第一章‐⑲ 風力使いは在りし日を想う
天皇波瑠とキャリバン・ハーシェル。
二人の少女が初めて出会ったのは、本来子供がいるには歪といえる場所――国家防衛軍・陸軍の基地でのことだった。
《神上の光》を焼き付けられた波瑠は、陸軍の部隊に合流した。
唯一の子供同士ということで、彼女にはキャリバンと同じ部屋があてがわれたのだ。
ところで、ある事情を背景に【ウラヌス】に所属しているキャリバンは、小学校に通ったことがない。
その生涯を兵士になるための戦闘訓練に注いだ彼女には、いうまでもなく『友達』と呼べる存在はいなかった。
同年代との会話経験でさえ、一度もない。
子供としては無茶苦茶な境遇で育ってきた彼女にとって、突然やってきた天皇波瑠は『どう接していいかわからない宇宙人』だった。
大人との話し方は熟知している。『ですます』をつけて、怒らせないように淡々と質問応答を繰り返せばいい。
だけど、子供は?
どうやって相手をすればいいの?
ひたすら困惑するキャリバンを見て、波瑠は――なぜか微笑んだ。
きれいな花が咲いたかのように美しく、お日様のように暖かな笑顔になって。
『はじめまして。私、波瑠っていうの。よろしくね、キャリバン!』
キャリバンに何のためらいもなく、握手を求めてきた。
『…………』
『あ、あれ!? なんで逃げちゃうの!?』
見惚れてしまうほどの笑顔を前に、キャリバンは逃げた。
何を話せばいいのかわからなくて。
彼女と会話をするのが怖くて、波瑠から目を逸らした。
けれど波瑠は、何度も何度も話しかけてきた。
そのたびに逃げて。
そのたびに、追いかけてくる。
いつしか追いかけっこが楽しくなって、キャリバンは意地でも口を開けなくなる。
対して波瑠は意地でも喋らせようと、くすぐりまでしてくる始末。
何が楽しいのか、言葉にはっきりできない。
だけど波瑠と過ごす時間は――明確に楽しかった。
それはキャリバン・ハーシェルの人生において、初めての幸福だった。
『つっかまーえたっ』
そしてキャリバンは、波瑠にぎゅっと抱きしめられるように、捕まえられた。
『……つかまっちゃいました、ねぇ』
『なんで逃げるのっ。私はただ、キャリバンと友達になりたかっただけなのに』
ぷんすか、と頬を膨らませる波瑠。そのような純粋無垢な表情を、キャリバンは今まであまり見たことがなかった。
『……だってアタシには今まで友達なんて、一人もいなくって』
いつだって周りにいるのは難しい顔をした大人か、子供を軽蔑してくる大人だけ。
『どう接すればいいか、わからなくてぇ……』
好きでこんな場所にいるわけじゃない。自分は戦後日本に置き去りにされていたところを偶然拾われ、軍で働く以外の選択肢を持っていなかっただけ。
『そっか。今まで友達、一人もいなかったんだ……』
なんとかして逃げ出したい。
普通の女の子として、生きてみたい。
そこまで、陸軍という場所を憎んでいたはずなのに。
『だったら、私が友達第一号だね! えへへっ、なんかすっごく嬉しい!』
『…………そ、そうですかっ』
その少女が来たおかげで、世界までもが変わった気がした。
自分の苦しみを理解してくれる人が欲しかったわけじゃない。
自分をここから救い出す人を求めていたわけじゃない。
ただ自分に好意的な人がいると、こんなにも変わるものがあるんだと知った。
キャリバンに笑顔を向け、キャリバンを笑顔にしてくれた人。
それが波瑠だった。
大切な友達ができてから、キャリバンはたくさんの感情を知った。
喜びを知った。
悲しみを知った。
怒りを知った。
悔しさを知った。
血で血を洗う戦場で、二人は必死に生き延びた。
……仲間が死ぬたびに波瑠は呼び出され、例の『奇跡』を使うよう命令されていた。
部屋に帰ってくるたびに、波瑠はトイレで嘔吐を繰り返していた。
決して大人の前では見せない彼女の、年齢に釣り合った弱く脆い姿。
仲間の死体を目の当たりにしたって、逃げずに役割を果たす美しく強い心。
悲痛な少女の二面を知るのは、たぶん同じ部屋で生活するキャリバンだけだったのに。
キャリバンが力になれることは、何一つなかった。
やめさせたかった。
だけど、波瑠がここに来たのは、死者を生き返らせるためなのだ。
十歳のガキの言葉は届かなかった。
十歳のガキに運命は動かせなかった。
十歳のガキに世界を変える権利はなかった。
十歳のガキには、ただ外側に立って見守ることしか許されなかった。
友達に。
自分に笑顔を教えてくれた人に恩を返すことは、一切できなかった。
やがて波瑠は摩耗していく。
精神をすり減らし、笑顔を見せる回数が減っていく。
キャリバンが語り掛けても、ぼうっと返事がかえってこないことが多くなる。
それでも少女は戦場に立ち、一人の被害者も出さないよう奮闘し続ける。
彼女は超能力も強すぎるから、なまじその分無茶をする。
仲間が傷つく姿をえらく嫌うから、前線へ飛び出しては血まみれになって帰ってくる。
その様は、とても目を向けていられるものではなかった。
友達が壊れていくさまを見ているのは、自分が傷つくことよりも嫌だった。
せめて、彼女の隣に立って戦えるくらい強くなりたかった。
そうすれば、彼女を守ることができると思ったから。
一人で戦わせたくなかった。
彼女の苦しみを自分も背負いたかった。彼女の運命を分かち合いたかった。
また、あの美しい花に負けない笑顔を、自分に見せてほしかった。
努力した。努力した努力した努力した。この上なく努力した。睡眠時間も食事時間も考慮せずに努力した。そうでないとランクⅩの少女には届かないから。命を捨てるかの如く自らのすべてを賭して強さを追い求めた。
そうして。
戦場に立つのが許される頃には、
――――――今までありがとう
そんな置手紙が、自分の部屋に残されていた。
『…………は、』
自分は、あの娘の笑顔を取り戻すことができなかった。
『……ぁ……はは、は、ぁぁあああ…………』
こっちはあの娘に、たくさん大切なものをもらったのに。
『う、嘘、あ、そんな、波瑠、はる………』
感謝の言葉も伝えないまま、あなたを失うだなんて――――――――――




