第一章‐⑪ 蒼い少女は悲痛に涙する
オベロン自身が破壊したため、階段は瓦礫の山。
エレベーターは寮長の機転で、一階で一時停止に設定。
飛び降りでもしない限り、学生アパートを降りる手段は断った。
更に寮長が手間良く警察へ連絡をしていたので、もうじきこの寮へ武装した対超能力者用の部隊が来るだろう。
幸い追撃もなく、三人は見晴らしの良い河川敷の橋の下まで移動できた。
「とりあえず佑真の全身を治そっか。とはいっても、私の《神上の光》を使えばすぐだけど」
波瑠が曖昧に微笑みながら両手をかざし、佑真の全身を包み込むように〝純白の波動〟の粒子を放出する。
数時間前と同じ――陽だまりのような暖かさが全身に伝わる頃には、痛んでいた全身の傷も両腕の大火傷の痕も、すべてが元通りの肌へ戻っていた。
ボロボロの衣服のみが戦いの激しさを伝えている。
痛みこそ消えたが、精神的疲労は癒えない。
体力を使い果たしたといわんばかりに、佑真はぐったりと地に腰をつけた。
「怪我が治る分には万々歳だけど、体験すればするだけ気味悪いな……」
「確かに、不気味と言えば不気味な力だよね」
粒子を収縮させた波瑠も、佑真の隣で力なく微笑みながら座り込んだ。
「見れば見るほどオカルト度が増していく気がするのう……。そういえば波瑠、おんしの傷を治す際はなぜ魔法陣を描かねばならなかったのじゃ? 今佑真の傷を治したのもそうじゃが、おんしらの出会った直後も、魔法陣を描くことはしなかったのじゃろう?」
魔法陣? と首をかしげる佑真。
簡単に経緯を説明した後、波瑠は寮長へと顔を向けた。
「私自身の傷を癒すには、私の生血で魔法陣を描き、そこを媒介として白い粒子を流す必要があるんです。理由はよくわかりませんが『人を生き返らせる』ほどの力ですから。所有者自身へのペナルティ、じゃないですかね」
「その条件では、おんしが死のギリギリの傷を負った場合、その場にもう一人立ち会っておらんと回復できんわけじゃな。どこでも治癒として使えると勘違いしておったが、意外と使い勝手が悪いというか、おんし的には迷惑な力じゃのう……」
(……それって波瑠が一人きりの時に大怪我を負ったら、死ぬしかないってことだろ?)
波瑠は、一人きりで逃げ回っていると言っていた。
他人の死は自分の意思で覆せても、自分の怪我は他人の協力がないと治せない。
それは、この心優しい少女に対してあまりにも不公平で不平等な制約だ。
(『生死を司る』とか『神の奇跡』とかいって、波瑠に対するメリットが一つもないじゃねえか。こんなの、波瑠を縛る呪いと何一つ変わりねえよな……)
誰にも気づかれないよう拳を握る佑真。
怒りを一旦飲み込み、改めて頭を下げる。
「波瑠。お前がいなきゃオレは確実に死んでいた。さっきは色々言っちまったけど、助けてくれて本当にありがとな」
「ふえっ!? い、いやっ、むしろ私の方こそ、私なんかのために立ち上がってくれてありがとうだよ。あの時の佑真くん格好良かった」
あまりに嬉しそうに告げられ、佑真の頬が勝手に熱くなる。
天然というか素直というか……とにかく佑真の心を揺さ振るのが上手な少女だ。
話題を変えようとしてふと、佑真は出会ってしばらくで聞いた言葉を思い出した。
「そういえば波瑠、さっき超能力っぽいの使ってたけど、波動切れで超能力は使えないんじゃなかったの?」
「あー、うん。さっき吹雪撃ったから、また波動が切れて使えなくなったかも……」
しゅん、と顔を伏せる波瑠。
よく見ると、出会い頭や寮長の部屋で話していた時よりも心なしか疲労度が増し、頬に熱がたまっているように見える。
「……というか波動切れってどういう状態なワケ?」
「おい佑真。超能力実技の授業で習うはずじゃが?」
「だ、だってオレには関係ないもん……」
ジト目を向けてくる寮長。
佑真は気まずそうに視線を逸らし、波瑠がくすくすと笑った。
「零能力者であるおんしも、超能力が『波動』を原料として生み出されるものだ、ということくらい知っておろう? そして『波動』は『人間の生命力』とイコールで結ばれる。つまり超能力は使えば使うほど、生命力を消費していくんじゃよ」
「え? じゃあ、能力を使うと寿命が縮むのか?」
「そうではない。『生命力』というが本来は大袈裟な表現でな、おんしが勉学や運動で使う体力と同様に、超能力専用の体力があるのだと思ってもらえば良い。
きちんと食事・睡眠・休養できておれば『生命力』はいくらでも補充可能。おんしが補習でヘトヘトになっても飯を食って寝れば翌日には遊べるように、それこそ日常生活において『超能力が使えなくなるほど生命力を消費する』なんて有り得ないんじゃ」
合法ロリババァといえど流石は教師だ。零能力者の佑真もはっきりと理解できた。
「……つまり、超能力が使えなくなるほど『生命力』をすり減らしている波瑠の現状は、滅多にみられない異常事態なんだな?」
わずかな間をおいてから、寮長は首肯した。
佑真の隣で座っている少女は、ろくに食事も睡眠もとれず、ただひたすらに超能力を使い続け、強力な超能力者やパワードスーツなどを相手取り、逃げ回っていた。
「なんでだよ」
思わず、呟いていた。
「なんで波瑠がこんな辛い目にあわなきゃいけないんだよ。なんで誰一人として、おかしいと思わないんだよ」
「佑真くん……?」
ギュッと爪が食い込むほど強く握られる佑真の拳に、波瑠の小さな手が重なる。
不安げな表情に、なんとなく佑真は頭を撫でる。
「……波瑠、頑張ってたんだな」
「うん。頑張ってました」
嫌がるかと思ったが、にっこりと微笑んでくれた。
彼女は一人で頑張って生きている。
たとえギリギリまで身を削ろうと、死へ追いやる斬撃を喰らおうと、この娘は生きようと頑張ってるんだ。
そんな彼女の力になりたい。
自分では、まともに助力もできないだろうけれど。
(それでも放っておけるかよ……)
佑真には、一つだけ聞きたいことがあった。
どうして波瑠は、こんな状況なのに微笑むことができるのだろう。
夏風の吹く河川敷の上では、わずかに欠けた月が、天へと昇り始めていた。
☆ ☆ ☆
「オベロンさんが獲物を逃したっていうのは、本当なんですかぁ?」
科学の時代に生きながら、その少女は人工的な光をあまり好いていなかった。
現代には夜中でも眩く光るものが多すぎる。自然な夜闇の美しさを堪能するには、人里離れた山奥に行くか、あるいは戦後未だに復興着手のされていない荒都へ行くか。
少女はため息をつきながら、魔女が被っているような黒の三角帽を深く被りなおした。
金髪碧眼。
出生は異国だが、育ちはこの日本。
齢十五の少女は、大きな河川を見下ろせるビルの最上階からオペラグラスを覗く。
「ええ。一般人の少年に妨害され、運悪く逃げ切られたようですね。最終的にはターゲットの吹雪により凍結されて戦闘不能。目撃した一般人の口封じもできず、成果は『零』です」
返答したのは青いスーツ姿の男だ。
やけに丁寧な口調で紡がれたその内容に、少しだけ驚きを覚える。
オベロン・ガリタは、碧眼の少女が所属する組織の中でも生粋の戦闘要員だ。
巨大な大剣を扱った豪快な一撃は少女じゃとても太刀打ちできない。
(まぁ、だからこそ狭すぎる学生寮では全力を発揮できなかったのかもしれませんがぁ)
少女の真に気になるところは『一般人の妨害』だ。
確かに戦場を利用したジャイアントキリングはざらにある。
それでも。
普通中学校の学生寮に暮らしている男子……どころか、よりにもよって能力ランクⅣ以下の落ちこぼれ超能力者が放り込まれるような中学校の学生に、あのオベロンが妨害を受けるとは到底思えない。
「……ちなみに今は、誰が動けるんですかぁ?」
「今のところは貴方だけのようですね。アリエルは移動中。オベロンもじきに凍傷を治療して戻られますが、それまで待ちますか?」
「いえ。なら一人で行ってきますよぉ」
黒の三角帽をかぶりなおした金髪碧眼の少女は得意げに笑い、SETを掲げた。
「今度こそ、波瑠を連れ帰ってみせますっ」
「健闘を祈ります」
「SET開放ォ!」
碧眼の少女は、黄色の波動を散らしながら超能力を発動する。
地上六十階に相当するビルの屋上から、強風を纏って夜の街中へと一気に飛び立った。




