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●第百三十三話 水野秋奈の希少価値ある激励


   【31 ???】




唯正解耳(アンサラー)》。


 つねに『次の一手』が見える結城文字にとって、この世の楽しみ方は他の者達とは色の全く違う方法だった。


 今自分が見た光景は、果たして本当に起きるのだろうか?


 信号待ちのサラリーマンは右足から踏み出すだろうか? 電車が二分遅延するのは真実だろうか? 子供が風船を手放してしまうのは? 散歩中の犬が次の電柱にマーキングするのは? 自分の前の客でレジが故障するのは?


 幼い頃の結城に『原典(スキルホルダー)』だという自覚はなく、時々お告げのような白昼夢を見てしまうことが純粋に不思議だった。


 ただ時々――白昼夢通りにならない『未来』にたどり着くこともあった。


 それは、自分が夢の中とは違う行動をとった時だ。


 剣道の試合で受けて負けるはずだった面を防いだら、自分の竹刀が折れてしまった。


 乗る予定の電車が遅延するから一つ先に乗ったら、結局遅延は起こらなかった。


 結城が行動を変えることで、『未来』は『予想外』へと変化する。


 元から知っている『未来』より、自分の知らない『予想外』にたどり着く方がよっぽどドキドキする。


 他人の知らぬところで人生を謳歌していた彼女が、自分の将来の分岐点に立ったのは、彼女が十四歳の時だ。


【中華帝国】が二週間後に佐渡島に攻め込むという『未来』を見た彼女は、その未来を変えるためにひたすら奔走した。


 どうせ誰に言っても、信じてくれないのだから。


 些細な事。ほんの少し日常の『未来』を変え続ければ、いつか最悪の未来を変えられると信じて。


 しかし『未来』を変えられなかったことで、少女は気づいた。


 この素晴らしい力を持っていても、自分がこんなところにいたら、変えられたはずの『未来』も変えることができなくなってしまうのか――――。




   【32 新宿区、ホテル・キャンドル付近】


現在時刻


2132年4月26日土曜日 午前0時39分




 多刀を自在に操る結城文字は、誠との激しい斬り合いを踊るようにしのぎながら口元を緩ませていた。


「愉快愉快、能力の正体がわかったところで小野寺流にも攻略できんか! 妾の剣舞も意外と捨てたものではないのかもしれんなあ!」


 バク転するように飛び上がり、無数の日本刀がワイヤーを振り回して投擲される。


 誠はそれを二刀で一本ずつ弾き飛ばす。構うべきは自分に当たる刃だけ。しかし他の刃から意識を外してはならない。


(なにせ相手は『僕がどこへどのように刀を弾くか』まで理解しているんだ! 追撃の手札は投げつけられた時から用意されている!)


 空気を『硬化』した不可視の壁、足元に接地した『跳躍』による強制離脱、自分への『加速』も重ねているが攻略のカギは未だに見えない。


 厄介なのは、結城の剣舞はデタラメのようでいて、一手一手が《唯正解耳(アンサラー)》によって緻密に丁寧に構成されている点だ。このまま持久戦を続けていれば、先に切れるのは間違いなく誠の方。そうだとわかっていても――――


「はあああっ!」


「効かぬ効かぬ!」


 放つ斬撃の衝撃波が、結城の周囲を踊る日本刀に相殺される。


 こういう曲芸的な相手は苦手だった。


 だからこそ、一人で乗り越えるべき敵だ。


 今こうして斬り合える偶然に、感謝する。


(……でも、もうそろそろ終止符を打たないといけないみたいだね)


 視界の端で、鳳凰がこちらへ下降しつつあるのが見えた。九尾、そして鳳凰の力をも借りて秋奈は鮮やかに勝利したのだろう。契約者である誠よりも鳳凰に慕われている節があるのは納得いかないが。


 誠は動きを止めて、二刀を静かに構えなおした。


 最初に地面に降り立った時と同じ、両手をぶらんと下げた構えだ。


 誠がこうする『未来』も視えていたのだろうが、結城も合わせて動きを止める。用意周到なことに、散り散りになっていた刀や苦無をワイヤーで回収されたがまあいい。


「この隙に攻撃しないのかい?」


「『未来』が視える相手に挑発しても意味ないじゃろうに……くくく。暗殺というのは決して無茶をしないことが基本じゃ。無茶せず無理せず無謀な殺人を達成する者――それが妾達じゃからのう。ましてこの身は雇われ。雇い主に命をかける価値があるか否かは自分で判断できる」


 地面に突き立てた日本刀の柄を一つ掴み、


「今、おぬしを攻撃しようとすればカウンターが来る。自ら攻めるのではなく『敵の動きに対応する』形に変えることで『未来視(アンサラー)』への対策を取ったつもりじゃろうが、それこそ無駄じゃ」


「どう防御するか見えるからこそ、追撃はより容易くなる……でしょ?」


「なんじゃ。わかっとるくせに――という会話までもが視えているんじゃがな」


 そして結城は、己の両手に巻きつけられたワイヤーを引いた。


 月明かりに照らされて――誠と結城の間に、銀色の線が張り巡らされていた。


「刀や苦無を弾かせることで、妾とおぬしの間には無数のワイヤーが張り巡らされておる。おぬしが切り札として取っておいた『未来が視えても絶対に躱せない技』――《告別》は、たったこれだけで封じ込めることができる」


 無刀流《告別》。『加速』に全能力演算を振ることで、相手が認識しない間に切り伏せる誠の必殺技。その代償に筋肉は破裂し、内臓はねじ曲がり、骨は砕け散る最後の切り札だ。苗字を知られている時点で予想はしていたが、この技もまた知られていたらしい。


 そしてワイヤーが張り巡らされている以上、誠は《告別》を使えない。自ら光速で突っ込んだら、細く頑丈な糸によって身体が断ち切られてしまうからだ。


 結城はワイヤーを人差し指で弾いた。


「この罠さえ教えなければ、おぬしは今頃《告別》を使って死んでいたじゃろう。これを伝えたのは殺し屋の矜持故、じゃ」


「矜持?」


「不必要な者は殺さぬ。執行対象以外の芽は潰さぬ。できるだけ静かに、速やかに、気づかれぬように大物を刈り取る。妾達だってただ汚れ仕事をしておるわけじゃない。蛇のように研ぎ澄ませた毒牙を、おぬしのような若い芽に向けとうないんじゃ」


「だから降参しろって? 僕自身はノーダメージなのに?」


「降参ではない。ここでお互い手を引こう、と提案したい。瀬戸和美が負けた以上、妾は今すぐ撤退したい。おぬしらだって天堂佑真と天皇波瑠の安全が確保されれば問題ないはずじゃ。悪い話ではないじゃろう?」


 そう語る結城文字の瞳は、自信に満ち溢れていた。


 大方、誠がこの後首を縦に振る未来が視えているのだろう。その上で重ねてこう返答することまでも見据えた上で、彼女は誘っているのだ。


「ああ、わかった。だけど僕にも意見させてくれ」


 誘われたならば、乗るしかない。


「僕は侍だ。一度刃を交えた以上、中途半端で終わらせるなんて武士の矜持が許さない!」


「――くっくっく、ならば妾も剣豪の端くれじゃ! すべて理解した上で乗ってくるその自信、粉々に砕いてみせようかッ!」


 その怒号が合図となった。


 鳳凰が道路に舞い降りた追い風を引き金に、誠は『加速』と『跳躍』を掛け合わせて弾丸のような勢いで跳び出した。その動きは《告別》に近く、けれど視認できる程度に速度が落とされている。


 誠はワイヤー地帯の直前まで接近すると、真上方向へ『跳躍』した。バネのようなスプリングで一気にビル数階分まで飛び上がり、二刀を竜巻のように振るう。


 小野寺流剣術、二刀流《熱情》。斬撃の衝撃波が雨となって降り注ぎ、ワイヤー地帯を蹂躙した。しかし結城文字にはすべてがあらかじめ視えている。踊るように避ける彼女は複数の戦輪を誠に向かって投擲した。


 空中で無防備となった誠は目の前に『不可視の壁』を集中させて戦輪を弾きながら、地上へと一気に舞い降りる。




 その交戦の最中で、結城の脳は一つの『未来』を視ていた。


 誠が自分より五メートル以上遠くに着地しながら刀を振り降ろしているのに、結城に一文字の切り傷が刻まれる『未来』を。


 これまで結城は、誠の剣術の『下調べ』を基盤として防いできた。故に飛ぶ斬撃も、不可視の壁も、超振動ブレードも、切り札でさえも模範解答を以て対応できていた。


 しかし、初見の技(これ)ばっかりは、どう対応するのが正解なのかわからない。




 変え方のわからない『未来』が訪れるとわかっていながら、結城文字がわざわざ『武士の矜持』を引き合いに出して誠を誘い出した理由は、唯一つ。


(視えていて尚、回避できない『未来』か――それを斬り伏せない限り、妾は前へ進めない)


 自分が暗殺者(今の未来)を選んだ理由が。


 結城文字という少女の人生が、そこにあったからだ。


(今ここで! 妾の剣術を以て、その『未来』を変えてみせる――!)


 結城は地面のワイヤーを片っ端から引き抜いた。両手を交差させて日本刀を誘導し、振り降ろされる剣閃に激突するように差し向ける。けれど刀は虚空を貫いていくだけで、誠の一閃は止まらない。振り上げられた右腕は降ろされない。


 それでも、諦めない。


 投げ飛ばした日本刀がぶつかり合って軌道を変える。舞い降りてくる誠に直接ぶつかるように。誠が刀を振り降ろす『未来』を変えて、自分が攻撃を喰らう『未来』をも変える。


 意地と計略と経験値が折り重なって生み出された、視た『未来』とは違う(ライン)


 誠の右腕は振り降ろされた――自衛のために。




 それでも尚。


 結城の額から右目を通り越し、地面と垂直な直線の切り傷が生み出される『未来』だけは、回避できなかった。




「うわ、ああああああああああああああああああ!」


 激痛に反射的に大声を上げる結城。脳内物質を強引に分泌して痛みを忘れさせたいが、眼をも抉った一筋の斬撃が体内で燃える。


 右目を押さえながら思わず俯いた結城の左目は――正解を、見つけた。


 地面にクレーターのような小さい穴が生まれていたのだ。それを見た瞬間、結城の脳はこんな時にも拘わらず、誠が正解を説明する『未来』を視せてきた。


 そして現在の誠は、武士の矜持を果たした二刀を鞘に納めた。


「……名前もない、剣術かも怪しい剣術だ」


 新宿の一角が静けさを取り戻す。秋奈や波瑠達が駆け寄ってくるのを手で機先して、誠は最後の一言まで述べた。


「『硬化』して刀を模した空気に『振動』を付与して切れ味を持たせ、『加速』『移動』させることで、疑似的に『透明な刃の銃弾』を創り出した。誰にも見ることのできない幻影の斬撃。僕の超能力にしかできない攻撃だ」


「………………なるほど、なあ。《神統の継承者アンリミテッドオペレーション》を……未だに使いこなせない脳をフルスペックで稼働して、それでも一本(こしら)えるのがやっとの幻影の『剣術』……」


 延々と『刀』を振るい続けた誠の間合いは、《熱情》の飛ぶ斬撃を除いて『刀』が範囲の基準となる。たとえ高速で接近されようとも、刀に気を付けていれば対処できた。


 長い戦闘の中で刷り込まれた印象は、『届かないはずの距離で斬撃を喰らう』未来を視た結城に強く影響を及ぼした。『刀が届かないのにどうして自分は傷つくのか』という疑問に至らせた時点で、誠の『幻影の斬撃』がヒットする可能性は九割を超えていたのだ。


「……くっくっく。面白いモンをみせてもらったようじゃな……」


 結城は苦痛に耐えかねて、日本刀を刺しすぎてボロボロになった地面に膝をつく。


 誠は武士としての彼女を信頼して、暗殺者であるはずの彼女に背を向けた。


「右目を貰ったのは友達の分だ。わざわざ付き合ってくれて――感謝するよ」


 あまりに無防備な背中に対して、結城が日本刀を突き付けることはない。




   【33 新宿区、ホテル・キャンドル付近】


現在時刻


2132年4月26日土曜日 午前0時48分




 拘束した結城文字と瀬戸和美を鳳凰の背に乗せていると、波瑠が戻ってきた。


「秋奈ちゃん」


「………お疲れ波瑠ちゃん。倒したの?」


「ううん、狙撃手はいなかった。全部機械だったよ」


「………とにかく無事でなにより」


 微笑む秋奈の傍らにいる九尾の背中には、こっくりと舟をこぐユイの姿があった。九尾がしっぽを使って器用に支えているが、毛並みのフワフワのせいで今にも眠りそうだ。


 秋奈は拘束(ぐるぐる巻き)の結城と瀬戸を鳳凰に強引に乗せると、ユイを抱き上げた。


「………まさか緊急信号が使われるとは思わなかった」


「……私も、こんなにすぐに使うことになるとは思わなかったよ」


 ユイを抱く手には不安からか、力がこもっている。


「………波瑠ちゃんが一人で逃げていた頃も、こういうこと多かったの?」


「まあ、似たようなことは多かったかな。でも相手も大事にするのを避ける節があったから、ホテルの壁にミサイルを撃ち込むとか、こんな派手な真似をされたのは珍しいかも。そもそも敵は私を生け捕りにしないとダメだしね」


 街中への被害を顧みない敵は、それ相応の大物か何も考えていない小物か、あるいは佑真と出会う直前期で追い詰められていたオベロン達か。今回は該当するとすれば一番目だろう。


 秋奈は彼女にしては珍しく、はっきりと表情を曇らせた。


「………いつ襲われるのかわからないんじゃ、寝られないじゃん」


「うーん……まあ今は暗殺予告されちゃったし、状況が状況な気がするけど」


「………暗殺予告って何」


「あ」


「………暗殺予告って何。波瑠ちゃん、また重大なこと隠してたでしょ!?」


 ユイを抱きつつ胸倉をつかまれ、ゆっさゆっさと揺さぶられる。秋奈の責める視線が胸に痛い。


「か、隠していたつもりはないんだよ。ただ心配かけたくなくて」


「………それを世の人は『隠していた』と言う! ていうか何度も何度も『心配かけたくなくて』はいい加減にして!? あたしが毎回怒ってるのそこ(、、)だからね!?」


「わかってるよー」


「………わかってないからキレて」


「わかってるってば」


 眉間に怒りマークを五つくらい出現させた秋奈をなだめるべく、波瑠は彼女の頬に手を添えた。じっと目を合わせて、波瑠は告げる。


「――でも秋奈ちゃんにだって、守らなきゃいけない子がいるから。私は秋奈ちゃんに助けてほしいけど、待っているユイちゃんは? 秋奈ちゃんが危険な目にあっていると知ったらユイちゃんはどう思うの?」


「………そ、れは」


「……ごめんね、ズルいこと言っちゃって」


 うろたえる秋奈の頬をゆっくりと撫でる。


「私は子供の頃に(さくら)を一度失った。だから、大切な人がいなくなる辛さがわかっちゃうんだよ。まだ五歳のユイちゃんに私と同じ思いをしてほしくない。私の気持ちと天秤にかけて『本当に必要な時以外は助けを求めない』って、勝手に決めたの」


「………本当にズルいことを言う」


「結局胸倉つかんで揺さぶるのはやめないのねー」


 ぐわんぐわん揺さぶられ、秋奈は悔しさや悲しさをごちゃ混ぜにした瞳を伏せると、波瑠の胸元に頭を押し付けた。


「………ユイちゃんと波瑠ちゃんを天秤にかけても、あたしの中じゃ釣り合っちゃうよ。あたしが二人になれたらいいのに」


「秋奈ちゃん、大好きだよ」


「………あたしが佑真の位置だったら、こんな思いしなくて済んだかもしれないのに」


 波瑠はそうっと、ユイごと秋奈を抱きしめた。


 それなりに大声で会話していても反応がないユイは、すでにおねむモードのようだ。


 顔を上げた秋奈は九尾を呼んで、ユイを体毛なびく背中に乗せた。


「………で、『暗殺予告』って具体的にどんなの?」


「えっとね、『天堂佑真を殺害し天皇波瑠を捕えよ』って感じ」


「………え? 暗殺対象(メイン)はあっち?」


 ぱちくり、と瞬きしながら指さす秋奈。


 刀傷がそこかしこに見られる路上で対峙(、、)する男二人の一方を指す彼女の瞳は、信じられないと熱弁していた。




   【34 新宿区、ホテル・キャンドル付近】


現在時刻


2132年4月26日土曜日 午前1時01分




「――――大丈夫なの、それ?」


 小野寺誠は変わり果てた悪友の真正面に立って、漠然と問いかけた。


 正直な心情を言うならば、誠は怒るつもりだった。波瑠を守るのはお前だ。僕達が駆けつけられた偶然が二度も続くと思うなよ。彼女を今度命の危険に晒してみろ、お前の命は僕が奪ってやるからな――それくらいの発奮をかけて送り出すつもりだったのに。


 驚きを隠せない。


 髪の九割が波瑠と同じ蒼色に染まっていて、皮膚で肌色の部分を探す方が難しくて、右目の紅蓮色はより一層の深みを得ていた。もはやそこに『天堂佑真』の面影は薄く、外見だけなら別人といっても差し支えない。


「……何がだよ」


 まだ開けない左目を押さえながら、佑真がぶっきらぼうに聞き返してくる。


 その声を聞いて、誠は露骨に顔をゆがめた。声を発した佑真自身も困惑を隠しきれずにいる。


「…………何って、お前の状態だよ。なんだ今の声……『他の誰かの声』が二重に混ざっているみたいな、変な声出してからかうなよ」


 誠が精一杯の作り笑顔で告げた言葉を受けて、佑真が露骨に硬直する。


「……っ!」


 冗談が冗談として機能してくれない。不安が声を震わせる。二人の雰囲気に気付いた波瑠と秋奈がこちらに歩み寄ってくるが、佑真の変化を認識した瞬間、二人ともが足を止めた。


 息を呑むように。現実と悪夢の境界線を踏み越えてはいけないと言わんばかりに。


「《零能力》の反動だろ。波瑠の《神上の光(ゴッドブレス)》で治るだろどうせ。そんな深刻になることじゃねーよ」


 佑真がやはりどこか投げやりに言うが、波瑠が小さく首を横に振った。


 佑真に『身体の一部の変化』が生じたのはもう何日も前のことだ。何度も何度も《神上の光(ゴッドブレス)》で元に戻そうとしたし、佑真に黙って一晩中《神上の光(ゴッドブレス)》を使い続けた日もあった。けれど佑真の蒼髪は――『変化』は、元には戻らなかった。


 誠も秋奈も、そして波瑠もとっくに勘づいている。この変化は傷ではないから、《神上の光(ゴッドブレス)》ではどうにもできない。なす術はないのだ。


「………声まで変わっちゃうなんて、驚いた」


「別に生きる分には支障ないんだし、本当に深刻に考えることじゃねーよ。オレは大丈夫なんだから」


 左目を押さえながら言われても、何の説得力もない。今にも泣きそうな波瑠を、こんな時でもポーカーフェイスを取り繕える秋奈がそっと支えた。


 佑真が頭を振る。


「一応、こっちだって覚悟した上で《零能力》を使ってんだ。お前達が気にすることじゃ」


「気になるよ」


 言葉を断ったのは誠だ。


「『気にすんな』って言いまくって自分の中で抱え込みまくった末に『零能力者』に成り果てたのは、どこの誰だったよ」


 誠と秋奈だから抱ける恐怖が一つあった。『零能力者』として社会から蹴落とされ、明るい友人が破壊を生きがいとする馬鹿(べつじん)に成り果てた記憶は、まだほんの一年前のもの。佑真がまた『自分たちの知らない天堂佑真』になろうとしていて、止めない理由が存在しなかった。


 誠は佑真の肩をつかむ。


「二度と《零能力》を使うな! その先に――このまま変化して行きつく先に、まともな結末があるとは到底思えない! これ以上使い続けたらお前は確実に壊れるぞ!」


「断る」


「佑真!」


「無理なもんは無理だ」


 ギリ、と誠の拳に力が加わる。佑真は静かに瞳を伏せた。


「オレの第一優先は波瑠だ。たとえこの身が滅びようとも、波瑠のことだけは守り抜かなきゃいけない。その為に《零能力》が必要になったら、何十回でも何百回でも使い続けるに決まってんだろ」


「……だから、テメェ自身がどうなってもいいっていうのか!? ふざけんなよクソ自己犠牲野郎! 自分の命より大切なもんなんて」


「お前がそれを言える立場かよ、誠。お前は必ず自分より秋奈とユイちゃんを優先する。自己犠牲っつう言葉はお前の方がお似合いなんだよ」


「っ、僕のことは関係ないだろ」


「関係あるよ。自己犠牲をいとわないお前だからオレの気持ちがわかっていて、本当は《零能力》の使用禁止なんてできっこないってのも理解しているんだ。でなければ、お前はオレの四肢をへし折ってでも戦場から引きずり降ろしているはずだ」


「今からへし折ってやろうか?」


「波瑠の目の前でか?」


 っ、と誠が言葉に詰まった隙に、胸倉をつかむ手を振りほどく。


「誠の気持ちだってわかる。立場が逆だったら止めようとするし、だけどオレはその上で、誠を送り出すよ。現にお前が秋奈の『守護者』やってんのを見逃してんのは、秋奈がお前にとって命をかけられるほど大切な人だって知ってるからだ」


「………こほん」


 ほんのりと頬を赤く染める秋奈。そんな彼女を見て、佑真は頬を緩めた。


「だからオレが言うべきは『ごめんなさい』と『ありがとう』ってわけ。心配してくれんのは本当に嬉しいし、いつもいつも、お前達には心配かけてばっかりで、ごめんな」


 ニッと目を細めた――その笑顔は、どこか力強い笑みだけは、悪友のもののままで。


 誠は一瞬だけ悔しそうに顔を歪めたが、やがて真剣な表情で佑真の胸元に握り拳を当てた。


「そう、だよな。お前はそういうやつだもんな」


 無謀なまでの一直線。ここまで潔くなれる生き様に憧れもしたし、嫉妬したこともあった。


「死ぬなよ」


「努力する」


 短い言葉だけを交わして、誠は拳を下ろした。


 男子二人がようやく表情を緩めたことで、波瑠と秋奈は盛大にため息をついた。下らない事でしょっちゅう喧嘩はしていたものの、ここまで本気で感情をぶつけ合う佑真と誠を見たことがなかったのだ――


(………いや、あたしは一回だけ見たな)


 ――佑真と誠の『殺し合い』の時とは、ぶつけ方が全然違うけれど。


「うにゃう……」


 にわかにユイが秋奈の腕の中でぐずった。時は深夜一時。五歳児はもちろんのこと、佑真達も眠気が襲ってくる頃あいだ。


「………で、これからどうするの?『暗殺予告』されてるんでしょ?」


「え、何それ」


 口の端を引きつらせた誠に、佑真は簡単に説明する。説明を終えると誠はますます嫌そうな顔をした。


「明朝に佑真を殺しに来る刺客、か。なぜ僕らにそれを教えないんだい? 僕らは足手まといかい? んん?」


「いやあの、迷惑かけたくないって波瑠ちんが」


「私のせいにしないでよ佑真くん!『佐々木消のように他人を巻き込みたくない』って二人で決めたのに!」


「………なんにせよ、佑真と波瑠ちゃんの意識改善は全然足りていないみたいだね」


「体に覚えさせないとダメだなこれ。重症すぎる」


 お怒りモードに今度こそ突入しそうな誠は、怒りを抑えるために大きく息を吐いた。


「とにかく、そういうことなら僕は残ろう。その後の『逃亡生活』にまで同行するとは言わない――っていうか言えないけど、一時の戦力にはなってやるよ」


「ほら見ろ、秋奈のために自分の時間を割いている」


「長門憂とかいう奴より先に切り殺すぞ?」


 ニッコリ極悪笑顔で刀を突き付ける誠の視界の端では、秋奈の顔が紅髪に負けじと真っ赤になっていた。本当に勘弁してほしい。


「………あたしは?」


「ユイを連れて帰ってあげて。流石にこの娘を巻き込むわけにはいかないよ」


「………そうだよね。じゃ、ついでにこの二人を警察に突き出してくる」


 そう述べた秋奈の目が、少しだけ心惜しいと物語っている。波瑠達を守りたい気持ちとユイの保護者としての責務のどちらを取れと言われて、両方を取りたいのが本音になってしまうのだろう。


 秋奈は九尾に指示を出して瀬戸和美と結城文字を背負わせると、ユイを抱きなおして三人に――より正確には、佑真と波瑠に目を配った。


「………ここで『生きて帰ってこい』とか言うと死亡フラグになると思うので、あたしはあえてこう言います」


 普段からポーカーフェイスが癖になっている彼女の微笑みは、佑真達でもあまりお目にかかれない代物で。




「………頑張れ」




 だからこそ、その微笑みをもう一度見るために必ず生還しなければいけない。







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