●第百五十二話 捜索せよ、密入国者
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――――――数時間ほどさかのぼり、2132年4月28日の午後一時。
横浜市に存在する神奈川県警本部の大会議室に、多数の大人達が集まっていた。
彼らは主に所属で二分される。
『軍事』と『警察』。
今の日本ではなかなか相容れない、国内と国外の守り人たちである。
『本日はお集まりいただき感謝する。私は【ウラヌス】の日向克哉。階級は「中将」だ』
そんな者達が集まる会議室で視界を務めるのは、国家防衛陸海空軍独立師団――略して『国防軍』の日向克哉という男性だ。彼は第三次世界大戦で戦線に立ち、当時は『世界級能力者』として名を馳せた超超超大物。
「……日向克哉か」
会議室後方の席に座る一警察の松岡も、著名人の登場に驚いていた。
「松岡さん。生の『雷神』は初めて見ました」
隣に座る部下の冥加が呑気に耳打ちしてくる。
「冥加、あの人が『雷神』と呼ばれていたのはもう十年も前だぞ」
「松岡さんはオッサンだからな。俺にとって十年はまだ『ついこの前』です」
「普通はジジババが『ついこの前』って言うと思うがな」
『先に注意しておくが、これから話す内容は基本的に口外禁止とさせてもらう』
「情報統制、ということですか?」
おっと、と松岡と冥加は口をつぐむ。
『警察』の一人の質問に、克哉は静かに頷きかえした。
『世論も揺れ動く事態。……どころか、国家間の戦争へと発展しかねない事態なのでな』
そして厳しい口調を続ける克哉。ドキュメンタリー番組でインタビューを受ける姿を何度か見たことがあるが、松岡の記憶ではもっと温厚な喋り方をしていたはずだ。
(……それだけの事態が待ち受けているのか?)
『早速本題に入ろう』
克哉の目配せを受けて、『軍事』サイドの女性が端末を操作する。
会議室前方の巨大モニターに表示されたのは、解像度の低い三人の男の写真だった。
『我々「軍事」と「警察」諸君が協力し、神奈川県にいる【中華帝国】からの密入国者をあぶり出す』
基本的に、今の日本では『軍事』と『警察』は水と油だ。
【太陽七家】の影響が大きい『軍事』と、政府の声が及びやすい『警察』。それぞれの上位組織がお互いを厄介者扱いしているため、『軍事』と『警察』も仲が悪い。
それぞれが国外と国内に目を見張っているため住み分けはできているのだが、手を取り合うのは相当珍しいことなのである。
その為『警察』内では今回の『軍事』との共同戦線が小さな話題となっており、【中華帝国】の密入国者についても噂として広まっていた――それが警察としてよろしいことなのかは、さておいて。
『元より可能性は存在していたが、姿が確認できたのはつい先週。我が第「〇」番大隊の京極飾利少尉以下二名が、複数名の密入国者と交戦した』
「彼らを捕らえることはできなかったのですか?」
『残念ながら、な』
少し意地の悪い質問をしたのは『警察』側の一人。捉えることができていれば、ピンボケした画像ではなくはっきりした顔写真が提示されるはずだ。
『「軍事」として責任を感じてはいるが、いかんせん敵が敵だったのでな』
しかし克哉は動じない。『警察』にそこを突っ込まれることは想定済みだったのだろう。
彼の表情が重々しくなったのは、全く別の理由だった。
『正確に姿を確認できたのは【中華帝国】の軍に属する慧能、程玲、黄豹の三名。他に京極少尉からの報告では、司馬璋や劉山童もいたという』
克哉が挙げた名前は、歴史の教科書の巻末に記されている『佐渡島海戦』で名を上げた、【中華帝国】側の軍人たちだ。会議室に少なからず動揺が走る。
「司馬璋……黄豹……またあいつらか!」
「そのような相手であれば、『警察』では手出しのしようがないのでは?」
「国内の暴力事件を収めているのは我々だぞ! 力不足とでも言いたいのか、失礼な!」
「今のは『警察』側からの発言です、警部!」
『……静粛に』
克哉は咳払いをはさみ、
『京極少尉と二名の隊員は深手を負い、現在も入院中。【中華帝国】の五名は取り逃がしたが、国外へ脱出したという報告はない。現在可能性が最も高いのが、この神奈川県というわけだ』
少尉クラスの人間でも敵わない相手。
松岡は以前に部下と『ひょっとしたら「世界級能力者」がいるんじゃないか』なんて冗談を交わしたが――冗談になっていないかもしれない。
『そこで「警察」と「軍事」で手を取り合い、捜査を行おうというわけだ。尚、我々【ウラヌス】から派遣されたのは四小隊。隊長各位は挨拶を――え? ステファノ君達が到着していない? 少し遅れるとは聞いていたけど困ったなぁ』
スタッフから耳打ちされてポリポリと頭をかく克哉。ドキュメンタリーで見たのはこっちだなぁ、と思いながら松岡は手を挙げた。
「質問があります。なぜこのタイミングで『警察』と『軍事』による共同戦線を?」
『……「軍事」所属の者を紹介してからにしようと思っていたが、先に言っておくか』
克哉は一旦、席に着く一人の青年に目配せをする。彼が頷きかえすと、克哉は続けた。
『今現在、神奈川県に《神上の光》――天皇波瑠嬢がいる』
――――今度こそ、会議室内で巨大なざわめきが発生した。
【ウラヌス】にとっては当たり前の存在かもしれないが、『警察』はどちらかといえば表側の世界で活動する者達だ。
『東京大混乱』や『高尾山襲撃事件』に現れたらしい、死者を生き返らせる魔法の噂くらいは聞いたことあるけれど、あくまで噂は噂だと思われていた。
〝蒼い少女〟――天皇波瑠。
《神上の光》を持つ少女の存在を、たった今、克哉は肯定したのである。
『彼女が関わるからこその情報統制である。彼女の存在については、この会議室外では絶対に口にしないように』
克哉はそう前置きをした上で、
『《神上の光》は世界中が狙う、唯一無二の魔法だ。それが目の前で泳いでいる状況を【中華帝国】のアイツが見逃すとは思えない』
「彼女を餌とするわけですか」
「それはリスキーではないですか?」
別の刑事から質問が上がる。
「生死を覆す魔法……それが実在しているかどうかはともかくとして、そのようなものをもし【中華帝国】に奪われてしまったら」
『その心配はない。本人たちの同意は得ているし、彼女自身の超能力の強さは警察の皆も知っているだろう。それに「守護者」もついているからな』
会議室内に『そう言われればそうだ』と納得ムードが漂う。前半で『警察』サイドが、後半で『軍事』サイドが表情を緩めたのは、彼らが有している情報量の差を表していた。
『ともあれ、【中華帝国】が動く可能性が高いのは今だ。諸君、よろしく頼む』
「……すこぶるきな臭い仕事ですね」
冥加が遠慮なく感想を告げる。松岡も苦笑だけして、否定はしなかった。
「だが『軍事』と手を組むっつーことは、戦闘は連中に任せりゃいいんだろ。俺達はいつも通り、」
「『最低限の仕事をこなす公務員をこなせばいい』」
「…………『捜査を真面目に行えばいい』な。さも俺がサボり癖あるみてェに言うなよ、若造」
☆ ☆ ☆
「冥加!」
会議が終わり自販機でお茶を買っていた冥加は、背後からかけられた声に振り返った。
上半身はタンクトップで、作業服の上着を腰に巻いている青年だ。腕っぷしや胸筋は目を見張るものがあるが、今の神奈川県警には軍人が多いためガタイの良さよりも露出度の高さで目立っている。
「お前……もしかして伍島か?」
「正解。久しぶりだな、冥加」
伍島信篤は、ニカッと豪快な笑みをうかべた。
彼は冥加と違い【ウラヌス】第『〇』番大隊に所属する軍人だ。冥加とは昔に少しだけ縁があったが、『軍事』と『警察』に別れて以来、会うのは十五年ぶりだった。
冥加は自販機の前を譲る。伍島はいちごミルクのパックを選んだ。
「お前、まだ外見に似合わない甘党なのかよ」
「いい肉体は充分なカロリーから、というのが俺のモットーなんでな」
「変わらないな」
筋肉質の男が桃色パッケージのパックにストローを突っ込んでチュウチュウ吸う姿は、何とも言えない滑稽さだ。会議室から出てきた者達がチラチラこちらを見ているが、伍島は気にした様子もない。
「さっきの会議じゃ驚いたぞ。伍島、いつの間に『大尉』になったんだ?」
「数年前に出世したんだ。今や『天皇真希の一番槍』として一小隊を預けられた身。気づけば順調に出世街道を突っ走ってるよ」
「天皇真希か。あの人の名前を出したらお前の出世も霞むけどな」
「よせやい。二十九歳で『大佐』なのは、世界中を見たってあの人くらいしかいないんぜ?」
伍島は顔をしかめるが、二十九歳で『大尉』というのも十分な地位だ。
それも国防軍内で最前線に立つ第『〇』番大隊で。
神奈川県警の一刑事にすぎない冥加とは、すっかり違う世界に生きている。
「そういうお前はどうなんだ、冥加。そろそろ警部になれたりしないのか?」
内心を読んだかのような問いかけに、冥加は思わず空笑いが出ていた。
「何もねぇよ。特に成果を残すこともなく、日々公務員として働いているだけだ」
「『対超能力事件』を扱う部署なんだろ? 忙しそうなイメージだがな」
「大体は学生の治安維持部隊……【生徒会】の連中が勝手に何とかしてくれる。出世する成果を残すこともないのさ。警察暇ならなんとやら、だろ」
「学生に任せてそれ言うか。お前の緩さも十六年前から変わってないじゃねえか」
伍島が苦笑いしながら、飲み干したいちごミルクのパックを握りつぶした。
「……よりにもよって【中華帝国】だな」
そして彼は、パックをゴミ箱に放り込みながら重々しく呟いた。冥加は静かに頷きかえす。
「伍島、戦闘になったらお前は最前線に出るんだろ? 大丈夫なのか?」
「それが『軍人』の仕事だ。泣き言を言う余裕はねぇよ。……冥加こそどうなんだ? いけるのか? いざ戦闘になったら――」
冥加は空になった缶を伍島に放り投げた。
「俺は『警察』だ。戦闘が始まったら遠慮なく引っ込めばいいだけだろ」
「……ならいいが」
伍島はわずかに残った中身を顔にくらいながら缶を受け止める。ちょうど冥加に、直属の上司たる松岡から呼びかけがかかった。
「じゃあ俺は行く。死ぬなよ、伍島」
「……お前もな、冥加」
「こっちは炎天下で検問を張るだけの簡単なお仕事だぜ? 万に一つも死にはしないさ」
ひらひらと手を振り、気だるげな足取りで松岡の下へ向かう冥加。
残された伍島は空き缶をゴミ箱へと放り込み、自分の小隊員に声をかけた。




