●第百五十四話 戦闘せよ、霧幻焔華
☆ ☆ ☆
「喫煙所もないのか、小田原警察署は」
屋上に出た冥加は、煙草を取り出しながら青空を見上げた。向かいのビルの屋上でモソモソと動く人影がある。この炎天下にご苦労なことだ。
「……しかし暑いな、相変わらず」
ここ数週間続いている真夏並みの気候と晴天続き。
気象庁は未だに『原因不明の高気圧が~』と嘆いており、ついに海水をろ過して生活水を確保しようという政策が動き出すらしい。
煙草一本で撤退しようと火をつける。
思い出すのは、天堂佑真に《念動能力》を使った時に自分を襲った不思議な感覚だった。
(超能力が強制的に解除された。ありゃ一体なんだったんだ?)
エアバイクを拘束するために《念動能力》を行使したが、三秒後にぱちん――、という感覚とともに《念動能力》の一部が解除されていた。
危うく取り逃がすかと焦って直接脅しに向かったが、手の中から武器が滑り落ちるような、自分以外の誰かに身体を動かされたような恐怖がそこにあった。
自分の《念動能力》が攻略されたのは、これで二回目。
一回目は――――思い出したくもない。
「……たかが学生が、アイツと同じ事しやがってよ」
「アイツってどいつっすか?」
屋上の扉がギイと音を鳴らした。
天堂佑真が照りつける太陽を億劫そうに睨んでいる。
「盗み聞きか」
「ドアが開いてて、偶然聞こえちゃったんですよ。お許しを」
佑真は冥加に歩み寄るが、冥加が喫煙中であることに気づくとたたらを踏んだ。近づきたくないらしい。――煙草は消さない。
「何しに来た?」
「警察署内を探検してるだけっす。屋上来ても何もなくてガッカリって感じですけど」
「何を期待したんだよ」
「ヘリポートとか秘密の会議室とか」
目を輝かせる様子に、高校生らしさよりも少年らしさが垣間見える。こんなヤツに超能力が解除された事実は認めがたいが、そこを言及するのは憚られた。
「松岡さんから解放されたってことはお前、本当に軍人なのか」
「ですよ。マジで信じてなかったんすね」
「普通は信じないだろ。今は戦時中じゃないんだ、十五歳かそこらの『学生』が軍人やっている理由がない。第一、十五歳って義務教育中じゃないのか?」
「高校は休学してます。それに、学生と軍人を兼任する奴だっていますよ」
「おいおい、まさかそれが『当たり前』じゃないよな。だとすれば俺はジェネレーションギャップに卒倒する羽目になるんだが」
「流石にこっちが例外です」
「じゃあ、なぜお前は軍にいるんだ」
冥加は短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けた。佑真が表情を硬直させる。
「天皇波瑠にお近づきになるためか? それともガキの正義感か? あるいは弱みでも握られてんのか? 何にせよ十五歳が従軍する必要はない。それ相応の理由があるんだろ?」
「……それ、答えなきゃダメっすか?」
「答えたくなきゃ構わない。俺の興味本位にすぎないからな」
「まあ、隠すようなモンじゃないから別に答えてもいいっすけど」
佑真は首の後ろに手を回し、
「オレが【ウラヌス】に入ったのは――――」
佑真がにわかに言葉を止めた。
新しい煙草を取り出していた冥加だったが、佑真の顔色がみるみるうちに悪くなっていくことに気づき、ライターにかけた指を止めた。
「どうした?」
「……今、あの屋上から誰か飛び降りたような気がして」
「炎天下で見えた幻覚とかじゃなく?」
「いや、ハッキリ見えたワケじゃないけど、二人くらいの人影が上からヒュッて!」
佑真が屋上の手すりから身を乗り出した。冥加もしぶしぶ屋上から下を見下ろし――。
「黄金の、獅子?」
金色のライオンを模した何かが、小田原警察署前の道路に出現していた。
上から見た大きさはハッキリ理解できないけれど、少なくとも横幅は二車線の道路を埋め尽くすほど。その上に乗っている男が二人。いずれも甲冑を着こんでいた。
「なんだあれは……ッ!?」
「馬鹿野郎、乗り出しすぎだ!」
今にも落ちんばかりに上半身を乗り出させる佑真を引っ張り戻しながら、冥加は黄金の獅子に思いを馳せる。
あれには見覚えがある。
かつて一度敵対し、完膚なきまでに自分を叩き潰した男が使役していた黄金の獅子に。
「クソッタレ、なんでだよ。なんでアレがこんな場所に現れてんだよ!?」
「ど、どうしたんすか」
「なんでもねぇ! とにかく天堂佑真、お前は今すぐ逃げ」
冥加は台詞を言い切ることができなかった。
警察署内外の全スピーカーを通じた警報、そして黄金の獅子が小田原警察署へ突撃した衝撃が彼らの言葉を遮り、どころか佑真と冥加を屋上から地面へ振り落としたからだ。
☆ ☆ ☆
緊急警報、緊急警報。
小田原警察署に襲撃アリ。
事態は緊急を要する。
第二取調室付近にて『世界級能力者』の金世杰を確認。
急行せよ。『世界級能力者』金世杰を確認。
近隣住民の避難、及び犯人確保へ急げ。
繰り返す。
『世界級能力者』金世杰を確認。
☆ ☆ ☆
轟音を伴って壁が砕け散った。
「は――ぐあっ!?」
取り調べ室付近にいた刑事、本田は訳が分からないまま、突如吹き込んだ衝撃波に身体を吹っ飛ばされる。壁に背中を打ち付け、そのまま呆然と前を見上げた本田は自分の目を疑った。
「き、金の獅子?」
砕け散った警察署の外壁。ムアッと流れ込んだ熱気に顔をしかめるよりも、壊れた壁の先にいる金色の獅子に意識の大半を奪われる。高さは七メートルに及ぶだろうか。獅子の口だけで成人男性をまるまる呑み込めるほどの巨体が、太陽光を反射して神々しく輝いていた。
事態を飲み込めず腰が折れる本田の耳は、駆け足の音を拾った。
「本田、大丈夫か!?」
「松岡さん!? 自分は大丈夫でありますが、しかしこれは何事でありますか!?」
「俺が聞きたい! とかく敵襲だ、慧能と程玲はどうした!?」
焦燥の中でも冷静に指摘する松岡だったが、彼の発言に本田は冷や水を浴びたような錯覚を得た。黄金の獅子は取り調べ室もろともぶっ飛ばしたが、中にいた人たちの安否はまだ確認できていない。
取り調べ室へのピンポイントの襲撃。
まさか、という予感は黄金の獅子を見れば一瞬で解決した。
すでに獅子の額の上に、慧能と程玲の姿が見える。彼らの背後には、蒼銀の甲冑を着込んだ者が二名。
「回収されたであります……ッ」
「それどころじゃねえぞ本田!【中華帝国】と黄金の獅子……もう答えは視えたようなモンじゃねえか!」
「なのでありますか?」
「クソッ、これが世代の常識差かよ! 一人に決まるんだよ答えは! 敵は『世界級能力者』――金属を操る能力者、金世杰だ!」
本田が絶句し、今度こそ腰が抜けたように床に崩れ落ちてしまう。
松岡はSETに手を伸ばすが、いざとなると手が動いてくれない。
心臓はバクバクと鼓動を加速させ、全身の動脈という動脈が血流の乱れを訴える。
SETを起動するためには少し指を動かせばいいだけなのに、思考が止まって視界が白く染まっていくような気がする。
「「……」」
二人が硬直している間に、黄金の獅子は『用は済んだ』と言わんばかりに下がっていく。
それにホッとする自分がいる。本田と松岡は極度の緊張に置かれたため、あるものに気づく余裕もなかった。
上から下に落ちていく天堂佑真の人影を。
そして彼に続くように落ちてくる、冥加兆の姿を。
☆ ☆ ☆
「うおわああああッ!?」
「クソッ、冗談じゃねえ! SET開放!」
冥加はSETを起動させる。《念動能力》で天堂佑真をひっ捕まえながら自分の体も浮かせようとするが、三秒後に《念動能力》が解除された。
「おいお前死ぬ気か!?」
「こんな時にまで《零能力》!?」
「誘導する! 消すんじゃねえぞ!」
落ちていく佑真の先に、空気を《念動能力》で固定させたスロープを即席で作り上げる。幸い能力を消されることもなく、佑真は見えないスロープをコロコロと転がってくれた。勢いのまま彼を空へ《念動能力》で投げ飛ばし、空気を操ってマット風に受け止める。
「三秒以上肌に触れなければ能力は消えない! お願いします!」
「ならそこの下一メートルに足場を作る! 靴で乗れ!」
もう一度佑真を空中へ投げ飛ばし、今度は空気をがっちり固めた足場を作る。佑真はダン! とうまいこと着地したが、見えない足場に立っていることにビクビクしていた。
「すげぇ……《念動能力》にはこんな使い方もあるのか」
「感心している場合か。天堂佑真、お前さっきの警報聞こえていたよな?」
佑真はコクリと頷いた。
「なら良し。下に見えるのは『世界級能力者』――金世杰らしい。気づかれたら終わりだぞ」
「ああ、だろうな。だけど警察的にはいいのかよ? 慧能と程玲、持ってかれているぞ!?」
「馬鹿を言え、相手は『世界級能力者』だ! わざわざ戦争をふっかける利点がどこにある!? 敵が撤退を選ぶならそっちの方がいいに決まってやが」
冥加の熱弁を引き裂くように、ズダダダダ! と銃声が轟いた。
小田原警察署の警備ロボットだ。誰が判断したか緊急出動しているらしいが、黄金の獅子から切り離された一部が大きな円形の盾となって銃弾の多くを飲み込んでいく。
その最中に、武装してSETも起動済みの『警察』の部隊が黄金の獅子を取り囲む。冥加は露骨に舌を打った。
「チッ――、誰だ交戦を選んだ奴は!」
「まずいだろオイ。先制攻撃は向こうさんとはいえ『世界級能力者』に喧嘩売ったら!」
「戦争でもする気か上は! 松岡さん! 今すぐ撤退を! 松岡さん!」
冥加は無線で訴えかけるが応答がない。佑真も慌てて波瑠に連絡を取り、まずは彼女の安否を確認する。彼女がもし捕らえられていたら迷わず突撃する羽目になっていたが、『大丈夫』というごく短いメッセージだけが送られてきた。
「松岡さん……クソ、あの人の安否もわからないな」
『【中華帝国】慧能、程玲、そして襲撃者よ! 貴様たちは完全に包囲されている!』
ズズズ……、と動きを止めた黄金の獅子。アナウンスが無謀に響き渡り、佑真と冥加の心拍数は上がっていく。
『おとなしく超能力を解除し、投降せよ! さすればこちらも手は出さん!』
確かに包囲はしている。
空中のドローンを含めれば三百六十度逃げ場なしだ。けれどアナウンスを行っている何者かは先ほどの光景を見ていなかったのか? 銃弾を完膚なきまでに防ぎきった黄金の盾を。
『繰り返す! おとなしく超能力を解除し、すみやかに投降せよ!』
佑真は気づいた時には、空気の床から飛び降りようとしていた。無謀な選択を、無意味に命を散らそうとしている人々を見捨てるわけにはいかない――そんな思いに突き動かされているのだろう、幼い軍人を静止しようと《念動能力》に意識を向けた冥加の視界で、残酷たる光景が生み出された。
黄金の獅子から金色の流動体が『警察』達の足元に流れたと思いきや、次の瞬間、流動体から長さ数メートルにわたる『杭』のような突起物となって、地面にいるすべての者を串刺しにしたのだ。
そこら中で警備ロボットが爆発を連鎖させ。
そこら中で、人間から血がザクロのように弾け飛ぶ。
早々たる一騎当千。すでに武力の差が見せつけられている。
冥加は実体験を根拠に確信を得た。間違いない、十六年前と何も変わっていない。
あそこにいる圧倒的な武力差は、金世杰がもたらしたもの。
「ッ! て、天堂!」
冥加はハッとした。飛び降りた高校生はどうなった?
非日常に染まり切った地面に目を走らせる。そして冥加が見つけたのは、蒼髪をなびかせる超能力者だった。
☆ ☆ ☆
警察署の壁から飛び出した波瑠は、実のところまだ完全に服を着られていない。シャツ一枚に下着だけだが、女子高生として恥じるべき点を優先している場合なワケがなかった。
そして躊躇する選択肢もない。
初撃から全力で叩き潰す。右手には炎を。左手には氷を。加熱と冷却、相反する物理現象を操る最強最大の対軍攻撃。
「《霧幻焔華》――――――!!!」
波瑠は迷うことなく、氷炎のオブジェクトを黄金の獅子へ叩き込む。
黄金の獅子から伸びた金の流動体がうねるように変形して、《霧幻焔華》を包んだ。そのまま流動体の中で《霧幻焔華》が爆裂する。流石に完全に抑え込むのは不可能だったのか黄金が周囲へ飛び散るものの、衝撃波以外の攻撃力は残されていなかった。
獅子の上に乗る『甲冑の男』の片割れが、波瑠を見上げる。
「この超能力は覚えがあるな。《神上の光》か?」
「お久しぶりですね……『軍神』!」
波瑠は空中で手を振り降ろした。空気中の水蒸気が一気に凍り付いていき、黄金の獅子や杭を片っ端から氷塊で拘束する。凍結は『甲冑の男』達にまで及ぶが、一秒と立たずして黄金は流動体へ、そして杭や突起物へと姿を変えて内側から氷の拘束を砕き散った。
「まさかその程度で我を止められると思うな、天皇波瑠。日本第二位まで上りつめた実力を見せてもらおうか!」
地面に広がった黄金の流動体が一斉にうねり、無数の針が波瑠一人を標的にして射出された。全方位からの一斉掃射。逃げ場なき弾幕から素直に逃げる選択肢はない。波瑠は自分の前に幾重もの氷の壁を張り続けて、針の乱射を防ぎきる。
(……とはいえ、ものすごい威力!)
氷壁を維持したまま空中を移動する波瑠は、嫌な予感を感じ取った。
五年間を一人で敵襲から逃げ延びた彼女だから得られた、集中状態での『第六感』を信じて自分を覆う氷のドームを創る。
その一秒後。
上空からも、黄金の針が降り注いだ。
(曲射弾道!)
地面からの針の全てが直接波瑠に向かって撃ち出されているわけではない、その中には一旦上空まで飛ばした針も紛れている。それが時間差で降り注いだのだ。
(まずい、身動きが取れない!)
波瑠は主観的に針状に見えたから『針』と呼称したが、その実降り注ぐ黄金は一本一本が長さ三十センチ近い凶器。まさしくミサイル針といったところか。氷壁の再生速度がわずかにでも遅れた瞬間、波瑠の全身は蜂の巣になってしまう。
歯噛みする波瑠。
真下から見上げる『甲冑の男』が、右腕を突き上げた。
氷壁で防ごうとするならば、氷壁をも砕く頑丈な『杭』によって、ロケットのような勢いで天空へと撃ち抜かれるだろう。
波瑠は攻撃性の高いエネルギー変換で『杭』を迎撃しようとしたその時、
ぱちん――と。
まるでシャボン玉が割れるような感覚が世界に響き渡り。
獅子を含めたひと繋がりの黄金の流動体が、シャワーみたいに崩れ去った。
『甲冑の男』どころか、生き残っている警察まで驚き戸惑っているが、波瑠は金色の雨の中でさらに駆け続ける佑真の存在を把握している。どうにか近づいた佑真があの黄金に三秒間触れ続けたのだろう。
二度と訪れないこの隙を逃してはいけない。
「はああぁ――っ!」
波瑠は『甲冑の男』と慧能、程玲に向かって凍結を発動した。
腕や脚を氷塊が捕縛する。
『甲冑の男』が無理に振りほどこうとするも、すでに彼らの背後に佑真が到達していた。
鎧で身が包まれている以上、佑真の拳は意味をなさない。
けれど彼の師は火道寛政――日本での近接戦闘最強クラスの男である。佑真にも投げ技や他の術が叩き込まれていたが、この場でそれを披露する余裕はなかった。
慧能による介入だ。SETを起動した彼が起こす斬撃の衝撃波を、佑真はひらりと身を翻して回避した。
しかし絶好の機会を逃す。
敵は『世界級能力者』、一筋縄ではいかぬが道理。
「《レジェンドキー》――《四神西方・白虎》契約執行」
『甲冑の男』もとい金世杰がその言葉を呟くと同時、彼の胸元で目が潰れるほど莫大な輝きが発生する。
何かしらの媒体を介して広がる粒子が、やがて大きく白い虎を形成した。
神話や逸話に登場する『精霊・神霊』を召喚する術、《式神契約ノ符》。
小野寺誠や水野秋奈が使用する魔術(正確には陰陽術?)の脅威をよく知る佑真は全力で後退する。波瑠は彼の元へ近づきながら逃走のサポートに。氷で白虎の四つ足を捕まえようとするも、金世杰や他の者を載せた白虎は大きく天へ跳躍した。
「うわっ――!」
跳躍の勢いだけで、四方八方に衝撃波が吹き荒れる。転がる佑真。波瑠が『エネルギー変換』で彼を助けながら、全身で抱きしめるように受け止めた。
「だ、大丈夫佑真くん!?」
「やけに柔らかい感触なんですけど実はパンツとシャツだけだな!?」
「いやぁっ」
「そんな扇情的な格好で跳び出す自分が悪いんじゃ……」
佑真はとりあえず半袖パーカーを波瑠にかぶせた。今更恥ずかしそうにモジモジする波瑠の意識を戦闘に引き戻したのは、白虎による巨大な着地音。ズゥン! という震撼でよろけた波瑠は、佑真に支えられながら白虎を睨み付けた。
「金世杰! あなたの目的は何!?」
「《神上の光》を回収することだ、と言いたいところだがな。ひとまずは慧能と程玲の身柄を確保できれば及第点だ。捕虜にされ、我が御国に迷惑なぞかけられん」
「お国思いなことでして」
「されどこうして眼前にあらば、好機逃がすは選択に非ず!」
気づけば、氷による拘束はとうに解かれていて。
『甲冑の男』が腕をつき上げると、周囲に弾けていた黄金の流動体が再びうねりを上げ始めた――
「《神上の光》且つ零能力者、汝らの覚悟を見せよ。
我は、《神上の光》を殺す者である!!」




