第一章‐⑰ 蒼い少女は過去を伝えるⅡ
「……それでね。【ウラヌス】から逃げ出した後に出会って――私と関わって死んだ人がね、一人だけ、いるんだ」
「……」
ん? と佑真は思わず波瑠の顔を覗き見た。
「死んだ人っつっても、《神上の光》があれば、生き返らせることができるんじゃ……」
ううん、と首を横に振り、波瑠は顔を伏せながら返答した。
「もう死んじゃったんだ。たった一回、生き返らせるのが間に合わなくって」
「…………あ、24時間のタイムリミット……! ……ごめん」
「大丈夫だよ。私から話してるんだし」
笑顔を作る波瑠。
「その時に《神上の光》に24時間のタイムリミットがあることを知って――私は、もう他の人を巻き込まずに、一人で逃げることを選ぶようにしたんだ」
今は佑真くんがいるんだけど、と小さな声で呟く波瑠。
《神上の光》の蘇生に存在する、24時間以内という限界値。
言われてみれば、実際に経験しないかぎり確かめようのないことだ。
佑真の『零能力者』が、超能力を実際に使おうとするまでわからなかったように。
「その人ね、十文字直覇っていうの」
「十文字直覇さんか。大人?」
「女子高生、十七歳だったよ。直覇さんはとっても強かった。ランクⅩで、あの【使徒】にナンバリングされていたくらいにね。あ、【使徒】は知ってる?」
「それくらいは」
【使徒】とは、日本国内で超能力測定値が『ランクⅩ』判定された者に対する俗称だ。
威力・効果範囲・能力の応用性など多くの要素でランク分けが行われる超能力社会の中でもトップランカー。単独で中隊一つを落とせるほど強いといわれている、まさに『零能力者』とは対極の存在である。
「直覇さんは盟星学園高校っていう名門高校の生徒だったらしいんだけど、ある冬の日に偶然私と出会って、手を差し伸べてくれたんだ。
あの人は私にとっても優しくしてくれた。当時体力が限界で、精神も限界で、ボロボロだった私にすっごく優しくね……一人で逃げ回って間もなくの頃で、まだ十歳で小さかったからかな。スグの暖かさは本当に身に染みた」
一緒にお風呂に入ったこと。
初めて食べさせてくれたのはホテルのピザだったこと。
ゲームセンターや遊園地、水族館によく連れて行かれたこと。
寝る前に優しく抱きしめてくれたこと。
思い出し、嬉しそうに話す波瑠を見ていると、まるで立ち会ったかのように佑真も明るい気持ちにさせられる。直覇のことが好きだったのがひしひしと伝わってくる。
けれどしばらくして、波瑠の表情に陰りが差した。
「……だけど、私を追い求める集団は次々に私とスグの前に現れた。アメリカやロシアといった列強諸国はもちろん、個人的な組織、企業、宗教団体……日本国内だって一枚岩じゃないし、それこそ【ウラヌス】も、脱走した私を回収するためにやってきた」
全世界を相手に逃げ回っている、と出会ったばかりに聞かされた言葉。
過剰ではなかった言葉の重みを、佑真は改めて噛みしめる。
でもね、という波瑠の声音は少し明るかった。
「そのすべてを迎撃できるだけの圧倒的な超能力を、スグは持っていた。その名も《幻影模倣》」
「どんな能力なんだ?」
「名前の通り『模倣』の能力だよ。一度見た相手の超能力をコピーし、自在に使うことができたの。スグはそれを十全に使いこなしてね、すっごくすっごく強かったの! 少なくとも、オベロンやキャリバンじゃ歯が立たないくらいに!」
当時を思い出してか若干興奮した波瑠だったが――しかし、すぐに浮かせかかった腰を下ろした。
「だけど、スグも私を守りながらの戦いで疲弊していった。もちろん、私はできるだけ《神上の光》で回復したんだけどね、それでも……限界って来ちゃうんだ」
涙はこぼれない。けれど波瑠の声は震えをみせる。
「ある日、とっても強い『敵』が私達の前に現れたの。たぶん、今の世界で一番強い『敵』が。スグの超能力も全然通じなくて……だからスグは私を逃がすために、自己犠牲を選んだ。『敵』を巻き込んで自分もろとも大爆発を起こして……私一人を、生かしてくれたんだ」
佑真は、震える波瑠の手をできるだけ強く握り締めた。
「その後、私を一旦回収した【ウラヌス】がスグを捜してくれたんだけど、スグの右腕が見つかったのは24時間と……たった17分後だった」
太平洋の海上で、彼女のトレードマークだったというバンダナが見つかり、間もなくして右腕だけが発見された。
波瑠は有無を言わさず《神上の光》を行使した。
だが、十文字直覇は蘇らなかった。
その時、波瑠は本当なら関係なかった人間の死を初めて経験した。
自分が関わったせいで起こった、人間の死を――。
「……スグを殺したのは私だった。私がスグと出会わなければ、そもそも、そんな命がけの戦いに巻き込む羽目に、ならなかったんだからね」
そんな経験は、奇跡を持つ少女に最悪の欠陥をもたらした。
人の『死』を見ることができなくなったのだ。
全身が拒絶反応を起こしてしまうせいで、波瑠は『死』を直接見ることができなくなってしまったのだという。
そんな辛い過去に蓋をするため――漆黒の魔法陣を隠すために波瑠は蒼髪を伸ばした。できるだけ伸ばしたら、今や腰に着くほど長くなっていた。
「それ以来決めたんだ。『できるだけ《神上の光》は使わない。できる限り他人と関わらない。もし関わったとしてもすぐに別れる。どれだけ冷たいことを言っても』。そうすればもう、少なくとも、関係ない人が死んじゃうことないからね」
――――――と。
また波瑠は、百パーセント作り物の笑顔を見せた。
(…………オレは結局、波瑠の手助けどころか、最低なことをしていたのかもな)
死んでも構わない。
それくらいの覚悟でオベロンとの戦いへ臨んだ。
あの無謀な突貫こそが過去をひっかき、波瑠の涙を作ってしまった。
……それ以前に何度も、何度も言われたじゃないか。
一緒にいるな。関わるな。一人で構わないから、と。
大切な人を失いたくない、という意味だったんだ。
一人でいれば大切な人もできっこないから〝ひとりぼっち〟で生きていく――なんて台詞を、何度も、何度も。
なんて理不尽な話だ。
理不尽すぎて、不公平すぎて、笑えてくる。
どうして、波瑠が〝ひとりぼっち〟にならなきゃいけないんだ。
どうして、こんなに優しい女の子が過酷な運命を背負わなければいけないんだ。
どうして、波瑠がこの魔法陣を背負わなければならないんだ……?
「………………あれ?」
「佑真くん?」
「なあ波瑠。《神上の光》ってさ、魔法陣を焼き付ければ使えるようになんだよな?」
「少なくとも、私の知る限りはそうだけど」
「だったら、どうして【ウラヌス】は波瑠を選んだ? どんな理由があって、たった十歳の女の子なんかに、死者を生き返らせる回復役を押し付ける必要があったんだ?」
気になった――気にせざるを得なかった。
普通の十歳の女の子は、死体を見るだけ卒倒モノだ。というか大前提として、誰でもよければ『軍医総監』あたりにでも焼き付けたほうが理に適っている。
なのに波瑠を選んだ。
そこになんらかの理由がなければ、絶対におかしい!
「波瑠、お前は知ってんのか? どうして自分が過酷な運命を背負うことになったのか」
佑真は繋いでない方の手で波瑠の肩を掴み、真っ直ぐに視線を合わせる。
呆然としていた波瑠の瞳に光が戻るのに、時間は必要なかった。
「……知らない。私、どうして選ばれたのか知らないよ!」
「そこだ! そこにお前の《神上の光》をなんとかするヒントがあるかもしんねえぞ!」
「『ようやく希望を見つけた!』といったリアクションの最中すみません。お嬢様が選ばれたのには、それ相応の理由があるんですよ」
唐突に届く男声。
顔を上げた佑真達の前に、何の前触れも無く、青いスーツの男が立っていた。
狐顔のように目が細く感情がつかめない。波瑠とは別色の水色に近い青髪短髪。清楚な印象で、佑真より数センチ大きい程度の背丈。
けれど彼の手首にはめられたSETはすでに起動され、全身から水色の波動が放出されている。それが彼の出現の答えを物語っていた。
「……瞬間移動系の超能力者か?」
「ご名答です。ぼくの超能力《空間横断》は、ぼく自身のみしか移動できない代わりに、距離は任意の限り制限なし。軍隊での集団行動には役立ちませんが、単独行動にはかなり便利なんですよ」
波瑠を立ち上がらせてエアバイクにいつでも乗れるよう体勢を動かしつつ、佑真は路地裏の網目のような細い道へ視線を運ぶ。
「敵が現れた瞬間に退路を確認する。流石、都市伝説にもなった『零能力者』は路地裏での戦闘を心得ているようですね」
「っ!? ステファノ、なんで佑真くんのことを!?」
「お嬢様がそれを問うのですか……先ほどまで我々の組織【ウラヌス】について話していたのなら、もうおわかりでしょう? ぼくらは全日本を管理・支配する【太陽七家・天皇家】の下で活動しています。日本中の全学生のデータから彼一人を調べることくらい容易い」
「オレは『零能力者』だぞ? そんなゴミのデータまであんのかよ」
「もちろん――中学高校で能力測定をしている理由を察してください。そこから有能な子供を輩出し、国軍の戦力として一際大切に育てるためですよ。まあ、そう考えると貴方の意見はごもっともなんですけどね」
ですが、と狐顔は細目をうっすらと開いた。
「『零能力者』がオベロンに対し立ち回り、キャリバンから逃げ切った。どちらも信じ難いことです」
オベロン戦では波瑠がいなきゃ死んでいたし、キャリバンから逃げ切れたのは寮長の足止めがあったから。『零能力者』は足を引っ張っていただけだが、相手からすれば佑真という異物に目が向くようだ。
狐顔の男は真意を読み取れないニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、
「実際、データを引っ張り出したところで天堂佑真に関してわかったことは記憶喪失・身元不明・零能力者の三点のみ。ブラックボックスである貴方の潜在能力は警戒すべきなのかもしれませんが――殺せないワケではなさそうなので、早速用件を済ませるといたしましょう」
「……」
「ぼくの名前はステファノ・マケービワ。【ウラヌス】内では参謀役を勤めさせていただいております。そして、昔は波瑠お嬢様とも行動を共にしておりました」
波瑠が佑真の背後へ隠れる。少し体を震わせているのがわかった。
ステファノはそんな佑真をちらっと見て――明らかに、不敵な笑みを浮かべた。
「では、手始めに回答から。波瑠お嬢様が《神上の光》に選ばれるに相応しい才能と素質を有している、という疑問でしたね。彼女の名前に決定的な証拠がございます」
「証拠?」
「ええ。なぜ波瑠お嬢様に《神上の光》が焼き付けられたのか、知りたいのでしょう? 教えて差し上げますよ。なにせ彼女の本名を知るだけですから」
「ッ!? 待ってステファ――」
焦った様子で顔を上げる波瑠。
一切構うことなく、ステファノは言葉をつなげた。
「お嬢様の本名は天皇波瑠。
彼女は《神上》を生み出した【天皇家】の血を継ぐ、生まれながらの天才。
加えて超能力ランクⅩの才能を有していたので、いの一番に《神上》所有者へと選出されたのですよ」




