第一章‐⑱ 3rd bout VSステファノ・マケービワ
「――――――ッ!?」
それは、声にならない悲鳴だった。
崩れ落ちないのは佑真が支えているからであって、けれど――波瑠が悲鳴を上げざるを得なかった理由こそ、佑真の存在があったからだ。
波瑠が危惧したとおりに、佑真は目をまん丸に見開き、波瑠を凝視していた。
天皇家の血を継いでいることを気づかれたくなかったのではない。
いずれ知られる気がしていたし、佑真が推理で気づく可能性も捨て切れなかった。
そちらではなく。
「……波瑠。お前、そんなに強い超能力者だったのか?」
ランクⅩの一人であることを、知られたくなかった。
『零能力者』の対極である超能力者の頂点でありながら、天皇波瑠は天堂佑真の助けを借りていた。まるで騙すかのように弱者を演じ……実際のところ演技ではなく、超能力は使えないのだけど……守られるだけの存在でいた。
その気になれば一個中隊を殲滅できるほど強いのに。
佑真が心のどこかで超能力者や超能力を嫌っているのは、薄々感づいていた。故の不良時代であり、妙な判断力の高さがあるのだ。
波瑠の心臓がどくんと跳ねる。
(嫌われる……佑真くんに嫌われるのはいやだよ………………あれ? 私は嫌われても構わないから、佑真くんを安全な日常へ帰したかったんじゃないの……? まるで佑真くんと離れたくないみたいなことを)
「おやおや、どうしました天堂佑真。自分が憎み、妬んできた超能力者たちの頂点である少女を今の今まで守ろうとしていた愚かさに気づき、絶望してしまいました?」
ステファノは狐顔をさらに目を細め、ここぞといわんばかりに畳み掛ける。
「そうですよ。波瑠お嬢様はあなたをいいように利用し、騙していたも同然なのです。超能力者がいつもあなたへ向ける馬鹿にした視線と同じことですよ! 改めて交渉します。天堂佑真、《神上の光》こと波瑠お嬢様をこちらへ渡してください。さもなくば」
ステファノは一度言葉を切り、胸元からサバイバルナイフを取り出した。
「《空間横断》の能力を持つぼくをはじめ、国防軍【ウラヌス】全能力者を相手に、死に物狂いの逃亡生活を送ることになりますよ?」
「…………、」
「ゆ、佑真くきゃあっ!」
袖をくいっと引いた瞬間、波瑠は自分の体が突然持ち上がったことに困惑の声を上げて、さらに佑真にお姫様抱っこをされたと気づいて一瞬で顔がゆで上がった。
そのまま体をエアバイクに乗せられる。
「これが答えだ。悪いが、アンタの挑発はオレに届かねえよ」
「そうですか。残念です」
ヒュン、とステファノは左手を振るった。
投擲される一本のナイフ。
その狙いは佑真ではなく波瑠の身体だ。突き刺されば、あくまで普通の少女と変わりない彼女に深手を負わせることは確実だろう。
――だから佑真は、エアバイクのエンジンを入れながら右手を突き出した。
ザクリ、と食い込む鋭利な刃。
その刃渡りは皮や肉で止まらず――切っ先が手の甲まで貫通する。
血しぶきが舞う。
波瑠が短い悲鳴を上げた。
視界が一瞬紅に染まる。
その瞬間にはもう、ステファノの姿は正面から消えていた。
《空間移動》――認識した範囲内であればどこへでも瞬間移動できる能力を、すでに行使していたのだ。
現れたのは波瑠の背後。
彼女の首元へ右手に握ったナイフが襲う。
だが、その瞬間には佑真によって、エアバイクのアクセルが全力で捻られていた。
「掴まれ波瑠ッ!」
掴まる間もなく勢いで煽られた波瑠が、エアバイクに片足だけ乗せた佑真の体へ密着する。
そして、ナイフは空を切った。
一気に全開まで噴出された加速粒子の衝撃がステファノの体を殴りつけ、エアバイクの前進と対の後方へ弾き飛ばしたのだ。
タイヤではなくジェットで動くエアバイクならではの迎撃。
――ビルの壁に背中を打ちつける前に、《空間移動》で難を逃れるステファノ。
エアバイクはそうこうしているうちに、ステファノの視界外へ逃れてしまった。
「自身の右手でナイフを迎え撃つことで、波瑠お嬢様に刃が届くのを防いだ。エアバイクを片手で制御する無茶苦茶な技量も目を見張りますが……言うなればお嬢様の『肉の盾』ですか。一中学生がよく体を張りますよ、本当に……。
ですが本番はここから。本来ならば非戦闘員であるぼくから逃れたからといって油断は禁物ですよ、『零能力者』」
☆ ☆ ☆
一方。
エアバイクの後部に座る波瑠は佑真の右手から強引にナイフを引き抜くと、すぐさま《神上の光》を行使していた。
純白の粒子が晴れると、佑真の手はすっかり元通りになる。
血の痕も穴も消え去った手を数回グーパーし、無事を確認した佑真は両手でハンドルを握った。片手片足運転という無茶苦茶でふらついていたエアバイクがようやく安定する。
「バカ」
すると佑真の背中に、トン、と何かが当たった。
波瑠の頭だとわかるのに、時間は必要なかった。
「佑真くん、私をかばってわざとナイフを受け止めたでしょ」
「……やっぱりわかるか」
そりゃ自ら手を犠牲にしたシーンは、波瑠のわずか三十センチ目の前で行われていたのだ。佑真と密着していたし、決死の覚悟が伝わってしまったのだろう。
「でも、あの場面じゃ仕方ないだろ? ああでもしないと波瑠の体に突き刺さって、もっと大惨事だったぜ?」
「それでも自分を犠牲にしようとか思わないでよ! いくら《神上の光》があったとしても、たった一歩間違えるだけで死んじゃうかもしれないんだよ!?」
震えた大声が佑真の背中に響く。幸い現時刻は帰宅ラッシュ、街中の賑わいにその声は呑み込まれていく。腰に回された腕の力が、強まった気がした。
「私なんかのためにこれ以上、無茶しないでよ!」
「『私なんか』なんて言うな!」
ぴしゃりと佑真が怒鳴り、波瑠の体が子供のように萎縮する。
「……じゃあ、なんで無茶するの? なんでそんなに頑張っちゃうの!?」
「お前が可愛いから。そんだけじゃダメか?」
「……へ? ふえぇっ!?」
背後での強い狼狽に、思わず佑真は笑ってしまった。
「あはは、そんなにびっくりする?」
「…………だ、だって私、全然可愛くなんかないもん」
「嘘付けお前鏡見たことないだろ!!! この際開き直るけどな、波瑠、オレが知る中で一番可愛い女の子だからな!? ぶっちゃけ一目惚れしたくらい可愛い!」
「なっ、えっ……そ、そんなこと、」
「あるって言ったらあるんだよ! 波瑠は毎度毎度自己評価が低すぎねぇかな……つうかさ。オレよりもお前の方が、自分を大切にしなさすぎだよな。何が『自分を犠牲にするなー』だよ。オレを危険から遠ざけるために『私なんか』を犠牲にしようとしてんのは、どこのどいつだよって話だろ」
「そっ、それは今関係ないもんっ!」
「関係ある! ったく、オレが出しゃばるとすぐ泣いて『やめろ』とか『関わるな』とか言ってくるくせに、自分のことは棚に上げんじゃねえ」
「うぐっ……で、でもっ」
「でも禁止」
「だけどっ」
「だけども禁止! 小学生の会話かこれは! ……あーそうだ波瑠、さっきあの狐顔が余計なこと言ってたから、ちゃんと訂正しておくぞ。オレは別にお前がランクⅩの【使徒】様だろうが、そう簡単に嫌いになったりしねぇからな!」
「………………そ、そうなの?」
「そうなの! 最近は会ってないけど友達に二人だけランクⅨの超能力者いるし……それに今の波瑠は、超能力が使えない弱者側だろ。世界最弱の『零能力者』は弱者の理解者だからな、今のお前を見捨てられないんだよ」
「弱者の、理解者」
……そっか、と少しだけ嬉しそうに呟いた波瑠は、佑真の背中に頭を埋めた。
やや脱線しすぎたので、佑真はふうと息を漏らした。
「……んじゃ波瑠さん。もう少しだけでいいからさ、他人を信頼してみないか?」
「信じてる、つもりなんだけど」
「信じて頼ると書いて『信頼』な。もう少しだけでいいからさ、他の人を信じて、頼ってみろよ。お前くらい可愛い女の子に頼られりゃあさ、大抵の男子は普段の何十倍にでも頑張れる。…………少なくとも、オレはそうだから」
はい、終了! と運転に意識を運ぶ佑真。この台詞はさすがに恥ずかしかったせいか、耳に嫌な熱がこもった。
やがて波瑠は、小さく「ん」と頷いてくれた。
……正直、佑真の言えた義理じゃないことは重々承知の上だった。
『零能力者』として荒れていた頃、人との繋がりを徹底して避けていた。
たった二人の超能力者の友達とも、寮長とも関わろうとしなかった。
できる限り迷惑をかけたくない。
大切な人を余計な騒動に巻き込みたくないと思うのは、普通のことだから。
彼女の善意を美しいと認識した上で、善意を真っ向から否定され、自分のために踏み込んでくれた時の嬉しさもまた、佑真は知っていたから。
そんなやり取りをしている間に、エアバイクは車両で混雑した道を自慢の機動性ですり抜け、高速道路のインターチェンジにたどり着いていた。
時間帯が幸いしたのか、道中に他の【ウラヌス】の襲撃は来なかった。さすがに人の目が多すぎるだろうし、こんなところで弾頭でも放てば辺り一体が爆発で大惨事だからだろう――夕方ごろに鬼ごっこをしたパワードスーツは数発放っていたが。
「もっとも、ここまで来ちまえば関係ないってか……!?」
インターチェンジを抜けて高速道路に突入した直後、青白い流星を追うように、パワードスーツが姿を現していた。
夕方と同じモデルが五体。
スケートの要領で高速の路上を滑っている。
アクセル全開で佑真はエアバイクの最高速度、時速三〇〇キロを目指す。
風景が目まぐるしく変化し、強風が前方向から激しく吹き付け前髪が煽られる。免許取得後に一度高速道路を走った時は一〇〇キロでさえ怖かったのに。背中の女の子のためならと、佑真の度胸は必死に加速に喰らいついていた。
パワードスーツも加速の時間が必要と判断したのか、まだ攻撃は仕掛けてこない。
「波瑠、一つだけ忠告しとく」
「ん?」
「オレ、エアバイクをどれだけ操縦できるかわかんないんだ。この速度で、しかも敵からの攻撃があって、いつ転倒するかもわからない。だけど、何があってもお前には傷一つつけさせないからさ。だからオレを信じて、ちゃんと掴まっててくれ」
かっこ悪いなこれ――思わず空笑いをしてしまう佑真の背中から。
ぎゅうっと――腰に回った腕の力が強まったのが、返事の代わりだった。
「男の子は、女の子に頼られると頑張れるんでしょ? ……佑真くん、信じてるよ」
「……おう!」
佑真が強く返答した――その時。
空気を撒き散らす爆音が鳴り響いた。
反重力モーターが光を放ち、四輪より粒子を放出させて赤い車体が浮遊している。
エアバイクではサイズ的に不可能な量の反重力モーターを搭載し。
浮力を生み出して、高度に関係なく空中を自由自在に飛びまわることのできる、本当の意味での飛行車両。
「え、エアカー……っ!?」
――――が、姿を現した。
エアカーを運転しているのは金髪の大剣使い、オベロン・ガリタだった。今は大剣が後部座席に乗せられており、手に持つのはハンドルだ。
「オベロンが出てこないのは助かるけど……でも、助手席にいるのって――」
だが、助手席に座っている少女を見て、波瑠はゾッとするなにかを抑えられなかった。
普段被っている魔女の三角帽はないが、ふわふわの金髪とフリルをふんだんに使用した黒いゴスロリ衣装を激しく揺らす。
波瑠の元・同僚――キャリバン・ハーシェルだ。
エアカーの屋根部分が開かれ、キャリバンが箒を携えて立ち上がった。
運転席のオベロンが、視線をエアバイクから動かさずに告げる。
「すまない。俺はこの速度ではエアカーの制御しかできん。焔を操ることは厳しそうだ」
「大丈夫ですよオベロンさん。任せてください――むしろ、運転に集中していただきたいですね。このエアカーがないと高速道路でケリをつけられませんしぃ」
時速はすでに二〇〇キロ――佑真のエアバイクと同速まで加速しているが、けれど中空を翔ける車体のバランスを保たなければいけないため、制御はエアバイクより困難となる。オベロンがハンドルを手放せない理由はそこだ。
すぅ、と息を吸ったキャリバンは、キュッと両拳を握り締めて告げた。
「――それにいい加減つけたいんですよ、波瑠とアタシの決着を! SET開放ォ!」




