●第百三十八話 人間たちの不明瞭に存在する悪意
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突然だが、五十嵐龍神の『原典』とされている《絶対威光》は本来《超能力》とカテゴライズされるべきものではない。
『原典』――先天的能力者は、誰しもが『超能力演算領域』を常に活性化させているという特徴を伴って発見される。この領域は平常時、一般人では稼働していないブラックボックスだ。この領域をSETで活性化させることで《超能力》は発現する。
故に『原典』が誕生するには、超能力使用経験のある両親、という条件が必要となる。
しかし、五十嵐龍神の両親はごくごく普通な一般人。第三次世界大戦を日本の隅っこで頑張って生存し、龍神という子供を授かっただけの、特に書き連ねる特徴もない両親だった。
そこに、五十嵐龍神が生まれるまでは。
彼が初めて言葉を発したのは生後一週間のこと。立ち上がるまでにかかったのは一か月。三か月目には医者や看護師に意思を伝える能力を持ち、六か月目には三時間で新書を読み切っていた。
龍神は普通じゃなかった。
通常の人間とはかけ離れた――まさに『神の子』とでも呼ぶべき異常な成長を遂げていく。
両親は気味悪がりながらも、初めて授かった子供を大切に育てた。戦争を乗り越えた後だからこそ、彼らは『命を粗末になんかできない』とごく普通に考えたのだ。
龍神は子供ながらにそんな両親の想いを知っていたし、その上で愛してくれる両親に尊敬の念を抱いていた。将来世の中を動かす程の大物になって、楽をしてもらおうと誓うくらいに。
しかし龍神が他の子たちでいう学齢期に達すると、日常の崩壊が幕を開けた。
彼の異常さが浮き彫りとなり、ついに社会に知れ渡ったのだ。
小学一年生にして、知能はすでに日本随一の大学生に匹敵するレベル。50メートル走五秒台の超人的な身体能力。百桁の数字を、一斉に二つ暗記させられても完全回答を成し遂げた記憶力。
すべてが突出していた。
そんな龍神を、当時超能力研究に躍起になっていた社会が放っておくわけもなく。
多くの研究者が彼の元を訪れては、彼のことを研究しようとした。彼の出生のワケを。彼の才能の理由を解明できれば、世の中の大変革を起こせるからだ。
けれど――不思議な話だが、人間というものは『すごすぎるもの』に対して、ある一定のラインを超えると嫌悪感を抱くようになる。
自らの理解の範疇を超えてしまったものを『異物』と判断し、本能的に拒絶するのだ。
龍神はそんな一般人達の勝手な感情に振り回され、身体の全を研究され、本来小学校に通うべき三年間を犠牲にしたあげくの果てに、誰にも見向きされなくなった。
「お前たちが勝手に興味を抱いた癖に、何の成果も得られなければこの始末か」
五十嵐龍神という少年が冷め始めたのはこの時期だ。人間は必ず何かしらの『打算』を持って生きている。自己の益を優先し、他者の迷惑を顧みない愚かな知的生命体。
やたら知性はあったけれど、人間性を育む少年期を奪われた少年は。
「もしかして――両親も、俺の才能を自分のものとするために今まで育ててきたのでは?」
なんて疑念を抱いた。
自分の研究の謝礼はすべて両親に渡していた。自分は株で所持金が大量にあったし、今まで育ててくれた両親への恩返しのつもりで全額をプレゼントしていたけれど。
そんな疑問を、龍神は両親に直接問いかけた。
両親は狼狽したし、そんなことないと泣いてくれた。あなたへの愛は本物だと。親が子に愛情を注ぐのは当然のことだと、抱きしめながら何度も何度も主張してくれた。
その涙は本物だと思った。両親を疑うのはやめたかったが、一度募った疑念をどうしても晴らせなかった龍神は家出を決意する。
自分の残したお金があれば、両親は働かなくても生きていける。もう自分があの家にいる意味はないのだから、後悔はない。
家を出た龍神は、真っ先に東京を目指した。自分の身元が早々に反映されない大都会へ行けば、何かが変わるかもしれない。そんな期待も少しだけ残して。
けれど何も変わらなかったのは、言うまでもないだろう。
大財閥の会長に養子として迎えられて、才能を御せずに捨てられて。
熱心な研究員に施設に誘拐されて、才能を調べきれずに放置されて。
善人の面を被った老夫婦の家に泊まり、巨額で売り渡されて。
様々な個所を転々として、様々な大人の欲望と接した。
無数の施設を転々として、無数の大人の悪意を眺めた。
実に愚かだ。愚かで愚かで愚かで愚かで愚かで愚かで愚かな生物だ――人間というものは。
大都会でたくさんの人間と接し、人間に絶望した龍神が最後に流れ着いたのは『月島園』。
小さな児童養護施設で、彼は行橋このえと出会った。
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『月島園』はあまり大きくない施設だった。子供は五十人くらい。年齢はゼロ歳から十八歳まで、男女もバラバラな子供たちが、五十代の夫婦に面倒を見られながら育っていた。
一つの家族のような集団に、龍神は馴染めなかった。どうしても裏を勘ぐってしまう。どこかに悪意が潜んでいるに違いない。家族ごっこをする影があるに決まっている――。
自ら孤独を選び、隅っこで食事と睡眠だけを繰り返しながらも龍神が生活を受け入れていたのは、ひとえに『とりあえず生きていられるから』だ。
施設にきな臭さは感じるものの、別段大きな悪意は見当たらない。
そんな生活に甘んじていてしばらく経った頃、施設の端の花壇で読書でもしようとした龍神は――少女と出会った。
パーカーを深くかぶっていて、小さく体育座りをしている彼女は向日葵の中に隠れていた。傍らには犬が気持ちよさそうに眠っていて、頭には小鳥が乗っていた。
まるで自然と一体化しているような、とてもナチュラルな女の子。
龍神が何気なくそばに寄ると、少女は蒼い双眸で龍神の顔を見つめた。
「……あなた、とてもさびしそう」
少女は突然そんなことを呟くと、すくっと立ち上がった。その拍子に小鳥が青空へ飛んでいき、少女のパーカーがはだけて栗色の髪が現れる。
龍神が何か言い返すよりも早く、女の子は龍神の頬を撫でた。
「心が泣いてるよ。わたし、こんなにさびしそうな人に会ったのはじめて」
女の子はそう呟くと、龍神をキュッと抱き寄せた。困惑する龍神をよそに、犬でもあやすかのように龍神の頭を撫でおろす。
「……な、なんだよお前」
「わたしは行橋このえ――っていうことを、聞いてるんじゃないよね。あなたは頭がよさそうだから説明したほうが早いかな。うん、きっと早いよね」
龍神にとって、第一にワケがわからないという感覚自体が新鮮なものだった。勝手に話を進める彼女の『さびしそう』という第一声が頭から離れない。
「わたしはね、動物の心の声が聞こえるの」
「どうぶつ、の……?」
「そう。だからわたしは、あなたの心の声も聞こえるんだよ。すごくつめたくて、とてもしずかで、そしてさびしさに満ちている」
「それが、それがどうして俺を抱きしめる行為に繋がるんだ?」
「あなたのさびしさを、なんとかしてあげたくって」
「…………だから、体が勝手に動いていたとでも言うのか?」
龍神が呆気に取られながら問いかけると、女の子はどこか恥ずかしそうに頷きかえして、龍神を抱擁から解放した。
ワケがわからない。なんなんだ、この少女は。第一、動物の心の声が聞こえるってどういうことだ――――。
募る疑問を解決する手段を、龍神の知能は持っていなかった。だから彼は人生で初めて出会った『異物』を解析するように、翌日から暇あらば行橋このえに会いに行った。
そして彼女と接する間に、彼女の多くを知った。
彼女は動物の心の声が聞こえる《絶対親和》とかいう『原典』であること。
そのせいで家族や周囲の者達から化け物扱いを受け、早々に捨てられたこと。
化け物として生きる彼女にとって、現代が苦痛に満ちていたこと。
たくさんの動物たちの叫びを、戦争で自然から追いやられて必死に子孫を残す野生動物たちの悲しみを、動物園で保護と言う名の拘束をされる動物たちの苦しみを、クローンとして生み出された食料用の家畜たちの絶望を、すべて聞き続けて生きていたこと。
人間が胸の奥に秘めた悪意の全を聞き続けて、生きてきたこと。
少女が早々に、人間という生物に絶望したこと。
なぜ龍神にだけは心を開いてくれたのか、理解できなかったけれど。
このえと親しくなればなるほどに、龍神は自分を恥じた。
自分を悲劇の主人公だと思い込んでいたつけ上がりを。
自分よりも過酷な人生を歩んだ女の子がいたことを。
その癖に、こんな男のさびしさを埋めようとしてくれた女の子を。
様々なことを知った龍神は、単純にこのえを好きになった。
確かに龍神は胸の奥にさびしさを秘めていた。両親の愛を知っていたからどうしようもない大人に絶望したし、人間を見限って愚かな社会を眺めていた。
そんな人生に小さな熱を与えてくれた少女を――――笑顔にしてやりたい。
人間に呆れていても構わない。自分だって人間はとっくのとうに見限っている。
それでも――行橋このえが笑っていられる世界を、どうにかして創り出せないのか。
頭を必死に働かせた。生ぬるい日常の中で、このえを笑顔にする方法をたくさん考えた。だけど彼女が笑顔になるのは動物たちと接している時だけで、人間の前にいる時の彼女は不自然な笑顔しか見せようとしない。
龍神の前でも。
なんとかしたかった。
どうにかしたかった。
だけど、世界を一度見限った龍神に、世界を変えるなんてできるわけなくて。
『月島園』のきな臭い部分は唐突に露見して、龍神の小さな幸福までもを奪い去っていく。
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金城仏という老人が、行橋このえをどこかへ連れて行ってしまった。
龍神が寝ている間に『月島園』から姿を消した少女の行方を、施設を経営する夫婦は教えてくれなかった。
あまりの違和感に龍神は、自分の力でこのえの行方を調べた。
全能である彼の手腕でも、このえの行方を知るまでに三日間。
調べ尽した龍神は、単独でこのえが連れていかれた先へと向かった。
金城家の総本山、京都へと。
施設に乗り込んだ龍神は、幸いにも金城仏本人と出会うことができた。
そして本人の口から全てを聞いた。
このえは、とある計画で必要な『十二人』のうち一人として金城仏に選ばれた。
計画が動いている間、仏は彼女が望むすべてを与える。その代わりに仏からの『依頼』を実行する必要があるが――と。
このえに課せられていた依頼の内容は『暗殺』。
金城仏が指定したターゲットを、どんな方法を使ってもいいから殺せ。
「…………おい、このえはそんな事をしているのか!?」
していますよ、と金城仏は答えた。
直後にこのえが今まで殺した要人のリストを手渡されて、龍神は心臓が握りつぶされる思いがした。
ただでさえ人間を忌み嫌う彼女が、こんなことを続けたら。
もうこのえは、二度と純粋に笑うことができなくなってしまう。
「………………なあ爺さん。その『十二人』ってまだ枠、空いてねェのか?」
だから龍神は己を売った。
金城仏の計画に必要な条件は『原典』だったが、幸い龍神は書類上だけ『原典』だ。その上全知全能に近い彼の『才能』は金城仏の希望に沿っていたらしく、龍神は早々に『十二人』の一席を獲得し、このえと再会できた。
彼女は巨大な建物の1フロアを占領していた。
初めてそこに足を踏み入れた龍神は、動物園のようだという印象を受けた。猿、孔雀、鶏や兎、象や獅子や鮫。種類を挙げればキリない数の動物が一堂に会し、それぞれに最適化された環境の『個室』で生活をしている。
人間ではなく動物が『友達』であるこのえにとっても、おそらく最適な環境。
ここに足を踏み入れたのは迷惑かと考えたが、彼女は「りゅーじんならダイカンゲイだよ」と快く受け入れてくれた。動物たちも、このえの友人と認識してくれたのだろう、邪険に扱われることはない。
あるいは――先天的か後天的かの差こそあれ――同じ怪物である龍神だから、受け入れられたのか。
「この子たちはね、『強化兵創造計画』っていう計画でムリヤリ超能力者にされちゃったの」
人間にできることなら、動物にもできるのではないか。
ここにいる動物は全員が全員、そんな発想から脳と肉体を改造された『後天的能力者』だった。自然界へ戻すに戻せず、戦場でも受け入れられず、動物園に放すわけにもいかず。行き場のないところを、金城仏がほんの興味で『保存』していた連中だという。
「本当はもーすぐサッショブンされる予定だったんだけど、この子たちが『死にたくない』ってわたしに声をかけてきた」
偶然彼らと出会ったこのえは、彼らの人類への怨讐と、生存への渇望を知った。
動物愛に溢れる彼女に、その呼び声を無視できるはずもなく。
「わたしはこの子たちと友達になるのをジョウケンにして、金城様のところに来たんだ」
このえに対する依頼は、要人の暗殺稼業。
金城仏が受けるお願いは、動物たちの保護にかかる設備と費用の提供。
ウィンウィンなように見えて――龍神は、すべて金城仏の思うつぼになっていると察した。
彼女と『動物たち』を引き合わせたのは金城仏だ。絶対に偶然ではない。このえを手駒にするための弱みを、金城仏が自ら創り上げたのだ。
きっと人間の心が読めるこのえなら、気づいていただろう。その上で彼女は要望に乗った。今更動物たちを見殺しにできるなら、最初から彼女は人間に絶望しない。
動物たちの居場所を――ともすれば自分の居場所を守る為に、日夜暗殺に臨むこのえ。
龍神もその片棒を担っていたが、とても居心地の良い場所ではなかった。
「ねぇりゅーじん。つぎの人は、どんな方法でコロそっか?」
暗殺に挑む時の行橋このえは、狂っていたからだ。
彼女は終始笑顔を絶やさなくなった。常に動物に囲まれていたし、龍神にも笑顔を向けてくれるようになっていた。
だけど人を殺す時が一番生き生きとしていたから、ああそうか、と龍神は気づいた。
結局、このえの根底も『人間』なのだ。
悪意ある面を引き出せば、こんなにも簡単に――――。
認めたくなかった。認められなかった。認めていいはずがなかった。
一縷の希望にすがる自分が人間じみていて滑稽だった。
そうして、しばらく。
初めて『十二人』全員同時に、一つのターゲットを指定された。
暗殺対象は天堂佑真。
集結を利用した計画をも止めた『正義の味方』に対するオーダーは、何故か今までと全く違う形式だった。
「必ず天堂佑真を殺害しなさい。もし『十二人』全員が敗れるようなことがあれば、その時は――あなた達の命はないと思いなさい」
このえは『金城仏は真実を言っている』と龍神に教えてくれた。
何が金城仏をそんなに必死にさせているのか。天堂佑真に興味がわいた龍神は、仏から配布された事前情報以上に、個人で彼について調べ尽くした。
そして知ったのは、彼が天皇波瑠のために全世界を相手取っている事実。
『零能力者』でありながら、世界級能力者や日本最強の怪物と対峙してきた経歴だった。
たった一人の少女を守る為に。
恐ろしいともとれるその生き様が、なぜか龍神の心に引っかかった。
きっと、龍神が選べなかった生き様だったから。
行橋このえを幸せにするために何もできなかった龍神には、うざったい程眩しくて――
――――自分と重なるからこそ、彼の夢は己の手で終わらせる。
このえの居場所を、失敗なんて形で奪わせるわけにはいかない。




