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響く  作者: 綾瀬タカ
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18歳・音楽学校

ここから回想に入ります。望の音大時代です。

この回でもフルネームが出てくるのでもう一度言っておくと、「浅羽望」で「あそうのぞみ」です。



 日本最高といわれる音楽学校に入るのは、周りが言うほどそんなに難しいことではなかった。

 5人の大人たちの前で、「演奏してください」と言われれば弾いた。

「ピアノは何歳からやっていますか」と聞かれれば、そのままを答えた。

 私はピアノを弾くために生まれてきたんです、と。

 それだけで、学生たちのほんの一握りしか入れないという特別クラスに入れたのだから、やっぱり簡単だったのだろう。

 特別クラスでも難しいことはなかった。

 学校全体の生徒が何千人といるうちの20人ほどしかいない優秀な生徒のためのクラスと聞いたけれど、私はここにいると逆に、彼らの音に侵されてしまいそうな不安を感じていた。

 彼らの演奏は、どれも同じ音色にしか聞こえなかった。

 

 だからサボりがちになってしまったのも、無理のない話だと思う。




「・・・・・・さん、あ・・・・・・さん。浅羽望さん!」

 目を覚ますと、女の人が立っていた。

「あなたはまたこんなところで授業をさぼって! 担当教師から報告を受けましたよ」

 確か以前にも3回ほど、この中庭で日向ぼっこしていたのを見つかったときの先生だった。メガネに、高い位置での乱れのないだんごヘア。加えてカマキリのような目つき。いかにも、という風貌からしても、どうやら学年主任らへんの立場にいる人らしい。

「ただサボってたんじゃありません。ちゃんと考えてたんですよ」

 と私も反抗してみるが、カマキリ女には通用しない。

「そんな言い訳はいりません。早く授業に戻りなさい。あなたはあの特別クラスなんですから、しっかり授業を受けないと」

 4度目のその言葉にはすっかり飽きてしまった。

 だいたい、「授業を受けないと」どうなるというのか。私には授業に出ることのほうが、自分のためにならないと知っている。

 


 特別クラスはピアノだけでなく、バイオリンやチェロ、パーカッションなど、さまざまな楽器における優秀者の集まりで、いわば学校代表のオーケストラである。ピアノ科からは私と、あと2人。他の科もだいたい同じくらいだ。

 彼らと演奏をすると、私はその音に合わせなければならない。本当はもっと深く、厚みのある音を出したいのに、彼らといてはそれができない。

 もし1人で自分の音を出そうとすると、担当教師が

「浅羽、合ってないぞ! もっとみんなに合わせろ」

 と言って、私が注意を受けるのだ。

 みんなが私に合わせるようにしろ、とは言わないのか。そう何度思ったか、計り知れない。

 そしてそれはピアノだけで合わせるときもまた、同じだった。

 

 

 カマキリ女がついてくるので、私はしぶしぶ教室に戻る。

「私から注意しておきましたので」

 と言ってカマキリ女は帰っていく。担当教師もその女には逆らえないようで、

「すいません。ありがとうございます」

 と、低姿勢でへこへこと頭を下げる。

 そして女が帰ったあと、私に

「みんなに迷惑をかけた罰として、お前は今日ひとりで練習だ。オーケストラには入れん」

 と、教師ズラをさらけだして言う。

 

 けれどそれこそが、私の望むこの学校での過ごし方だった。

 

 学校を休むことも辞めることもできないので、結局は授業を受けなくてはならない。でないと単位も評価ももらえない。だからあえて授業をサボって、その罰としてひとりで延々と練習曲を弾かされる。練習曲はもう何万回と弾いたので、今さら簡単すぎてつまらないが、自分の音が狂うことはない。

 私にとっては「罰」がオーケストラの練習で、ひとりで練習が「当たり」だったのだ。

 

 

 隣の第一音楽準備室でひとり練習していると、第一音楽室からはオーケストラの合わせが聞こえる。他の部屋には漏れない完全防音なのだが、準備室までにはそうはいかない。私は隣から演奏が聞こえると自分の手を止め、かるく耳を塞ぐ。それでも敏感な耳はその音をキャッチしてしまう。だから私は、オーケストラの練習をするより個人の練習をしろよ、と思っては、不快な音でいっぱいになった耳の中を、三半規管のずっと奥まで換気するように、思いきりピアノを弾くのだ。

 そしてその音は、たとえ練習曲であっても、オーケストラが演奏をやめて聞き入ってしまうくらい美しい音色に響く。

 自分でも、恐いくらいに。

 そうして授業をサボる常習犯としてのレッテルと同時に、天才ピアニストの称号を得た。

 特別クラスの生徒は私のことをサボり魔として見ていたが、決して見下すことはなかった。私がいつものように弾かされる練習曲にうっとりと聞き入っているようにさえ見えた。

 その証拠に、私が第一音楽準備室に入ると、彼らの音は小さくなり、次第に止んでいた。

 

 そう、それで良かったのだ。

 彼らは私自身に文句があっても、私のピアノには何も言えない。むしろ、憧れの対象として見させておく必要があった。

 それこそが、私がこの学校に入学した理由に繋がる第一段階だったのだ。




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