皆見ろッ! 巨大な影だ!」
漁師のオジサンが思わず刺身を落とし、海を指さして叫ぶ。
つられて海面を見た全員が、あまりに大きな魚影に開いた口をふさげなくなっていた。
「でっけえ! 潜水艦かよ!?」
「十メートル……いや、それ以上はあるだろうな!」
海の一部が変色して見える程巨大な魚影。
間違いないだろう――沼津の〝ヌシ〟が、このタイミングでご登場だ。
皆が驚愕に染め上げられていく中、波瑠が「お嬢ちゃん、釣り竿だ!」と声を掛けられ、ガチ勢オジサンから竿を譲り受けていた。
「行け、波瑠!〝ヌシ〟を釣り上げろ!」
「う、うん! 皆さんご協力、お願いしまーすっ!」
波瑠が威勢よく放り込んだ釣り針は、シャーッと勢いよく海中に沈んでいく。レンタルした物と違い、高級品と思しき釣り竿は性能も段違いだろう。
「だが、相手は十数年間釣れんかった大物じゃ……!」
「釣れるかな、あのお姉ちゃん?」
「大丈夫っすよ」
釣りに来ていた父子の不安げな表情に対し、佑真が告げる。
「最高の道具の支援を受け、ビギナーズラックを合わせたアイツなら必ず〝ヌシ〟を釣り上げる!」
「信頼……か。若さだな」
「頑張れお嬢ちゃん!」
「お前ならできるぞ!」
(一応釣り中なので声量に気を遣いながら)大声援が送られる。緊張に汗が頬を撫でた。波瑠が釣り竿のグリップを握る力を強める。そして竿の先が、ククッ……! と反応を示した。
「来た!」
「焦るなよ波瑠、大物だろうと基本は同じだ! だがこの巨大魚に対して、釣り竿と糸が耐えられるのか!?」
佑真の不安に対し、釣りガチ勢オジサンは静かに答えた。
「舐めるな。妻に叱られながら購入した最新鋭の釣り竿は、クジラをも釣り上げる」
「す、スペックはすごいけど私の力じゃ引き戻されちゃう……!」
「力貸すぜ波瑠! 皆さんも!」
佑真が波瑠の手に手を重ね、周囲の大人達も力を貸して〝ヌシ〟の重圧に対抗する。釣り上げるのは半自動式リールが補助しているが、敵影は十メートルを超える代物だ。そもそも人間の力で釣り上げられるのか――なんて疑問を、レーニンは抱いた。
(冷静になれ、レーニン=ブレイフマン)
抱いた疑問は、冷静になっていれば魚影を見た瞬間に抱けたはずのもの――。
(十メートル以上の普通の魚が、この時代に十年以上海中に潜んでいられると思うか!?)
答えは否だ。超能力を組み合わせれば、今や海中調査に限界はない。それでも見つからない魚が、一般人の常識の枠内にいるはずがない。
『まさか、幻獣の類か!』
「レーニンさんがロシア語だからさっぱりわからないけど盛り上がっている!」
『どうしたんですか、レーニン!?』
『ソフィア、海中を見ろ! もしかしたら彼らが釣り上げようとしているのは、幻獣かもしれない!』
『ええっ!? ですが監視対象の前で魔術を使うのは――っ!?』
ソフィアが迷っているうちに、事態は終息へと向かう。
「「「せえぇーのォ!!」」」
威勢のいい掛け声と共に釣り竿が振り上げられて、海中に潜んでいた巨大な影が、水面上に姿を現した。
ああ、なんて立派で黒い外見の――――潜水艇だろう。
「「「せ、潜水艇――ッ!?」」」
縦十数メートル横五メートル強、高さ三メートル程。
総重量3トン程度の潜水艇をも釣り上げる釣り竿の強度も驚きだが。
それが一旦上空に飛び上がり、今、水飛沫を巻き込みながら自分達の港に降り注ごうとしている事実に、全員が衝撃を浴びる。
そんな最中、レーニンは少し前の会話を思い出していた。
――――周囲に我々を除いた敵影は?
――――十六です。集団数で言うならば三。完璧に包囲されている、です。
『ソフィア、敵の潜水艇か!?』
『レーニン、敵の潜水艇です!』
何人が圧死しかねない事態に、ソフィアが返事をしながら動いていた。
とはいっても、動作自体は海面に向けて手をかざしただけだ。
ソフィアはロシアの魔術結社『双頭の鷲』に所属する〝魔術師〟である。
超能力と違い《魔術》を発動するのに必要なのは、SETではなく決められた工程だ。
『〝私に水の守護を
私に月の守護を
私に神の御言葉を〟!』
わずか三文字の詠唱によって、ソフィアの全身から魔力が放出される。
発動された魔術名は、シンプルに〝神の伝言者〟。
大天使・ガブリエルの力を借りて水を使役する――という。
《神上》シリーズの〝神的象徴〟に限りなく近い魔術である。
真正面に存在する海面がざわざわと反応し、竜巻状になって噴き上がった。まるで海生龍のように動いた海水が、下から潜水艇をズシャアッ! と抑えつける。
「SET開放!」
稼がれた時間を使い、SETを音声で起動させる波瑠。
「ソフィアさん、海水借ります!」
「えっ?」
《霧幻焔華》で海水を一気に凍り付かせ、潜水艇は無事に空中にせき止められた。
「……う、おおお……」
「皆さん危険だ、離れてください!」
レーニンが声を張り、ガチ勢オジサンをはじめとした一般人達が急いで距離をとっていく。
残った佑真と波瑠は潜水艇に意識を向けながら、レーニンとソフィアに驚いていた。
「っていうか、っていうか! ソフィアさんのそれは一体!?」
「チョウノウリョクです、波瑠さん」
「嘘つけさっき変な詠唱してたっすよ!?」
「あの騒ぎの中で見事な観察力ですね、天堂君。尊敬します」
「答え合わせは後にしてくれソフィア! 周囲の敵影は十六だっただろう、現状は!?」
「集団数二、接近中、です」
「待ってレーニンさん、オレ達情報量が多すぎてパンクしそうなんすけど!」
佑真は頭を抱えたまま、
「敵影って波瑠が感づいていた『こっち見てる奴ら』のことか!? つうかレーニンさん達は何者っすか!?」
「ボク達は――」
レーニンが返答に迷っていると、潜水艇の中からバギバギゴッと妙な音が発せられた。波瑠が凍り付かせたのはあくまで外側だけ。内側から強引にこじ開けて脱出するつもりらしい。
「っ! まずいかも佑真くん!」
「この騒ぎに動揺したのか、残り二集団ともに仕掛けてくるつもりのよう、です」
それに加えて、波瑠とソフィアは残る二つの敵集団の接近も察知していた。
「囲まれちまったか。レーニンさんソフィアさん。事情はよくわかんないけど、敵ってのはオレ達を狙っているんだ。下手に巻き込みたくない、すぐに逃げ」
「日本には、一宿一飯の恩義という言葉があると聞いている」
佑真の台詞を断ち切り、シャツの襟に手を突っ込むレーニン。中からネックレスを取り出すと、アクセサリーを躊躇いなく引きちぎった。
小さな剣を模したそれに、レーニンの魔力が注ぎ込まれる。
「ボク達は『双頭の鷲』所属の魔術師、〝裁く者〟レーニン=ブレイフマンと」
やがて、レーニンの手の中には巨大な剣が収まっていた。
「〝祈る者〟ソフィアです」
彼と背中合わせに立つソフィアの手の中には、辞書並みに分厚い本がいつの間にかに握られていた。
「「………………」」
言葉を失った佑真波瑠コンビに、レーニンは告げる。
「こんな形で申し訳ないけれど、魚を食べさせてもらったお礼をさせてくれ」
☆ ☆ ☆
二つ名について補足。
レーニンは『聖ゲオルギウス』、ソフィアは『巫女』という意味のロシア語です。グーグル翻訳様様です。




