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雨守

作者: 小夜
掲載日:2026/01/27

深い雨音が、赤い和傘に降り注ぐ。

不気味な程に均一に鳴り響くその雨音に、私は安心感すらを覚え始めていた。


君はいつも、私を和傘の中心に入れる。

無意識かのように、少しずつ。だから君の右肩はいつも濡れている。気づくたびに何か言おうとするけれど、それを遮るように羽織を掛けられてしまう。断る理由なんて、見つからない。冷たい雨の中、君の優しさが温かいから。


ここは森だ。青く湿った木々の間に、静かに咲く花。細くて小さな道はすぐに見えなくなる。そんな森の奥に、小さな小屋がある。雨で黒ずんだ壁と、軋んだ音を立てる扉。中にはいると、絶えず聞こえる雨の音が少し弱くなる。


「ここは、どこなの?」


何度目かの私の問いに、君はやっと答えた。


「…ここは、現世とその先の間。」


それ以上、君は口を開かない。

私も、無理に聞こうとはしなかった。なんとなく察していたのだ。ここが私の生きていた、生きるべき世界ではないと。でも、決まって私がここに来る前のことを思い出そうとすると、胸が苦しくなった。輪郭もはっきりしない、モヤモヤする嫌な思い出たち。霧がかかったようだけど、別に思い出したくない。


雨は止まない。沈黙の私たちを置いていく。

だが時々、雨が弱まることがある。その時、私は理由もない不安に襲われる。世界が、輪郭を失っていくような感覚。私が、ここから消えてしまうような。


「雨って、止んだりするの?」


あるよ、君はそう言った。


「それってどんな時?」


しばらくの沈黙の後、君は言う。


「…誰かが何かを決めた時だよ」


この時の私には、君の言葉が理解できなかった。


夜になると、昼と変わらないはずの静寂がより一層深まるような気分になる。

薄暗い小屋の中、私は君と隣り合ってベッドに座っている。

透き通った白い肌と、長いまつ毛、少し目にかかった黒髪。表情は穏やかなのに、どこか貼り付けられたようで、人形のようにみえることもあった。


「君は、ずっとここにいるの?」


「そうだね、随分、長いかな。」


君の変わらない穏やかな表情が、崩れてしまうような気がして、これ以上は何も言えなかった。



ある日、突然雨が弱まった。

今までもそんなことはあったけど、今回はなにか特別な感じがする。

いつもみたいに赤い和傘に二人で身を包んで散歩していた最中だった。私は言いようのない不安に襲われ、君の袖を掴んだ。


「ねえ、私ってここに来る前、何をしてたの」


君の指が、わずかに震える。


「…聞かない方がいいよ 」

その声は、何か意味を含んでいるように感じた。君は、何かを私に隠している。


「君は、現世に戻りたいとは思わないの?」


雨はより一層弱まる。その度、君の穏やかな表情の中に複雑な感情が見え隠れする。


「…今は、もう戻れないよ」


理由を君は口にしない。でも、わかってしまう。ここは、選択の場所。戻るか、ここに留まるか。生きるか、終わりにするか。

君は一度、終わりにしたのだ。


「ここには役割があるんだ。」


君は続けた。


「迷っている人のそばで見守る役割。雨に濡れないように傘を差して、寒くないように羽織を着せて…。選べる時間を延ばす。」


私は、君がやってくれてきたことを思い出した。傘、羽織、全部役割だった。


均一な雨音が崩れ始め、沈黙の後君は言う。


「君は、まだ戻れる。」


静かな声だった。


「現世では、君は生きてる。ただ、ここに残れば…戻れなくなる。」


胸の奥が静かに痛んだ。

思い出そうとするだけで苦しくなる過去の世界に、私は居場所を見つけられるのだろうか。誰かに、必要とされるのだろうか。


「一緒にいたい。それだけでいい。」


気がついたら、そう言っていた。

願いでもあり、裏返せば逃げでもある。


君は静かに首を振る。


「それは君のためにならない。」


そう君は言うけれど、私を突き放さない。私に掴まれた袖の上に、君は震えた手を重ねたまま動かない。雨がまた、徐々に弱まる。選択の時だと、身体が言う。

君の変わらず濡れた右肩をみた。


私は、君の震えた手を握った。



雨は、止まなかった。




それからどれだけ時間が経っただろう。

ずっと私のそばに居た君は、やがて言葉が減り、表情も消え、私の名前を呼ばなくなった。


気づいた時、雨の降りしきる森に残されていたのは、赤い和傘だけだった。君の姿は無い。

探そうとはしなかった。居ないと分かっていた。


私は赤い和傘を手に取る。


均一に鳴り響く雨音の下、森を歩く。


雨は、今日も止まない。

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