愛のかたち
望の過去がとうとうすべて終わりました!
絶望に堕ちた本当の理由が明らかになります。
ただ、作者も描いてて思ったんですが、今回は「愛」がテーマになっていて、分かりにくい表現が多いと思います。
なのであとがきに簡易補足をしました。そちらを見てもらうとちょっと理解できるかもしれません。
「私は、両親の死を悲しんでなかった」
沈黙のあと、
「・・・・・・なにも聞かないんですか?」
と私が言った。
岬さんはふっと私から視線を外して、言った。
「僕にも、同じような覚えがあります。目の前の悲しみではなく、隣の、あるいは周りの人のことを、どうしようもなく、想ってしまったことが」
岬さんの視線は、私の後ろ、あのきのこ雲が広がった日のような、鮮やかなスカイブルーの空に向けられていた。
けれどそれはすぐに私に戻され、
「だから、分かるかもしれません。ノンさん、あなたがあのとき、何を想っていたのか」
と、岬さんは言った。
私が想っていたこと。
両親の死よりも、想わずにいられなかったこと。
それは、あまりに哀しくて、残酷な、私の運命だった。
* * *
愛ほど見分けのつかないものはない。
それを、今になってようやく思い知る。
私はあのころ、姉を憎み、陽路くんを愛していた。
それがまず、間違っていたのだ。
姉への憎しみ、それは家族を愛していたから。
憎まずにはいられなかった。“家族”は、私が初めて愛され、愛してきた場所だった。それを“姉が奪ってしまった”のだ、と思うことしかできなかったから。
私がもしも、姉か来たときのことを、家族愛が増えたと思うことができていたら。
きっと、違っていた。
何もかも、違う結果になっていただろう。
そして陽路くんへの愛情とは、実は兄弟愛にも似たような感情だったのだと、どうして気づくことができなかったのだろう。
家族への愛を失って、私の愛のよりどころは、陽路くんしかなかった。
変わらず大事にしてくれた彼を愛すことは必然的なことで、けれど同時に、絶対やってはいけないことだった。
彼を愛してしまったら、私はついに、家族を愛することができなくなってしまったのだ。
愛はひとつしかない、と、勘違いをしていたから。
でも、愛はひとつだけじゃない。私が望めば、愛はいくらでも生まれたのだ。
ただ、陽路くんへの愛。
それだけで、夢を持ち、努力し、叶える寸前まで生きてこれたから。
望むことさえ、忘れてしまったかのように。
他のものをすべて否定することで、生きてきた。
たくさんの愛を、もっと知っていたら。
愛の種類とその無限さを、あのころ理解していたら。
こんなふうに絶望の堕ちることもなく、姉のように、ただ両親を失った悲しみだけを抱いて、泣き崩れることができたのに。
「最初に絶望と出会ったとき、私は一瞬にして、その暗い闇に堕とされました」
それは、墜落現場で、姉と、陽路くんを見つけたとき。
そのとき、姉と陽路くんは抱き合っていた。
私は2人が、お互いに対して“ひとつしかない愛”を抱いているのだと、気づいた。
あのころ、私にとって愛はひとつだけだったから。
――陽路くんが愛しているのは、私が憎んでいる姉なんだ。誰も、私のことなんて愛してくれない。
そんなふうにしか考えることができずに。
陽路くんも姉も、私をちゃんと愛してくれていたことを知らずに。
たったひとつの愛を失って、私には、何もなくなってしまった。
からっぽの心は、絶望に、堕ちるしかなかった。
〈補足〉
「あのとき」とは、飛行機事故のとき。望は「愛はひとつしかない」と思っていました。だから、陽路くんが姉を愛しているのだと気づいたとき、私の愛は陽路くんにあるのに、陽路くんの愛はわたしにはないのだと思い込んでしまったんです。それが「絶望」への理由になります。陽路くんの愛が憎い姉へと向いていたことも大きいかもしれません。
でも「いま」、岬さんに話しているとき、私はようやく「愛にはいろんな形があるのだ」と気づきます。恋愛、友愛、家族愛、情愛などなど。それは、閉じこもるようになってから姉と岬さんの「私への愛」を感じることができたからだと思います。
もっと早く愛を知っていれば、望の人生は変わっていたのでしょうね。
あんまり分かりやすくなくてすいません。