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影の中心へ


街は、壊れていた。

逃げ惑う足音が、あちこちで弾けている。

叫び、泣き声、怒鳴り声。

それらすべてが、同じ方向へ流れていく。

――影から、逃げるために。

ミラは、その流れに逆らって走っていた。

石畳を蹴る足が痛い。

肺が焼ける。

それでも速度を落とさない。

触れたら、終わる。

影に触れれば、死ぬか、意識を失うか。

そんなことは、最初から分かっていた。

道の途中、倒れている人々が見えた。

呻き声すら上げられず、影に撫でられた痕だけを残して転がっている。

呼吸はある。

だが、起きない。

起きられない。

視線を逸らし、ミラは走る。

影の中心へ近づくにつれ、空気が変わった。

黒が、濃くなる。

影が影を呼び、触手の数が増えていく。

道を塞ぎ、空を覆い、逃げ道を消していく。

近づけない。

近づくほど、拒まれる。

そのとき、ミラは一瞬、立ち止まった。

この街では、脱がないと決めていた。

頭まで覆い隠した羽織を脱ぎ捨てる。

姿を目立たせないためのもの。

だが――邪魔だ。

ミラは迷わず、羽織を掴み、投げ捨てた。

布が風に舞い、

羽織が地面に落ちた瞬間、空気が変わった。

頭上に立つ耳が風を切り、背後で尾がバランスを取る。

耳が、露わになる。

尾が、空気を切る。

地を蹴る音が重なり、四肢が連動して加速する。

瓦礫を踏み、壁を蹴り、跳ぶ。

着地の衝撃は低く、次の動作へ迷いなく繋がる。

影が迫れば身を沈め、尾を振って軌道をずらす。

人の動きではない。

獣として街を裂き、黒の中心へ一直線に突き進んだ

隠していたものを、すべてさらけ出す。

覚悟は、とっくにしていたはずだった。

それでも、もう一度、深く息を吸う。

――行く。

姿勢を落とし、二足をやめる。

四足へ。

獣の形へ。

次の瞬間、世界が跳ねた。

全力。

ただ、それだけ。

地を蹴り、影の間を縫う。

触手が伸び、ミラを捕まえようと蠢く。

低く跳ぶ。

高く跳ぶ。

地を叩き、身を翻し、紙一重で躱す。

影が、叩き潰すように降ってくる。

横へ飛ぶ。

壁を蹴る。

建物の外壁を踏み、空へ。

屋根へ着地し、次の屋根へ。

瓦が割れ、石が弾ける。

影は、追ってくる。

執拗に。

激しく。

躱す。

躱す。

躱す。

呼吸が乱れ始める。

足が、重い。

一瞬の遅れが、死に直結する距離。

それでも――見えた。

影の中心。

そこに、レンがいた。

首から下が、黒に沈んでいる。

影と区別がつかないほど、溶け込んでいる。

両腕には、少女を抱いていた。

小さな身体。

動かない。

――ミユナ。

レンの口は開いている。

だが、声はない。

叫びだけが、形にならず漏れている。

意識が、ない。

その光景を見た瞬間、

ミラの頭が、ぐらりと揺れた。

胸の奥が潰れ、息が詰まる。

視界が滲み、足元が遠のく。

おかしくなりそうだった。

私が。

私が、分かっていたのに。

喉が震え、声にならない息が漏れる。

涙が勝手に溢れ、頬を伝って落ちる。

それでも目は逸らせなかった。

影が、さらに広がる。

首元から、顔へ。

黒が、肌を侵食していく。

黒よりも黒い。

闇そのもの。

レンの顔が、ゆっくりと闇に沈んでいく。

「レン……」

喉が詰まり、声にならない。

「レン、やだ……レン……!」

呼ぶたびに、胸が潰れる。

涙で前が見えず、足が震える。

「レン! レン! お願い……レン!」

消えていくのは体だけじゃない。

奪われたもの、抱え込んだ絶望、その全部が影になっていた。

それを理解した瞬間、息が崩れる。

泣きながら、喉が裂けるほど、ただ名前だけを叫び続けた。

このままでは、全部呑まれる。

レンが――消える。

直感だった。

でも、確信だった。

影が激しく暴れ、近づけない。

触手が、壁のように立ち塞がる。

ミラは、歯を食いしばった。

レンがいなくなる世界だけは、

絶対に、認められなかった。

誰よりも他者のために生きる人。

壊れながら、それでも手を伸ばす人。

もし、死ぬなら。

それは――

私だ。

ミラは、躱すのをやめた。

影へ。

一直線に。

走る。

ただ、走る。

レンへ飛び込む。

影が、ミラを迎え撃つように動く。

触手が、殺意を込めて迫る。

――その瞬間。

影が、逸れた。

ミラを、避けた。

まるで。

まるで、意志があるかのように。

ミラは、レンを抱きしめた。

影の中心で、

ようやく、届いた。

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