●第百三十一話 ユイの実は超有能な式神ノ符
【25 新宿区、ホテル・キャンドル前の道路】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前0時18分
佑真の指輪が緊急信号を発信してから誠が到着するまで、わずか三分間も経っていなかった。
信号は桜、キャリバン、火道寛政、そして小野寺誠と水野秋奈の五人に発信される。
そこに【ウラヌス】が除外されているのは意図的なもので、隊長である真希が『全員が信用できるとは限らない』と申し出たのだ。
――とかく、信号を発してからわずか数分で誠がこの場に来られたのは全くの偶然。
ちょうど【水野家】の用で令嬢・水野秋奈と共に新宿を訪れ、夜遅くに帰宅する道すがらに信号を受け取ったのだ。
その後は秋奈の《レジェンドキー・九尾》の持つ能力《千里眼》を使って居場所を特定し――『高尾山襲撃事件』や『東京大混乱』で佑真が放った光の柱も目印となり――誠の《レジェンドキー・鳳凰》に乗って、すぐさま駆けつけた次第である。
「……ま、こと……?」
「減らず口を叩けないほどボロボロか。説教は後でするとして、この場に来られて本当によかった」
誠は佑真を庇うように立ち、二刀を構えた。
剣道の『五段の構え』のどれにも相当しない――両手をブランと下げた構え。
今の誠が抱く静かな激情を象徴しているかのように。
「ほう。確かおぬしは小野寺流の長男坊だったかのう」
攻撃を弾かれ距離を取った結城文字が、ひょうひょうと笑う。
「妾の能力も万能ではないとはいえ、よもや天堂佑真を殺せぬどころか助太刀まで登場するとは予想外じゃ。これも《零能力》の影響かもしれぬなあ」
「何が予想外ですか貴女が確実に行けると予想したから夜襲を仕掛けたのに増援なんてマジ聞いてないですそもそも私戦闘苦手で本職が暗殺者ですよ?」
「くっくっく、それは妾も同じじゃよ」
日本刀を構えながら、結城は誠の背後へ目を向けた。
「しかも小野寺坊だけなら良いものを、水野家のご令嬢までついてきおって。数の有利で押し切るはずが、いつの間にやら三対四ではないか」
鳳凰の上から《九尾の衣》を纏った秋奈がピョンと飛び降りた。
下降してきた鳳凰の背中には五歳か六歳くらいの少女の姿も見えるが、彼女を人質に取るには誠と秋奈を突破する必要がある。
瀬戸和美はただでさえ血色の薄い顔を青ざめさせて、
「本当にどうするんですか古泉激さんに連絡取りますかそれとも撤退しますか?」
「撤退できれば御の字じゃろうが、生憎あの少年は許してくれんと思うぞ」
一見構えていないように見えて、少しでも変な動きを見せれば誠はすぐに切りかかってくる。襲うのは無論の事、撤退も見逃さないだろう。
結城と瀬戸が動けないでいるうちに、秋奈が《九尾の衣》の尾を器用に動かして波瑠と佑真の体を九尾の上に乗せ、自分も飛び乗ると夜空へ飛び立ってしまった。
「……おやまあ、いいのかのう? 自ら『数の有利』を捨ててしまって」
「ま、傍から見ればそうかもしれないけどね。回復さえ終われば四対二だ」
「『数の有利』を取り戻すために『一時の不利』を持ちこたえる、なるほど漢らしい判断じゃな」
結城が日本刀を上段に構える。
「ならば妾達は、数の有利を取り戻される未来が訪れない世界線へと乗り換えなければな!」
下肢に力を込め、一気に跳躍。数メートルの間を詰める剣閃を前に、誠は超能力で自身を『加速』させる。まるで瞬間移動のように結城の背後まで回り込むと、右手の刀を払った。
ガィン、と金属音が響く。
結城は誠の刀を、上段に構えた日本刀を背面に運ぶことで弾いていた。
「――ふっ」
だが誠は二刀流。左手の刀で容赦なく突きを放つ。
「おっと」
結城はひょいとしゃがみこんで剣先を躱し、そのまま足払い。『跳躍』で蹴りを飛び越えた誠の眉間に、鉛弾が肉薄していた。
古泉激による、十キロ範囲での遠距離狙撃。
使用しているのは対超能力者用に開発された、あの集結の左腕を粉々に砕いたハイパワー系統のスナイパーライフルだ。夜空を引き裂いて瞬く間に飛来した死の一弾を、誠は手も出さずに跳ね返した。
跳弾した鉛が地面を穿ち、爆発する。
数多の種類を両立させる誠の超能力、そのうち一つである『跳躍』は、何も自分だけを跳躍させる能力ではない。
設定した座標と接触すると、任意の方向へ物体を弾き飛ばす。疑似的にトランポリンを設置するイメージだ。
全身に『硬化』した空気を纏わせるだけではなく、更に『跳躍』を重ねることで、誠の『不可視の鎧』はより堅牢なものとなった。
「面白いのう、おぬし!」
「それほどでも!」
そして『跳躍』で、一気に結城へと跳ね返る。二刀は腰の脇へ。交差した二刀同時の居合切り――
小野寺流剣術、二刀流《月光》。
振り抜かれた高速の一斬は、二重の防で防がれた。瀬戸が投げたサバイバルナイフで軌道を変えられ、そのスキマを縫って結城が斬撃を回避したのだ。
オマケに結城が懐に潜り込む。日本刀は――真っ直ぐに誠の口めがけて突き出された。
「うわっとっと!」
「これも避けられるか。とことん速いのう」
反射的に『加速』と『跳躍』を重ねて真後ろへ跳んだ誠は、地面に突き刺さったサバイバルナイフを投げ渡す結城文字に違和感を覚えていた。
(……剣筋自体は、超能力のかかっていない純粋な剣技。だとすればこの違和感は、彼女の動きそのものにあるはずだ)
「口を狙えば確実に貫けると思ったんだがの。流石に口周りや耳周りまで空気を固めてしまたら、音が聞こえんし酸素も吸えんからな」
図星だが、誠は秋奈譲りのポーカーフェイスを貫いた。あの短時間の戦いで誠の『不可視の鎧』まで見抜いた――いや。
「僕のことを調査済みなのか?」
「くっくっく、無関係者ならボロボロ喋らんところじゃが、迷わず天堂佑真を救うたおぬしになら言ってもよいじゃろう。此度の『暗殺任務』において妨害してくる可能性が高い超能力者はリストアップされておる。火道寛政、清水優子、キャリバン・ハーシェル、えとせとら。無論おぬしもな、小野寺――」
結城はニヤッと口角を上げ、
「――いいや、水野誠」
「っ!?」
「そう怖い顔をするな。水野の嬢には言わぬ。ただ同じ剣豪として気になってな、他の奴らより念入りに調べさせてもらっただけじゃ。おぬしの歪な生き様は、読んでいて恐怖を覚えたわい」
誠の素性は、国家管理される情報レベルで書き換えられているはずだ。目の前に対峙する女性が、世界の闇の奥深くにいることが証明された。
結城はマイペースに笑うと、スッと顔つきを改めた。
「なに、そんなわけでおぬしの実力は知っておるからのう。足止めさせてもらうぞ」
「足止め?」
「うむ。大方、天皇波瑠と天堂佑真の回復が済み次第この場を離れ、向こうの護衛にでも着くつもりじゃろうがな。こちらとしては『三対四』より『一対一と二対三』の方が望ましいんじゃよ」
結城はそういうと、チラリと瀬戸に目配せする。
頷きかえして黒い外套をはためかせた瀬戸は猛スピードで夜空へ跳び出し、すかさず後を追おうとした誠の鼻先に、結城の投げ放った戦輪がかすめた。
まるで、誠がどの方向へ跳び出そうとしていたのかを理解している一撃だった。
「逃がさんと言うとるじゃろうに。強情じゃなあおぬしは」
結城は右手の指で戦輪をくるくると回す。
当てようと思えば当てられたぞ、と瞳が語っていた。
「……なら、仕方ないか」
「くっくっく、良い良い。あの名高き小野寺流の長男と刃を交えようなど、暗殺の道に入ってからは二度とありえんと思っておったわ!」
空いている結城の左手が、日本刀の柄を逆手で握った。
「妾の名は結城文字。一時の剣戟を楽しもうではないか、小野寺誠よ!」
【26 新宿区、ホテル・キャンドル付近 上空】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前0時26分
誠が従える式神、瑞獣鳳凰の上には秋奈が引っ張り上げた満身創痍の佑真、波瑠の他にもう一人が乗っていた。
ユイ――ひょんなことから誠たちと出会い、今は児童養護施設と誠の実家を往復している、親とはぐれてしまった女の子だ。
「………ユイちゃん、できる?」
「うんっ」
《式神契約ノ霊符・九尾》と契約融合して『九尾の衣』に身を包んでいる秋奈の問いかけに元気に頷くと、ユイはネックレスについている蒼い宝石に手を添えた。
《レジェンドキー》契約融合――一角獣×ユイ。
ユイの宝石から若緑色の粒子があふれ出し、五歳の少女の体を包み込んでいく。粒子が晴れる頃には、彼女と契約している式神、ユニコーンの恩恵を宿した槍を手に、ドレスアップしたユイの姿があった。
「………いつ見てもとても可愛い」
「えへへー」
「………じゃ、お願い。波瑠ちゃんを先に回復してあげて」
ぽんぽん、と秋奈が背中を押すと、ユイは持っている槍を波瑠の体に触れさせた。
一角獣の角は、万能薬と言われている。ありとあらゆる不浄の病を癒すといわれる角をめぐって乱獲された、他の生物の角を『ユニコーンの角』と偽る詐欺師がいた、などの逸話を残す効果が、今ここに『恩恵』として再現される。
火傷や飛来物による打撃痕など、無茶をしたのが見て取れる波瑠の体が少しずつだが回復していく。秋奈はこれを見るのが初めてではないが、五歳の少女が手にするには余りある効果に息を呑んでいた。
《神上の光》ほどの即効性はないものの、その槍は『死』以外の傷を癒す。
「波瑠姉、佑真兄も。がんばって」
――ユイとはぐれた両親は、何を思ってユイにユニコーンを託したのだろう。
疑問を抱いた秋奈は、バッと振りかえって『九尾の衣』の九つの尾を振り抜いた。
背後に迫っていた『黒い影』が、急旋回して九つのスイングをかわす。
「なんですか何故ですかどうやって私の接近を見抜いたのですか」
黒い外套にくるまった少女――瀬戸和美はビル壁に張り付きながら、悪い目つきで秋奈を睨む。対する秋奈はユイを抱いていた手を放し、飛行を鳳凰に完全に任せて対峙した。
「………あたしの目はすべてを見通す。あなたが夜に紛れようとも、この目から逃れることなんてできないから」
「《式神契約ノ霊符》そうかそうです東洋の魔術師お得意の『幻獣の使役』ってやつですか気に食わないですね私の〝夜行〟が通じないなんて」
一瞬で看破される《レジェンドキー》。しかし世界のより深いところにいる者ならば、五百年の時を越えたこの『魔術』を知っていても不思議はない。
秋奈はそう考えたが、瀬戸和美の『東洋の魔術師』という呼び名に違和感を覚えられなかったのは、秋奈が非科学面に精通していない以上は仕方のないことだった。
あえてそのような呼称を使うのは、瀬戸和美が『西洋の魔術師』であるからだ。
瀬戸は黒の外套に手を突っ込むと、数本の投げナイフを指で挟む。
そして計八本の刃を。
自分の肩に、思い切り突き立てた。
「………!? 自傷行為!?」
「驚くのはまだ早いですよ東洋の魔術師こちら本場の魔術ではこれくらいごく一般的な犠牲ですとはいえ私のは半分くらい『原典』だったりするんですけどこの際細かいことはいいでしょう別に」
肩からあふれ出す血液は、そのまま腕に流れるかと思いきや、瀬戸の背中に移動して悪魔の翼のような形状へと変化した。
一部は手元へ流れ、八本の投げナイフの刃を延長して血の剣と為す。
「天堂佑真暗殺任務を続行します力を貸してください古泉さんミズノ諸共ここで切り伏せて終わりにしてしまいましょう」
血を纏った蝙蝠が、黒く染まった空を翔ける。
ユイに波瑠に佑真――戦闘するには、守るべきものがあまりにも多すぎる……!
【27 新宿区、ホテル・キャンドル付近】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前0時26分
ユイの回復の甲斐あって、波瑠が意識を取り戻したのはすぐのことだった。
「ゆ、ユイちゃん……? それに秋奈ちゃんまで!?」
「………驚くのは後にしてほしいけど、さっきぶり、波瑠ちゃん。何とか回復できたようで」
波瑠は冷や汗を滲ませながら立ち回る秋奈を見て、そして秋奈が交戦中の黒い外套・血の八斬を操る少女を見て状況を把握。動きを取り戻した右手で回復しきっていない生傷に触れた。
ズキッと痛みが走るが、波瑠が必要としたのは自分の生血だ。
生血で《神上の光》を模した疑似的な魔方陣を描き『天使の力』を流し込むことで、波瑠は自分の体も癒すことができる。
あらかじめ魔方陣を描いた紙を用意するのは? と佑真に聞かれたことがあったが、残念ながら『生血』でないと効果は出ない。ペンのインクは勿論のこと、自分の血であっても三十分も経たないうちに、再利用できなくなってしまうのだ。
ともかくスカートに魔方陣を描いて手をかざし、波瑠の全身が白く日光のように暖かな粒子に包まれる。光が晴れる頃には、波瑠の全身からはどれだけ深い傷もすべてが等しく消え去っていた。
「波瑠姉っ」
「ユイちゃん、本っ当にありがとう!」
腕の中に飛び込んできたユイを抱きとめると、彼女は今にも泣きだしそうだった。たった五歳の女の子が重体の知り合いを――いや、友達を見たのだ。よくガマンできたね、と頭を撫でおろし、波瑠は隣に寝かされた佑真へ目を落とす。
外傷という外傷は左目くらいのようだが、体の一部が歪んでいる。ホテルから投げ出されたことをおぼろげに覚えている波瑠は、佑真が二人分の着地の衝撃を一人で引き受けたのを理解した。
また、とんでもない無茶をさせてしまった。
「ごめんね、佑真くん」
波瑠の手のひらから放出される白い粒子が、佑真の体を包み込む。瀕死の状態から彼を生存へ引っ張り上げるはずの希望の光は――しかし、ある一部分にだけ効いていなかった。
「……左目が、治らない!?」
「そりゃ、そうだ。コイツは《零能力》の反動だからな」
左手で目を押さえながら、佑真も起き上がる。
「波瑠。それに秋奈も、ユイちゃんも」
「………反省会は後。今の状況察して、窮地を救った親友への恩返しを所望してみるけど」
鳳凰の背中を守る九つの尾を操る秋奈が、謝ろうとした佑真の台詞をぶった切る。
どうして誠たちがこんなにも早く来てくれたのか。
来てくれなかったら、どうなっていただろうか。
数多の疑問と後悔は、一旦腹の底に呑み込んでおくべきらしい。
「了解した。とりまコイツを蹴りつけて、誠のところへ行きますか」
「SET開放!」
頷きかえす佑真の横で、ユイを下ろした波瑠はSETを起動させた。




