●第百三十話 結城文字の無慈悲な剣筋一閃
【21 新宿区、あるビルの屋上】
現在時刻
2132年4月25日金曜日 午後11時19分
長門憂と別れ、ふたたび『赤閃の鎧』の駆動鎧をまとった古泉激は、大きなギターケースに類似したものを持って、新宿区の高層ビルの屋上に立っていた。
人間が生み出す光は、日付をまたごうという今でも地上から夜空を照らしている。今の地球上で夜中に夜中らしく暗くなるのは『進入禁止領域』か文明の遅れた国家くらいだろう、と言われているのがよくわかる。
都会をヘルメット越しに見下ろす彼女の脇には、ビルから足を放りだす形で、浴衣姿の女性が座っていた。
「天堂佑真と天皇波瑠は、一体どーこにおるのかのう?」
暗殺兵の一人、結城文字。
鞘に収まった日本刀を大事に両腕で抱きかかえる彼女の問いかけに、古泉はヘルメットを外して告げた。
「どこにいるのか、見当はついています。ですが今はまだ街が起きている。街が眠り次第、行動を開始してください」
「そうかそうか。ならよいのじゃ。妾の『原典』で探すことも不可能ではないが、いささか不確定要素が雑じるからのう。で、妾達の前におびき出すことはできるのか?」
「そちらも私に任せていただければ。結城殿は戦闘に集中してください」
「『戦闘』ではなく『暗殺』任務なのじゃが、仕方ないかの。なにせ相手はランクⅩ、本来妾らのようなこわっぱの出る幕ではなかろうに」
くっくっく、と笑みをこぼす結城。口調こそ老人じみているが、彼女は大学生と言われてもおかしくない容姿で――事実、彼女はまだ成人していない。
『原典』が集められた今回の『天堂佑真暗殺任務』の参加者は、『原典』が生まれる条件の都合上、全員が超能力適合世代である。
条件は両親に超能力者を持つこと。波瑠達と同年代なのだ。
そう考えれば大人びた外見と、演技くさい口調を振るまう結城はふと鞘を撫でる手を止めた。
「――ほう。ヤツも合流するのか」
結城の瞳は、眼前に立ち並ぶ無数のビルのうち一つを捉える。
古泉が同じ方向を向きながら首肯し、
「ええ。三度の戦闘を経て、天堂佑真と天皇波瑠の力量は知れました。あの二人を一ヶ所に置くのは我々の都合が悪い」
「ならば二人で襲撃し、奴らを分断しようという腹か。単純だが、何分わかりやすい策じゃな」
暗闇を裂いて、二人のいる屋上に新たな人影が着地する。
どこから飛んできたのか。いつからこっちへ向かっていたのか。古泉にはそれがわからないが、わからないのが当然だった。
「瀬戸殿、御足労感謝します」
「あ、いいですいいですお礼なんてしなくていいです本当に本当に構わないので」
屋上に現れた瀬戸和美はまくしたてるように喋る。
くっくっく、とふたたび目を細める結城。
場は整った、といわんばかりに古泉激は、背負っていたケースを屋上に乱暴に広げた。
【22 新宿区、ホテル・キャンドル】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前0時00分
日付をまたいだ。
昨夜なら『そろそろ寝ないとな』なんて考え始める時間帯。三百六十五回あって重要な意味を持つのは年始と誕生日くらいだと思っていたが、今日に限っては重く突き刺さる日付変更だった。
「……結論は明朝か」
長門憂から受けた宣戦布告まで、残された時間は多くない。少しでも体を休ませるべきなのだろうが、佑真は緊張からか、筋肉が強張っているのを自覚していた。
昼間に長門と戦った時、自分の体術はおろか、師匠の技や波瑠の超能力さえまともに通じていなかった。朝比奈の時のように《零能力》に頼ったところでどうにかなるとは限らないし――
(本音を言えば、これ以上《零能力》には頼りたくない。次にあんな乱暴な使い方をしてみろ、今度こそ……)
佑真は左手で右肩を握りしめる。
先ほどシャワーをあびた際、波瑠が(何を今更恥ずかしがって)そっぽを向いている間に、全身の状態を確認した。
前髪の蒼色の範囲が増し、肩や左胸の色素の抜けた皮膚も面積を広げていた。
シャツを着て誤魔化しているが、侵食が進んでいる。
たぶん、《零能力》に関係する何かが原因で。
(……少し前まで、こんなことなかったじゃねえか。一体どうなっているんだよ……オレは、天堂佑真はどうなっちまうんだよ……!)
ガチャ、とドアノブを捻る音が、佑真の漠然とした不安を断ち切った。
「お、お待たせしました……」
シャワーを浴び終えた波瑠が、肩にタオルをかけていた。湿った蒼髪は色香を増し、ミニスカートから伸びるすらっとした素足が眩しい。ちょっと照れくさそうに、そしてなぜか緊張もしてそうな彼女は所在なく髪をいじっていた。
心臓がドクンと跳ねる。いい加減見慣れろ、というのはお互いさまのようだ。
「つうかスカートがあるならシャワー浴びさせてからマネーカード探せばよかった……」
「え?」
「何でもないっす」
佑真は自分の腰掛けるベッドの隣をポンポン叩いた。髪をいじる手と反対の手にポータブルのドライヤーを持っていれば、波瑠の要望は嫌でもわかる。
ほんのちょっとだけ躊躇って、波瑠は隣にストンと腰を下ろした。ドライヤーを受け取り、少女の蒼髪を丁寧に梳かしていく。
中学時代も数回だけ、高校に入ってからはほぼ毎日、波瑠の髪を梳かしていた。
綺麗なさらさらの蒼髪。シャンプーが変わると香りも変わる。髪の伸びの早さに驚いたりもした。何より彼女が側にいる、それだけで幸福な時間だ。
「佑真くん、髪いじるの好きだよね」
「波瑠の髪だからだよ。最初の頃は梳かすなんてできなかったけど」
「おっかなびっくり触ってたもんね」
波瑠はクスクスと体を揺らすと、左手をかざした。
薬指には銀色の輪が輝いている。この逃亡生活が始まる前に佑真が渡したもので、佑真も同じ指輪をしているが――婚約指輪、というわけではなかった。
「GPS機能がついていて、緊急時に信号を送ると今の居場所を登録した相手に通知する指輪……そんなロマンもなにもないモン渡して、マジでごめんな」
「ううん、平気だよ。物理的に佑真くんのお嫁さんと証明されるだけで、私は上機嫌なので」
それに、と言葉は続く。
「今はひとりぼっちの逃避行じゃないもん。秋奈ちゃんや寮長さん、キャリバンに桜と楓。大切な人がたくさん、東京で待っているから」
「お、いつもの『巻き込んでいいのかな』は?」
「佑真くんだけを特別扱いするのもやめる。誠くんと秋奈ちゃんにはぶちギレられちゃったし」
首だけで振り返った波瑠の頬は赤い。
好きな人に触れられているから――だけではなかった。
「…………場所が悪いんだからね、場所が」
髪を整え終えると、波瑠がコテッと佑真に寄りかかってきた。布切れたった一枚越しに、少女の体温が伝わってくる。ドライヤーを置いた佑真は、彼女を自分のより近くへと引いた。
どういう意味なのかわからないほど、佑真も馬鹿ではない。
「波瑠って清純系に見せかけて、意外と脳内ピンク色だよね」
「すっ、好きな人とラブホテルに来れば、どんな女の子でもえっちなこと考えちゃうよ」
「はいはい。波瑠が寝たいなら襲うつもりはなかったけど、乗り気なら遠慮なく――」
と、佑真が波瑠のシャツの裾に手を潜り込ませた、その時だった。
「ん?」
はめ殺しのガラス越しに、鏡が反射したような光を一瞬捉えた佑真。
何気なく目線を向けた夜景を、視認し得るほど大きなミサイルが飛来していた。
【23 新宿区、あるビルの屋上】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前0時09分
駆動鎧に身を包んだ古泉激が放ったのは、端的にいっても『ミサイル』である。
距離にして十キロメートル。ミサイルが狙うには、通常の百分の一程度の射程。
いわゆる『空対空ミサイル』に分類されるそれは、本来人体で撃つことは不可能である。反動で肉体は砕け散り、狙いも定まらないだろう。
超絶技巧を可能としたのは、やはり駆動鎧の存在あってのものだった。
パワードスーツ――正式名称は『強化外骨格』。
字を見てわかる通り、外側から人体を補強することで、通常では成し得ない駆動を補助する武装の『正しい使い方』だ。
しかし古泉激とパワードスーツの親和性は、通常の人間のそれを超えている。
街中での『赤閃の鎧』の使用。立ち並ぶビルの隙間を的確に縫う神業の狙撃。
それらを可能としたのは、『ブレイン・マシン・インターフェース』という科学技術だった。
特に最新技術というわけではない。二十一世紀前半には確立し、人体に埋め込んだ機械を通じて寝たきりになった患者の体を動かす、なんて技術は街中に遍在している。
ここにいる被験者の一人、古泉激は脳内に『チップ』を埋め込んでいた。
チップを通じて数個の『自立式ユニット』と接続することで、いわゆる『鷹の目』的視点を得て、人間の瞳二つだけでは感知できない体温などの情報までもを取得できる。
『赤閃の鎧』と接続することで、より精密に駆動鎧の超絶技巧を引き出すことができる。
佑真とのカーチェイスにおいて、二人の真後ろにい続けたのは『BMI』があってこその技術だったのだ。
話は戻る。
そんなBMIを駆使した古泉激の遠距離狙撃は、ほぼ必中である。
『自立式ユニット』が敵を捕捉し、その情報を通じて『駆動鎧』が勝手に位置を補正する。
たとえ標的が五千キロメートル離れた戦闘機でも、物理的障害物さえなければ粉々に射抜いてしまうのだ。
今宵の条件はたったの十キロメートル。
障害物こそ数多あれ、動かないなら関係ない。
風圧も気温も標的の位置もすべて、BMIが教えてくれる。
ミサイルが高級ラブホテルの壁に突き刺さるまで、一秒もかからなかった。
【24 新宿区、ホテル・キャンドル】
現在時刻
2132年4月26日土曜日 午前0時11分
大爆音が、目の前で轟いた。
はめ殺しの強化ガラスを粉々に砕き、莫大な熱量が佑真達の部屋を一瞬で満たした。膨れ上がる黒煙と震動に吹き飛ばされる。
全身が真っ白に飛び散った錯覚を得た。
なすすべもない佑真の腕の中で――それでも庇うよう抱きかかえられ、目を焼かれないよう手を添えられている――波瑠は、二つの選択肢のうち最悪な方を選んだ。
純白の粒子を佑真の全身に与え続ける。
《神上の光》の最も乱暴な使い方。
怪我をしても一瞬で治し続けることで、強引に『死』を免れる――もはや防御でもない、最後の手段だ。
「――――――ッ!」
《神上の光》は他者の傷こそ一瞬で治すが、波瑠本人の傷は条件を踏まないと治せない。即ちミサイルによる暴力を、波瑠は生身ですべて受け止めなければいけなかった。喉をやられないよう口だけは意地でも閉じて、声にならない悲鳴を上げる。
佑真の体を握る指の爪が、彼の体に食い込んでしまう。
意識を奪われそうになった瞬間――フッ、と浮遊感を得た。
室内に吹っ飛んで爆発したミサイルの衝撃波にこらえきれず、割れて溶けた窓から屋外へ放り出されたのだ。
「……ぁ、ああああ……!」
「喋るな波瑠。任せろ」
地面へ猛スピードで引っ張られる感覚に、消えかけの意識の中で抱いた恐怖は――耳元での静かな一言に包まれた。
「『梓弓』ッ!」
左腕で波瑠を抱えた佑真は、右腕を上へ向けると、狙いを定めて黒閃を放つ。
武装『梓弓』――ワイヤーの先端に取り付けられた鍵爪が、向かいのビル壁に突き刺さった。
佑真はワイヤーを固定し、ガクンッッッ!!! と二人分の体重を支える反動を、全身で受け止める。
「がああああああああああ!」
右肩に焼けるような激痛が走った。脱臼は確実。腕がちぎれていないだけ幸いだ。
「はぁ、はぁ、クソッ! 波瑠、もう少し我慢してくれ! 地上に降りたらすぐに回復させるから!」
脂汗が額に滲むが、腕の中の波瑠の方が重体だ。ワイヤーを調節して地上を目指す。
「そんな余裕、妾たちが与えると思うのか?」
月夜から、そんな二人に明るい声が降り注いだ。
「ッ!? ふざけ……!」
鍵爪の刺さったビル壁を垂直に駆け降りる――浴衣姿の女性。
くっくっく、と口元を綻ばせる手中に日本刀の輝きを見た瞬間、佑真は次に起こる最悪な事態を予期して歯を食いしばった。
「女子が根性を見せてお前の命を繋いだのじゃ。着地くらいは頑張りや」
剣筋一閃。
『梓弓』のワイヤーがいとも容易く引き裂かれる。
「うおおおおおおおおおお!?」
重力落下に晒された佑真は、波瑠だけは傷つけまいと下肢に力を込める。受け身は取れない。上からは日本刀を構えた女性が接近していて、更に真正面からビル壁を蹴って別の敵が――――!?
「嘘だろ……ッ!?」
「嘘じゃないです本当ですあなたは自分の目を信じることもできないんですか?」
目の下に大量のクマをつけた真っ黒な装束の少女が、両手にサバイバルナイフを構えて弾丸のような速度で迫りくる。考える余裕はない、この場で出せる全力を尽くすのみ!
「ふ――っ!」
体を回しながら右腕の『梓弓』でサバイバルナイフの刃を弾き、
「おおお!」
一瞬だけ波瑠を離して左腕側の『梓弓』を上方へ撃ち出し、日本刀の女性へ牽制を放つ。
「、届け――!」
蒼髪をなびかせる少女を掴んで抱きしめた瞬間――――地面と背中が激突した。
「が、ハッ」
今度こそ、意識が吹っ飛んだ。
後頭部を思い切り打ち付け、肩、背中、臀部、脚と接地した部分を起点に煮え滾るマグマのような鈍痛が全身に染み渡った。骨が砕けている。肉がひしゃげている。立ち上がるために必要なパーツが動かない。
「……ゆ、う……」
波瑠のかすかな声が聞こえる。この声色は、心配している時のものだ。
自分もボロボロなのに、この少女はやっぱり自分よりも他人の命を気にかける。
目の前に、自らの命の危機が迫っているにも拘わらず。
「やるなぁお二人さん。ミサイルの爆発、妾らの奇襲。全てを突破できたのは、やっぱり二人揃っていたからなんじゃろうな」
ッダン! と馬鹿でかい着地音を響かせ、浴衣姿の女性が数メートル離れた位置に着地した。日本刀が月光を反射して雅に輝いている。
「でももうトドメですみっともなく足掻こうと泥臭く喚こうとしても無駄なんで無言でやられてくれると非常に助かります」
佑真が弾き飛ばしたクマだらけの少女も、身動きが取れない佑真達を挟む位置に降り立った。
この窮地を抜け出す手段はない。
このピンチを切り伏せる技はない。
万事、休す――――?
(…………終わらせて、たまるか)
「妾たちは長門憂ほど甘くない。待ち時間は設けないぞ」
「殺します任務なので怒らず悲しまず喚かず一瞬だけ痛むと思いますがお気の毒に天国へいってらっしゃい天堂佑真さん」
二人の襲撃者は得物を構えると、躊躇うことなく突っ込んでくる。
(諦めない根性だけがテメェの誇りだろうが、天堂佑真! 自分の体なんてどうなったっていい。ただ、腕の中の女の子だけは守り抜きやがれッッッ!)
二枚の刃が蹂躙する直前に、佑真の右目が焼けるような激痛を訴える。
視界の半分が紅に染まる。心臓の奥底で何かが吠える。
そして再び、《零能力》は〝雷撃〟を放出した。
〝零能力・創造神の波動〟
佑真の意志に従い、零から現象・物体を生み出す零能力。
彼自身が明確に制御しきれていない方向の力は、純粋に〝雷撃〟として発動した。
暗闇に染まった天と地を繋ぐ、莫大な衝撃波が襲撃者たちを吹き飛ばす。
「あぐぁ……ぐふおっ」
そして反動が、最悪な形で返ってくる。
佑真の左目のレンズに針を突きさしたかの鋭利な痛みが走り、視界の半分が閉ざされてしまった。左手で反射的に目を抑えると、ねたりとある液体独特の粘ついた感触が触れた。脳が張り裂けそうだ。眼球を抉り出したい衝動を理性で必死にこらえる。
「……なんですか今のは天皇波瑠ですかでも瀕死状態ですよね?」
「大方、今のが《零能力》とやらなのじゃろう。面白いが、攻撃力は薄いようじゃな」
自分のことで精一杯な耳は、襲撃者たちのそんな声を拾っていた。
カチャ、と日本刀を構える気配がわかる。靴が地面を擦る音がわかる。だけど、けれど、何も見えなくて痛みで意識が支配されていて、上には波瑠が動けない状態でいて次に《零能力》を使ったら自分が壊れるかもしれなくてそんな恐怖に怯えていたら波瑠は守れなくていや今の状況を本当に守れているといえなくて所詮お前は最弱で所詮お前には波瑠を守れなくて波瑠の足手まといにしかなれなくて
「似合わない顔してんなよ、佑真」
――――――佑真の混乱を晴らす声もまた、やっぱり上から聞こえてきた。
赤くなった右半分の視界には、飛び降りてくる新たな人影が映っていた。
(……敵じゃあ、ない……?)
なびくポニーテールで、それが誰なのかわかった。あまり高くない身長と、数時間前に聞いたはずなのに懐かしささえ感じる声。撒き散らされるは――翡翠色の波動。
二本の刀を振り抜きながら着地した少年の顔で、小生意気な笑みが明確な怒りに切り替わる。
「さあて。僕の親友をここまでいたぶってくれたわけだけど――覚悟しろよクソッタレ共。生憎僕は、コイツを傷つけた奴を絶対に見過ごせない」
キュオオオ――――――ッッッ! と。
少年の宣戦布告を後押すように、鳳が天空で虹色の翼をはためかせる。
小野寺誠。
最強の少年剣士が、親友の窮地に救いの手を差し伸べる。




