岬さんの物語
今回は3行目から、岬さんの視点で描かれています。
岬さんは、私の家から持ってきた一輪のヒマワリを、私に向けた。
「僕があなたと初めて会ったのは、ウィーンなんですよ」
* * *
何も、考えることができない。
何が起こったのか分からないと言ったら、嘘になる。
自分が今、何のために“ここ”にいるのかを、僕はちゃんと理解している。
僕は今、洸に会うために、ウィーンへ向かう飛行機に乗っている。
それはあまりに急だった。
洸が死んだ、という知らせを受けたのは、まだ昨日のことだ。24時間も経たないうちに、僕と両親はこうして、洸の身元確認のために、ウィーンへと飛んだ。
通路を挟んで、両親が並んで座っている。
2人は今、どんな顔で、何を思っているのだろう。
僕は昨日から、2人の顔を見ていないし、話もしていない。
いや、“できない”と言ったほうが、正しいのかもしれない。
最後に両親の顔を見たのは、電話を切った直後。
きっと今も、同じ表情をしている。
まるで絶望の淵にいるみたいな。
僕と、同じ顔。
身元確認とは、何だ。
遺体も遺品もないのに、どうやって洸が死んだと分かる?
パスポートだけで知らされた洸の死亡。
本当に洸が死んだのだと僕を納得させてくれるものが、なにひとつ、なかった。
だから僕は、両親のように悲しむことができずに、ひとり、その場に立ち尽くすことしができなかった。
それができればどんなに良かったか、と思いながら。
被害者の合同葬儀を行うと聞いて、僕らは一度日本へ帰り、またすぐウィーンへと戻った。
僕は空港近くの花屋で、ヒマワリの花を一輪だけ買った。
洸が憧れてやまなかった、ヒマワリを。
――俺ずっと、夏になったら外に出るぞって思ってた。この窓から見えるあそこの花壇が、毎年夏になるとヒマワリ畑になるんだ。それがすっごいきれいでさ。小さいときは、いつか自分の手であのヒマワリに触ってやる、ってひそかに夢見てた。ノンさんも、ヒマワリみたいな人なんだ。眩しすぎて、近づけない。でも俺はヒマワリが大好きだから、ノンさんに触れたいって、そう思ってる。
と、洸が話してくれたのは、「ノンさん」が卒業する、ちょっと前。
僕が「ノンさん」を、名前しか知らないころ。
そのとき、僕は気づいたのだ。
洸は「ノンさん」を好きなんじゃないか、と。
世界中探し回って、ようやく見つけた一輪のヒマワリを、彼女にあげたんじゃないかと。
今度は「ノンさん」に代わって僕が、洸にそれをあげよう。
そう思って、僕はウィーンの街から少し外れた小高い丘へ向かった。
そこで、彼女と会ったのだ。
小さいころ一度だけ見た、全国コンクールの映像。
その面影を引きずった、凛とした表情。
洸の愛する「ノンさん」と、僕が初めて出会った瞬間。