あの高さまで
まず、音楽学校に入ることから、始まる。
1、面接のとき、どんな形でもいいから、自分を印象づけておくこと。
それに実技での評価を合わせたら、みんな「浅羽望」の名前を覚えるだろうから。
2、毎年、入学式での生徒代表演奏者に選ばれること。
3、最低でも1人の先生のお気に入りになっておくこと。
4、学校に毎日まじめに通うこと。
これが陽路くんによる、世界コンクールまでの近道だった。
* * *
世界コンクールの余韻は真夏の暑さで勢いがついたように、日本のマスコミはしばらく陽路くんを離してはくれなかった。
演奏会やソロコンサート、オーケストラのピアノ伴奏。テレビや雑誌で、陽路くんの姿を確認する日々が続いた。
秋になって、ようやく木枯らしが陽路くんを助けてくれた。まるで冬眠の準備に入りだしたように、陽路くんを取り巻いていたものたちは静かに去っていった。
そして私は1か月振りに、彼と再会することができた。
「ねぇ、陽路くん。私もあの舞台に立ちたいんだけど」
指ならしの練習曲を弾きながら、私は言った。
「世界コンクール? なに、やっとやる気になった?」
と、彼は嬉しそうに笑った。
小学2年生のころから出場していた、全日本ジュニアコンクール。
中学生になって、私はぱったりと、そこから姿を消した。
陽路くんはもったいない、と嘆き、何度も出るように言った。
「優勝したら、なにか賞品がもらえるかもしれないよ」とまで言った。
「ものになんか、つられないよ」
私は「いらないもん」の、一点張りだった。
そう、いらないのだ。
コンクールでは、小学生の部と中高生の部に分けられる。
私が中学2年までは、陽路くんも高校生。彼と競うなんて、私にはできなかった。
それに、どんなに頑張っても私は陽路くんの音には敵わない、ということはよく分かっていた。
仮に出場したとしても、私は大差の敗北を味わうほかない。
到底、彼には追いつけやしないんだ、と。
そんな悲しみは、いらない。
それに、私が高校生になると、陽路くんはジュニアに出場できなくなる。
彼は大人たちの、全日本コンクールのほうへいってしまう。
矛盾しているけれど、だけど私は、彼のいないコンクールでの優勝なんて、いらなかった。
でも、世界コンクールは違う。
私にだって、遠い、遠い、あの高さまで、行けるのだ。
それこそ、ウィーンまでの距離と同じくらい遠いところに。
今までの敗北感や諦めすべて飛び越えて。
ついにそこまでたどり着けたら、私は彼に伝えることができる。
ずっと行きたくて、行けなかった。
言いたくても、言えなかった。
ううん、もし言ったとしても、聞こえていなかっただろうね。
私はここにいるよ。あなたのすぐ隣に。
本当は昔からずっと、そこに、いたかった。
これからもずっと、そこに、いたい。
「世界コンクールに出場するには、まず日本代表にならないと」
「うん。だから、私も行こうと思ってるの」
そのとき私は高校3年生だった。
春の進路指導では「未定」だった卒業後が、決まった。
「お父さん、お母さん。私、音楽学校に行きます。陽路くんも通っていた、日本最高の音楽学校へ」
これが、私の最後のおねだりだった。