第一章‐⑫ 中学教師は記憶を辿る
【第三節 超能力者は死力を尽くす ‐強襲・強襲・強襲‐】
エアバイクや波瑠の着替えを取りに行く、と言い学生寮へ戻った佑真を待ち、波瑠はわずかに欠けた月を浮かべた河川を眺めていた。
「……寮長さん。一つ、質問いいですか?」
「なんじゃ?」
「佑真くんが超能力を使えない『零能力者』だっていうのは本当なんですか?」
日本中を逃げ回っている波瑠も、一度くらいは耳にしたことがある。
『人間の脳に直接干渉する』という発動条件より、すべての人間に超能力をもたらすはずのSETを装備しても超能力使用状態になれない中学生の都市伝説を。
信じていないというよりは気にかける暇もなく逃げ回っていた波瑠だが、実在する『零能力者』――天堂佑真を見続け、その存在にどこか疑いを覚え始めていた。
使えないのではなく、実は使わないだけなんじゃないか。
『零能力者』は超能力が普及しているこの世界で名実共に一番の弱者であり、超能力者が相手なら勝率は零パーセントに限りなく近い。
絶対の弱肉強食。世界の理のようなもの。
しかし佑真は波瑠のために、二回も戦場へと飛び出した。
自分が巻き込んでいるという前提は置いておくにして……強者に立ち向かう勇気に、超能力の強さが絡まないのはおかしい。そう思い始めていたのだ。
「あやつは正真正銘、世界初にして唯一の『零能力者』じゃよ」
寮長は、リラックスしきった口調であっさりと肯定した。
「ま、あやつの無鉄砲には理由があるんじゃがの」
「そうなんですか?」
「ちと長い話になるかもしれんが、よいか?」
こくりと波瑠が頷くと、寮長は月夜を仰ぎ見た。
「あやつは……天堂佑真はな、記憶喪失者なのじゃ」
「記憶、喪失……?」
信じられなくて何気なく復唱すると、寮長はいとも簡単に「うむ」と頷いた。
「五年前の7月2日――あやつが山奥で発見された時には、すでに記憶が失われておった。なぜ山奥にいたのかすらわからん状態でな。発見した子供達も佑真の知り合いではなく、一ヶ月ほど調査してもあやつに関する手がかりは見つからなかった。
じゃから『天堂佑真』という名前も、『7月2日』という誕生日も、『十五歳』という年齢も、すべてが偽り。仮につけられたものなんじゃな」
「嘘……そんな、」
「そんなことが現実にありながらも、小学生のころは明るい少年だったそうじゃよ。
超能力教育が始まる前――中学入学前までは、たくさんの友達に囲まれた元気な少年じゃったと聞いておる。『記憶がないなら作ればいいんだよ、楽しい記憶をたくさんさ!』とか言いきるほどだったらしい」
なんとなく、佑真の口からその言葉が出る様子は想像できた。
わずかな時間しか共にしていないが、佑真は強気で前向きな男の子、という印象が強い。なにせ急にパワードスーツに襲われても軽口をたたくほどだ。
じゃが、と寮長が言葉を繋げた。
「わしらの中学に入り、超能力教育が始まった途端、佑真にキツイ現実が叩きつけられた。それこそが『零能力者』じゃ」
寮長へちらっと視線を向ける。
波瑠からは背中側しか見えないが、あまりよい表情をしていないのは、雰囲気で察することができた。
「友人達が超能力を使えるようになっていく中、一人だけ一切使えない。理由は不明。どれだけの調査をしても、佑真が超能力を使えない原因がはっきりしないんじゃよ。オマケに記憶喪失で、生前生後の手がかりまでも失っておってなぁ」
理由もはっきりしないまま、天堂佑真には『落ちこぼれ』の烙印が焼き付けられた。
「…………学校に行っていない波瑠にはピンとこないかもしれんが、集団の中に一人でも落ちこぼれがおると、始まってしまうんじゃな。劣悪なイジメというものは」
零能力者という特異体質が判明した時期も悪かっただろう。
周囲は超能力という幼い頃から憧れ続けた未知の力を手にし、言葉を選ばずに言えば、調子に乗っていた頃なのだ。
更なる優越感に浸るためには、弱者を見ればいい。
どんな人間でも、上よりも下を見て安心感を得ようとする感情は必ず存在する。
そこで佑真は、すべてのクラスメイトから、格好の得物となった。
「……それでも、佑真も最初は諦めなかったんじゃよ。どれだけ『零能力者』と見離されようと、超能力が使えるようになる未来を信じ、孤独に、必死に努力を続けていたんじゃ。じゃが時はあっという間に過ぎ去り――さすがに佑真も、超能力を諦めたんじゃ」
「え……」
挫折する佑真を想像し、ゾッと来る何かに思わず両手で自身を抱きしめる波瑠。
寮長は決して、こちらに顔を向けなかった。
「佑真はやがて中学に来なくなり、この学生寮へ戻る回数も減り、荒れ果ててしまった。路地裏や空き地など『いかにも不良が集まりそうな場所』へ乗り込んでは超能力者たちとケンカして、ボロボロになる毎日じゃ。勝てないのに、傷を負うだけなのに……そうしないとやっていられないほどに、追い詰められていたんじゃろうな」
超能力が悪い。
自分を貶す超能力者が悪い。
募る不満を消化するための八つ当たり。
苛立ちのぶつけ。
最弱の少年による、世界へのちっぽけな反乱。
人と群れることもせず、誰かと話すこともせず。
どう足掻いても救いのない現実に引き裂かれ、精神の壊れた少年は、ただひたすらに暴れまわる。
波瑠はもう、想像したくなかった。
今の佑真からそんな過去は思い浮かばない。かすかにも結びつかない。
「まさに天涯孤独になった佑真は、いずれわしの呼び掛けも無視するようになって……そして気づけば『超能力を使えない中学生』という都市伝説が誕生しておった」
寮長の声音もじょじょに弱くなる。
かと思ったが、くるりと波瑠へ振り返ったその表情には、なぜか笑みが浮かんでいた。
「そんなこんなしていて――――ついこの前の春先くらいだったかのう。詳しい経緯は知らぬが、ついにあやつは再起不能と思われるほどの重傷を負い、路上でぶっ倒れたことがあったんじゃ」
「……どう、なったんですか……?」
「救われた。
通りすがりの女性が救急車を呼んでくれた。すぐ近くのコンビニの店長が綺麗なタオルを用意して、医療知識のある学生が止血や怪我の応急措置をしてくれた。その人達は後にお見舞いにまで来てくれた。
佑真はたくさんの『親切な他人』に命を救われて――その出来事が、結果として佑真をすべてから救い出してくれたんじゃ」
寮長はその時初めて、涙を流す佑真を見たという。
きっと苦しみとも悲しみとも違う涙を、彼は流したのだろう。
――――この世界には、オレが知らなかっただけで優しい人がたくさんいる。
――――オレみたいな零能力者すら、救ってくれる人がいる。
「大切な何かに気付いたあやつは、一つの大きな決心をした」
オレには超能力が使えない。
だけどオレもあの人たちのように、他人を助けることのできる人間になりたい。
だから自分にルールを決めた。
目の前で困っている人を、苦しんでいる人を絶対に見捨てたりしない。
『助けて』という言葉を聞いたら、絶対にその人の力になってやる――と。
「そうして今の、あんな感じの天堂佑真の出来上がりじゃ。少々無鉄砲というかおせっかいというか、無茶ばっかりするからこっちは気が気でないがのぉ」
「……だから佑真くんは、数分前まで他人だった私にも共感して、手を差し伸べてくれたんですね」
呟くと、寮長は少し逡巡してからコクリと頷いた。
出会った時からなんとなく感じていた、佑真と寮長の間にある生徒と教師以上の絆。
もしかしたら佑真が改心できたのは、いつまでも見捨てなかった寮長の優しさも含まれているのかな、と考えて。
波瑠は体育座りの膝の間に顔を埋めた。
(話を聞けてよかった。佑真くんが私を助けてくれる理由はここにあったんだ。私が困っている――たったそれだけで手を差しのべてくれたんだ。すごいんだね、あなたは。すごい、強いんだね)
心に、暖かさが広がっていく。
だからこそ尚、波瑠はぎゅっと小さく縮こまった。




