真実
ウィーンの夏は、日本ほど暑くない。特に、今は夏の初めだから、夜になると少し肌寒くも感じられる。
そんな中、飛行機事故の犠牲者たちの合同葬儀が、墜落現場から程遠くない、ウィーンの街を少し外れたところの小高い丘で行われた。
フランクフルトからウィーン行きの飛行機で、死者は約200人にものぼった。そのうち日本人の死者は20人あまり。ツアーなどによる日本人の被害はなかったそうだから、個人での旅行者だったのだろう。
結局、墜落の原因は分かっていない。唯一知っているとされる機長が、死んでしまったから。
また、正確な死者も、分かっていない。遺体と遺品の、ひとかけらでさえも、跡形もなく燃えてしまったから。
私たちは一度日本へ帰って、すぐにウィーンへと戻った。
合同葬儀を行うと聞いたので、喪服だけを持って。
呼び寄せられた遺族たちが、中身のない墓を目の前にして、泣き崩れていた。
姉なんて、毎日毎日泣いて、とうとう涙が出なくなると、今度は声を嗄らすまで叫んだ。
その横で、私は、立っていた。
姉のように、泣くことも、叫ぶこともせず。
それができればどんなに楽だろう、と思いながら。
日本へ帰ってきたのはその次の日だった。
陽路くんの両親は演奏会のためにウィーンに残らなければならなかったけれど、陽路くんと私は、姉の「早く家に帰りたい」という希望で、一緒に帰ることにした。
3人揃って、重い足を引きずりながら、ようやく家に着いたのは夜だった。空港から品川駅までは電車を使い、それから家までの道を、私たちは歩いた。それぞれ、心になにかを想いながら。
「お姉ちゃん」
姉が家のドアを開けたとき、私は外から、言った。
「私、もう二度と、外に出ない。私は私だけの場所で、閉じこもって暮らす」
そうして向かったのは、親の持つアパートの、2階の一番奥の部屋。
喪服を取りに戻ったときに、身の回りの荷物とグランドピアノの移動を、きっちりと済ませて。
* * *
「これが、家に閉じこもるまでのすべてです。岬さん、あなたの欲しかった答えはこれです」
岬さんは、私から目を逸らさずに言った。
「これで全部、ですか?」
「そう思えませんか?」
「ノンさん、あなたはまだ、肝心なことを隠しているでしょう」
私はふふ、と笑い、それでも表情を変えない彼に、言った。
「敵わないな、岬さんには」
一息ついたあと、
「『ノンさん、あなたが家に閉じこもるようになったのは、“なにが”理由なんですか?』って、言うんでしょう?」
と私が言った。岬さんは開きかけていた口を噤んで、驚いた。図星です、とでも言うような顔をして。
「岬さん、前に『最低ですね』って、言いましたよね。でも、本当に最低なのは・・・・・・」
本当に最低なのは、あのとき。
燃えさかる炎を見ていても。
跡形もなくなった“そこ”で泣き崩れる姉の隣にいても。
墓前に立っていても。
私は、両親の死を、悲しんでなんかなかった。