第一章‐⑯ 蒼い少女は過去を伝えるⅠ
空から落ちて、不思議な男の子と出会った。
その男の子は、絵に描いたように『男の子』だった。
真っ直ぐで、元気がよくて、一緒にいると笑顔にさせられる。
辛い過去がありながらも明るく振る舞い、強者に立ち向かえる勇気を持っている。
オベロンに斬られた時、彼は命がけで立ち上がってくれた。
キャリバンの攻撃から、彼は自分を顧みずに、かばってくれた。
……正直、すごく嬉しかった。
味方が一人もいない時を過ごして。
こんな私のために何かをしてくれる人がまだいることは、すごく嬉しかった。
その手を掴みたい。
佑真くんの手を掴みたい。
だけど、だからこそ、さ。
これ以上は巻き込みたくないんだ。
すでに取り返しがつかないかもしれないけど、それでも。
できるだけ早く、佑真くんを元の居場所へ返したかった。
あの人の二の舞にはしたくない。
好意を抱ける人だからこそ、私の境遇に巻き込みたくなかった。
だから私は話す。
零能力者の知る由の無い、世界に潜む、巨大な闇を。
自らの古傷を使ってでも、自分がどれだけ辛い想いをしようとも。
☆ ☆ ☆
「えっと、じゃあ、最初はこれを、見てもらおうかな……」
そう言った波瑠は佑真へ背を向けると、自身の着ているパーカーの胸元へ手をやった。
佑真が何一つ問いかける間もなく、ジィィ、とチャックを下ろすと波瑠は半袖パーカーを脱いだ――
「っ!? ちょっ、波瑠、何やってん……っ」
佑真が目を閉じるより早く、ぐいっと着ているシャツの裾を持ち上げる波瑠。
十五歳にしてもやせ細った腰回りが露わとなる。
佑真の視線は持ち上がる裾を追う。じょじょに雪のように白い素肌の面積が広がり、ブラジャーの肩紐まで見えた辺りで波瑠の手は止まった。
佑真は、何も言えなかった。
蒼髪と衣服の退いた背中には――禍々しいまでに黒く描かれた魔法陣があった。
ドッヂボールほどの大きさの外円に、添う十二星座の紋章。
六芒星や円形の小魔法陣など数多くの図形が図示され、中央には『♀』の左右に山の字を横向きにしてくっつけたような、見たこともない記号が存在していた。
少なくとも、少女の背中にあるべきものではない。
せっかくの美しい背中を汚す、この世の何よりも真っ黒い魔法陣が。
「……驚かせちゃったかな?」
「…………そりゃ、予告無しにこんなもん見せられりゃ驚くっつの」
「ひゃあっ!」
波瑠の背筋に指を這わせると、ビクッと体が震えて可愛らしい悲鳴が響いた。
「ふ、ふざけないでよもうっ」
波瑠はシャツを着直しつつ、
「……見たと思うけど、今の真っ黒な魔法陣が私の持つ『奇跡』の本体。《神上の光》の正体だよ」
服を完全に着た波瑠は、壁に寄りかかるように座る。
「《神上の光》と超能力の決定的な違いはね、たぶんこの魔法陣だと思う」
「魔法陣っつうとさ……ゲーム知識で申し訳ないんだけど、なんか特別な法則にしたがって描くことで、すごい力を得ることができるー、みたいなアレでいいんだよな?」
「概ねそんな感じ。《神上の光》はね、私の身体に十二星座の魔法陣を焼き付けることで使用可能となったの」
「……焼き付けるってこれ、じゃあ……」
「どうやっても消すことができないんだよねぇ」
だから髪の毛伸ばして隠してるんだ、と波瑠は長く艶やかな蒼髪を撫でた。確かに女の子にとって、ここまで禍々しい魔法陣は無視できるものじゃない……。
なぜ体に焼き付ける必要があるのか。なぜ焼き付けることで神のごとき『奇跡』を起こせるのか。そういった点は波瑠にも一切説明できないらしい。
『飛べるから飛行機』のように『できるから魔法』で片付けるしか説明する道はない。
だからこの『奇跡』は非科学でありイレギュラーなんだ、と波瑠は付け加えた。
「話を戻すね。……私をはじめとした《神上》所有者たちは、人間の肉体に魔法陣を焼き付けて『神に匹敵する力』を手に入れた」
「いくつもあるのか?」
小さく頷いた波瑠は小さな声で、言葉をつなげていく。
「《神上》は私の《光》を含めて十二種類あるんだよ。全部が全部、理を超越した奇跡を起こせるんだ」
例えば、自在に時を翔ける力。
無限に空間を生成する力。
人の願望を叶える力――。
一つでもあれば世界を手中に収めるのは難しくないほど莫大な力が、十二種類。
「波瑠の生死を司るってのも無茶苦茶だけど、他のもすげえんだな。タイムスリップとか実現してないから、まさに理論を越えた『奇跡の力』ってわけだ」
「佑真くんはタイムスリップしたいと思う?」
「そうだなぁ……百年前くらいに戻って昔のゲームやってみたいかな」
「あはは、なんか小規模なタイムスリップだね」
自分で言ってなんだが、タイムスリップで買い物というのはいささか夢がなかった。
「十二種類の《神上》を生み出し私達に魔法陣を焼き付けたのは、さっきから佑真くんが戦っている【ウラヌス】だよ」
「国防軍が?」
「うん。今は日本の軍隊の一部になっちゃったけど、昔は【ウラヌス】って私有の軍隊だったんだ。それもあの【太陽七家・天皇家】が統べるね」
「た、太陽七家っ!?」
佑真は思わず大声を上げてしまう。少し顔を上げた波瑠は、困り笑顔で頷いた。
【太陽七家】とは、第三次世界大戦において財力・軍事力・科学力など多くの面で日本を優位に戦わせ、最終的に超能力を生み出した七つの家の総称だ。
【水野家】
【金城家】
【火道家】
【木戸家】
【土宮家】
【天皇家】
【海原家】
最たる共通項は、どの家系も超能力に異常なまでに才華を発揮することだろう。
現在この七家は日本を統べる代表としての地位を確立し、超能力者育成や軍事整備、行政・外交に至るまで、数多くの重要項目に関わっている。
中でもSETを開発し、実質的に《超能力》をこの世へ導いて戦争を中断させた【天皇家】の名を知らない者は、この世界中を探しても早々には見つからない。
ここに【ウラヌス】という軍隊が【天皇家】の支配下にあることを加えると、一つの事実が浮かび上がってくる。
《超能力》の根源たるSETを開発した天皇家の、新たな異能へのアプローチが《神上》。
「超能力には満足至らず、別の非科学に手を出したってところか?」
「だと思うよ」
「極端な考えだな……しかし、その非科学を実現させちゃってる辺りが恐ろしい」
手持ち無沙汰で波瑠の頭を撫でると、波瑠は気持ち良さそうに首をすくめた。頭を撫でられるのが好きなようだ。
【ウラヌス】と戦う今の佑真は、太陽七家の一角、天皇家に逆らっているようなもの。ともすれば国に喧嘩を売っていると捉えることもでき――
「だから佑真くんは実際、とんでもないことをしてるんだよね。負けているとはいえ【ウラヌス】の兵士にメンチ切っちゃってるから」
そんな佑真の内心を察してか、的確なタイミングで波瑠はそう言った。
「確かにヤベェな。けど波瑠を一人きりにするより百倍ましだ」
「むう、まだ折れない……負けてる人が言ってもかっこよくないからねっ」
佑真に顔を近づけ上目遣いで告げる波瑠。鼻先に人差し指を当てられた。
「でも、実際に戦った佑真くんならわかると思うよ。オベロンもキャリバンも、佑真くんを殺しかねない攻撃を何発も喰らわせていたでしょ? 彼らが普段戦う相手にも、私を追っている外国の人たちの中にも、殺しを厭う人なんていない。それこそ」
「『殺られなきゃ殺られる』ってヤツか。……そういや第三次世界大戦って一応は休戦協定が結ばれて、中断してんだよな? それなのに外国人がお前を追ってるのは大丈夫なのか?」
「だからこそ、とも言えるかな。列強諸国との直接衝突こそないけど、時々『佐渡島防衛戦』とか『沖縄海戦』とか、それこそついこの前の九十九里沖の小競り合いとかさ。世界中に広げればもっともっとたくさんの争いがニュースで流れてるでしょ?【ウラヌス】はそういう『戦争の火種』から日本を護るのがお役目なの」
体を戻し、指をもてあそぶ波瑠。
「私を追っているとか言ったって、あの人たちはあくまで『国家防衛軍』だからね。本来ならこの国を守るために戦っている『正義の味方』なんだよ」
「……なんか聞きたくなかったな」
やりにくくなった、と素直に思う。
オベロンやキャリバンを見てきて、あいつらを許せるかと聞かれたら答えはノーだ。
だけど佑真にだって気にしたい『いろいろ』がある。
誰かを助けられる人になりたい、という小さな願いがある。
そんな佑真からすれば、国防軍とかいう最前線で日本の人々を守る『正義の味方』は理想の存在とでもいうべきか。
そういう人たちにとって《神上の光》がどれだけ重要かは、もう聞かなくたって理解できる。
それでも。
納得できない。
したくない。
波瑠が苦しむ理由とは、繋がらない。
「……いろいろ聞いてみたいけど、一番聞きたいことだけに絞るよ。波瑠は今まで《神上の光》で人を生き返らせたことが、何回ある?」
え? と目を丸くした波瑠は、指を口元に当てて視線を彷徨わせ、
「か、数えきれないかも……」
今度は、佑真が目を丸くさせられた。
「お、おう。それはあれか。【ウラヌス】で」
「うん。魔法陣を焼き付けられて直後から、何度も何度もね……」
波瑠はぽつりぽつりと説明を重ねた。
戦場では、どれだけの注意を払っても死を避けられない『状況』がある。
そこで出番となるのが《神上の光》だった。
波瑠に力を使わせて、死んだ兵士を生き返らせる。
その人はふたたび戦場へ出向き、今度は別の死者が波瑠の前へと運ばれてくる。
波瑠は《神上の光》を使い、その人を生き返らせる。
また別の死者が出る。
波瑠はその人を生き返らせる。ひたすらそれを繰り返す。
戦力が永遠に減少しない、史上最強にして最悪の戦法。
「……、」
血で血を拭う戦場に立たされた十歳の女の子が、何千回と死者を生き返らせる。
倫理的じゃないというか、あまりにも常識外れすぎて想像すらしたくなかった。
モヤモヤを晴らすように天を仰ぎながら腰元に手を置くと、同じく手を地面に置いていた波瑠の指と触れ合ってしまった。「っ」と波瑠が小さく息を呑むのが気配で伝わる。
「あ、ごめん波瑠。他意はないんだ」
「う、ううん……私もビックリしただけで、嫌じゃないから」
「そうか……手ぇ繋ぐ?」
「ふえっ!? な、なにを突然っ!?」
「冗談だよ冗だ――」
佑真がそう言い終える前に、きゅっと、返答代わりに波瑠から佑真の手を握ってきた。
表情を窺うと、長い前髪で目元こそ見えないが、頬が赤く染まっている。
「……冗談のつもりだったんすけど」
「……いいでしょ、別に」
小さくて暖かくて柔らかい手から体温が伝う。やたら熱く感じるのは照れているからだろうか。
(……この手から、あの《神上の光》の白い粒子は放出される。この手が、数えきれないほどの死者に向けられてきたんだな……まだ子供だった頃から、何度も何度も、波瑠は、死んだ人の前に立たされて……)
ギュウっと手を握り返す。
記憶喪失とか零能力者とか言ってグレていた自分が恥ずかしいくらい、波瑠の見てきた地獄は『ホンモノ』だ。
佑真の知らない世界で、彼女はずっと戦ってきたんだ。
(……やっぱり波瑠は、そんな場所にいるのが辛くて【ウラヌス】から逃げ出したのかな)
その質問をぶつけていいのか躊躇っているうちに、波瑠が少しだけ顔を上げた。




