●第百十六話 「普通の女の子を舐めんなよ」
【太陽七家・水野家】の歴史ははるか千五百年以上も昔にさかのぼる。
平安の陰陽師――安倍晴明の嫡流を取り込み『陰陽師』の血脈を得た【水野家】は、いつからか表舞台と裏社会で別の顔を持つようになった。
明治成りあがりの財閥・水野と古来より継がれし陰陽師家・水野。
第三次世界大戦。超能力の登場。数多の障害こそあれ、水野家は現代ついに【太陽七家】と言わしめる大家に到達した。
そして。
次代を担う令嬢とそのお付きは、科学に染まった時代では異例ともいえる、歴代の【水野】の数値を遥かに凌ぐ『陰陽師』としての才華を、当人たちの気づかぬ間に成長させていた。
《レジェンドキー》――――もとい《式神契約之霊符》。
神代や在りし日に人類と交流を果たした聖獣を、式神として契約し、使役する陰陽術。
水野秋奈と小野寺……否、水野誠が契約した聖獣は、神霊と呼んで何等おかしくない破格の霊格を保有している。
未曽有の大災害と吉報の担い手の二面性を有する『九尾の妖狐』。
平安を司る天下太平の神鳥にして、天空の支配者『瑞獣・鳳凰』。
彼らの力を借りた誠と秋奈の能力は、今。
果たして、理論の上では疑似神格と渡り合える潜在能力を宿している――――――
――――――佑真の『光の柱』が消えた瞬間、小野寺誠は二刀を交差させて《神上の力》へと突撃する。
「おおおおおッ!」
緋炎を纏った斬撃は同じ斬撃に受け止められた。
〝小神族の宝物庫〟より、《神上の力》は新たに光剣を取り出していたのだ。誠の二撃を一本の剣で弾き飛ばし、すぐさま翻った突きが迫る。
「舐めるな!」
虚空を貫く光剣を上体を逸らしてかわし、その剣身を足で蹴り上げる。無防備となった上半身へ振り抜く右手の刀を、《神上の力》は体勢を立て直すなり剣で受け止めた。
ガギィィィ! と高い金属音が打ち響く。
だが誠の攻撃は終わらない。左の刀が追従し、《神上の力》の顔面へ切っ先を突き付ける。首を動かすのみで躱した《神上の力》の翼がグワと蠢き、直後、光の嵐が誠を襲った。
「ちっ!」
『鳳凰の翼』を外套のようにして身を守る。
それでも尚押し切られそうな誠の背後に、《神上の力》が回り込んだ。右手の剣がグッとチャージを図り、弾丸のような突きががら空きの背中を襲う。
その光剣をも、誠が背後で交差した二刀が受け止めた。
「剣術で僕を上回ろうだなんて、愚かすぎるよ」
『――――――』
光剣を弾いて振り返った誠の、洗練された連撃が幕を開けた。
小野寺流剣術二刀流、十八連撃《悲愴》。
奏でられる剣閃の調べが、疑似神格の光剣と水翼の悉くを引き裂いていく。彼の纏う緋色の炎熱は水翼を一瞬で水蒸気へと誘い、気焔が如何なる反撃をも断絶する。
まさに烈火の勢いで振るわれる猛攻の背後で、九つの尾を構える秋奈がいた。
《物体干渉》で即席の足場を作り、空中に佇む彼女は九尾に蒼炎をチャージする。
球体は最初こそ野球ボール程度だったが、今や半径五メートルをゆうに越す巨大な業火球になっていた。
「………誠ッ!」
誠が《移動》を使い強引に位置をずらした瞬間。
狐火に《物体干渉》で指向性を与え、山を割り森を焼く九重の破壊光線を解き放つ。
蒼の業火に対し、《神上の力》は漆黒の魔法陣を展開すると、その中央から莫大な水流波を撃ち出した。
原初の大津波、ノアズアークが如き波濤の一撃。
「………ぁぁぁああ!」
秋奈の咆哮が、火力を更に伸し上げる。拮抗する焔と水のせめぎ合いを前に、小野寺誠はすでに動き出していた。
《神上の力》の周囲全面に不可視の『空気の壁』を張り、三百六十度の包囲網の中を《跳躍》と《加速》で自由自在に飛び回る。
「ふ――っ」
秋奈に気を取られていた《神上の力》の水流の翼を一枚、また一枚と緋炎の刀で引き裂く。誠に気付きながら、しかし《神上の力》の対処が誠の身体を傷つけることはなかった。
秋奈の五秒に満たない時間稼ぎで、すでにそこは誠が作り出した独擅場と化している。隼を彷彿とさせる速度で空中を自由自在に飛び、跳び回る彼を捉えきれずに光線はただ空中を薙ぐ。
そして翼を切られるたびに、狐火との均衡は揺らぎゆく。
「………注意力を逸らして、あたしに勝てると思うな!」
『――――』
突如狐火を解いた秋奈は水流波をひらりと躱し、尾ではなく両手で用意していた技を振りかぶった。
チキ、と世界がわずかに割れる音がした。
手のひらサイズまで圧縮された、九尾の怨讐を詰め込んだ災害の球体――《殺傷覇導》。
一度は神的象徴を抑え込んだ災害が、虚空を翔ける。
対応すべく《神上の力》は光剣を振り上げた。周囲の大気がざわめき、光剣の輝きが一段と増していく。
小心族・エルフが織りなす神代の御業――『天使の力』を凝縮した一振りが、和の災厄と追突しようという、その瞬間だった。
「焼き尽くせ、鳳凰――――」
光焔が《神上の力》の背後から光を射していた。
大噴火に匹敵する爆発的火力を纏った二刀を携え、誠の一撃が天と地を繋ぐ。
「――――《星火燎原》」
焦熱の柱が《神上の力》を殴りつけた。
翼の再生速度を上回り、神を大地へ引きずり落とす圧倒的威力。火柱に呑み込まれた《神上の力》は、それでも尚健在し、反撃する。
光剣をしまい、光弓を左手に。神々しく瞬く矢をつがえ、はるか天空へと撃ち上げる。
〝小神族の宝物庫〟――神代の武器を、ズゴガッ、と。
いとも容易く弾き飛ばす、純白の翼が割り込んでいた。
〝世界に仇為す黎明の翼〟――波瑠の六対十二枚が光の矢を消し飛ばし、そして《神上の力》へと急降下を仕掛ける。
『――――』
「千花ちゃんっ!」
煮え滾る灼熱の渦の中、波瑠の十二翼が《神上の力》を捉えた。隕石衝突もかくやという勢いで地面へと押し潰し、衝撃の波紋が周囲の地盤にひびを刻む。
その上で、超能力を発動する。
《霧幻焔華》の原点。
あらゆる熱現象を抑え込み、どころか熱量を奪い去る母親の絶技の再現。
「《氷結地獄》ッッッ!!!」
零距離で発動された凍結系能力の最高峰が、《神上の力》の水翼を片っ端から凍り付かせる。その程度の拘束を、と振り払おうとする《神上の力》の視界に――そして波瑠の背後に『何か』が迫る。
「……特別、サービスだ……波瑠」
はるか遠くに立つ満身創痍の清水優子――《静動重力》。
「受け取れえええ!」
彼女が放っていたのは、パチンコ玉を起点として空間軸を歪めることで、莫大なエネルギーを引き寄せる『重力弾』。簡易ブラックホールと呼んでも過言ではない一撃を背中に喰らう寸前で、波瑠は《霧幻焔華》を歴代最高の演算力で発動させる。
優子が起こしたエネルギーをも演算式へ。
一歩間違えれば自分の身を滅ぼしかねない、しかし全日本第二位の技巧と応用力を以て起こされる、エネルギーの完全制御。
「おおおおおおおおおおお―――――!」
波瑠の咆哮が全天に響き渡る。
パキパキパキ、と。
最初はわずかな音が、徐々に津波のように勢いと速度を増していき、そして。
高尾山をも超える超巨大な氷山が、《神上の力》の全身を拘束した。
「………すごすぎない?」
「はは、これを元に戻すのは骨が折れそうだ……」
上空で、あくまで戦闘態勢を保ったまま、誠と秋奈が氷山を見て呆然と呟く。
そんな二人は、地面に落ちた二人の友人を見守っていた。
「千花ちゃん」
氷山で《神上の力》を捉え、波瑠は千花に語り掛ける。
「その力は自分を強く持てば制御できる。あなたがあなたであることを忘れなければ、何よりも強い想いがあれば、あなたの味方になってくれるの!」
暴れる疑似神格を、同じ疑似神格で必死に抑えつけて。
「千花ちゃん、頑張って……」
全身から血を滴らせ、今にも崩れ落ちそうなほど息を上がらせて。
「こんな私にだってできたんだから、大丈夫。千花ちゃんにだってできるよ」
それでも少女は、聖母のような微笑みを浮かべた。
人はそれを、精神論と笑うかもしれない。
けれど《神上》とは、所有者の心と直結した存在である。
彼女達が起こす魔法は、すべて人々の願いが込められた奇蹟である。
故に言葉は、届く。
「………………波瑠、さん」
とても小さな、囁き声のようだった。
純白の波動に覆われた少女が、唇をゆっくりと開く。
「っ! 千花ちゃん!」
「……わたしは、大丈夫です、よ……」
透明な瞳が、希望の光を取り戻す。
「……やっと、見れました……」
波瑠がボロボロと涙をこぼす、その頬を。
「……泣かないでください、波瑠さん……せっかくの、素敵な笑顔が台無しですよ……」
戸井千花の白くて細い指が、優しく拭っていた。
☆ ☆ ☆
氷山の一角で抱き合う少女達を――腹の底から煮え滾る程の屈辱で睨み付ける双子がいた。
キャリバンに未だ拘束された状態の、月影一歩と月影百歩である。
「な……ぜだ」「なぜだ」「なぜだ」「なぜだ」「なぜだ」「なぜだ」「なぜだ」「なぜだ」「「なぜだああああああああああ!!!」」
「ハッ、お勉強が足りてねえみたいだな、ガキ共」
高尾山にコダマする双子の咆哮を、人間たちを救い続ける零能力者は鼻で笑った。
「忘れたとは言わせねえぞ――テメェらの親玉が作った《神上の力》の起動のカギは、所有者の感情が『正』か『負』に振り切れることだろ」
ある夏の日に、海底で聞いた誰かの言葉。
波瑠が執拗に天皇劫一籠に狙われていた条件の一つは、死のトラウマが《神上の力》の引き金を引くのに用意しやすい要素だったからだ。
「なぜだ、なんて聞くまでもない」
少年は救いの稲妻を握りしめて、言い切った。
「戸井ちゃんの心は、そう簡単に『負』になんて染まらない。普通の女の子を舐めんなよ」
天堂佑真は〝神殺しの雷撃〟を伴い、新たな敵の下へと向かっていく。
彼が通った道には、『能力付与実験』の呪縛から解き放たれた人間たちが、呆然と立ちすくんでいる。
そして――身体の節々から流れる血の滴りも、彼の足跡となっていた。
佑真の《零能力》は、使用するたびに自らの身体のどこか一ヶ所を傷つける。
しかしその一回で、長く苦しい悪夢から解放される人がいる。
ならば佑真は、自分がたとえ二度と立ち上がれなくなろうとも、右の拳を握りしめる。
すでに視界は朦朧として。
心臓が張り裂けそうな程血液を循環させて。
死の淵に立っていようとも、佑真は両の足で先へと進み続ける。
「…………」「……だ、だけど!」「キミ達が攻略したのはあくまで《神上の力》にすぎない」「ああ楽しみだよ」「そうだ、こーきに聞いてみよう」「この高尾山の惨劇で」「一体何人の未来ある能力者が」「殺されたのかを――――――」
言葉を失っていた双子は、しかし立て板に水で文字を並べた。
不安を埋めるように、現実から目を逸らすように、ただ、そうあってほしいと。
「残念ですが」
一縷に託した望みもまた、金髪碧眼の少女が打ち砕く。
「アタシとユウマが意味もなく【ウラヌス】の名乗りを上げたとでも思っているのですか?」
「「…………」」
「あの時点ですでに、この高尾山で行動開始していたんですよ。《神上の光》を交えた演習では何が起こるかわからない――そう考えた真希隊長が配備した、アタシ達の上司の皆さんが!」
「「………………ッッッッッ!?!?!?」」
☆ ☆ ☆
――――佐藤歌穂が突然周囲に現れた有象無象の異形たちから、大量の青葉を壁にして自分や級友を守ること、小一時間が経っていた。
波瑠達の大戦の裏で、歌穂は立派に被害を食い止めていたのだ。友人達を守る為、ランクⅨとしての責任、学級代表としての義務を果たす為に、たった一人で。
それでももう息は切れ、精神的にも能力的にももう限界で。
諦めようかと、瞼を下ろしかけた時だった。
「ふん――!」
黒いマントをなびかせた大きな男が、劫! と。
緋炎を纏った大剣を振るって、わずか一撃で五人もの異形を薙ぎ払ったのだ。
「……え?」
「な、なに?」
歌穂だけでなく、葉の盾に隠れていた大島友子も顔を上げる。
現れた金髪の男は緋炎の大剣を片手で操り、『隻眼白髪』や『牡牛の角』を、大剣を以て引き裂いていく。鮮血が舞い、友子が小さな悲鳴を上げた。
悲鳴に金髪の男は一瞬だけこちらを見て、とめどなく迫る『敵』に向けて剣を払う。
「ふむ――これが俺達の後期段階の『実験』の被害者か」
男の袖口から覗いた右腕は、人工皮膚が剥がれて漆黒の表面が露わとなっていた。
「『強化兵創造計画』も厄介なものを残してくれたものだな」
「口は動かさなくていいですから、あなたは体を動かしてください、オベロン」
そんな男の隣には、いつの間にか青い髪で狐顔の青年がいた。
「貴様も戦えステファノ。久々の戦場、武装しているのだろう?」
「残念ながら、ぼくの使命は生徒達を安全な場所まで誘導することです。いくら脳筋のあなたでも、適材適所という言葉くらい知っていると思うのですが……?」
「もういいから今すぐその減らず口を閉じろ」
男たちはここが命のかかった戦場とは思えない、冗談交じりの言葉を交わす。
すると狐顔の男がくるりと振り返り、歌穂達に――表情が読めないのでよくわからないが、たぶん恐らく、微笑みかけた。
「ではオベロン、この場はよろしくお願いします」
「仕方あるまい。少女達を任せるぞ」
金髪の男は、黒いマントを翻し。
歌穂達は呆然としたまま、青い狐顔の誘導に従って下山を開始する。
「あの……すみません、あなた達は?」
「おや、名乗り忘れていましたね。ぼくはステファノ・マケービワ。そして金髪の彼はオベロン・ガリタと申します」
狐顔はそこで一度言葉を切り、胸元の紋章を指さしてこう続けた。
「【ウラヌス】第『〇』番大隊所属の……そうですね。とある少年風に言えば、『正義の味方』です」
――――三日月達樹と八神龍二が、協力しながら『敵』を次々と薙ぎ払う。
「み、三日月くん、回復するから下がって!」
「おう! 悪いな」
先ほど庇ったB組の女子が治癒系能力者だったことも幸いしていた。酔いから覚めた彼女が三日月や八神の負った傷を逐一癒してくれるので、進攻は安定度を増しつつある。
今もまた、迫りくる『羽女』を三日月が振動の波で気絶させ、八神が拳を叩きこむことで撃退する。八神は構えなおしながら、三日月へと口角を上げた。
「一年。その《振動能力》だったか、なかなか便利だな」
「八神先輩が矢面で敵を引き付けてくれるから、上手くいってるんですよ」
「謙遜か。頼もしいな――」
あくまで気を抜かずに会話する二人は、ガサ、と付近の茂みの音を聞き逃さなかった。
敵意を向けた瞬間、茂みより『鮫肌の男』と『虚ろな眼』が飛び出してくる。
「流石に奇襲も飽き飽きだよ! 三重波!」
三日月は早々に振動の波を起こす。いつもならば敵の脳をかき乱して地面へ落とすのだが、今回はそうは行かなかった。
「クオオオオオオオオオオ!!!」
「何っ!?」
『虚ろな瞳』の咆哮が、三日月の音の波を強制的にかき消してしまう。
飛びかかる『鮫肌の男』。八神の拳を軟体じみた挙動でグニョリとすり抜け、後方の生徒へ腕を掲げる。やらせるわけにはいかない、と三日月が右腕を突き出した。
「三日月くん!?」
女子生徒の悲鳴が上がる。襲い来る激痛に奥歯を噛みしめた、その時だった。
「《凍結能力》」
目の前で、カチコチカチ、と『鮫肌の男』や『虚ろな瞳』の全身が凍り付かされた。
「っ、はぁ……はぁ……」
思わず尻餅をつく三日月。凍り付いた二人の『敵』が真横に落下し、その後方から、軍服に身を包んだ青年が姿を現した。
「はは、やっぱり達樹じゃないか」
「……あ、兄貴!?」
ふむ? と八神が遠巻きに顔を覗かせる中、三日月達樹は手を差し伸べる相手にほとほと溜め息をつかされる。弟をぐいと引き上げながら、軍人は周囲の者達に自己紹介をした。
「【ウラヌス】陸軍第『〇』番大隊『一等兵』の三日月冷次です。もう大丈夫、ここから先はあり一匹と通さないから」
高尾山の山頂から荷電粒子砲を放って援護に徹していた瀬田七海と、彼女の護衛を勤める森下恵。
二人の出る幕は、到着した援軍によっていつの間にか完全に奪われていた。
依然として出現し続ける敵。『牡牛の角』が七海に向かって突進を仕掛けるが、瞬間的に割り込む人影があった。
《真空微動》――自分を指定の座標へ高速移動させる能力で割り込んた女性は、右手に握る刀剣を素早く振り抜いた。
「小野寺流一刀流――居合抜刀〝三日月〟」
刃渡り二メートルに及ぶ美しい太刀が、両足を一斬に引き裂いた。
『物干し竿』に匹敵する長刀を操るのは、【ウラヌス】真希隊の切り込み隊長こと小野寺恋。
今年度盟星学園新入生首席、誠の義姉だ。
「小野寺の長女……流石の剣閃です!」
「褒めても何も出ないよ~」
おっとりとした口調で微笑む彼女の背後で、紅蓮の噴火が起こっていた。
恋と同じく真希隊に所属する、アリエル・スクエアの《豪炎地獄》である。咆哮轟かせる火炎龍が二匹、無数の『敵』を火山弾で一気に蹂躙する。
「本心を言えばお嬢様の下へ向かいたいですが……まあ、天堂君がいますからね」
「大丈夫だよ~きっと。佑真ちゃんや誠ちゃんを信じて、こっちはこっちで頑張ろ~」
おー! と場に似つかないふわふわした雰囲気で拳を掲げる恋に、七海たちはようやく緊張の糸がほどけた気がした。
「……全く、こんな準備があるのならもっと早く寄こしてくださいよ、真希!」
腕を骨折したり、皮膚を抉られていたり。
重傷を負った生徒達を保護して一人戦線を維持していた神童尚子は、ようやく到着した援軍に程なく肩の力を抜いた。
「痛っ……」
「大丈夫だ。落ち着いて、ゆっくり深呼吸するんだぞ」
負傷者の看護にあたるのは、第三次世界大戦の後半四十年を見てきた第『〇』番大隊高齢コンビの片割れにして『軍医総監』の肩書を持つ白神惣一郎だ。数多の疲労で白髪となった彼の適切な対応と柔らかな雰囲気が、負傷者たちの不安を削いでいくのが背中越しでも伝わってくる。
彼の治療を阻害させまいと戦う姿もあった。
雷撃を全身から放ち、止めどなく出現する敵を次々と麻痺させていく中年男性。
ダンディとも言えないごく普通の男は、戦時中では現【ウラヌス】総大将やアーティファクト・ギアと肩を並べる名声を得ていた英雄の一人。
《雷撃能力》――【ウラヌス】での階級は『少将』、日向克哉である。
「息子に不甲斐ない結果を聞かせるわけにはいかないのだよ!」
「無理はするなよ克哉君。もう歳なんだから」
「白髪で最前線に立つ『戦う医者』に言われたくはありませんがなあ!」
本物の戦争を経験してきた『正義の味方』が頼りになり過ぎて、久しく戦線から離れていた尚子の出る幕は、気づけばなくなっていた。
悲劇は、事前に食い止められないから『悲劇』と呼ばれている。
悪が動き出す前に正義が動き出すことは、滅多にない特異事例だろう。
なぜなら悪とは、予兆はなく、前触れなしに平和を脅かす存在を指す言葉だからだ。
それでも。
起こってしまった『悲劇』を完膚なきまでに覆し、救うべき者に救いの手を差し伸べ、必ず悪を討つ。
悲しみだけで終わらせない。
その為に、『正義の味方』は戦場に立ち続ける。
☆ ☆ ☆
「「………………ッッッッッ!?!?!?」」
徐々に酸素濃度が低下していくつむじ風の中で――双子は子供の愛らしい顔つきでしてはいけない、満ち充ちた憎しみを露わとする。
キャリバンに慈悲はない。彼女は一軍人として、キッと双子を睨み付けた。
「この悲劇はもう終幕です。大人しく降参してください」
「「嫌だ」」
対して、双子は。
残り少ない酸素で――――
「やめろ」「ダメだ」「終わらせるわけには」「いかない」「終わらせてたまるか」「だって」「こーきに」「殺される」「当主様に」「見放される」「せっかく手に入れた居場所が」「一歩と」「百歩が」「二人一緒にいられる世界が」「死なずに」「大人になれる未来が」「嫌だよ」「お願いだよ」「やめてよ」「まだ死にたくない」「大人になりたい」「大きくなりたい」「やめて」「やめて」「やめて」「やめて」「やめ」
「――――――《お前ら全員、地に伏せろ》」
そして。
やけに響いた男の声が、敵味方傍観者関係なく、そこにいる万人を大地へ抑えつけた。
☆ ☆ ☆
言葉通りに地に伏せさせられたのは、キャリバン一人ではなかった。
『能力付与実験』の呪縛から解放された人々も、《レジェンドキー》の衣を纏った秋奈と誠も、氷山の一角で《神上の力》状態を制御していた波瑠と千花も、つむじ風の中にいた月影一歩と百歩までも、全員が等しく、地面に伏していた。
清水優子の重力操作とは違う。
引力や重力のようなものはないにもかかわらず、体が勝手に言葉に従っている。
「…………この声って……」
命令に背いて必死に立ち上がろうとしていた誠が、重苦しそうに顔を上げる。
聞き覚えのある声だった。
高校に入学して、少ししてから仲良くなった相手の声だ。体育が得意で座学はサボり気味で、佑真や誠と似て雑な容赦のない言葉回しを多用し、カッカッカ、と独特な笑い方をする。
「九十九!?」
「おう、今朝ぶりだな小野寺。別に《頭を上げるな》とは言ってない。《暴れずに大人しくしていれば、地面に伏す必要はない》」
ツンツンした茶髪の男子高校生がそう述べただけで誠たちを縛る何かはなくなり、一切の苦もなく立ち上がれた。
まるで、九十九颯の言葉に強制的に従わされているように。
立ち上がり、けれどそれ以上自由には動けない誠たちの間を通り過ぎ、九十九は波瑠と千花の前まで歩み寄った。
「九十九、くん……?」
そして九十九は、波瑠の背中の白い翼に触れた。
「これが《神上の光》の神的象徴か。お前は完全に制御しているようだな、天皇波瑠」
「お前、何を言っているんだ!?」
誠の叫びを無視して、九十九は続いて千花を見下ろす。呆然とする千花の手の中には、未だ出現したままの光弓が握られていた。
「で、お前が《神上の現》か。まさかクラスの落ちこぼれが《神上》所有者だとは思わなかったが、一度目の神的象徴の顕現で制御下に置くとはたまげたモンだ。カッカッカ、適正値は所有者の中でも随一かもしれないぜ、戸井」
「ごっど、ぶれす……?」
「九十九くん、《神上》を知っているの!?」
「ああ。知っているというよりは、こういうことだがな」
困惑する波瑠に頷きかえした九十九は、悪戯をする子供のように楽しそうに体を揺らした後、べえ、と波瑠と千花にだけ見えるように舌を出す。
そこには――――十二星座と六芒星を基盤にした漆黒の魔法陣が、焼き付けられていた。
「…………っ!?」
「まあそう驚くな、天皇波瑠。隠していたことはきちんと謝るし、改めて自己紹介もしてやるからよ」
九十九は波瑠の頭をぺしんと叩き、ひょうひょうとした態度のまま、ニイと白い歯を見せた。
「国家防衛陸海空軍独立師団【ウラヌス】の陸軍第『一』番大隊所属であり。
盟星学園高校の一年A組であり。
実はもう十六歳で、お前らの一つ上だったりする。
九十九颯だ。改めてよろしくな、天皇家のご令嬢さん」
波瑠は、自分がうまく呼吸できているか怪しいほど動揺していた。
陸軍第『一』番大隊は、現在の【ウラヌス】総大将にして『世界級能力者』天皇涼介が直接指揮する、まごうことなき最強集団の一角だ。
まさかクラスメイトに、こんな強者が紛れ込んでいたなんて……。
「詳しくは帰ったら説明するわ。驚かせたな」
「う、うん……」
「なるほど。道理で強いと思ったよ、九十九」
「カッカッカ、よく言うぜ小野寺。模擬戦とはいえよ、国防軍の軍人をハンデ付きで倒している自分は棚上げか?」
ケラケラ笑う九十九は普段通り落ち着いている。誠は突然横やりを入れた九十九を敵かと疑っていたが、肩書を信じれば、味方と思って問題ないようだ。
そして九十九は、月影一歩と百歩の前に仁王立ちした。
「そんなわけでお縄だ、お二人さん。これ以上は、天皇涼介隊長の名において見逃すわけにはいかないからな……ん?」
「あのぅ、ハヤテ」
首を傾げる九十九に、キャリバンは顔を背けながら述べる。
「彼女達、あまりにショックだったのか……少し前から立ったまま気絶していて、アナタの話は一言も聞いていなかったみたいですよぉ」
「漫画みてえだなオイ」
九十九の平和ボケしたツッコミに笑うものはいない。
敵という脅威が消え去り、高校生達は眼前に叩き付けられた光景に言葉を失っていた。
高尾山という自然は跡形もなく破壊され尽くし、もはや見る影もない。
消えた木々。穿たれた山肌。出現した大氷山。
波瑠と千花が――《神上の力》が起こした災厄の爪痕。
「…………佑真くん」
遠鳴りに響く残りわずかな掃討戦の気配を感じながら、波瑠は胸元でギュッと手を握りしめていた。
☆ ☆ ☆
そして、富士山の一角に存在する『壁』の中の実験施設で、鉄先恒貴は腹を抱えて笑っていた。
「ヒーヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」
周囲には誰もいない。
立体映像で映し出される高尾山の生中継を見て、彼は気が狂ったように笑い転げる。
「ハハハハハ! 動き出したか天皇涼介! あの野郎《神上の宇》を惜しみなく出してきやがった! ヤベェぞこりゃ。面白くなってきた。まさに今回のイベントはこれからの宴の余興に過ぎなかったってか? それとも九十九颯の接触まで含めて、実は劫一籠様の『計画』に含まれていたとでも言うのか!?」
立体映像は、ようやく『天使の力』をほどいた波瑠と千花を映していた。
また、別の画面では、今も尚《零能力》を振るう、血まみれの天堂佑真を追っていた。
「ヒー……クソ、笑い過ぎて死ぬ、呼吸できねえ……」
この際、波瑠を殺せなかったことも、佑真を殺せなかったこともどうだっていい。
元よりこれは、天皇劫一籠の意志とは関係なく、鉄先恒貴が自分の私怨を勝手に引き合いに出した余興にすぎないのだ。
「さあ……どうするよ、天堂佑真」
そして立体映像は、傷つき傷つき傷ついた、多くの生徒達を映し出した。
「『悪』を追い払えば万事解決だと思ったら、大間違いだぜェェェェェ……く、は。ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハ!!!」
そして、更にもう一つの立体映像は。
高尾山とは全く別の場所を映し出していたという。
次回がエピローグになります。
第五章もお付き合いいただき、ありがとうございました!




