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響く  作者: 綾瀬タカ
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個人レッスン

「そこはもう少しデクレッシェンド(だんだん強く)を強調してもいいかな」

「はい」

 個人レッスンを受けるようになって2週間も経つと、成沢先生の人気がどれほどすごいものか、いくら周囲に無関心な私にでも分かる。

 というか、すでに1日目のレッスンのときから、それは“気づかされた”と言ったほうが正しいかもしれない。


 


 1日目、私が遅刻したせいで、練習時間は1時間ほどしかなかった。

 すると成沢先生は言った。

「ピアノはとりあえず閉めておこう。今日はまず、お互いを理解すること。そして、コンクールでの自由曲を決めようか」

「はい」

「それじゃあ、何か僕に質問はある?」

「質問ですか」

「ピアノのことじゃなくて、僕についてのこと。歳はいくつだとか、身長は何センチかとか。彼女はいるかでもいいよ。浅羽さんの興味があることなら何でも。僕は全部答えるよ。そのかわり僕も質問する。だから君も隠さず答えること。いいね?」

「なぜですか」

「最初に言ったように、お互いを理解するためだよ。気持ちが通じ合ってないと対等に意見を言い合えないし、聞こうとはしないだろう」

「・・・・・・確かに、そうですね」

 確かに、先生もそうだった。出会ったころ、同じことを言っていたし、同じことをした。

「じゃあまず、僕から質問するよ。君はどの季節が好き?」

「は?」

「いいから、答えて」

「春です」

「なぜ?」

「あったかいから、外でサボれるじゃないですか」

「あぁ、そうだね。君は春、中庭の桜の木の下で寝ていたね」

「知ってるんですか」

「見てはいないけど、宇津井先生がよく言ってたから。『またあの子は中庭にいるのね』って」

 宇津井? もしかして、カマキリ女のこと? そう、そんな名前だったのか。どうでもいいけど。

「で、君から僕への質問は?」

「え? えっと・・・・・・」

 正直、思いつかない。

 他の教師たちよりは関心も持てるけれど、だからと言って知りたいことなんて特にない。

 でも、「お互いを理解する」ためには必要なことだというのも分かっている。

「じゃあ、成沢先生の下の名前は」

 私はとりあえず、当たり前のところから始めることにした。

 そうすればきっと、だんだん知りたいことも増えてくるだろう。

「拓巳。成沢拓巳っていうんだ」

「私はなんて呼べばいいんですか」

「先生方は『成沢先生』、生徒たちは『拓巳先生』って呼んでるのが多いかな。たまに生徒で『タクミさん』って呼ぶ子がいるんだけどさ、それはちょっと照れちゃうよね」

 それはたぶん、私が成沢先生に指導を受けることが発表されたときいち早く反応した、ミーハーな女の子たちと同類の子だと思った。

「何歳ですか」

「28だよ。教師の中では一番若いんだ」

「身長は」

「180センチ、ジャストだよ」

「へぇ、やっぱり」

「ん? なにが?」

「モテる要素をいっぱい兼ね揃えてるなぁと思って。成沢先生、人気あるみたいだったから」

 オジさん中年ばっかりの中で、長身のイケメン28歳だったら、私たちくらいの歳だったら憧れるのも頷ける。しかも相手は教師だし、夢見る女の子たちは禁断の恋っていうフレーズにもけっこう弱い。

「そうなんだ。嬉しいなぁ」

「気づいてなかったんですか」

「う〜ん、好意を持ってくれる子が何人かはいたけど。人気があるなんて知らなかったよ」

 と、成沢先生は嬉しそうに柔らかく笑った。

 すると授業終了のチャイムが鳴った。

 いつの間に、1時間も経っていたのだろう。人とこんなに長く話していたのは久しぶりだった。

「もう終わりか。曲も決めてないな。まぁそれは君の弾きたい曲をやってもらおうと思ってたから、なにがいいか考えてみて。それじゃ、僕からの質問ね」

「まだやるんですか」

「これで最後だよ。どうしても聞きたいこと」

「何ですか」

「さっきの君からの質問に対してなんだけど・・・・・・」

 意外だったのは、この人がそういうことを気にする人だったこと。

「それで、僕のことはなんて呼んでくれるの?」

「あぁ・・・・・・」

「もう一度言うけど、先生たちは『成沢先生』、生徒たちは『拓巳先生』、僕に好意を持ってくれてる一部の女子は『タクミさん』。じゃあ、君は?」

「そうですね・・・・・・」

「あと、もうひとつ。君はその中に入ってるの?」

「その中?」

「一部の女子の中」


 正直に言ってもいいだろうか。

 名前も顔も今日知りました、と。


 そんなこと、いくら私でもできない。


「私がその中に入ってると思いますか」

 結局出た言葉も、なんだか失礼な言い方になってしまった。

 けれど本当のことだから、言葉や言い方にまでは、嘘のつきようがなかった。


 成沢先生は考えることもせず、

「ないね」

 と言った。

「君は僕に好意を持つどころか、僕のことを今日まで知らなかったようにさえ思えるよ」

 

 当たっていた。

 先生、すごい。ものの1時間で、もう私のことが分かったんですか。


「好意は持っていますよ。でもそれは、一部の女子のものとはまったく違うでしょうね」


 好意を持っている、というのは、本当のことだ。

 別に嫌ってもいない。どうも思っていないというのが大正解ハワイ旅行プレゼントくらいの気持ちだが、単純に人としてどうかと問われれば、こういう人は好きな部類に入る。

 なんとなく、考え方が先生と似ているから。

「それじゃあ、また明日」と私は言った。

 成沢先生は、さっきの私の言葉に少しがっかりした様子だった。けれどすぐに調子を戻して言った。

「明日は遅刻しないようにね。課題曲の練習にも入るつもりで、楽譜を用意しておくから。あと、もうひとつの質問の答えだけど・・・・・・」

 私はドアノブに手を掛けたところ、後ろを振り返って言った。

「明日、楽しみにしていますよ。『成沢センセイ』」


 バタン、と第5音楽室のドアを閉め、扉にもたれかかった。


 きっと、今もがっかりしてるんだろうな。


 そんな成沢先生の表情を、さっきの様子の何倍も落ち込んだ顔を想像してみると、なんだかおかしくなった。


 ――明日、楽しみにしていますよ。


 なんて。楽しみに思うなんて、どうかしてる。

 

 けれど、今日の学校は、つまらなくはなかった。




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