●第百七十三話 救世主症候群
ちょっと……いや、かなり説明くさい話になってます。すみません。
「――――金世杰の身柄は無事、あそこに送還されたのね。報告ありがとう、キャリバン」
そう微笑むのは天皇真希。
彼女は若干二九歳でありながら、国防軍【ウラヌス】第『〇』番大隊を率いる大隊長だ。
日本列島の日本海側――新潟県は佐渡ヶ島の海軍・鎮守府にいる真希は、テレビ通話で神奈川県は小田原にいる日向克哉、キャリバン・ハーシェルと連絡を取っていた。
「金世杰達の密入国に助力した『協力者』について、何かわかったことはある?」
『それが、そっちはサッパリですよぉ……』
『金は意外と好意的で、何でも喋ってくれるのだけれど……「協力者」や密入国絡みのこととなると途端に口を閉ざしてしまうそうだ。まるで――』
「まるで『協力者』によって口封じされている、かしら?」
『……仰る通りだ』
克哉は画面越しに肩をすくめた。
『金の対応から察するに、外的要因だと思われる。それも超能力ではなく《魔術》だろう』
「…………魔術だという根拠は?」
『舌の裏に刻印が刻まれていた。喋るのは封じることが可能でも、見せることまでは防げなかったらしい』
「なるほどなるほど……」
真希には一つの疑念が引っかかった。
「佑真君の《零能力》でも消えていないのよね?」
『ユウマ曰く、通じていないそうです。金世杰の全身に〝雷撃〟を浴びせたから、異能の力はすべて消えているはず。にもかかわらず今もまだ《魔術》が効力を発揮しているなら、それはオレに消せるモンじゃないんすよ――とぉ』
「……ふむ」
キャリバンのモノマネに緩む口元を隠すように、真希は顎に手を添えた。
天堂佑真の《零能力》は異能を消す異能だが、例外も存在する。
例えば水野家が使う陰陽術、《レジェンドキー》。
誠や秋奈が召喚した式神に三秒以上触れても、式神を消すことはできないと報告を受けている。
例えば波瑠が使う《神上の光》。
彼女の治癒や蘇生を幾度となく経験している佑真が生きているのが、三秒以上経っても効果が消えていない、という証明だ。
(…………この二つの事例に共通しているのは、どちらも『異能が完成している状態に対する干渉』という点だったわね。
現在進行形で発動する/している異能は消せるけれど、事象の変更が完了してしまうと、その異能を消すことはできなくなる。佑真君の《零能力》にあるかもしれない特性……ううん、だとすれば現在進行形で口封じをしている《魔術》は消せるんじゃ……?)
「ああもう、よくわからないわ! 克哉さん、キャリバン。水野家に連絡を取りましょう!」
『太陽七家の【水野】ですかぁ?』
「ええ。困った時は専門家、水野家五百年の陰陽術の知識を借りましょう」
『それもそうですな。すぐに依頼します』
「あ、いいですよ克哉さん。私が直接雪奈さんにお願いします」
真希と【水野家】の現当主・水野雪奈は、【太陽七家】という側面以前に学生時代や第三次世界大戦で交流を持っている。その縁で協力してもらいやすいだろう。
頭の中にメモを残しつつ、真希は顔をふいっと上げた。
「それで克哉さん。本当に、隊の皆は無事なんですよね?」
『ハッハッハ、一番重症な私が相手でその質問はないでしょう、真希殿』
ちなみにこの通信は『芦ノ湖事件』後、真希が克哉ら箱根組と交わす初めての通信だ。
ピンピンした状態の克哉とキャリバンが通話に応じた瞬間、真希は瞳の端の涙をこぼさないようにするので精一杯だったりした。
「……そりゃそうですよね。波瑠の《神上の光》があれば、どんな重症でも関係なく治っちゃうもの」
『波瑠ちゃんも、真希殿とテレビ電話をするのであれば、もう少し引き留めておきたかったのだがなぁ』
『ユウマと一緒に、早々に出発しちゃいましたねぇ』
「ふふっ、便りがないのは良い便りってね。まあ、映像で散々勇姿は見たから。克哉さんとキャリバンがボロボロになる姿も、佑真君がボロボロになる姿もね」
『申し訳ない。佑真君に無茶させたくなかったのだが、結局彼に頼ってしまった。責めるなら現場で最も位の高かった私を責めてくれ』
「それを言ったら、娘と仲間のピンチであるにもかかわらず、あの場にいない母親兼総隊長こそが真っ先に責められるべきよ」
『『………………』』
「ごめんなさい、冗談にしては返答しづらいわよね」
苦笑いする真希。
『……隊長の救世主症候群、まだ続いているんですかぁ?』
キャリバンは、おそるおそる問いかけた。
返事がうまくできない真希は、苦笑いを続行して誤魔化す。もっとも否定されない以上、それは肯定に他ならなかった。
『救世主症候群? メサイア・コンプレックスではなかったか?』
『ああ、ええと、メサイア・コンプレックスって名前が好きじゃないので、アタシが勝手に名前をつけましたぁ。いつでもどこでも救世主になってしまう症候群……』
『ハハハ、確かにそっちの方が真希殿らしいな』
克哉が笑ってくれたおかげで、通話越しとはいえ空気が和む。
メサイア・コンプレックス。
天皇真希は、誰かを救うことでしか幸せを感じることができない人間だ。
私は英雄になるために生まれてきた。
私は誰かを救えるほど優秀な人物だ。
だから私の優秀さを証明するために、今すぐ誰かを救わなくっちゃ。
そんな強迫観念に駆られて、家族や仕事よりも『人助け』を優先してしまう精神病を患っていた。
メサイア・コンプレックス――キャリバン曰く『救世主症候群』は、例えば娘や仲間達が『世界級能力者』と交戦していようとも関係ない。
真希が芦ノ湖事件で箱根に行けなかったのは、新潟での人助けを止められなかったから、という至極情けない理由なのだった。
「ごめんなさいね、本当に」
『アタシはそんな救世主サンがいなかったら、赤ん坊の頃に死んでいたんですよぉ? 何度も何度も謝らないでください』
しかし家族や仕事はないがしろにされても、第三者に救いの手を差し伸べる精神病だ。そんな真希に救われた第三者のフォローは、真希にとって何よりの救いだった。
「……ありがと、キャリバン」
『いえいえ』
「少しだけ話を戻すけど、出発した我が愛娘達が今どのあたりにいるか知ってる?」
『静岡の……沼津? の釣り堀にいるらしいですよぉ。さっきユウマから「釣りしてる」ってメッセージが来てましたぁ』
『波瑠ちゃんが大量だそうだ。意外と楽しんでいるよな、彼ら』
「どんなことが起こっても、どこに行っても普段通りね」
和気あいあいと釣りに臨んでいるだろう二人の姿は、想像に難くない。
(その辺にいるなら、私の知り合いを紹介できるかも。佑真君ならきっと喜んでくれるような人たちだし、後で連絡しようかしら)
真希は脳内メモに小さな予定を書き込むと、克哉とキャリバンからの連絡報告に意識を戻すのだった。
☆ ☆ ☆
佑真と波瑠の目的が『〝ヌシ〟を釣り上げる』に変わってからしばらく。
波瑠が普通サイズのお魚を釣り続けるものの〝ヌシ〟の気配はなく、いつの間にかにお昼を過ぎていた。
そんな彼らを見張っているロシアの魔術師・レーニンとソフィアは、何とも言えない気持ちで佑真達を見守っていた。
「………………ソフィア、一つ聞きたい」
「何ですか、レーニン」
「なぜ彼らは周囲の釣り人を巻き込んで、昼食の準備をしているんだ?」
「んなことわたしに聞かれても困る、です」
「……すまない」
真顔で返答されてしぶしぶ黙るレーニン。
事の発端は十分ほど前、天堂佑真のお腹がギュルルルル~! と大きな音を鳴らして昼時を知らせたところまで遡る。
結局〝ヌシ〟の気配はないものの、お腹はすいてしまった。
さてどうしよう? 困った佑真に声をかける人がいました。
「もしよければ、俺が魚を捌いてやろうか?」
そう、釣りガチ勢オジサンと彼の仲間達です。
オジサンはその場で釣った魚を調理して食べるために、アウトドア用の調理器具を持ち歩いていました。
佑真達も二人では食べきれないほど魚を釣り上げていたので、気前良い申し出を断る理由はありません。
気づけば皆で七輪を囲み、或いはまな板を囲んでお昼ご飯を食べようとしているのでした。
赤の他人と仲良くする姿は、レーニンに大きな疑問を抱かせた。
「無関係の一般人と交流している……やはり彼ら、敵に囲まれていることに気づいていないのか? それとも、一般人を巻き込んでも構わないと?」
「深読みしすぎだと思いますよ、レーニン」
ソフィアは微動だにしないレーニンの釣り竿をつつきながら、
「最初に声をかけたのは釣り人さんですし、地元の漁師と思しき方は自主的に炊飯器を持ってきましたし、彼らが意図的に交流をしたとは考え難いです」
「その割には親し気だが?」
「疑問に思ったことをとりあえずわたしに聞かないでほしい、です」
「痛い痛い。叩かないでくれ」
怒りを買われたソフィアにペシペシと肩を叩かれる。
「というか、わたしもお魚食べたい……」
七輪で焼かれた魚の匂いは、レーニン達の辺りまで漂ってきていた。仮にもお昼時。持参したおやつを食べてはいたものの、二人も二人で空腹だ。
「……なら、ボク達もどこかに昼食を済ませに行こうか? 彼らはしばらくこの釣り堀から離れないだろうし」
「わたし海鮮丼を食べたいです。イクラとマグロの親子丼が気になっています」
「親子丼はボクも知っているが、ニワトリとタマゴをご飯の上に乗せた料理ではないのか?」
「マグロが生んだ卵がイクラ。ようは海版親子丼、です」
「なるほど。日本の丼モノというジャンルは面白いな」
お店を探すためにレーニンが携帯端末を取り出すと、そこで予想外のことが起こった。
「あのー……」
「「っ!?」」
長い蒼髪。長時間日光を浴びてほんのり赤らんだ素肌。水色パーカーの美少女。
彼らの監視対象である張本人、天皇波瑠がおそるおそる声をかけてきたのだ。
(《神上の光》、です……!?)
(なんだ!? コイツらボク達の正体に気づいたのか!?)
(彼女は日本第二位の超能力者でもあります、不用意な戦闘は避けなければ……?)
思わず臨戦態勢を取りそうになったが、波瑠の後ろにいる佑真が呑気に頭をポリポリ掻いているのを見て、二人は察知する。
戦意ゼロだ彼ら。
(…………少なくとも、ボクたちの正体には気づいてなさそうだな)
レーニンは、思わず浮かせてしまった腰をビールケースに下ろした。
「あ、日本語通じないのかな? 英語がいいですか? 中国語とかもできますけど、でも西洋の方っぽいですしエスペラント語も頑張れば……」
「日本語で大丈夫、です」
その葛藤を日本語でやるのはどうなのさ、と思いながら答えるソフィア。二人だけの日常会話でわざわざ用いる程上手くはないが、レーニンとソフィアは日本語も話せる。聞く分には、困ったら携帯端末の翻訳機も使えばいい時代だ。
「それで、ボク達に何か?」
「はいっ。もしよろしければ、私たちの釣ったお魚を一緒に食べてみませんか?」
「魚を?」
「ちょうど対岸にいたので見ていたかもしれないですけど、私、なんか今日はラッキーでお魚いっぱい釣れちゃってですね! すぐそこで調理しているので、お昼ご飯、ご一緒しませんか?」
「行きます!」
「ちょっと待てソフィア」
何の迷いもなく立ち上がったソフィアの細い手首を慌てて掴むと、レーニンは波瑠達に聞こえない距離まで引っ張った。
「《神上の光》は監視対象だぞ! 何不用意に近づこうとしているんだ!?」
「敵意ゼロ。お食事の誘い。釣りたて新鮮な魚。結論は出ている、です」
「目先の欲に素直ってレベルじゃないね。『強欲』と『暴食』は大罪だ」
「しかし今断れば『嫉妬』と『憤怒』を積み重ねます。最終的には任務への士気を失い、わたしは『怠惰』へ至ります」
「自分で言っていて情けなくならないのか? となると、残る大罪は『色欲』と『傲慢』だけ……七分の二まで減らすのはまずい……」
「結論は出ている、です」
どうやら拒否権なんてものは、最初から存在しなかったようだ。
波瑠のところまで戻り「是非とも」と返答すると、波瑠は心の底から嬉しそうに微笑み、「あそこでやっていますからね~!」とわざわざ指さしてから調理場へ戻っていった。十メートルとない距離でも佑真の手を取るのは、まあご愛敬だろう。
「……《神上の光》、いい人です。絆されそうです」
「これ、『傲慢』や『色欲』にカウントされないよな?」
「『色欲』?」
「ああ。《神上の光》が美少女だというのは話に聞いていたが、近くで見ると想像以上に可愛らしい容姿の少女だと思って」
「わたしの前でそれ言うの、失礼にも程がある、です」
「痛い痛い。叩かないでくれ」
☆ ☆ ☆




