●第百十三話 「オレが助けてやるからさ」
『わたし、中学校では「疫病神」って呼ばれていたんですよ』
『え、マジで? 不幸体質のせいでか?』
『その通りです、天堂さん。仲のいい友達と出かけていた時にバスが横転してしまいましてね。その事故に巻き込まれたわたしと友達は揃って大怪我して病院に運ばれたんですけど……その時に「この疫病神め!」って怒鳴られちゃいました』
『完璧にいい迷惑だな戸井ちゃん。そいつはまた不幸な出来事で……』
『ふふっ、不幸ですね。でも納得でした。わたしの側にいると、不幸な目に合わせてしまうかもしれない。だからできるだけ他の人とは距離を取ろう――なんて、中学生の頃はずっと意固地になっていたんですよ』
『ということは、今は違うわけだ?』
『はい。波瑠さんと秋奈さんと出会って、二人を通じて天堂さんや小野寺さん、キャリバンさんと仲良くなれました。それに二人は……ううん。高校で出会ったみんなが、わたしの不幸体質を笑って許して、受け入れてくれました』
『そりゃドジッ子体質ですから』
『もう、ドジッ子じゃありませんっ。……わたしは今、もっとみんなと仲良くなりたいです。波瑠さんとも、秋奈さんとも、もちろん天堂さんとも』
『面と向かって言われるとなんかくすぐったいな』
『……そういえば意外でした、天堂さんが波瑠さん達と一緒にいることを後ろめたく思っているっていう話は』
『そう? 流石に誰だってあの化け物揃いと一緒にいると気が引けると思うけど』
『気が引けた上で、波瑠さんの彼氏なんですか?』
『そうだよ。本当ならオレじゃ相応しくない。だけどあいつが好きだから、オレは胸張ってあいつの隣に立てる男になりたい。その為には、頑張るしかないんだよ』
『…………頑張るしか』
『戸井ちゃんだって頑張ってるだろ。演習でバトルする時とか怖がってるけど、波瑠やペアの足を引っ張らないように一生懸命やっている。見てりゃそういうのはわかるから』
『……』
『今日みたいなこと言われてもし辛くなったら、オレが背中を押してやる。戸井ちゃんのことイジメる奴がいてもオレが助けてやるからさ、胸張って波瑠の友達やってくれ』
『……ありがとうございます、天堂さん。でも一つだけいいですか?』
『なんすか』
『こんなタイミングで慰められると、女の子って惚れちゃうんですよ?』
『おおう、冗談でも心臓に悪いからやめてくれ!』
『冗談じゃないですよ。今わたし、少しドキドキしてますもん』
『待って待って。戸井ちゃんオレに惚れても波瑠一筋なのは揺るがないからね!?』
――――――薄れゆく意識の中で。
なぜか、昨日の放課後の内緒話を思い出していた。
モヤの中で波瑠さんが泣いている。
わたしが刺されたからかな。
それとも、全身がズキズキ痛むこれを知っているからかな。
波瑠さんは他人の痛みがわかる人だから。
誰よりも優しい人だから。
だからそんな悲しそうな顔、しないでほしい。
そんな悲しそうな顔、させたくないな。
……あれ?
どうしたんだろう。
なにか、激しい音が――――――
☆ ☆ ☆
《神上の現》――対応せし属性は『水』。
太陽光を屈折させて虹色の光を纏った神格が、東京の霊峰に堕ちる。
千花の身体を器として顕現した《神上の力》は右手の光弓の弦に左手を添えた。『天使の力』が手のひらに集まり、光輝く矢を創造する。
標的は地上。
引き絞られた弓が放たれ――――光の嵐が、地上を席巻した。
矢は弦から飛ぶと同時に数千本に枝分かれし、光の豪雨となって降り注いだのだ。各地で小隕石が衝突したかの震動と爆発が連続し、地上一帯が土煙に覆われる。
黙々と昇る煙の中から、三つの人影が尾を引いた。
一つは清水優子。一つはキャリバン・ハーシェル。そしてもう一つは【水野家】に代々伝わる魔術、《レジェンドキー》で式神《九尾の妖狐》と契約融合を果たした水野秋奈だ。
紅い霊力の衣に覆われた秋奈は、困惑しきっていた。
彼女は《神上の力》と対峙するのが初めてなのだ。あの状態から千花を助けることはできるのか。というか千花は敵に回ってしまったのか。ぐるぐると渦巻く疑問に答えられる唯一の存在、キャリバンはしかし、答える余裕を持っていなかった。
「――――おいおい、この俺様を無視してド派手なことやってンじゃねェよクソ羽虫が! テメェらの敵はこの俺であり、テメェらを殺すのもこの俺様なんだよ!」
「集結ぉ……!」
数十メートルに登る土煙の内側から、漆黒の波動が何十本と伸びる。おそらく彼は粉塵の中、何も見えていないのだろう。デタラメに叩き落される波動の鞭は、だからこそ見逃してはいけない邪魔な存在と化している。
「………波瑠ちゃん!」
「…………ぐっ……ごめ、あき……」
ならば、と秋奈も秋奈で必死に逃げ回りながら波瑠に顔を向けるが、彼女は言葉を発することも厳しいほどに追い詰められていた。《千里眼》で見てみれば、背中の魔法陣が真っ黒に染まっていて、そこを中心に身体が『白色』に侵食されている。
その色は、今千花がなっているあの状態に、よく似ている――――
「………どうすれば、いいの」
疑問を呟いた刹那。
《神上の力》の弓が、第二撃を放った。
ふたたび超火力が地上を蹂躙する。そこにいる『蛇腹剣の男』や氷漬けになった『隻腕の巨体』をも巻き込む攻撃は、真っ向から相対していいものではなかった。
九尾の蒼炎が通用しない。超能力しか使えない二人を《千里眼》で確認すると、もう息も絶え絶えになっていた。
「………どうするか」
土煙の隙間から覗く《神上の力》は、すでに新たな矢をつがえている。手加減なし、本数制限もない範囲殲滅攻撃をこれ以上続けられては秋奈自身もたない。
だから彼女は、九尾のある力を早々に開放する。
人類の敵であり災害の化身、九尾がその身に宿す『陰性・負』の霊力。それを凝縮して砲弾とする九尾の妖狐の技。
怨念や嫉妬の制御の際、秋奈の心までもがそのような負の感情に侵食される。なにせ九尾は平安の時から人類に恨まれ、妬まれてきたのだ。奥底に秘めていた絶望を今、エネルギーとして撃ち放つ。
「………《殺傷覇導》!!!」
凝縮された漆黒の砲弾は、《神上の力》の第三撃が放たれる前に矢じりと追突した。
上空で大爆発が発生する。球状に広がる衝撃は大地をめくりあげ、『九尾の衣』に守られているはずの秋奈の身体をも吹き飛ばした。他の人間を確認する余裕はなく、《神上の力》の様子を窺うこともできない。
それでも目を見開き、なんとか千里眼で視界を確保しようとした秋奈は。
自分の背後に《神上の力》が回り込む光景を目視した。
「………嘘、でしょ」
ほぼ零距離で《殺傷覇導》を叩き込んだにも拘わらず、《神上の力》にダメージは見られない。弓にも矢にも異変はなく、ただただ、感情のない瞳が秋奈を見下ろしていた。
グッと弦が引き絞られる。
(………対抗手段はない。一か八か、千里眼を頼りに全力の回避を行うしかない!)
四肢で地面をつかみ、まさしく九尾のような姿で《神上の力》を見据える秋奈。
次の瞬間。
光の矢は、一筋だけが放たれた。
枝分かれすることのない矢は真っ直ぐに秋奈を狙う。契約融合によって上昇した身体能力を駆使して右に跳んだ秋奈は、千里眼で捉えた衝撃的な矢の軌道に絶句させられた。
ギュイ、とまるで空間を捻じ曲げるようにして、秋奈に追尾してきたのだ。
それは本来、矢を筆頭とした投擲物ではありえない軌道だった。途中で角度を急に捻じ曲げるなど、特別な力が無ければあり得ない。
そう――特別な力があるだけだ。
戸井千花の《神上の現》が持つ神的象徴の銘は〝小神族の宝物庫〟。
北欧神話などに登場する小神族・エルフが製造した数多の〝霊装〟の使用権限である。
波瑠の《神上の光》や桜の《神上の聖》と違い、これは宝物庫そのものが神的象徴として扱われるために、今持っている光の弓もあくまで神的象徴の一部でしかない。
そしてエルフの光弓は、《不可視の一閃》と呼ばれる回避不能・必中の恩恵を宿している。
「………ッ!」
避けられない。逃げられない。逃げ切れない。
超高速の矢が秋奈の背に、突き刺さる――――
「――――秋奈ッ!」
虹色の炎を纏った刀が、光の矢と追突した。
割り込んできたのは七色に輝く波動のようで、波動とは違うもの――自然エネルギー〝霊力〟を纏った小野寺誠の二刀である。《レジェンドキー・瑞獣鳳凰》との契約融合によって五行・火の属性を得た刀が秋奈を射殺す矢を押し留める。
「く……そ! やらせるか……ッ!」
「………誠!?」
秋奈が目を真ん丸に見開く。
ギリ、と歯を食いしばり全身全霊を籠めて振り抜かれた刃が、光の矢を燃やし尽くした。
両手に握る刀を構える誠。彼を包むのは、秋奈の九尾風に呼べば『鳳凰の衣』とでも言うべき代物だが、その迫力も熱量もが秋奈を圧倒した。これが〝瑞獣〟――神と同等の霊格を宿す式神、鳳凰の力。九尾だって劣りはしないが、この契約融合は格が違うと感じさせる。
誠は一瞬だけ秋奈を見ると、すぐに刀を構えて舞い上がった。『鳳凰の衣』から翼が伸び、彼を天空へと舞い上がらせる。腰のあたりで構えられた二刀が、居合抜刀のように振り抜かれた。
「二刀流――《熱情》!」
炎熱を纏った衝撃波が《神上の力》へと放たれる。その衝撃波はしかし、《神上の力》の背から伸びる水の翼に押しつぶされる。
構うことなく誠は空中で身を翻し、二刀による連撃へと突入した。
小野寺流剣術、二刀流。
「《悲愴》」
瞬く間に起こる十八連撃。緋色の焔を伴った攻撃は《神上の力》の翼を幾度となく切断する。翼は『天使の力』によってすぐに修復されるが、誠一人が《神上の力》を抑え込む。
剣の舞に呆気に取られていた秋奈は、千里眼に光の直線が吹き荒れるのを捉えた。
超広域視野で決して意識の外にはおかなかった怪物、集結モドキの周囲を――荷電粒子砲が十本も降り注いでいたのだ。
それは瀬田七海による超遠距離砲撃。どこから撃っているのかもわからないスナイパーが、この場で最も恐ろしい怪物を抑え込む。
そして、吹き荒れる砂塵の中で火道寛政が拳を構えていた。
彼の背後には清水優子。そして――彼の拳の先には、飛び上がった天堂佑真。
「重力軽減――いうなれば斥力砲台か!」
「歯ぁ喰いしばれよ、佑真クン!」
天堂佑真の足の裏を寛政の拳が捉えた瞬間、ふっ――、と佑真が投げ飛ばされる。
同時に発動される清水優子の《静動重力》。
たった三秒間のみ重力を軽減し、斥力で佑真の身体に更なる勢いを付与させる。
彼が行く先は《神上の力》ではなく天皇波瑠。
しかしそこには月影百歩が立ちはだかる。短剣が目前まで飛来し、更に背中には月影一歩の短刀まで迫っていた。
故に、すべてを目視していた秋奈自身が狐火を以て迎撃する。
波瑠への道は開かれた。
そして、少年は堪えていた激情を前面に放出する。
波瑠を、千花を救いたいという『正』の感情を爆発させ、焼けるような右目の激痛を、紅に染まる視界を乗り越えて――唯一無二の力をここに顕現する。
〝零能力・神殺しの雷撃〟
流星が如き白雷を伴って、蒼い少女の背中を貫いた。
ありとあらゆる異能を消し去る奔流が、波瑠を侵食する『天使の力』を跡形もなく乖離させていく。天空で吹き荒れる『天使の力』の拡散の中、佑真の腕は青い少女をしっかりと抱きしめていた。
「待たせたな、波瑠」
「待ってたよ、佑真くん」
二人はそれだけの言葉を交わし、すぐにお互いが対峙すべき『敵』の前に向かう。
それぞれが、戦わなければならないと本能で感じ取った『敵』の前に。
「テメェの相手はオレがする。たとえテメェが偽者の集結であろうとな」
対超能力戦においては最強の存在を、唯一、二度も撃退したジョーカーとして。
「千花ちゃん、今すぐあなたを救い出す」
同じ《神上》所有者として。
この悲劇の引き金を引いた当事者として、最も脅威となる『敵』は自らの手で打ち砕く。




