●第百四十話 集結の零から始める存在証明
【52 新宿区~(オフィス街)】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前5時30分
何か巨大な物体が、『彼』と龍神の間を通り過ぎた。
「…………この、え?」
反射的にその影を追った龍神が見たのは、ビル壁に激突して呻き声をあげる行橋このえと天皇波瑠。直接的なダメージは天皇波瑠が庇ったらしく、彼女の肩が変な方向にズレている。
どうしたんだよ、と龍神が問いかけるよりも早く、背後から足音が聞こえた。
「ふむ。本来敵対すべき少女を庇うか。博愛たる、故に民を愛する俺様でも理解しがたい行為だな、天皇波瑠」
逆立つ白髪。二メートルあろうかという巨躯。何か違う次元を見据える双眸。
長門憂が、ゆっくりと近づいてくる。
早朝でありながら万全を期している様子の長門は、まず『彼』を見た。呆然自失とした上で今にも死にかけの男を見て、長門は無言で天皇波瑠と行橋このえの方へ歩み始める。
(……興味を失っている! 配下にすると宣言したほどの執着心をあっさり捨てやがった!)
元より『彼』――もとい天堂佑真は暗殺対象だ。長門憂もお気に召さない醜態をさらしている『彼』なんか、配下に欲しないといったところだろう。
それよりも、気になるべきは波瑠とこのえ。
なぜ天皇波瑠がこのえを庇ってダメージを負っているのか、だ。
「…………この子は、あなたの仲間じゃないの? なのになぜ、私よりも先にこのえちゃんを攻撃しようとしたの!?」
両肩に刺さる針を筆頭に満身創痍の波瑠が、このえの前で立ち上がりながら叫んだ。
「ふむ。俺様が敬語を使えと指示してから、まだ二十四時間も経っていないのだがな。その程度の学習能力の者を配下にしようとしていたのか、俺様は」
「子供を傷つけるようなやつに、敬語を使う必要なんてない!」
「……叛逆、か。愚かだ。その判断は実に愚かだぞ、天皇波瑠。最強たる、故に頂点に立つ俺様に歯向かおうなど矮小たる貴様には千年早い」
嘲笑する王に接近する影があった。このえの友達の改造動物たちだ。波瑠の氷塊を意志の力で突き破り、このえを守る為に跳び出してきたのだ。
「っ、ダメ!」
「ほう、貴様らもたった一人の少女のために王に歯向かうか。面白い」
しかし長門の顔から笑いが消えることはなく、彼が拳を一薙ぎすると、すべての動物が大地に叩き付けられた。ぐしゃり、と肉が潰れる音が至る所で連鎖する。血しぶきが宙へ飛ぶのさえ許されず、辺りを赤色で染め上げる。
このえが息を詰まらせた。龍神には、何が起こっているのか理解が追い付かない。
「おっと、《静動重力》のストックが尽きてしまったな。やはり奪っておけばよかったか――」
右手を見て眉をひそめた長門は、おもむろに左手を背後に向けた。
そこから炎熱が放出される。波瑠がエネルギー変換を幾重にも重ねて回り込ませた氷の剣や刀を溶かし尽くし、その焔の余剰が動物たちを焼いた。
「――まあ構わん。俺様は王者たる、故に民衆の物はいずれ手に入れる機会があるだろう。ところで」
今度は紫電が飛んだ。縦横無尽を駆ける稲光を前に、長門憂は右足を前に踏み出した。
雷撃が直撃する。肉が焼ける独特の悪臭がしたと思った頃には、まるで縮地でも使ったかのように一瞬で長門憂が波瑠の目の前に立っていた。
しかも、肉体のどこにも傷がない十全の姿で。
「天皇波瑠。貴様も【使徒】の端くれならばもう少し俺様の心を躍らせられんのか? 俺様は強者たる、故に道楽に付き合う暇はない」
右腕が一振り。脇腹を抉る一撃が波瑠を吹っ飛ばし、ほんの数メートル先の街路樹に激突した。体が背中側からくの字に折れ曲がり、上半身と下半身が引き裂かれんばかりの激痛が少女の意識を混迷させる。
もはや悲鳴さえ上がらず、地面に崩れ落ちる波瑠。
長門憂の見下ろす先には、一人震える行橋このえがいた。
「何が貴様と天皇波瑠を繋げたかは知らん。しかし許し難き行為であったぞ、行橋このえ。俺様という王にすでに仕えていながら、天皇波瑠に気を許すとはな」
「………………だ、だって波瑠お姉さんは、わたしの味方だったから……!」
「それが敵の策略だと知れ、愚か者。たかが戯れ言に引っかかるとは、失望したぞ」
このえが逃げようとするけれど、彼女の後ろはビルの壁。まるで捕食される前の動物のように怯える彼女に長門が手を伸ばし――その腕を、超高圧の水流が断ち切った。
「むっ?」
クルクルと空中を舞う右腕を他人事のように眺める長門。
水流を放ったのは波瑠だ。途切れかけの意識を爪を剥がして強引に繋ぎ止め、上半身だけ持ち上げて放った水圧のブレード。飛び散る血の中でこのえがダッと駆け出し、そんな彼女のフードを長門憂の右腕が掴みとった。
「なるほど、未来視といっても常にすべての未来が視えるわけではなく、俺様側から意識を働き掛けないといけないわけか」
「…………うそ……」
切り口から、右腕が一瞬で再生した。波瑠はその能力に覚えがある。つい十二時間前に戦闘したばかりの『原典』――朝比奈驚の《肉体再生》とそっくりだ。
長門は掴んだこのえのフードを乱暴に振り回し、少女をビル壁に叩き付けた。ぐしゃ、と聞くに堪えない音が響く。今度こそ少女が全身の力を失い、四肢が無防備に晒される。
「殺すならば念入りに殺すべきであったか。俺様は温情たる、故に一度『配下にする』と決めた天皇波瑠には加減をしていたようであるな。もっとも貴様は元より生け捕りが依頼であったが」
白い大男の拳がこのえの頭を鷲掴みにし、わずか片腕で持ち上げる。
「天堂佑真は使い物にならず、天皇波瑠も期待外れ。俺様を退屈させる『暗殺任務』であったがまあ良い、俺様の本命はこちらであるからな」
「…………ぁ、ぐっ……」
ギリギリとこのえの頭を掴む握力が増強する。苦しみ悶えるこのえを前に、波瑠は無茶を承知で超能力を発動した。超高圧の水流ブレード。しかし今度は腕ではなく下肢や胴体を狙い、このえの逃げる時間を少しでも稼ぐ。
指向性をもって放った水の斬撃。
轟音を鳴らす一撃は、血しぶきを噴かせた。
長門憂が放り投げた、このえの左腕を引き裂いて。
「……このえちゃん!?」
「しかし未来視もなかなか有用ではないか。本来回避し得ぬ攻撃を予測できるのは、王者たる俺様にこそ相応しい」
このえの甲高い悲鳴が響き渡る。波瑠が突風を撒き散らして長門憂の真正面に回った。右手には炎、左手には氷。彼女自身の最大火力を以て、長門憂を殺さんばかりの切り札で彼を彼方へ吹き飛ばす。
「《霧幻焔華》あああああああああああっっっ!」
「その一撃を待っていたぞ、天皇波瑠」
氷と焔が混ざりあう芸術的な必殺技に対し、長門憂は右腕だけを突き出した。
何の力も帯びていない右手が《霧幻焔華》に触れた、次の瞬間。
ばちん、と。
巨大な氷塊と炎熱が、右腕に吸収されるかのように消え去った。
唖然とする波瑠の視界を、ゆったりと動く長門憂。
まるでスローモーションのように鮮明な動きで波瑠を殴り飛ばした男が、改めて行橋このえの頭部を握りしめた。
「《霧幻焔華》を略奪できた以上、貴様を生かす理由も途絶えたな、行橋このえ」
このえの意識はとうに無い。斬れた足の切り口からポタポタと流れる鮮血が、動物たちの血だまりと混ざり合う。
「心を読む能力だったかな。貴様の《絶対親和》、我が物とさせてもらおうか」
長門憂が口角を上げ、このえの頭蓋を握りつぶした。
肉片と砕けた骨が飛び散る中で、頭部を失った少女の身体が地面に転がった。
血を右腕に滴らせる長門憂は、波瑠を一瞥した。続けて龍神を確認して、そして最後に『彼』を見た。誰もが誰も目を見開く光景に、彼は笑った。
「はっ、ハッハッハッハッハ! よい表情をするではないか。民の悲劇を王が自らの手で演出するのもなかなか粋な計らいかもしれん」
首なしの子供の体をサッカーボールのように蹴り飛ばした長門は、血濡れた右手を拭いながら告げた。
「《能力捕食》。俺様の『原典』はそう呼ばれている」
波瑠が悲鳴とも雄叫びともとれる叫び声を上げながら、無茶苦茶に攻撃を放つ。
「端的に言えば『他者の能力を奪う能力』。この右腕で触れた能力を奪いストックとするのが基本的な扱い方であるが、もう一つの使い方がある」
地を這う火炎龍。空中を翔ける紫電の槍。逃げ場を奪う氷刀の一斉砲撃。
波瑠の猛攻を嘲笑うかのように、長門憂の右腕は《霧幻焔華》を放出した。
大爆発の衝撃が、あたりの血を一斉に吹き飛ばす。
「相手の脳の『能力演算領域』を直接触れることにより、その演算パターンを奪い我が物とできるのだ。この方法だと必ず脳に直接触れねばならんからな、犠牲者を出さねばならんのが悔やまれるところよ」
「…………あなたは」
今も尚、立ち上がれないのに必死に叫ぶ波瑠は。
「あなたはっ! そんな方法で今まで、何人の人を殺してきた!?」
「さあ。数え切れん」
「ざけんなっっっっっっ!!!」
彼女の攻撃が勢いを増す。並大抵の能力者であれば即死しているだろう猛撃を前にしても、長門憂が動じることはなかった。何を放っても最適解で対処される。波瑠が憤怒のままにやみくもな攻撃をしているからこそ、理性を存分に残した長門には届かない。
「今の俺は貴様の行動の『未来』が視える。貴様の『心』も読める。連中はこんなにも優位な状態で戦っていたのだな。寛容たる、故に王座につく俺様でも許しがたい贅沢だ」
「っっっっっっ!!!」
「だが悪あがきはよせ、天皇波瑠。どうせ貴様には届かん」
長門は右手を下ろした。波瑠の猛攻が彼の肉体を蹂躙する。どう考えても生きていられない必殺の豪雨だからこそ、長門憂は自ら喰らいに行ったのだ。
炎が体を焦がす。雷撃が神経を貫く。氷が鮮血を撒き散らす。その一撃一撃がヒットするたびに長門の肉体は超回復し、より一層の強さをもって再生する。
やがて攻撃が止むと、波瑠の瞳からは戦意が消えていた。
「……朝比奈驚の、《肉体再生》」
「似ているのではなく本物だ。貴様の予感した通り、あの男から奪わせてもらった。不死性は神聖たる俺様にあるべき資質だからな。俺様を殺せん貴様では、足止めなど不可能だ」
「…………」
目の前にいるのは怪物だ。人の皮を被った化け物で、今しがた行橋このえを殺害した。
死ぬ必要のない命を奪うような奴を、生かしておく道理はない。
それでも人を殺せないのが、波瑠の背負った業。
彼女の歯向かう意思が消えたと認識した長門憂は、『彼』の前に立った。
半日前に長門の前にいた天堂佑真の面影は、寸分たりとも存在しない。
もぬけの殻とは、このことを言うのだろう。
空蝉のように何も残っていない。心さえ失っている。
機械的に見上げてきた『彼』の蒼髪ごと頭蓋を掴んで、グイと持ち上げる。
「外見のみならず内面まで変貌してしまったようだな、天堂佑真。貴様の最愛の天皇波瑠が瀕死であるにも拘わらず、俺様に一矢報いんともせぬのか!」
「ぁ、……」
「……俺様の目も衰えたな。よもやこの程度で潰れるような男など、生かす価値もない」
ミシ、と歪な音がした。
「悦べ天堂佑真。王が直に手を下す光栄を以て、冥界へ往け」
「何してやがんだクソッタレ。テメェはこんな雑魚に負けるタマじゃねェだろうが」
直後。
漆黒の波動が上空から叩き付けられた。
降り注ぐ莫大な量の波動は長門憂から『彼』を引きはがし、波瑠や龍神、まだ生きている動物たちを衝撃波だけで席巻する。漆黒の波動の渦の中に、ゆっくり下降する男がいた。
集結。
超能力者の頂点に立つ男が、長門憂と『彼』の間に割って入った。
【53 新宿区~(オフィス街)】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前5時36分
「むっ、なんだこれは。高貴たる、故に独裁たる俺様の妨害をするとは何者だ!?」
漆黒の波動の壁の奥で、長門憂の疑念の声がする。
集結は着地に利用した波動を竜巻上に保ったまま長門へ叩き付け、彼を波動の渦の中に閉じ込めたのだ。
触れれば集結に波動を徴税される檻。
その外側にいる天堂佑真だったものに、集結は手を触れた。
「……あぐ、りげいと……何しに、きた……っ!?」
「天皇波瑠か。テメェもテメェでボロボロだな」
「……ゆうま、くんから……手を離せ……」
困惑と焦燥に駆られて、波瑠が必死に立ち上がろうとしていた。集結はそんな波瑠を一瞥すると、波動を使って頭部のかけた少女の体を波瑠の側へと運んだ。
「悪ィな。間に合わなかった」
「…………え?」
「だがまだテメェの《神上》なら救えんだろ? 生き返らせてやれ。俺の連れがそォ願ってやがる。――ところで、コイツは天堂佑真で間違いねェんだな?」
思考が追い付かない。あの集結が波瑠に謝っているなんて、死を目の前にして夢でも見ているのかと錯覚してしまう。
「いいから答えろ時間が惜しい。これが零能力者で間違いねェな?」
「う、うん。佑真くんだけど……」
「そォかよ」
波瑠の首肯を確認して、集結は完全に『彼』に向きなおした。
灼眼がかつての宿敵をひとしきり観察する。集結にも反応しない抜け殻のような男の右目を見た集結は、なるほどな、と一人納得して右手を自分の腹部に添えた。
「だから九十九じゃなくて俺をわざわざ派遣したのか、クソッタレ」
純白の波動が放出される。
波瑠の《神上の光》によく似た、暖かな陽だまりのような波動が。
「……集結、あなたもしかして……」
「そォいや、テメェに《神上》を見せんのは初めてだったかもな」集結は背を向けたまま告げた。「俺も《神上》所有者だ。生命の形象を司る《神上の敗》。この世にある物体の形象を『本来あるべき理想の姿』に修正する奇跡だ」
純白の波動、叉の名を『天使の力』が集結の右腕を伝い、『彼』の全身を包み込んでいく。
このえの死体に性質の違う『天使の力』を与える波瑠は、眉をひそめた。
「集結の《神上の敗》で、本来あるべき佑真くんの姿に戻すってこと?」
「そんな所だ」
「でも、なんであなたが、佑真くんを助けるような真似を」
「恩がある」
集結は簡潔に言った。
「コイツには返さなきゃいけねェ恩がある。それを返しに来ただけだ、クソッタレ」
【54 新宿区~(オフィス街)】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前5時37分
《神上の敗》の奇跡が、天堂佑真に訴えかける。
お前の本来あるべき姿とは何か。
天堂佑真とは『何者』なのか。
その問いの答えを、自ら見つけてこい。




