●第九十二話 I want you to call me "Mama".
サブタイは話の中身より英文の作りやすさを優先し、話中の台詞を適当に引っ張り出しています。佑真と師匠主軸のお話なのに真希さんが二回目を奪う。
『want』の後ろに『you』が挟まることで、『あなたに~して欲しい』という意味に変化。こいつは地味に受験で役立った記憶があります。
ドゴオッ! と轟音が幾重にも反響した。
地下街を使って町田方面へ向かっていた波瑠とキャリバンを乗せた大型救急車は少し遅れて急停車し、同乗する負傷者の回復に集中していた波瑠はつんのめって、別の患者から話を聞いていたキャリバンの腕の中に収まった。
「ご、ごめんねキャリバン」
「これくらいお気になさらず。それより、どうしたんですかぁ?」
波瑠を立たせながら、運転手に声をかけた。余談だが、乗用車ともなれば自動運転が基本の時代だが、緊急事態に対応しなければならない軍用車両などは絶対運転手がついているのが日本の規則だ。
「突然天井が割れて、瓦礫に先を塞がれてしまいました。別ルートで向かうしかなさそうです」
「一応、周辺で怪我をした人がいないか確かめよう」
軍医の印として白衣を着ている波瑠が口を挟む。
「地下街を伝って避難所へ向かった人やお仕事とかで利用していた人もいるはずだよ。避難誘導に割ける時間も人数も、全然なかったんだし」
「そうですね。生体反応を探知しますので、数分間この場に留まります。お嬢様は引き続き治療を。キャリバンは念の為、周囲の警戒をお願いします」
「波瑠でいいよ、三橋さん。キャリバン、いってらっしゃい」
微笑む波瑠に見送られ、キャリバンは一人で車外に出た。
真っ先に目に飛び込んできたのは、運転手の述べた通り、進路を立つ瓦礫の山だ。天井――地上から見れば道路が崩壊し、雪崩れ落ちてきたのだろう。巻き込まれなかったのは、三橋の急ブレーキとドライビングテクニックの賜物だ。
「大空襲じゃあるまいし……よほどの強者が暴れたんでしょうかねぇ……」
この大型救急車で各地の負傷者を拾ってきたため、戦争の再現かといわんばかりに荒れた場所もいくつか見てきたが、ここまで見境なく暴れる輩はいなかった。敵パワードスーツにも、ここまで破壊する力はなかったはずだ。
一つ幸いなのは、ぱっと見る限りは重傷者こそあれ、死者はいないことだろう。しかし、瓦礫の中に誰もいないという保証はない。いざとなれば自分の能力を使って救出しなければならないだろう、と瓦礫の山を見上げたキャリバンは、
「――来やがりましたねぇ!」
開いた大穴から、ジェットパックを使って地下街への侵入を試みる巨大な強化外骨格の放つ銃口火と相対した。無線のスイッチを入れながらバックステップで銃弾の嵐を回避する。
「こちらキャリバン。ハル、三橋さん、敵襲ですッ! 例の無人パワードスーツが――七体! 交戦を開始しますので二次被害に気を付けてください……ハル、こっちに出れますかぁ?」
『こちら波瑠。三十秒で行ける! まだ連携は覚えてるよね? キャリバンが前で行くよ!』
了解ですぅ、と小さく口元を動かしたキャリバンはSETを起動させた。
刹那――少女の周囲でざわめくつむじ風が、悉くの弾丸を吸い込んだ。
大小様々の銃弾を取り込んだつむじ風は敵の第一幕が終わっても終息せずに、その回転数を増やし続ける。追撃がこようとも、それが遠距離攻撃である限りはすべてを飲み込む巨大な竜巻を作り上げた。
真冬のオリハルコンを巡る騒動でアーティファクト・ギアが――正確には貝塚万里に操られていたらしいが――行った、敵の攻撃を気流に乗せて撃ち返すという技。キャリバンは同じ《風力操作》として、その映像資料を何百回と見た。
本物に比べればまだまだ劣るが、それでも。
「猿真似くらいはできるんですよぉッ!」
キャリバンが両腕を振りおろす。
旋風が解き放たれ、遠心力で更なる加速を得た全弾丸が装甲を一斉掃射。敵の着地を許す前に撃ち落とした。しかし全機体と落とせるほど、話はうまくない。
無力化したパワードスーツが瓦礫へ墜落するのを防ぐべく上昇気流で着地させている間に、ズン、と重い音が腹の奥まで共鳴した。地下街への侵攻を許してしまった数は四体。縦列で攻め込んできた為いくつかが盾となり、奥まで掃射が届かなかったようだ。
「ちぃ、面倒くさいですねっ!」
早々に一体の足元から膨大な気圧の柱を噴出させる。突如とした足元からの突風で中空に浮いた駆動鎧の身体を、どこからか飛来した紫電が捉えた。大型救急車の前に立つ波瑠が放った一撃のようだ。
言葉はいらない。前衛と後衛はすでに分けた。後は、互いの力を信じて戦うのみ。
「はぁっ!」
右手を突き出すキャリバン。伴って発生する突風がその装甲に巨大な窪みを穿ち、その窪みを直撃する氷の矢が豪雨となって注ぐ。別箇所のパワードスーツが右腕に掲げる重機関銃を掃射すれば風圧の爆発が能力者の背後へ向かう攻撃を遮断し、パワードスーツの足元から冷気が立ち込めるや否や、一瞬で氷漬けへの末路を辿る。
「《氷結地獄》――!」
波瑠の凛とした声が響いた。それは元々は熱量増加を完膚なきまでに封殺する超能力の名であり、エネルギー変換の能力者である波瑠の会得した技の一つ。発火を必要とする実弾銃の大半がこれで無力化されるのだが――光学兵器は止められない。
一瞬の閃光が視界を眩まし、回避不能の速度で救急車を目がけて襲う。
その光速戦闘において、キャリバンはアーティファクト・ギアに迫る御業を発動した。
空気の超圧縮による、強制軌道屈折。
光線は放たれて数メートルを進んだところで、異常なまでに圧縮された空気に突入させられる。
狙われた入射角で軌道が強制的に書き換えられ、キャリバンの手前一メートルの地中に突き刺さった。
「ハルッ!」「言われるまでもない!」
キャリバンの声を聴く前に、彼女が防ぐと信じ、用意されていた氷槍がパワードスーツの掲げるレーザー銃を射抜く。爆発が鉄兵の左腕を吹き飛ばした。吹き付ける余波を受け流し低空飛行で一気に懐へ潜り込んだキャリバンは、左手から空気の弾を放った。
一弾――二弾三弾四弾五弾六弾七弾八弾九弾、十弾の超連射が、爆音を響かせる。
中央から風穴を開かれた鉄兵が爆散し、金髪が大きくなびく少女の頭上に、最後の一体が鉄槌を下す。しかし轟と啼く上方への風圧が、キャリバンへの衝突を許さない。
その機体にトドメを刺したのは、地上側から放たれた光弾の嵐だった。
「大丈夫ですか?」
「――尚子先生!」
大穴からひょこっと姿を現したのは、盟星学園の講師であり波瑠の旧知の女性、神童尚子だった。光を操る能力《閃光散弾》を操る彼女は、戦時中に下肢を負傷するまでは天皇真希とチームを組んでいたほどの実力者である。
過去には【ウラヌス】に身を置いていた彼女も、今回の騒動では無償で力を貸す市民の一人というわけだ。
「波瑠さん、この場は私たちが受け持ちます。あなた達はあなた達の役割を!」
「はい! 尚子先生、どうかご無事で!」
「勿論です。将来の教え子の前で情けない姿は見せませんよ」
そんな尚子と言葉を交わしている間に、三橋から無線で連絡が入っていた。
「ハル、どうやら瓦礫に巻き込まれた被害者はいないようですねぇ」
「運が良かったとしか言えないね……じゃ、三橋さん。被害にあった人を回収してから、別の避難所へ迂回しましょう」
今回の波瑠の戦いは、自ら前線に躍り出るのではなく戦場の背後で負傷者を癒すこと。
やむを得ない戦闘以外は、すっぱりと任せて割り切ることが、できる限り多くの人間を救うことに繋がる。そういう役割を請け負った。
今一度白衣を着なおした波瑠は、キャリバンと共に、まだ治癒が行き届いていない者のところへ急ぐのだった。
☆ ☆ ☆
「どうやら、この無人パワードスーツにも動きの法則性があるみたいね」
所は変わって立川駅付近。三十の鉄兵を一瞬で氷漬けにした天皇真希は、長い蒼髪を払いながら桜に話しかけていた。
アホ毛をひょこひょこと跳ねさせる桜は今、真希が無力化したパワードスーツのうち一体に乗って動かしているプログラムを覗き見している真っ最中である。
真希が桜を連れ出したのは、《神上の聖》以外に《雷桜》を使ってもらう為でもあったのだ。
「うん。ゲームでいうところの『敵意値』みたいなものがある。平たく言えば、より強い超能力者を優先して排除せよ、って設定かな」
「どうりで私に向かってばっかり来るわけね。どうせ勝てないとわかっていても、超能力者にはいつか『疲弊』が訪れてしまう。それまでは質より量で攻め続けるぜって魂胆か」
性質悪いなぁ、と顔をしかめる真希だが、そのすべてを返り討ちに合わせているのだから、桜はあまり笑えない。
「それよりママ――お母さん、注目すべきは」
「桜がいつになっても素直に『ママ』って呼ばずに『お母さん』と言いなおすところね」
「ふざけないでよっ! でね、お母さん。注目すべきはパワードスーツそのものだよ。どれも第三次世界大戦で使われた旧式のものばかり。中には、パーツをつなぎ合わせた継ぎ接ぎのものだって混ざってる」
「もう、桜は波瑠と違って変なところが強情なんだから。パワードスーツに関しては、戦車とかと同じで『中古でお安く済ませたい』ってことなんでしょう、きっと。この大規模すぎるテロは、本当なら戦争の開幕と捉えてもおかしくないわ――だけど、本丸がいつになっても攻めてこないのはおかしいと思うのよね」
真希が頬に手を添えため息をついた。
「ていうか桜、よくこれらが継ぎ接ぎだってわかったわね」
「これでも【神山システム】と五年も仲良く過ごしていたからね。わたしの記憶にも知識がいくらか……子供離れした量で残ってるの」
「なるほどねー。慢性的に学習装置を使って、知識を定着させたって感じかな」
今度は感心した風にため息。つくたびに幸せを一つ逃すという噂を伝えた方がいいだろうか。
「わたし如きの推測が役に立つかはわかんないけどさ、ひょっとしたら今回のテロは、実験みたいな側面もあるんじゃないの?」
親の幸せを今更のように危惧する桜は、おずおずと意見を述べてみた。
「実験?」
「うん。たくさんのパワードスーツを送り出し、実際に超能力者と戦わせて、果たしてどこまで戦えるのかを調べる実験。まあシミュレータで大人しく実験した方が早いってのはわかるんだけどさ、超能力者のデータはなかなか取れないじゃん。もしもこの進軍で東京都に大ダメージを与えられたら直接乗り込んでやる、くらいの軽いノリで……違うかな。莫大な資金と手間がかかってるのに、そんなノリで攻め込んでも利益がないよね」
「いい線行ってるんだけどね。桜自身が言った『シミュレータで済む』ってのが決定打すぎて何とも言えないわ。まあ、攻め落とせればその時は実質、日本の中央の一つが潰せるわけだもの。後半の推測は間違ってないと思うわ」
よしよしと頭を撫でられ、こそばゆいながらも懐かしさにぽわぁと心に温かい気持ちが広がり思わず弛緩してしまう――のが、ツンデレ娘は悔しかった。
そんな心境でも、電磁波によるレーダーは正確に作動する。
「あ、ママ――お母さん。敵襲です」
「ママでいいのよ? 今は二人っきり」
「じゃあないからね!? 他の隊員さん達もいるからね!?」
「二人きりなら呼んでくれると受け止めていいのね?」
「娘の揚げ足を取るなぁ!」
ビリィ! と稲妻で威嚇して母親を遠ざけた桜は瞳を閉じて、脳内で処理する情報を減らし電磁波を用いたソナーに意識を集中させる。
「右側から三体、正面から二体、上空から二体が接近中です。お母さんが凍らせたパワードスーツを面白いくらい器用に避けて、あと十秒で対面です」
「障害物とみなしているのかしらね。それじゃあ桜、お願い!」
こくりと頷き返した桜は、己の右腕を突き出した。次に意識を集中させるのは右肩に焼き付けられた《神上の聖》の魔法陣。姉と比べればそれは奇跡と呼ぶに足りない力かもしれない――だけど、言葉通り誰かの力になれるこの魔法が、桜は大好きだ。
純白の光があふれ出す。
それは日光のように暖かく、戦地に赴く者達の心を高め行く希望。
周囲に立つ十二人の兵士たちを包み込んだ《神上の聖》が司るものは『希望』だ、と桜は告げた。
其の力は、不安を抱く者には心の安らぐ安息を。不幸な目に遭った者には、笑顔になれる幸運を。力を必要とする者には最上級の強化を齎す――祝福の奇跡。
隊員たちの放つ波動は桜の出す粒子を浴びるとその輝きを一層に増した。一人あたり常時の三倍。歩兵を金将に、ポーンをクイーンに強化する破格の恩恵を齎すこの《神上の聖》は、味方の中心にいる時に最も効力を発揮する!
「真希隊、行動開始!」
真希が娘に貰った力の篭った左拳を掲げ――従える選りすぐりの隊員たちが、人間離れした速度で一斉に飛び出した。
桜の予告通り十秒の時を経て、視界にパワードスーツが七体現れる。
しかし地上に存在する五体は、突如として動きを止めた。
奴らの足元は距離五十メートルを残して、刹那の内に『凍結』されていたのだ。
「《氷結地獄》――ま、波瑠に超えられちゃって親の立つ顔が無いんだけど」
そこはもう、《神上の聖》によって反則級に強化された真希の凍結能力の射程内である。
「凍結能力といえば、昔は私の代名詞だったのよ?」
白く舞う霧の中央でにこりと微笑む女帝に、桜は「なんか怖いよママ……」と気付かれない声量で呟いた。
そのわずかな間に、動きを止めた鉄の巨体に突進する一人の隊員の姿があった。真希が動きを止めた瞬く間に能力を使い、五十メートルを一瞬で詰める。
両手が添えるは腰に『鞘なし』で収まった太刀。着ている衣装はライダースーツに似た外観の黒いパワードスーツ(装甲などで強化するのではなく、身体行動を補強するタイプのもの)。その構えは、小野寺の家が鍛え抜いた無二の剣技。
彼女――小野寺恋は、踵を使い急ブレーキをかけると、右手で一気に長すぎる刀身を引き抜いた。
小野寺流剣術――居合抜刀・弓張月。
在りし日に『物干し竿』と呼ばれた刀に匹敵する長さを誇る得物が、雷鳴の如き速度で強化外骨格三体を同時に引き裂いた。
「真希小隊一番槍、小野寺恋。行動終了~」
爆裂すら起こさず氷塊ごと真っ二つに崩れ落ちるパワードスーツを背に、恋は太刀をふたたび腰のベルトに収めた。
小野寺家の長女に生まれながら、絆や誠と比べて戦闘のセンスに劣っていた彼女は父に相談し、弟妹にも真似できない唯一無二の武器を修練した。その答えが居合抜刀術と、『備前長船長光』に匹敵する異様に長い刀身の会得。
その努力の結果は、真希の擁する小隊に入るだけあって折り紙付き。
緊張感あふれる戦場でもゆるふわとマイペースに微笑むあたりが玉に瑕な彼女は、突如溢れる熱風に、髪を押さえながら空中に向いた。
「おぉ~、あれはアリエルさんかな~?」
雪空の下を翔るのは、灼熱のマグマで構成された火炎の龍。その上に立つ女性もまた、恋と同様のパワードスーツに身を包む。
陽炎が揺らめき大気が焦げる。
アリエル・スクエアが構えた手のひらに生み出される、真紅の灼熱。
「焼き払えッ!」
怒号と共に射出されたマグマの奔流は迫りくるパワードスーツの身体を呑み込み、尋常ならざる熱量で、その鋼鉄の腹部にあたる部位を熔かし尽くした。
対個人よりも対集団・対乱戦で大規模に振るい一掃する方がアリエルは得意としている。さらに言えば対機械であるならば、万物を熔解するこの能力の敵ではない。
機能を停止した巨体の落下を受け止めるべく、小野寺恋は超能力《真空微動》を発動した。
A点からB点へと、自分と自分の触れたものを移動させる能力――というと瞬間移動のようだが『跳ぶ』のではなく『移す』能力。いかなる距離であろうとも、空気抵抗や慣性を無視して一秒未満の間に移動させる。
外側から見れば単純な高速移動だが、利点は『移動に運動エネルギーが使われない』こと。
上空二十メートルの壊れたパワードスーツを数瞬で地上へ落としても、落下の衝撃を発生させずに着地できるのだ。
「相変わらず便利な能力ですね、恋さん」
「アリエルさんこそ、いつ見てもかっこいいよね~、火炎龍!」
歩み寄りながら声をかけてくるアリエルに、物音ひとつ立てずに着地した恋はニコニコと微笑みながら褒め返した。
少し……否、かなり重い過去を持つアリエルは他者との交流が少なく褒められ慣れていないためか、すぐに「そ、そんなことはないですよ……」とほんのり朱に染めた顔を伏せてしまうのだが、どうもそのリアクションは、恋に同世代の女性とは思えない愛しさを感じさせてしまうのだった。
などと交流している間にもう一ヶ所での戦闘も終了し、真希の下へ隊員たちが戻ってくる。
交戦時間はほんの一分間。桜は無傷で戻ってきた彼らの姿に、尊敬と畏怖の眼差しを向けた。
(いくら神上の補正があったとはいえ流石に強いなぁ、ママの選抜した小隊は。ママのはともかく、他の方々の本気の超能力は初めて見たけど迫力も凄いよ。軍の訓練や演習じゃどうしても、全力を見る機会なんて早々得られないし…………ん?)
これは……、と思考の海に没頭しようとした桜だったが、
「桜、移動するわよー?」
「あ、うん! ちょっと待って!」
真希に呼びかけられて、その考えを断ち切った。
(まさかね。いくら大規模と言えど範囲は都内だもん。陸軍から出動している人だって全体から見ればごく少数に過ぎないし……ピンポイントに超能力を測量する為に起こした、なんて在り得ないか)
☆ ☆ ☆
避難していく市民の波。鉄兵に向かう武装集団や勇敢な一般市民。
この大騒動を、佑真は大型装甲トレーラーの出入り口で、負傷して移動が困難な市民を乗せる手伝いをしながら、瞳に、記憶に焼き付けていた。
佑真の同世代はギリギリで第三次の未経験者だが、その中でも記憶喪失の佑真は特に『戦争』を知らない。戦争と比べれば今回の騒動はまだまだ生ぬるい方だ、と先ほど偶然すれ違ったオベロンは語っていたが――果たして、戦争以下の惨状を目の当たりにしただけで吐き気が止まらない自分が情けなくてしょうがない。
『いいや、それでいいんだよ、佑真クン。これだけの死を見て平然としていられる奴の心はきっと、枯れている。気持ち悪くなれる、涙を流しそうになれるキミは正しいさ』
師匠にそうフォローされた。正論だと思ったが、だからといって納得はできなかった。
波瑠がこの惨状と向き合ってきたと思えば、目を逸らすことだけはできなかった。
(……わかっていたけど、オレはまだまだ、正義の味方にゃ程遠いな)
視界の遠くで長い黒髪が揺れ、ズゥン、と衝音が沈んだ。重力フィールドによる一斉制圧が、何十体の鉄兵の動きを一瞬で抑えつけるや否や、超能力だからこそ可能な荷電粒子砲の連射がその身を貫き、戦闘不能に仕留め上げていく。
(困っている人を助けたいと思って生きてきた。少しはその願いに近づけたと思っていたけど、いざという時のオレは相変わらず無力のままだ)
清水優子と瀬田七海による息の合ったコンビネーション。優子が重力で抑えつけ、七海が荷電粒子砲でトドメを刺す。たった二工程ながら絶大な効果を発揮し、その戦果は都内トップクラスだと小耳に挟んだ。
そんな彼女たちの活躍を、ただ立って見守ることしかできない今の自分は。
無機亜澄華を見殺しにしたあの冬の日から、少しは成長できたのだろうか?
(……オレにちゃんと向き合わせるつもりだったのかな、無機さんを助けられなかった事と。だとしたら成功だよ、師匠。オレはいつまでも『零能力者』なんだ。まだまだ頑張らなくちゃダメなんだって、嫌という程思い知らされたよ)
悲しんでいる人がいる。
苦しんでいる人がいる。
生きたいと願う人がいる。
だけど自分にできることは、優子や七海や寛政が戦う最中で助力し、動けないほどの怪我を負った人や老人、子供たちに手を貸すことだけ。それも決して無駄な行為ではない、一つの正義の在り方だ。だから今は、この役割に尽力する。
いつか、彼らの位置に立つために。
理想は絵空事のように遠く、けれど純粋なまでに美しく。
少年はかつて抱いた願いを、改めて胸に刻み込む。
火道寛政――その勇姿に、一つの『憧憬』を向けて。
やけに整った外見のせいで、こんな時まで女性の視線を多数集める火道寛政は。
その中でとりわけ熱い視線をぶつけてくる弟子の姿を見つけ、困った風に頭の後ろを掻いた。
「――ったく。確かにこの光景を目に焼き付けろ、とは言ったけどさ。俺を見ろとは一言も言ってないんだよなあ」
しかし口の端はわずかながらに釣り上がっている。寛政は『この惨状から波瑠のトラウマを少しでも理解してあげてほしい』と思っていただけなのだが、それ以上の収穫を得ているらしい。予想を上回るのはもはや佑真のお家芸だが、こんな状況で見せなくとも――
「……いや。佑真クン、キミは実戦で一番伸びる天才型だったね」
頭を振った寛政は、次の標的を視界に捉えると、ぐっと腰を下げた。
刹那――ボンッ! と。
彼の身体を緋色の焔が包み込んだ。燃え盛る炎は寛政の周囲二十センチを火炎装甲として揺らめき、炎の化身へ変貌させる。
視界の遠くに現れたパワードスーツは三体。うち二体は右腕に機関銃・左腕に刃の最も多く姿が見られた型だが、もう一体は丸腰だ。まさかとは思うが――拳で戦うつもりらしい。
体術のエキスパートである自分には、好都合すぎる相手だ。
「ま、弟子の前だからね。油断はせず、けれど多少は格好つけさせてもらうよ」
――ッド!! と。
炎をジェットばりに噴出して大地を蹴り飛ばし、正面から相対する。
激しい銃撃音の渦に包まれる。二つの機関銃による装甲戦車を蜂の巣にする強力な鉛弾の豪雨。寛政は左足を踏み込むと、虚空に掌底を突き出した。
「〝黒天龍〟――」
瞬間――焔の奔流が鉛弾を熔かし、あるいはその勢いを完膚なきまでにそぎ落とす。
雪を溶かし、どころか路面を熔解させるほどの緋炎を纏った寛政単独であれば防ぐ必要はなかったかもしれないが、あくまでこれは市民の命を護る戦いだ。流れ弾一つ許されない。
そして一つの攻撃を凌いだからといって、寛政の動きは止まらない。佑真の流水の如き連撃を仕込んだのは寛政なのだ。弟子の格闘が一級品なら、師のそれは至高の一品。
一方で無人駆動のおかげか、全弾を防がれようと驚き怯むことなくパワードスーツも次なる攻撃に移行していた。具体的には得物を持たない機体がはるか高度へと跳躍し、瞬間衝撃何十トンに至る踵落としを繰り出す。
ゴウ、と空気が嘶く。
道路を陥没させかねない一撃が貫かれる直前に、炎でスプリングを作った寛政が瞬時に懐へと飛び込んだ。佑真の動体視力でなんとか捉えられるほどに速い駆動でふたたび構えた掌底は、瞬時に炎に包まれる。まるで右腕という名の炎の杭。
其は一点を穿つ刺――一点必殺〝月虎牙〟
ズドガッッッ! と破裂音が鳴り響き、厚さ十センチはあろう装甲に風穴をぶち抜いた。注ぎ込まれた緋色の炎は巨体を貫通し、背中から豪炎の柱が爆発する。飛び降りてきたはずのパワードスーツはその機能を停止させられながら、上空へと舞い上げられた。
勢い止まらずに頂点まで飛び上がった寛政は体勢を変えると、足から炎をジェット機の如く多量に放出して残る二体へ上から襲い掛かる。機関銃が嵐をもって迎撃を試みるも、悉くは被弾前に炎の装甲に防がれる。
意趣返しか、脚を振り上げた寛政。
紅蓮の軌跡が弧を描く。踵落としがパワードスーツに着弾し、ひしゃげるどころかまるで空き缶のように押し潰される。
その隙に最後の一機が味方の犠牲など構う事かと刃を薙ぐも、寛政の速度には到底及ばない。
いつの間にか背後に回っていた彼の全身に滾る気炎が、鉄塊に放たれた。
〝秘拳・金剛夜叉〟
その拳は一撃にして六撃。両腕が放つ幾重、何連もの攻撃は一発の拳につき六発の火炎弾を伴い、敵の身をただ焼き尽くす。
数瞬で終わる業火の煉獄は、パワードスーツを完膚なきまでに焼失させた。
「……流石だよ、師匠。あんたにゃ一生敵わない気がするぜ」
佑真はひとりごちながら、彼が以前語ってくれた話を思い出していた。
寛政の《発火能力》は、端的に言えば欠陥持ちだ。
即ち、自身の周囲二十センチでしか炎を生み出せないのである。
投げても形を維持せずに散ってしまう。一点集中で伸ばしても最大で二メートルちょい。
最初から近接戦闘しか許されない、発火系能力としては致命的と思える欠陥。しかし『むしろ好都合だった』と師匠は語った。
最初から遠距離を捨てられるのだから、これほど潔く体術を極められる能力はあるまい、と。
わずか三歳の頃から鍛え続けた身体はたくましいまでに成長し。
鍛錬を一日も欠かさなかったその技術は、日本最高にして最巧。
『強くなる道は一つじゃないからね。短所を見極め、長所を伸ばそう。大丈夫だよ、佑真クンは俺が責任をもって強くしてあげるから――とはいっても、初弟子だからどう扱えばいいのか、わかんないんだけどね』
あはは、と誤魔化すように笑っていた初対面の彼の顔を思い出す。
雄々しき炎帝と優しい人柄が同一人物なのだから、世の中不思議なもんだよなぁ、とかなり場違いな感想を抱く佑真が寛政を尊敬し、素直に師事しているのは彼の努力を知ったからだ。
己の根幹を成す信念を再認識し、気合に満ちた佑真に一報が入る。
日向雄助がエアカーの運転席から顔を覗かせたのは、直後のことだった。




