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響く  作者: 綾瀬タカ
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19歳・入学式

 音楽学校に入学してから、もうすぐ1年が経つ。

 春の気配はまだ感じられない。

 冬の名残りが、寒さという武器を思いきり使っている。まだまだ寒い日が続きそうだ。

 

 早く、柔らかく暖かい光を差し込んでほしい。

 桜の木に実をつけてほしい。

 花びらの蕾が、むくむくと殻を押し出してほしい。


 それは、春がやって来たことのしるしになるから。



 


 4月の初めにようやく開花宣言されたころには、心地よく舞う風が、すでに春を告げていた。

 その矢先、春風の名のもとに、珍しくびゅうびゅうと音を立てて吹く風があった。

 けれど、まだ蕾が開いたばかりの桜は、その風に負けなかった。

 正確には、“負けまいとしていた”。

 私はその姿に昔の自分を映しては、桜の強さを羨ましがらずにはいられなかった。

 ビクリともしない太い幹、まるで接着剤でも塗られてくっついているかのように散らない花びら。

 それらをひとつに持った、桜という春の象徴。

 私にはない、立ち向かう強さ、自分よりも強いものに反抗する力を、持っていた。

 

 あのころ、私にはそれができなかった。



 *  *  *



「今年の春は、珍しい突風が吹き荒れることや桜の開花が例年よりも遅いことがあり、どこか違っている」

 そう言ったのは、あのカマキリ女だった。

 それは壇上の挨拶の初めの言葉であり、手紙でいうところの「拝啓」に続く時事のようなものだ。

 そのあとつらつらと話す言葉は耳に入ってはこないが、とりあえず時事のあと、もう20分は経っている。

 私はそれを、カマキリ女の横――壇上の幕で隠れているそで部分――で見ていた。

 幕を少しだけ厚くつかむと、講堂に並ぶ生徒の姿が見える。

 かなり遠くのほうで、何人かがあくびをしている仕草が分かる。彼らを含めた大多数が、私と同じようにカマキリ女の話を聞いていないのも感じられる。

 前のほうにいる生徒たちは、みんな姿勢が崩れていない。

 よくあんな話をきりっと聞いていられるなと思う。けれど彼らにとっては、それが当然のことなのかもしれない。

 彼らは今日、生徒になったばかりなのだから。


 退屈なカマキリ女の話が続く中、私はそろそろ自分の世界に静かに身を落とす準備をしていた。

 いつ話が終わってもおかしくない。カマキリ女は、そんな、取り留めのない話をしているような気がしたのだ。

 だから私は、いつでもすぐに自分を発揮できるよう、事前に精神を集中させておかなければならなかった。

 なぜなら、カマキリ女のくだらない(失礼になるのか?)話がようやく終わると、「在校生からの入学祝い」と称して、私が生徒代表でピアノの演奏をすることになっていたのだった。

 さらに10分ほど経って、ようやく話も終盤になってきたようだ。

 最後に・・・・・・という単語がちらっと聞こえたので、私は研ぎ澄まされた集中力をいったん開放した。

 

「あまり神経を尖らせても、いい演奏はできないよ。注射器で細い穴をプスッと打つみたいに、頭に空気を入れてあげるんだ。それで弾くと、全然違った音になる。それはなぜか、分かる?」


 それはなぜか。

 細い穴には、集中力とバトンタッチで“自分”が入り込んでくる。

 その瞬間、音は“わたしの音”になる。わたしの、わたしだけの。

 だから、「楽譜どおりに弾いても同じ曲ではないように感じる」のだ。


 小学1年生のときの最初の発表会の日、舞台の袖で次に迫った出番を震えながら待っていたときに、私のピアノの先生から言われた言葉。

 それ以来、私はどんなに小さい発表会でも、どんなに緊張しなくなっても、必ず集中の風船がぱんぱんになる前に、“自分”をつめるようにしている。

 

“日本最高の音楽学校で指導する教師と、そこに合格した生徒”の前で演奏するのは緊張していないが、私はいつものように心をふぅっと軽くする。

 けれど、カマキリ女は最後に・・・・・・と言ってから、また春を引き合いに出して話し始めた。

 事前の打ち合わせでは、カマキリ女が私の紹介をして舞台袖に下がり、1拍置いてから私が出ていくはずだった。

 カマキリ女の話は、リピートボタンを押しっぱなしの音楽のステレオのようだ。

 それしか言葉を知らない。そして、そればかり話す。


 

 早々と開放してしまった心に、カマキリ女の最初の言葉が染み込んでくる。

 

 ――今年の春は、珍しい突風が吹き荒れることや桜の開花が例年よりも遅いことがあり、どこか違っている。


 そうなのだ。

 カマキリ女と同じことを思っていると捉えると、なんだか気が重いが。

 私にとっても、今年の春は違っていた。


 そのひとつが、「入学式での生徒代表」だった。




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