あのひとの音
ついに「あのひと」が登場です!!
これからどんどん出てくるのでお楽しみに。
ガチャ。
という音に反応して玄関を見やると。
そこには、あのひとが立っていた。
「ノンちゃん。あ、ごめん来客中?」
彼は岬さんを見つけると、ぺこっと頭を下げた。それにつられて岬さんも、「あっどうも」と慌てて頭を下げる。
「じゃあまたあとで来るよ。すいませんでした。お取り込み中に」
と言って玄関を去ろうとした彼に、岬さんは言った。
「あっいや、僕も今帰りますから。どうぞ」
「いやいや、大丈夫ですよ」
「いいえ、本当に・・・・・・」
2人はそんなやりとりを繰り返していて、結局どっちも譲っていたら、2人とも帰るということになってしまった。
私はさっきからうるさく脈打っている胸の音を鎮め、必死な2人に見つからないように、ふうっと深呼吸した。
「陽路くん、帰らなくていい。岬さんもいてください」
私は2人の間に割って入った。
2人ともきょとんとして、「それじゃあ」と言って部屋に入った。
中立の位置にいた私は、2人をそれぞれ紹介した。
「岬潤さん。いつも花を持ってきてくれるの。お姉ちゃんから聞いてるでしょ?」
岬さんはまた頭を下げて、今度は彼がそれにつられた。
「それで岬さん。この人は、天宮陽路さんです」
2人の軽い挨拶が済んだところで、私は彼に言った。
「陽路くん、どうしたの?」
「あ、いや、その・・・・・・叶が、ノンちゃんに嫌われたって落ち込んでたから、何かあったのか気になって」
「あぁ・・・・・・」
そう。姉は、あれきり家に来なくなった。
岬さんが2週間ぶりに来たのだから、姉もすでに2週間来ていないということになる。
あのとき。
「何もわかってない」と言った私の言葉、声、表情で、姉は感じ取ってしまったようだった。
ひとりで抱え込んでいた、私の想いに。
そしてこのひとは、そんな姉を心配してやって来たのだという。
私は彼にかける言葉を探していた。
本当のことなんて言えやしない。
それを言ってしまったら、とうとう絶望に堕ちてしまうのは、分かっていたから。
けれど、私の中の暗い部分が、言葉を見つけようとするのを邪魔している。
これ以上、このひとは私をどうしようというの。
こんなときにまで、このひとは姉のことだけしか見ていない。
私はぐっと目を閉じて、またすぐ開いた。
暗くてどろどろした感情を振り払うように。
そして彼の目をまっすぐ見て言った。
「陽路くん、お姉ちゃんに言っておいて。『ごめん。あのときは暑くていらいらしてたの。それをお姉ちゃんに八つ当たりしてしまっただけ。またいつでも来て』って」
彼はその言葉に、分かったよ、と納得の笑顔を見せた。
「じゃあ、僕はこれで失礼します。ごめんねノンちゃん。岬さんも」
「お姉ちゃんによろしく」
「うん、またね」
ドアが閉じられて、鉄筋の音が鳴る。
この音は、前にも一度だけ聞いたことがある。
予期せぬときに、姉と、2人で来たとき。
そのときも、こんなふうに優しい音で、鳴っていた。
「ノンさん」
はっとして、岬さんの存在に気づく。
「すいませんでした。あのひといっつも急だから」
「天宮さんって、お姉さんの?」
「あぁ、婚約者なんですよ。今は一緒に住んでるみたいで、もうすぐ結婚もするみたいですけど」
私はわざと明るく声を作った。
悟られてはいけない、と思った。
けれど、思ったよりも私の演技は下手くそで、声は明るかったが、瞳には涙が溢れていた。
岬さんには、やはり気づかれていた。
「じゃあ、ノンさんにとって天宮さんは?」
そのあまりに確信めいた言葉は、弱りきっていた心に突き刺さるには充分の鋭さを持っていた。
なぜさっきあのひとに言ったように、うその言葉が言えないのだろう。
言葉を探すこともせず。
「幼なじみで、お兄さんみたいで」
と言ったあと、私はもうひとこと、付け加えた。
「あのひとは、私のすべてです」
頬にはついに涙が零れ落ちていた。
同時に、ヒマワリの香りが私をふんわりと包むのが分かった。
まるでピアノの上のヒマワリに見つからないように。
岬さんは、私を抱きしめた。