ごめんね
目を開けた。
先に、音が来た
何も見なくても分かる。
揺れ。 一定じゃない呼吸。 擦れる布の音。
――背中。
音が、そう言っている。 この歩幅、この癖。 耳が覚えている。
レンだ。
怒鳴られない。 落とされない。 重さを責められない。
まだ、消えていない。 置いていかれていない。
それだけで、胸の奥が緩んだ。 張りつめていた何かが、音もなく切れる。
涙が出た。
止めようとしたのに、間に合わない。 首元に落ちる感触で、自分でも分かる。 温かい。
同時に、別の匂いがした。 鉄。 濃くて、近い。
血。
歩くたび、滴る音がする。 落ちる。 また、落ちる。
呼吸が、少し苦しそうだ。 それでも、歩調は変わらない。 止まらない。
周囲の音が、近い。 人の気配。 探す音。
――長くは、もたない。
考える前に、分かってしまった。 ここまで来た理由。 ここまで来れた代償。
出会ってからの時間が、重なる。 名前を呼ばれたこと。 手を伸ばされたこと。 何もないまま、ここにいた私を、 当たり前みたいに連れていった背中。
それだけで、十分だった。
――ありがとう。
涙が、また落ちる。 レンの首筋を濡らす。
少し、歩みが揺れた。 血の匂いが、濃くなる。
――このままじゃ、だめだ。
背中から、動く。 力を抜く。 自分の体重を、地面へ返す。
足が触れる。 冷たい。 揺れる。
思わず、掴んだ。
レンの袖。 布の感触。 離したくない。
でも、それは、 ここまで、だ。
掴んだままじゃ、 レンは、進めない。
指に、力が入る。 それを、自分でほどく。
一本。 また一本。
布が、抜ける。
レンの背中が、 少し、遠くなる。
振り向かれる前に、 距離を取る。
視線が合う。 合ってしまう。
泣いているのに、 笑ってしまう。
「……ありがとう」
小さく。 音にならないくらいで。
レンが、何か言おうとする。 その前に。
短剣を、喉元へ。
冷たい。 はっきり分かる。
レンの動きが、止まる。 時間が、止まる。
「……二人を」
声は、静かだった。
「……許してあげて」
それだけ。
深く、突き立てる。
痛みは、遅れてくる。 音が、歪む。
地面が、近づく。 影が、落ちる。
血の匂いが、 もう、気にならない。
耳に残るのは、 レンの呼吸だけ。
まだ、生きている音。
それで、いい。
目を閉じる。
暗い。 でも、怖くない。
音が、ひとつずつ消えていく。
数えなくていい。
世界は、まだ続く。 誰かの明日が、残る。
レンがいる限り。
ごめんね。
それで、 全部だった。




