ヒメヒマワリ
「ごはん、ちゃんと食べてないでしょ」
冷蔵庫を開けて姉が言った。おととい作ってくれたから揚げは1つつまんだきりで、ポテトサラダは上に乗せられたミニトマトを食べただけだった。けれど、一応「食べて」はいる。
「そんなことないけど」
「ほら、おとといの唐揚げもまだこんなに残ってる」
「肉は好きじゃないんだよね」
「野菜も嫌いって言うじゃない」
姉はため息をついて冷蔵庫を閉めると、グランドピアノの上の花瓶を手に取った。
「これって何て名前だっけ?」
「ヒメヒマワリ」
「そうそう、ヒメヒマワリ。こないだのガーベラも素敵だったけど、これは本当にキレイね」
姉は椅子に座って、うっとりとそれを眺めた。
「私にはこういう花がいいって」
「岬さんが?」
「そう」
「へぇ、岬さんには望がそう映ってるんだ」
姉は微笑んで言った。「うん、そうかもね。望は明るいコだもん。太陽みたいっていうか」
「それはお姉ちゃんのほうじゃない?」
姉はふふっ、と笑って花瓶を戻した。
「岬さん、今度はどんな花を持ってきてくれるのかな」
「来週イチオシを持ってくるって言ってたけど」
「えーっ、来週は旅行に行くんだよね」
姉はがっかりした様子でヒメヒマワリを小突いた。「残念だなー」
「旅行に行くの」
「あ、そうなの。ヒロがね、一緒に家に来てほしいって」
そのとき、胸がキリっと音を立てて、何かが突き刺さるのを感じた。
「それって旅行なの」
なんとか声は出せた。まるで色あせてしまったようなかすれた声だった。
姉は私の声の震えには気づかなかったようで、嬉しそうに弾んだ声で言った。
「だって私もヒロも、久しぶりに帰るんだし。だから観光も兼ねてね」
そんな人なのだ。
痛み出した胸が鼓動を大きく打つのを、姉に聞こえないうちに押し込める。
そして冷静さを精一杯演じて、幸せそうな姉を精一杯祝福する。
「よかったね」
「うん、ありがとう」
そう言った姉の笑顔の横では、ヒメヒマワリが姉のほうを向いていた。
ヒメヒマワリは私じゃない。あのひとだ。
それは姉の隣で綺麗に咲いている。
* * *
「なんでまたヒマワリなんですか」
次の週、岬さんはやって来るなり花瓶をキッチンに持っていった。そして新聞紙に包まれたそれを花瓶に挿して、再びピアノの上に置いた。
岬さんのイチオシは、ヒメヒマワリよりも強く咲き誇った大きなヒマワリだった。ソファに座っている私をまっすぐ見下ろしている。
「ノンさん、今しゃべりました?」岬さんは驚いてこっちを見た。
私はその言葉に反応して、少し睨むような目つきで黙ったまま彼を見上げた。
「いやいや、嫌味で言ったんじゃないですよ」
岬さんは慌てて取り繕った。「ノンさんの声、久しぶりに聞いたんで」
「そうだったかな」
「いつも僕の独り言ですからね」
と言って、軽く微笑む。「今度からは何でもいいから返事してくれたら嬉しいな」
「考えときます」
「はは、よろしくお願いしますよ」
岬さんは髪をくしゃっと掻いた。
「せっかくのノンさんの質問に答えないと。『またヒマワリ』って言ってましたよね。それってこれのことですか?」
岬さんはそう言って、力を失くした小さなヒメヒマワリを左手に、まるで今咲き始めたような大きなヒマワリを右手に持った。
「この2つの花は全くの別物ですよ」
岬さんはヒマワリをピアノの上に戻し、ヒメヒマワリを新聞紙に包んだ。
「ノンさんなら分かるはずです」
そう言うと彼はいつものように乱暴に靴を履き、家を出た。
岬さんの言葉が妙に頭の中に残って消えない。
鉄筋の音色を弾くことさえ忘れてしまうほどに。
まだ恋愛要素が全然ですね〜。
でも中盤の部分が恋愛の要になってくるのですよ。
今後をお楽しみに。