●第百三十六話 五十嵐龍神の暇を与えぬ強襲
【43 新宿区~(オフィス街)上空】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前5時00分
眼意足繕火、枝折戸仄火、八多岐那須火は唖然としていた。
上空から業火を叩き込まれたと思った次の瞬間、気づいたら『黄角戦車』ごと夜空に放り出されていたからだ。
「うわっ、わわわわわ!?」
「落ち着け仄火ちゃん――小野寺誠の小細工だよ」
『彼』を名残惜しそうに見下ろす眼意足は、現状に驚きつつも冷静に誠を見据えていた。
鳳凰の背に乗る彼の周囲には、光輝く護符が円環を描いている。それは明らかに超能力以外の何かだった。
「……いいや、水野誠の小細工というべきか? 我が義弟よ」
「そんなのどっちでもいいだろう、義姉さん」
「いいや、よくない。刀を執る『小野寺』と陰陽術を使う『水野』は互いに影響を及ぼしながらも、本家と分家という下らない拘りを続けてきた。俺達も気にすべきことじゃねーか」
「『小野寺』を捨てた者が語るなよ」
「『水野』を出たテメーが言うかよ」
血のつながらない、家族というつながりが残っているかもわからない姉弟は空中で睨みあうが、眼意足の方がすぐにしびれを切らした。
「……あーまあ、んなこたどーでもいーんだよ。仄火ちゃん那須火ちゃん、とりまここ生き延びよーぜ。小野寺誠は天堂佑真や天皇波瑠とは違う。水野の嬢ちゃんを守る為に人を殺したことのある男だ。油断してっと首切られるぞ」
へら、と口元を歪める眼意足。
戦闘態勢に入る枝折戸と八多岐を横目に、誠は一本の刀を構えた。
【44 新宿区~(オフィス街)】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前5時01分
右肩を押さえる『彼』と背後で涙を拭う波瑠の前――鳳凰の業火によって焼け焦げた路上には、新たに二つの人影が登場していた。
「ケケケ、ったく眼意足繕火の奴、相変わらず大暴れしやがるぜ。街の修理代誰が払うってんだよ」
「だいじょーぶだよぉ。金城仏様が言ってたじゃない、『しりぬぐいはこちらがやるので、あなたたちは天堂佑真をコロすことだけにセンネンしなさい』って」
ただし、到底敵とは思えない見た目をした二人が。
片方は銀色の髪をした十歳くらいの少年だった。目つきも口調も悪いが背が低く、学制服調の衣装はサイズこそぴったりだがコスプレに近い印象を受ける。
もう一人は、深くパーカーを被った少年と同い年くらいの少女。声も子供特有の丸さがあって、邪気を感じられない笑顔に悪意は読み取れない。
物騒な会話がなければ、彼らを暗殺者だと見抜く自信がなかった。
「……で、だ」
少年の方がスッと声のトーンを落とした。
「そこにいんの、マジで天堂佑真なのか? 話に聞いた外見と全然違ェじゃねーか」
「ん、たぶん天堂佑真だよ。そっちのお姉さんは天皇波瑠だし、今あの人、りゅーじんの言葉にドキッとしてたもん。変装でもしてるんじゃない?」
眉をひそめる少年に、パーカーの少女がコロコロ微笑みながら答えた。
少年は「ふうん」と相槌を打ち、制服のポケットに手を突っ込むと、
「まーよくわかんねェけど、いいや。天皇波瑠、そして天堂佑真。今すぐSETを停止し、すべての武装を置いて投降せよ」
返事はない。少年は続けた。
「……そりゃそうだよな。ここまで命懸けで戦い続け、八人もの『原典』から生き延びた。今更『追い詰められたから投降しまーす』なんて選択肢は選べねェよな」
「何が言いたい」
口を開いたのは波瑠ではなく『彼』。少年はニタリと瞳を歪めると、ポケットから手を出した。
その拍子に、何かが路上にばら撒かれた。
小さなパチンコ玉のようなものが、大量に――。
「だから俺達はテメェらの事情を鑑みずに、とりあえず任務を遂行する。天堂佑真を殺し天皇波瑠を確保する――長門憂が到着するまでの、制限時間三十分でなァ!」
少年は叫ぶと同時に左手に隠し持っていた箱のスイッチを押した。
箱の正体は無線起爆用のリモコン。一斉送信した信号を、ばら撒かれたパチンコ玉が内蔵する信管が受け取った瞬間。
視界が真っ白に染まった。
鼓膜を貫く超轟音と身体を吹っ飛ばす熱風の衝撃波が、直後に襲う。咄嗟にエネルギー変換を起こそうとした波瑠の前に『彼』が躍り出た。
「やめて!」
波瑠の静止を無視した『彼』は、左腕から〝純白の雷撃〟を撃ち出した。
〝雷撃〟が爆風を抑え込むが、波瑠はその背中を凝視する。普段の佑真だったら、素直に波瑠を頼ってくれた場面のはずだ。《霧幻焔華》で爆風を防ぐ間、佑真は一応波瑠を庇いながらも、次に来る追撃に備えただろう。
(――――っ、まずい!)
そう、普段なら追撃に警戒する佑真がいたから、《霧幻焔華》である程度無防備になっている波瑠に敵が接近する事態は起こらなかった。
突風をむしろ追い風とするように、少年少女は何の躊躇いもなく飛び込んできたのだ。割れた地面の破片と混ざり、彼らの拳が迫る。咄嗟に氷で防壁を張った波瑠は『彼』の腕を引いて後方へ思い切り跳躍しようとしたが、
「……っ!?」
『彼』が動いてくれなかった。〝純白の雷撃〟を使った自分に疑問でも覚えたのか、左手を凝視して突っ立ったままの『彼』の懐に、氷壁を迂回した少年が潜り込んだ。
「隙だらけだぞ」
メリメリ、と鳴ってはならない音が響く。
小さな体から繰り出された鉄拳が『彼』を十メートル単位で殴り飛ばした。少年は波瑠を一瞥するも『彼』の追撃に駆け出し、代わりに波瑠の背後にも殺気が出現する。
「このっ!」
爆風の余韻をエネルギー変換の源として、一切の躊躇なく上昇気流を発生させた。
ゴバッ! と噴き出した気流によって上空へ舞い上げられる影の正体は、一羽の鴉。ただし神話に登場する八咫烏のように、三足を生やした鴉だった。
波瑠は続けてエネルギー変換を起こして、空中に跳び出しながら粉塵や爆風の余波を収めていく。
粉塵が晴れ、見えてきたのは路上に立つパーカーの少女と――たくさんの動物たち。
「いつの間に、こんなに……」
呟きながら波瑠は周囲を見渡した。どうやら近くのビルの屋上に隠れる動物たちもいて、そして鳥は空を飛んで上から波瑠を囲んでいるらしい。
オオカミの背中に飛び乗った少女は、波瑠を認めるとにっこりと微笑んだ。
「りゅーじんのバクダンはね、ヨウドウなの。お姉さんと天堂佑真を分断して、一対一においこむ作戦だったんだー」
「……あなたも、私を殺しに来たの?」
「んーん、お姉さんは生けどりだよぉ。コロすのはね、天堂佑真だけなんだ」
まだ年端もいかぬ少女が――妹とそう歳の変わらない少女が、笑顔でそんなことを語っている。波瑠の喉元を、言い知れぬキモチワルサが這いあがっていた。
自分は、果たしてこの娘を攻撃できるのか?
「わたしの名前は行橋このえ。よろしくね、波瑠お姉さん」
波瑠にとって最も苦手な相手が、襲い掛かる。
【44 新宿区~(オフィス街)】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前5時02分
少年によって吹っ飛ばされた『彼』は受け身をとろうともせず、地面に肩を強打した後に数回転してようやく動きを止めた。
しかし起き上がる前に、最接近した少年の脚が振り上げられる。
「どォした天堂佑真! 反応速度がテメェの売りじゃねえのか!?」
胸部を貫く右足のシュート。肺が押し潰されるような錯覚を得る頃には空中に投げ出されていて、そんな『彼』に向かって少年が何かを蹴り上げた。
辺りに転がっていたパチンコ玉だ。先ほどの爆発で爆破しなかった物の一部が衝撃波でここまで飛んでいたのだが、
「ソイツは不発弾じゃねえよ。受信する信号が違うだけだ」
少年はリモコンのスイッチを再び押した。
『彼』の周囲でいくつもの爆発が連鎖する。乱暴にあらゆる方向から殴りつける爆風に吹っ飛ばされ、ふたたび地面に不時着した。ゴリゴリと奇妙な音が体の内側から発生する。
「……が、は……っ!」
筋肉の不具合という原因で震え始める肉体に鞭をうち、『彼』はよれよれと立ち上がった。銃弾を喰らった右肩からの出血は止まらないし、それ以外にも体中のあちこちで鈍痛がする。
「…………テメェは、オレを殺しにきたのか?」
「一応口は利けるみてェだな。結構結構」少年はニィと口角を上げ、「そうよ。俺はテメェを殺しに来た十二騎の暗殺兵の一人。ってもま、もはや『暗殺』とは呼べねェ大事になってきやがったがな」
「……どう見てもお前は子供じゃないか。戯れ言はよせ」
「笑わせるぜ天堂佑真、人を歳で判断すんじゃねェ! テメェらだって十五やそこら、俺達と五歳も変わらない『未成年』だろうがよ!」
どうやら『天堂佑真』というのは自分の事を指しているらしい――『彼』は激昂する少年を見ながら、そんなズレたことを思う。
「第一、そんな子供にボコボコにされているテメェに何か言う権利があるとでも?」
「……ああ、面子はないが言わせてもらうぞ。今すぐこんなことはやめろ。子供であるお前が『暗殺』なんてモンで手を汚すのは間違ってい」
『彼』は台詞を言い終えられなかった。
ひゅん、と少年が身長差を活かして懐に潜り込んでいた。ふたたび右手が振るわれる。『彼』は咄嗟に後方に跳躍して少しでも威力を減らそうとしたが、あまり意味をなさない衝撃が内臓を叩きつける。
「ぶ、ごはっ!」
「テメェにとやかく言われる筋合いはねェよ、クソ野郎」
かろうじて両脚を滑らせるように着地した『彼』だが、顔を上げた時には回転蹴りを繰り出そうとしている少年が目の前にいた。
顔面を思い切り蹴られた。首がはち切れんばかりの激痛を覚える頃には地面に上半身を打ち付けていて、その上でマウントを少年に奪われる。
「俺達にどんな事情があろうが、今は関係ねェだろうが! 俺がテメェを殺そうと攻撃し、テメェが殺されまいと抵抗する! ここにあるべき意味はそれだけだ!」
少年の小さな両手がギリ、と『彼』の首を絞めつける。その手に籠った力は到底子供のものとは思えない、万力で潰されているような感覚だ。
『彼』は少年を引きはがそうとしながら、
「…………お前、それ本気で言っているのか……!?」
「あァ本気だよ。本心であり本音だよ。俺だけを特別扱いするなよクソッタレ、言っておくが俺は朝比奈や結城より強いぞ」
『彼』は実質的に左手しか力が篭らないため、少年の馬鹿力を引きはがせない。首の骨がへし折られるのが先か、肺の空気がなくなるのが先か。圧倒的優位を得た少年がより一層の力を増して首を絞める。
「手加減している暇なんざ与えねェ。別にテメェに戦う意思がないなら、テメェが死ぬだけだがな」
「……なめんなよ、クソガキ!」
『彼』は咆哮し、『彼』の身体のそこら中から〝純白の雷撃〟が発生した。銀髪の少年は慌てて跳躍して距離を置くも、それに攻撃力が備わっていないとすぐに感づき舌を打った。
「チッ、今のがお得意の《零能力》か!」
〝純白の雷撃〟は『彼』の風穴開いた右肩を筆頭に、身体の至る所に見られる外傷に集まって傷を癒していく。――『癒す』というより『急速に再生させている』のだ。
一ヶ所が治る代わりに、一ヶ所に反動の亀裂がきしむ。脳にガラスの破片でも突っ込まれたような違和感を覚えながら、『彼』は動作機能を取り戻した肉体で立ち上がった。
(……動けるといっても、『動くのに最低限必要な機能を回復させた』状態だ。左目はぼやけている。《零能力》の反動で傷ついた分は《零能力》じゃ治せねぇみてーだし、クソ)
「確かそれ、攻撃にも使えんだよな」
少年が『彼』の再生した右肩を睨みながら、
「一見は〝純白の雷撃〟なのに、どのような効果が付属しているかわからねェってことか。面倒だな。自己再生を繰り返されたらたまったモンじゃねえ……速攻でケリつけさせてもらうぞ!」
ゴバッ! と地面を蹴り飛ばして接近する。力をためるように引き戻される右足。大気を引き裂く強烈な蹴りに対して『彼』は左腕を差し向けた。
骨が砕ける異様な音が耳についた。
「が、あああああああっ!」
しかし今度は吹っ飛ばされない。折れた左腕を無視して、『彼』の右拳が着地体勢をとる少年の頬を捉えた。メリメリと肉の感触を得た瞬間に振り抜かれる一撃。初めてまともにダメージを受けた少年が吹っ飛び、しかし『彼』も身動きが取れなかった。
折れた腕の激痛が本能的に優先され、《零能力》を使って腕を再生させる。
その隙に少年の方は立ち直り、胸ポケットより取り出したパチンコ玉を投げ飛ばす。
「喰らえ」
少年が起爆用のリモコンのスイッチを押すより早く、『彼』は左手に〝雷撃〟を集中させる。地面に叩き付けるように発動された〝純白の雷撃〟が『彼』の周囲まで飛んできたパチンコ玉を無力化し、
(…………ッ、ぁ、ぁあああああ!)
反動が発生した。今度は肺に穴でも開いたような違和感。呼吸が嫌に加速し、背中に変な汗がにじんだ。思わず胸元を掻く『彼』に眉をひそめながらも、少年は手を緩めない。
踵落としが後頭部を抉った。
意識が一瞬消し飛んだ。道路に顔面をぶつけた衝撃で意識を取り戻すも、視界は赤や白のよくわからないフラッシュでチカチカしている。
「……ぐ、そ……」
「拍子抜けだな、天堂佑真」
そんな『彼』の蒼髪を乱暴に掴んだ少年が、『彼』の顔を地面に殴りつけながら言った。
「俺が子供だから攻撃力がないと思ったか? 俺が子供だから負けるはずがないとでも思ったか? 俺が『暗殺者』としてやっていける理由が『そういう油断を引き出しやすい年齢だからだ』とか、少しは考えなかったのか!?」
地面に両腕をつき、顔を上げようとするけれど。
「冥途の土産に自己紹介でもしといてやるよ。俺の名は五十嵐龍神。年齢は十一歳。俺の持つ『原典』の名は《絶対威光》――端的に言えば『異常に優れた才能』を持っているだけで、実は超能力なのかもわかりやしねェんだ」
少年の――五十嵐龍神の力に、抗うことができない。
「子供離れした筋力と身体能力。年齢離れした思考力と学習能力を有しているものの、俺の能力演算領域は他の『原典』とは違い特に活性化していなかった。そういう『数値や理論じゃ説明できねェ領域』に困惑した大人は、妥協に妥協を重ねて最終的に俺の才能を『原典』にカテゴライズしたわけだが――だから俺が、テメェに差し向けられた最後の砦なんだよ、何故だかわかるか? 天堂佑真」
またその名前で自分を呼ぶ。
「《絶対威光》はテメェご自慢の《零能力》でも消されない、超能力でもなんでもない、単なる『偶然の産物』だからだ!」
五十嵐龍神の素手が頭蓋骨をきしませる。
少年の言っていることは半分くらいしか理解できないが、今が絶体絶命の危機というやつであることは確かだろう。そして『彼』自身理解できないが、ここで死んではならないと頭の中で叫ぶ消えかけの灯があった。
お前にはやることがある。守らなきゃいけない女の子がいたはずだ、と。
一体誰を守らなきゃいけないのかはわからないけれど、その声に従わなきゃダメだと思った。
「………………ま、だだ」
「あ?」
「まだ、殺されるわけには、いかない……こんなところで終わるわけには、いかねえんだよ!」
起き上がれ。起き上がれ。起き上がれ。
全身全霊の力を込めて、自分を縛る重圧をはねのけろ。
「ぉぉぉおおおおおおおおおおオオオオオ!!!」
「ッ、クソッタレ」
「オオオオオおおおおおおおおおお―――――ッ!!!」
――――――身体の内側から〝純白の雷撃〟が湧き上がる。
それと同時に、かろうじて燃えていた灯が消え去っていくのもわかった。
これが最後の《零能力》だ。
この力を使った瞬間、自分の中に残っていた大切な何かを失ってしまう。
『彼』が『彼ではない誰か』として生きた記憶を失ってしまう。
だけど、そんなことよりも大切なものがあった。
名前も思い出も一切はっきりしないのに、どうしても譲れない笑顔があった。
蒼い長髪をなびかせて、自分の名前を呼びながら微笑んだ、あの暖かな表情だけは――。
そうして。
天地を貫く〝純白の雷撃〟が、五十嵐龍神の体を吹き飛ばした。
「っ、うおあああああああああああ!?」
足を踏ん張らせればいいというものではない。何か見えない糸に強引に引っ張られているかのように、龍神は『彼』から離されていく。
「……あと少しで殺せたのに、チクショウ……!」
普通に着地できたことや身体にダメージがないことに違和感を覚えつつも、龍神は『彼』を睨み付ける。純白の奔流の中で静かに立ち上がった『彼』は、紅に染まった右目で龍神を捉えると、
「――――あと少しで殺せたのに、か。冗談抜かせ。テメェにオレを殺す気があったら、もっと早くにケリがついている。殺す機会をみすみす見逃してきた奴がおかしなこと言うな」
「……何を言う」
「テメェはオレを殺せないって言ってんだよ、小僧」
しゃがれた声には、つい数秒前まで残っていた『子供と戦うやりにくさ』なんてどこにも感じ取れない――龍神は自分の背中に悪寒が走るのを理解した。
「まあいい。さっさと終わらせようか、この戦いを」
気持ち的な面だけみれば、現時点で優劣は入れ替わった。
『彼』の一方的な反撃が、ごく静かに始動する。




