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●第八十六話 What is right?

「クライ! クライじゃないか!」


 集結(アグリゲイト)と別れた夕日はクライを連れてしばらく移動していたが、クライの名を呼ぶ声に足を止めた。

 声の主は、焦燥の色濃い神父さんだった。日本ということもあってか、街中で見かけるとなかなか浮いている格好だ。


「この娘の名前を知っているとなると……」

「怪しいものではございません。クライの保護者です」

「やはり、クライさんの住んでいる教会の方でしたか」


 手を差しのべられ、夕日は逆らうことなく手を重ねる。念のため能力で探りを入れてみるも、その言葉に裏はなかった。

 大方、街中での騒動をニュースなどで聞き付けて慌ててクライを探しに来たのだろう。


「失礼ですが貴婦人、貴女は……?」

「私は天皇夕日と申します。クライさんとは偶然出会いまして、」夕日はちらりと背後へ視線を向け、「今もなお続いていますが、あのパワードスーツの群れに襲われていたところを出会いまして。合流して共に逃げています」

「そう、ですか……いやよかった。天皇家の方と出会えたことは不幸中の幸いだ。クライ、お礼は言ったか?」

「…………」

「クライ? おい、クライ!?」

「ふえっ!? は、はいぃっ!?」


 びくうっと体を震わせるクライ。彼女は集結(アグリゲイト)と別れてから、意識を現状に集中できていない様子だ。……彼と別れたことを『後悔』していると言うのなら、ある意味現状を気にかけているのだけど。


「……えと、そうデスね。夕日さん、ここまでありがとうございマシた」

「そのお礼は然るべき人にとっておきな、クライちゃん」夕日はウインクして見せる。「神父さん、この近辺で安全な場所はありませんか?」

「我々の教会がちょうどよいでしょう。絶対安全とは言い切れませんが、道中にいるよりはましなはずです。幸いなことに遠くもありませんから」


 神父の先導により、三人は移動を開始した。



   ★ ★ ★



 レーザーの砲撃を身をよじって回避した集結(アグリゲイト)は、漆黒の翼を振るい落とす。もう数えきれない回数の爆音を前にしてなお、彼の眉は一度も動かない。

 ただひとつ言えるのは、彼の心の中に、パワードスーツが無人で動いていることへのかすかな安堵があったということだ。



 ――――幼き頃。


 五百を超える人間を殺した集結(アグリゲイト)は、『天皇』を名乗る人間に導かれて日本のある孤島へ輸送された。

 彼以外にも一定数の子供を収用する『孤島』で行われていたのは、天皇家による超能力の研究であった――基本的には非人道的であったが。


 集結(アグリゲイト)は、己の『波動を操る能力』の応用力を広めるための戦闘訓練へと駆り出された。

 最初に放り込まれたのは、壁に囲まれた四方20メートルの部屋だった。


『あ? おいテメェら、俺をこんなトコに閉じ込めて何する気だ?』

『とても子供の台詞とは思えないな、集結。今から君には、話したとおり「最強」のその先へ踏み出すための計画に従ってもらう。まずは、今から投下する猛獣から完膚なきまでに波動を吸い取りなさい?』


 別室で観察しているとおぼしき研究員が告げた、次の瞬間。

 四方の壁が開かれ、その中から荒ぶる猛獣たちが牙を光らせた。

 集結(アグリゲイト)はSETを起動させつつ訝しげに視線を巡らせる。


『……人間相手じゃねェのか?』

『初っぱなから人間を使っていては我々のストックも足りないのでね。まずは動物で小手調べだ。まさかとは思うが、この程度の敵に負けるとかは無いよね?』

『ハッ、笑わせんな』


 雄叫びと共に鋭利な牙が剥かれ、あるいは巨体がのし掛かり、はたまた脚が貫かれる刹那。集結(アグリゲイト)の一撃はなんということもなく猛獣たちを串刺しにした。

 返り血を浴びながら巨獣三体の波動を吸い取り始める――後の計画最終段階と比べれば数十倍の時間をかけて――約十秒後。ぐったりと倒れた獣には視線もくれず、集結(アグリゲイト)はため息をついた。


『畜生なんざ敵じゃねェよ。もっと強い奴を寄越せ。俺が目指してんのは』

『最強のその先――「絶対」だろう? なあに、軍隊を潰すほどの能力者だ。子供といえどもその強さはこちらも認知しているつもりだよ。それでも強さを求めるというのなら、今はおとなしく我々の指示に従ってみてほしいかな』


 とはいえ、と研究員。

 警戒のブザーが鳴り響いたかと思えば――次には、先ほどの倍の数の獣が姿を現した。


『先ほどの戦闘はいわば練習。ここからが本番だよ、集結。本日行うのは波動吸収の訓練・セクション1だ』

『波動吸収の訓練、だと?』

『ああそうだ。キミは確かに他者を殺害することには長けている。しかし、対象から波動を奪って己の生命力を高め、能力を強化できる素晴らしい特性を持っているにも拘わらず、キミはそれをなかなか行使しない。緊急の戦闘となると波動を奪う余裕を持てないから、と推測したのだが……違うかね?』


 肯定も否定もしない。研究員は続ける。


『後の計画のために、キミには「波動を吸収すること」に慣れてもらわなければならない。言ってしまえば戦争の渦中でも生者の波動を吸い取れるのが理想だね。といっても教育とは、段階を踏んで進歩するもの。いきなりこちらの水準を要求して君に死なれるのも馬鹿らしいので、本日は我らの用意した飼育動物を相手に、ひたすら波動を吸い取り続けてもらうよ』


 言ってしまえばただの『反復練習』だが、まだ『悪』に染まり切れていない当時の集結(アグリゲイト)は不愉快に眉をひそめた。飼育動物とはいえ相手は生きているのだ。つまるところこの計画、集結が彼らが納得するだけの速度で波動吸収が行えるまで、ひたすら動物殺しを続けさせるつもりか……。


『念のため言っておくが、動物たちを殺すことを気にする必要はない。コイツらは中断されたとある計画の在庫でね、処分の方法に困っていたんだ。コイツらから波動を奪うことでキミは強くなり、我々は遺産を処理できる。一石二鳥というわけだ、心配しなくていいよ』


 そんな彼の心情に気付いてか、的確といえば的確な台詞が降り注ぐ。


『……ケッ、ものは言いようだな』

『間違ってはいないだろう? 今日の目標は一頭につき三秒以内での波動吸収・絶命だ。頑張ってくれ、集結(アグリゲイト)


 唸り声とともに、遺伝子組み換えで戦闘に特化された猛獣たちが襲い掛かる。

 両の腕を広げ漆黒の波動で迎え撃つ最強の男の周囲で、ザクロのように鮮血が弾けた。


 全力を尽くすしかなかった。

 己が連中の期待に応え成長しなければ、殺す必要のなかった命までもが失われてしまう。犠牲を最小限に抑えるためには、全力で殺戮するしかなかった。


 この日のメニューが終わるころには五百を超える命が失われていた。だが、眼前に積み上げた死体の山すら計画の序章に過ぎなかったと、集結(アグリゲイト)は翌日になってようやく理解した。


 計画はさらなる過激さを求めた。朝に起きては殺し、夜を迎えては殺す。一日中何かを殺す。血を浴び肉を踏みしめる穢れきった日々を送るうちに、初日に抱いていた『何かを壊すことへの忌避感』は消え失せ、むしろ破壊に快感を覚え始めた。

 肉をひねりつぶす感覚、死の寸前に轟く悲鳴こそが美酒である。

 正義とは天と地ほど遠い場所にある、邪悪に染まり切った愉悦。

 己のうちにこのような感情が芽生えたことに驚きつつも、その快楽から逃れることはできなかった。鮮血や悲鳴を浴びれば浴びるほどに心躍る自分がかつて正義を目指していたことが滑稽でたまらなかった。その自分に眠る本性がこんなに穢れていたなんて――。


『悪』でいることが、ここまで心地良いだなんて。


 ……それは、今思い返せば、自己による自己の洗脳だったと思う。

 破壊を娯楽だと言い聞かせないと、とても正気を保てない状況に立たされていたのだから。


 数年後。

 四九三人の超能力者を対象とした波動徴税の計画が始まる頃に、集結(アグリゲイト)は日本最強の座へと上り詰めた。

 誰もが己を最強と認め、誰一人として繋がりは切れた。

 こうして、かつてヒーローに憧れた少年は消え失せ。

 不倶戴天を掲げた怪物は、人生初の敗北(、、)への物語を歩み始める――――




「この雑魚共、一体何千体あんだよ」


 ビルの上に着地した集結(アグリゲイト)は早々に毒を吐いた。いくら生涯で殺人と破壊を繰り返し、最終的にはそれら行為に愉悦を見出したとはいえ、手ごたえもなく同じ動作しかしない敵を延々と破壊し続けることに辟易していたのだ。

 しかし、休むためにビルに上ったことでようやく、彼は自身以外にもパワードスーツと戦闘している人間がいることに気付くことができた。


 ある箇所では重力操作の能力者が鋼の塊を押し潰し、火炎龍がコンクリートジャングルを翔ければ、その先で吹雪が吹き荒れる。紫電が花火のように弾けると、続けて雷霆の槍が降り注いだ。武装した兵士の姿も目視できる。特定は厳しいものの、はるか数十キロメートル先でも戦闘は行われているらしい。乱闘無きところに粉塵は立たぬ、である。

 連中は、民間人を守るために立ち上がった『正義』だ。

 自らの身を危険にさらしながら、力在る者の責務を果たしている。


「……」


 どォでもいいか、と集結(アグリゲイト)は口を動かした。

 天皇夕日とクライを逃がした今、彼に戦う義務はない。それでも尚戦うのは、零能力者に敗北してしばらくの間に忘れていた、両手に馴染んだ愉悦を味わっていたからだ。一度覚えた快感を求めるその様は薬物(ドラッグ)に似ているかもしれない。パワードスーツ共に人間が乗っていないからこそ高揚を体験できていると考えると癪だが、


「さァて。そんじゃもー一回、行ってやるかァ」


 一月(ひとつき)に溜まった鬱憤を晴らすべく爆裂する闇色の波動の嵐が、再び戦場を支配する――――



   ★ ★ ★



 天皇夕日とクライ、二人は神父の先導に従い都内を移動し、無事に教会へたどり着いた。クライは出迎えたシスターに連れられて部屋へと戻り、夕日は神父よりお茶のもてなしを受けていた。


「あら美味しい」

「クライが小さい頃からなかなかに舌が肥えていたので、紅茶や洋菓子にうるさいのですよ。元々出身は西洋だったと聞いておりますから、本場の味を知っているのでしょう」


 なるほど、と夕日は頷いた。二十一世紀中の国際化こそあっても、日本の着物のように各国の伝統や歴史ある特産品などは大きな揺るぎを見せていない――ちなみに言うならば『どこでもなんでも作れるようになった』けれど。

 ではなく。思いがけなくクライのどことなく癖のあるイントネーションや顔立ちの由縁が判明だ。西洋にルーツがあるのなら納得である。


「……差し支えなければお伺いしたいのですが、神父さんとクライちゃ……クライさんは、どのような出会いを?」

「『クライちゃん』でも私は気にしませんよ」神父は微笑み、「五年前になりますかね。偶然出会ったのですよ、街中で生き倒れていたあの娘と」

「生き倒れて、ですか……」


 また五年前か、と夕日はひそかに眉をひそめた。天皇桜の捕獲と言い、『the next children』の実行といい、天堂佑真の出現といい……二一二六年は何か。厄年か。

 あるいは、すべてが《神上》に所以するのか。

 そんな夕日の内心を知らず、神父は話を進める。


「我々はクライ以外にも複数の孤児を戦争中から預かっては、一人前になるまで育ててきました。我々にクライを放っておく理由もなく、あの娘も特に反対などしなかったので育ててきました……が」

「何か問題でも?」


 ええ、と頷く神父。


「あの娘は記憶の一部を失っていたのです……」

「記憶喪失、ですか」

「はい。名前や出身国、幼少期の記憶はあるけれど親の名前や明確な住所、加えて三年分ほどの記憶を失った状態でした」


 そんな、と夕陽は目を伏せる。


(……それが(、、、)神上の勝(ゴッドブレス)が原因で(、、、、)起こった(、、、、)記憶喪失(、、、、)だとしたら、私達天皇家は、また一人の女の子の人生を滅茶苦茶にしたことになるのか…………)

「けれどあの娘は、決して記憶喪失だからと暗くなることはなかった。今の彼女を見ていればなんとなくおわかりいただけるでしょうが、明るく元気ないい娘に育っています。記憶喪失は悔やむべきことでしょうが、」

「悲観するのは本人の意向に沿わない、ということですね。了解しました」


 言われてみればその通りだ。失った記憶を気に掛けるのも当然だが、今を生きるクライに対する同情は余計なお世話となる。ふたたび口につけた紅茶の味を楽しんでいると、おもむろに神父が立ち上がった。


「ところで夕日さん」


 と、いうよりは。


「そろそろ眠く(、、)ありませんか(、、、、、、)?」


 ばさり、と夕陽の体が唐突にテーブルへ沈む。


 ようやく整った準備に、重い腰を上げたのだ。


 蒼色の髪がティーカップに浸り、脱力しきった肩が規則正しいリズムで上下する。

 彼女が完全に眠っていることを確認した神父は――神父としては禁断といえる狂喜の感情に口角を上げた。


「いやあ……これはまた、随分と古風な手口に引っかかってくれましたねえ。クライに使うために用意した睡眠薬が、こうも活用できるとは思いませんでしたよ」


 太陽七家。その上第三次世界大戦で実績を残している超能力者・天皇夕日。格上という表現すら生半可な相手に対し、神父は一か八かで紅茶に睡眠薬を混ぜていたのだ。

 おぞましい悪党の微笑みを浮かべる神父の下に、黒衣のシスターが三人やってくる。うち二人は、すでに拘束したクライを連行していた。

 神父は手ぶらな一人を指名して、


「おい、天皇夕日を拘束しろ。ついでクライを例の空間へ運びなさい」

「御意に」


 シスターはコクリと頷き、夕日の背後へ回り込み電子手錠で拘束を仕掛け――



「……これくらいで眠ると、思ってんのかッ!」



 夕日の右ひじがシスターの鳩尾を貫き、小柄な体を壁まで吹っ飛ばした。

 臨戦態勢を取るシスターと神父。夕日はSETでなく拳銃に手を伸ばした。敵も超能力を使っていないとなれば、速度で勝る武器を選ぶのは現代戦闘の定石だ。


「しかし足元がおぼつかないようですな。決して睡眠薬が通じていないわけではあるまい?」


 両手を挙げつつ、けれど神父は余裕をもって受け答えする。


「クライちゃんに……何をする、気だ……あなたは、彼女の保護者じゃないのか!?」

「保護者ですよ。今までも、これからもずっと、こいつを管理する保護者ですよ」


 神父は口角を釣り上げ、クライの桃色の髪をわしづかみにする。


「《神上の勝(ゴッドブレス)》――空間軸を司るという理屈を超えた超次元の力を持つと知らなければ、()はこの娘を手懐ける気にもならなかったよ。とはいってもこいつはお人好して、世界を掌握するほどの力を持て余していた。俺が育ててやった恩を無視し、命令にも従わずに《神上の勝(ゴッドブレス)》を出し惜しみし続けたのだ」


 十二種類が個別の奇跡を起こす《神上》だが、その軌跡を発動させるには魔法陣の所有者の能動的意思が必要となる。所有者が頑なに否定し続ける限り、世界に改変を齎すことはできないのだ。

 あからさまな悪用を企む神父の命令に対し、クライは確固たる意志で首を横に振ったのだろう。その光景は見なくとも容易に想像がつく。


「それどころか先日、ついに空間を創って教会から逃げ出した! 仮にも五年もの時を育ててやった親に逆らったこのクソ娘に慈悲を与えるのももう潮時だ。発見次第《儀式》を開始するつもりだったが……想定外の事態が起こってしまった」

「……それが、今なお続く東京の大混乱と、私の登場ってわけだ?」

「ええ。正直天皇家の人間が来たと聞いて非常に焦りましたが、『世界級能力者』天皇涼介でなくて助かりましたよ。天皇夕日、あなたならば抑え込むのは非常に容易ですから」


 神父はシスターへ流し目で指示を送る。こくりと頷いたシスターは、夕日の威嚇に構うことなく袖からナイフを取り出しクライの首につきつけた。


「昔二人の子供を――天皇優樹、天皇舞姉弟を亡くしたあなたには、子供を見殺しにすることなどできますまい?」


 ぎり、と夕陽は爪が食い込むほどに拳を握りしめ、拳銃を下ろした。

《神上》云々を除いても、確かに夕日には子供を見捨てられない甘さが存在する。それは神父の言う通り、かつて『the next children』の計画内で自分の実の娘息子が命を落としたことを起因としていた。この弱点を自覚して、四年前に軍事から退いたのだから……。


「……だからといって、娘を人質に取るクズ神父がいてたまるか! そのような冒涜をしてよいのですか、あなたはっ」

「このご時世です。来日する口実が欲しくて宗教をちょっと極めただけなんですよ、俺は」


 夕陽の怒号など苦ともせず、神父は操り人形たるシスターに顎で指示を送る。蹴りで拳銃を弾き飛ばし、夕日の腕を電子手錠でロックした。その上で念には念を、とナイフが背中に突き付けられる感触を覚える夕日。ちくりと先端がわずかに刺さり、生温かな液体が滴る。


「では招待しましょう、天皇夕日。我が儀式場へ――異次元の空間へと!」


 勝ち誇った振る舞いの神父はシスターたちに命じ、夕日とぐったりしているクライを連れて教会の聖堂へと移動を始めた。連行される最中、夕日はクライの顔を覗き込む。

 思い出すのは、先ほど睡眠薬入りの紅茶を飲んだ後、意識を失いかけた瞬間。

 あの瞬間にクライが《思念伝達(テレパシー)》を通じた大声を発し、脳を直接驚かせることで夕日の意識を強引に覚醒させてくれたのだ。


『……クライちゃん。睡眠薬で眠りかけた私を《思念伝達(テレパシー)》で起こしてくれて、ありがとう』

『…………いいえ。ワタシにできたのはこれくらいデスから』


 にへ、とほほ笑むべき台詞を、脱力し、連行された演技をやり抜いた状態で告げるクライ。《集結(アグリゲイト)》には劣るものの《思念伝達(テレパシー)》のレベルの高さは、選ばれし十二人の子供のうち一人なだけはある。

 さあて、と夕陽は息を吐く。それに気づかぬ神父の眼前ではすでに、聖堂の床の『扉』が開かれていた。クライ共々抱えられ――――


「っ!? 何、ここ……!?」


 ――――床下に広がる『異世界』へと、投げ落とされた。


 重力場はでたらめ。人間の手を模した紫色の造形が中央にそびえ立つ。巨大な腕を取り囲むように四本の烽火が上がり、紫炎が中空で円環を描く。上空のスクリーンでは万華鏡のような不可思議な色彩が輝きを放つ。黒い球体のエネルギー体がありとあらゆるところで浮かび上がり、太い薔薇の棘が空間の隙間を埋め尽くさんと縦横無尽に張り巡らされている。

 地面、あるいは床と呼ぶべき最下層には十二星座の魔方陣が描かれていた。


 地球上とは思えない異質な淀んだ空気。思わず呼吸を止めたくなる夕日は、睡眠薬の残滓とはまた違う指向の脳の揺さぶりに襲われた。重力場の強さが地球とズレている影響だと気付くのにそう時間は必要なかった。

 未知なる物。未知なる空気。未知なる法則で構成されたこの世界を思わず『異世界』と表現してしまったがしかし、夕日は他の表現方法が決して思いつかなかった。

 いや、あるいは――。


「ようこそ、天皇夕日。ここがクライの《神上の勝(ゴッドブレス)》に作らせた儀式場です――――!」


 クライを抱えた神父は中央にそびえ立つ手の模型の上に降り立ち、歓喜に震える大声を響かせた。両腕を広げ天を仰ぐその姿、狂信者のようである。


「儀式場……超能力を使わないと思えば、あなたは魔術師か!?」

「ええ。確かに超能力台頭するこの時世に魔術師はごく少数……ですが、まだ確実に生き残っている! この私がそうであり、日本にだってオンミョウジとはいえ水野や土御門は関東・関西の二大地主として龍脈の管理者に名を連ねている」


 この場で幸いだったのは、水野家と交友がある天皇夕日には魔術の知識がわずかにでもあったことだ。完全な無知であれば、これから何が始まるかを理解することすらできなかっただろうから。


 夕日は偶然ながら、最下層の魔法陣の全容を視界に捉えた。

《神上》の持つ、六芒星と十二星座によって構築された魔法陣が巨大に再現されているのだ。そして十二星座それぞれの紋章の上には、衣類を身に着けていない成人男女が拘束された状態で寝転がっていた。


「人間の血肉を生贄に捧げる――それが最も手っ取り早い魔力の補給方法だと、知り合いの魔術師から聞きました! 同じ人類を犠牲にしてよいという教えがある宗教は現代にはもう残されていない。神父さん、あなたはそこまで己の信教を裏切るつもりですかっ!?」

「ですから言ったでしょう。俺は日本へ来る為に教徒となっただけで、特に宗教に思い入れはないんですよ」


 煩わしそうに夕日をにらむ神父は、おもむろに右腕を薙いだ。


「それはともかく、あなたが魔術を知っているだけ理解が早くて助かりました。これより始まるのは《改造》の儀式。十二人分の犠牲を糧に、《神上の勝(ゴッドブレス)》と俺との間にパスを構築する。本来ならば魔法陣の移植ができれば早いのですが、さすがに魔術師といえど二流の俺に『天使の力(テレズマ)』は抑え込めなかったのでね。俺の意志でも発動できるよう、《神上の勝(ゴッドブレス)》を書き換えるのです」

「……問うまでもないかもしれないけど、《神上の勝(ゴッドブレス)》を使って何をする気ですか?」


 彼の動作に応じて蠢いた棘が蛇のようにうねりながら夕日の周囲に絡み突き、胴体や腕を拘束する。棘が夕日の柔肌に突き刺さり血が溢れ、どころか血流が止まりかねないほどの力で圧迫を始めた。


「手始めにこの世界の空間軸を操作し、渾沌へと誘う。続いて別の次元に『平和な空間』を創り出すのだ。俺が空間の支配権を握り、新世界の神となる! そもそも《神上》とは新世界創造の為に生み出された十二の奇跡なのだろう? これが正しい使い道というわけだ」


 神父の顔面が不敵な笑みで満ちる。

 ふたたびうねり伸びた棘によってクライの体が宙吊りとなり、手の模型の台の中央に構えられた。模型の指が不規則に、奇妙に動き始める。

 神父が指を鳴らす。次の瞬間、十二人の成人の身体から波動が上へと昇る。波動は中空で円環を形作る紫炎と連結し、その豪炎を増大化。円環から六本の直線が放射され、クライの身体を紫の波動で包み込んだ。


「あぅ……っっっ、ぁぁぁぁぁあああああっ!?!?!?」


 途端、クライの口から絶叫が轟いた。

 背中が焼けるように痛む。血管が張り裂けそうなほどに疼く。骨が折れたかと錯覚するほどに軋み、脳が破裂しかねない程の激痛が襲う。


 目の前で少女の命が削られているにも拘わらず何もできない。一人の大人として、夕日ははがゆい思いを抱え続けながら儀式を見送るのだった……。


   ★ ★ ★



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