春の使者
不思議な人だった。
何かがおかしいのではなくて、何もかもが。
彼を表すすべてが、不思議だった。
洸は自分のことを話そうとはしなかった。
「ノンさんって、どうして授業サボってるの? 連れ戻されるのは分かってるのに」
「ねぇねぇ、ノンさんって何人きょうだい?」
「ピアノ、いつからやってるの?」
と、いつも質問してきては、私が曖昧に返すのを、不服そうにしていた。
あまりにしつこくて、「洸はどうなの?」と聞き返すと、彼は「ひどいや、ノンさんてば」と言って、またも不服そうにぶつぶつ言っていたのを覚えている。
このときは、気にしていなかった。
もっと早く気づくべきだったのかもしれない。
洸が、私と同じように、自分を隠していたことを。
* * *
洸のことを初めて知って、またすべて忘れたのは、同じ日だった。
振り向くと彼がいて、卒業おめでとう、と、ヒマワリを一輪差し出した。
「え? ヒマワリ? この時季に、なんで・・・・・・」
すると洸は笑って、
「世界って不思議だよね。日本は冬なのに、どこか遠い国は夏だったりするんだから」
と言った。
「もしかして、世界中探したの? うそ、そんなこと・・・・・・まさか」
「そのまさか。でもその国のはタネがすごく大きくてさ、一輪だけもらってきたんだ」
「なんでそこまでしてヒマワリなの? 今の時季に咲いてる花でいいじゃない」
「だめだよ、ヒマワリじゃなきゃ」
「なんでよ」
洸は俯いて何か考え込んだのかと思うと、ぱっと顔をあげて口を開いた。
その瞬間、大きな音を立てて、風が通り過ぎていった。
まるで、飛び立ったばかりの飛行機を、目の前で見送ったときのような轟音で。
まるで、天が怒りを風にのせたみたいな強さで。
「ごめん、聞こえなかった。何て言った?」
というより、いきなりの突風に思わず目を閉じてしまったから、彼が何か話したのかさえ分からなかった。
「ひどいや、ノンさんてば。聞いてないんだもんなぁ」
と、洸は顔を赤らめて言った。
「しょうがないでしょ。で、なに?」
「だから・・・・・・『ノンさんにはヒマワリが似合うから』って言ったの。それに俺、ヒマワリが一番好きな花なんだ」
そう言うと洸は、私に背を向けて校舎のほうへ歩いていった。
私はその後ろ姿を見て、思わず叫んだ。
「ありがとう。私もヒマワリが一番好きな花なの」
洸は振り返って、なおも後ろ向きに歩きながら言った。
「俺のこと、覚えておいて。俺も、ノンさんのこと忘れないから。じゃあね、ヒマワリ好きなノンさん」
そして再び私に背を向けると、二度とこちらに顔を向けることはなかった。
正直なところ、私はヒマワリが好きだったわけじゃない。
嫌いではない。ただ、何とも思っていない、というのが本当だ。
でも、あのとき、どうしてもそう言わずにはいられなかった。
何度も見てきたはずの洸の去っていく背中が、消えていってしまうように見えた。
あの突風に、連れ去られていくみたいに。
彼は桜の精霊だから。
時季外れな3月に、洸は姿を現してはいけなかった。
時季外れなヒマワリに、愛を感じてはいけなかったのだ。
改めて思い返すと。
春。桜の下でしか、洸と会うことはなかった。
夏も秋も冬も、洸は私の元へ、やって来なかった。
そう、もっと早く、気づくべきだった。