●第百十五話 「長い長い、悪夢」
「――――――お前はこっちでよかったのかよ、キャリバン」
「アタシはあれ、一回やってますからねぇ。今回は二人の番ということで」
金髪碧眼の少女、キャリバン・ハーシェルは上空を見上げながら肩をすくめた。さいでしか、と背中合わせで立つ夜空色の髪の少年がへらへら緊張感なく笑う。
「ユウマこそ、本当はこっちじゃなくてセンカの方に行きたかったんじゃないですかぁ?」
「ま、そりゃ零能力者が行くのが一番手っ取り早いだろうけどさ」
佑真は真正面を一瞥し、『梓弓』の籠手部分を突き出す。
「流石に集結相手じゃ、オレ以外はまともに戦えないっしょ?」
「……いつの間にか、本当に頼れる存在になっててビックリです。初めて会った時の無鉄砲なユウマも懐かしいですねぇ」
「初対面で人のどてっぱら蹴り上げたヤツも、今や面影ないけどな」
「あの時は『敵』でしたからぁ」
「今は『味方』だ。心強いぜ」
「ふふっ、ユウマは素直に頼ってくれる分、ハルより楽ですねぇ」
キャリバンもクスクスと肩を揺らし、手首のSETに手を添えた。
とっくのとうに起動している端末に刻まれるは、正義の紋章。
二人は、自分たちを取り囲む人間達へ向けて名乗りを上げた。
「「国家防衛陸海空軍独立師団【ウラヌス】陸軍第『〇』番大隊」」
学生としてではない。
現在日本が保有する最大戦力の一員として、命を賭すと誓うための名乗りである。
「『二等兵』天堂佑真だ。覚えとけ」
「『一等兵』キャリバン・ハーシェルです。以後お見知りおきを」
二人はじり、ともはや荒野同然の足場を踏みしめる。
「他の奴は任せたぞ」
「集結はお願いしますぅ」
お互いにしか聞こえない、ごくごく小さな呟きを皮切りに。
人間達が一斉に動き出した。
《劣化集結》の大男はもはや佑真しか目に入っていない。漆黒の波動を鞭状にして乱雑に振り回すが、〝純白の雷撃〟を伴った佑真によって幾度となくかき消されていく。
(――――気にかける必要は、なさそうですね!)
気流に乗りながら横目で確認していたキャリバンは、そう決めつけて両手に『空気の弾』を生成する。その数は片手につき十球。合計二十球の見えない砲弾を構えた状態で、自分から敵の中央に突貫した。
「シャアアアアアアアアア!!」
下半身が蛇のような『蛇女』とでも呼ぶべき人間が奇声を上げ、両手から紫電を撃った。キャリバンは空気の濃度を操り雷撃の軌道を捻じ曲げ、『蛇女』に空気の弾を直撃させる。懐を貫いた空気の弾は、かつて佑真達の寮長――才波有希を抉った時とは威力も速度も比べ物にならないほどになっていた。
大地を席巻する球状の爆発が吹く。
気流を引き裂いて、肩甲骨から翼のようなものを生やした男が唸りを上げてきた。
一気にキャリバンに接近し、ナイフほど伸びた両手の爪が振り降ろされる。しかし直弾は敵わない。腕は気流によって反対方向まで押し戻され、関節がペキッと乾いた音を鳴らした。
「OOOOOOOOOO!?」
「少し気絶していてくださいっ!」
キャリバンは『翼の男』の周囲から空気を引かせて意識を奪う。
彼女の頭上を覆う影があった。
頭上から、すでに死に体と化した『隻腕の巨体』が倒れてきたのだ。よく見れば『隻腕の巨体』を押し出した人影があった。外見だけで称するなら『包帯の男』や『蜥蜴人間』達によるもの。面制圧の攻撃を、キャリバンはほんの少し目を向けるだけで戦線に意識を戻した。
ドシャアッ!!! と風の鉄槌が啼く。
目を向けずに起こした上昇気流は『隻腕の巨体』を真下から殴りつけ、ふたたび高尾山の斜面に叩き付けた。「ゴオオオオオオオ!?」「きいいいい!」と異形の悲鳴が遠くに聞こえる。
「はぁ――!」
同時に、キャリバンは用意していた空気の弾を七方向に投げつけていた。
遠距離からキャリバンを、そして佑真を奇襲しようと構えていた人間達へクリーンヒットし、不可視の砲弾が戦線から彼らを引きずり落とす。
ちり、と視界の端で太陽光を反射する何かがあった。
佑真に向かって直線的に投げられた短剣は、キャリバンの突風が回収する。彼女の気流に乗った三枚の刃は、ある方向に撃ち出された。
キンキンキン、と三連続で響く金属音。
黒い和服をなびかせた月影一歩が、短刀で百歩の短剣を弾いて火花を散らす。
「アナタ達……あの光線の中でも、まだ残っていたんですねぇ」
「……他人のことは言えないんじゃないかな」「キャリバン・ハーシェル」「お前だって」「《神上の力》の力に巻き込まれて」「それでも」「生き延びているじゃない」
――《神上の力》が幾度となく放った〝小神族の宝物庫〟によるレーザー光線の嵐。キャリバンは清水優子に庇われながらからくも逃げ切れた、という程度だ。何度か肌を掠めたし、超能力も過度に使って消耗している。
上空にいた月影百歩はともかく、月影一歩も同様に疲弊しているようだ。
そしてその疲弊は、光線の嵐の中にいなかった百歩にも何故か伝染しているように見える。
(……独特な喋り方といい、何か秘密があるんでしょうねぇ)
或いは、弱点と呼ぶべきものが。
戦闘態勢を取るキャリバンに対し、月影一歩は地に伏した『翼の男』の背中を撫でた。
「少し話をしよう」「キャリバン・ハーシェル」
「……なんですか」
「『強化兵創造計画』って知ってる?」「知ってるよね?」「知ってるはずだよ」「【ウラヌス】にいる」「キミならさ!」
周囲に群がる人間達の攻撃はやまない。『翼の男』の周囲で語り始める月影の双子の言葉に耳を傾けつつ、キャリバンはふたたび空気の弾を装填した。
「かつて第三次世界大戦にて」「兵力増強を目論んだ日本が計画した」「『強化兵』の創造さ」
オオスズメバチのように巨大な顎を剥いて噛みついてくる女を蹴り飛ばし、
「第一部は『科学による肉体改造』」「そう」「キミの上司にあたるオベロン・ガリタやアリエル・スクエアが経験した」「サイボーグ化の事だよ!」
両腕に六本の刀を突きさしている『鮫肌』を、風圧で丸太に叩き付け、
「あれもあれで」「兵力増強にはつながったけど」「まだ足りない」「【太陽七家】の望む新天地はその程度ではない」「まだ先がある」
ハリネズミのように全身が『針の筵』になっている女の飛針を竜巻で奪って、周囲一帯へ撃ち返す。
「さてどうしよう?」「どうしましょうか?」「そんな時」「【太陽七家】にある男が現れる」
飛針はキャリバンの視界目いっぱいを飛び交った。
「彼の名は木戸御行」「『第三次』の終盤にはすでに六十を超えていて」「戦線に出られない老体となり」「超能力を今まで使ってこなかった男がいたの」
飛針はたくさんの人間を穿ち、傷穴から赤い血を流させた。
「彼が偶然SETを使い」「判明した超能力はなんと!」「細胞を、遺伝子情報を組み替える超能力」「その能力は便宜上」「《能力改竄》と呼ばれた!」
人間たちは次々と悲鳴を上げ、或いは屈するまいと気焔を上げる。
「そうして『強化兵創造計画』は第二部の幕開けとなった」「第二部の名は」「『能力付与実験』」「選抜された人間たち」「何千名もの能力者の細胞を、脳を直接いじくって」「より強力な戦闘兵器を創造してしまおうという」「最も手っ取り早く」「最強を生み出せる計画!」
人間達の声は、怪物じみていて嫌悪感さえ抱くのに。
「キミ達は彼らを」「この山を蹂躙する彼らを」「怪物かなにかと認識して」「容赦なく」「攻撃しているみたいだけどさ」「コイツらだって」「元々は人間なんだ」「キミ達と同じ」「百歩たちと同じ」「皆等しい」「人間」「木戸御行に」「全身を改造されただけで!」
人間たちが上げる悲鳴は。
「キミ達にとって」「てんのーはるにとって」「守るべき」「慈しむべき」「人間に変わりないんだよッ!」
痛みによって上がる、助けを求める叫びなのだ。
「さあどうする?」「傷つけられるか?」「殴れるか?」「殺せるか?」「選択の時だよ」「てんのーはる」「そして」「愚かな友人の皆さん?」
異形をしていながら、元々は自分達と同じ存在。
人とはかけ離れた外見をしていても、嫌悪感を誘い恐怖を与える容姿をしていても。
人の手によって人とかけ離れた人間――――。
「…………」
「びっくりしたかい?」「びっくりしたよね」「びっくりして言葉も出ないみたいだね!」
「…………ええ、とても驚きました」
キャリバンは、そう呟いて口角を上げた。
驚愕に染まるのは月影一歩と百歩の方だった。
「アタシの推測と寸分違わぬ連中を、アナタ達が連れて来ていただなんて本ッ当にビックリですよ」
「っ!?」「な、」「何を言っている!?」
「聞きましたか、ユウマ!」
キャリバンは双子を無視して大声を張り上げる。
「連中の肉体はアタシの推測通り、超能力によって改造されたものです! 無茶を承知で命令します――死力を尽くしてくださいッ!」
「何をする気だ」「キャリバン・ハーシェル!」
焦燥に駆られるように短刀と短剣を突き付ける双子の攻撃を、キャリバンは風圧の壁で受け止める。
「それくらい自分たちで推測してください……ともかくとして、一つだけ忠告してあげますよ」
すでにキャリバンも、全身を煤と流血で汚している。それでも彼女は、見出した一筋の希望に白い歯を見せる強さを残していた。
「初戦の時から重要なことをベラベラ喋りすぎですよ、アナタ達。アタシやユウマのことを侮り過ぎです」
「「…………まさかァァァ!」」
双子の絶叫が折り重なる頃には――夜空色の髪をなびかせ、少年が狼のような速度で《劣化集結》へと突撃していた。
ある推測への確信を得た今、人間への接近に躊躇う理由はなくなった。
両腕の雷撃を振りかざし、十メートル以上の間合いを疾駆する。
「やらせねェぞクソッタレ! これ以上テメェの好きにさせてたまるかよォ!」
「おおおおお――!」
《劣化集結》は佑真に執念の猛攻を振るうが、立ちはだかる漆黒の波動を佑真の右腕がことごとく打ち砕く。〝純白の雷撃〟に――〝神殺しの雷撃〟に超能力は通じない。ありとあらゆる異能を『零』へと誘う雷撃を得た天堂佑真を、止められる者などいない!
「くそっ」「止めるんだ」「百歩兄さ」
「いかせませんよぉ!」
《平均化》を使ってキャリバンの前から離脱しようとした月影百歩の周囲を、つむじ風が取り囲んでいた。いくら情報を平均化する超能力でも、キャリバン自身が起こす風の包囲網を《平均化》しては隠密行動のおの字もない。
「「……くそぉッ!」」
「行けユウマ! 背中はアタシが絶対に守りますからぁ!」
歯噛みする双子と、双子を完膚なきまでに抑え込むキャリバン。
佑真を送り出した彼女は――かつて天皇波瑠の隣に立っていた相棒だった。
波瑠に別れを告げられて以来、キャリバンは貪欲に力を求めた。
外法でも近道でも構わない。自分の身を滅ぼしても構わない。
ただ、孤独な少女の隣に胸を張って立てる力を欲した彼女は――第三次世界大戦中後に行われていた、全世界での人権侵害級の『人体実験』まで洗いざらい調べている。
当然、自国の『強化兵創造計画』も『the next children』も。
そして『能力付与実験』に関するデータも、キャリバンの届く範囲で調べ尽くした。
非常に残念なことに、木戸御行は他界していてキャリバン自身が『実験』にあやかることはできなかったが――――情報だけは頭の中に入っている。
そいつと照らし合わせて、キャリバンだけは早々に高尾山での騒動と『能力付与実験』の関係性を疑った。ただ確信が得られず、予測だけで泳いでいたが……予測が真実に変わった今。
キャリバンの仮説が、最悪を覆す最善手を導き出す。
(『能力付与実験』は木戸御行の超能力によって人体改造する、というもの。アナタの――ユウマの《零能力》ならば、あの人たちを桎梏から救い出せる!)
「救い出してみせるとも――そこに、助けを求める人がいるんだから!」
キャリバンの想いに応えるように、佑真は右の拳を握りしめた。
《ゾーン》に突入した瞳は《劣化集結》の攻撃の軌道を読み取り、《零能力》は《劣化集結》の攻撃を打ち砕き、強靭な意志は彼の足を前へと踏み出させる。
いかに己が壊れようとも。
そこに救われるべき人がいる限り、立ち止まるなんて選択肢は端っから存在しない。
「天堂佑真ァァァァァ!!!」
「歯ァ喰いしばれ、集結――!」
全身全霊を籠めた右腕が幾重に連なる漆黒の波動を打ち破り、《劣化集結》の頭を殴った。
純白の雷撃が爆発し、視界を埋め尽くす雷光が神々しい光柱を突き上げる。
キャリバンどころか、はるか上空にいる波瑠や誠まで瞼を閉じるほどの光が波紋を世界へ広げる中。
白い柱の中央で、微笑む男がいた――――。
「…………長い長い、悪夢を見ていたようだったよ」
「寝覚めはどんな気分だ?」
「…………そうだな。凪いだ海のように静かで、幾分か心地よいな」
狂喜に満ちた顔貌は、もうどこにも残っていない。
『零』に戻った男に背を向けて、零能力者は新たな人間に拳をかざす。
それが手を差し伸べるように見えたのは、キャリバンの気のせいだろうか。




