音が壊れるまで
何処かに連れていかれた。
ミユナは、動かなかった。
逃げろ、と言われた場所から。
家の中だった気もするし、
外の物陰だった気もする。
逃げろ。
それだけ。
どこへ、とは言われていない。
ただ、ここにいるな、と。
膝を抱える。
床が冷たい。
石が当たる。
床が冷たい。硬い。
冷たいのは、前からだった。
音を数える。
やめる。
足音。
風。
柱が鳴る音。
金属が触れる音。
全部、同じ。
レンの足音が、ない。
混じらない。
来てほしくない。
来たら、危ない。
それは、分かる。
分かるから、喉が鳴る。
音が出た。
出たことに、体が固まる。
口を押さえる。
前は、音は怖くなかった。
音は、測るものだった。
数えていれば、次が来る。
次が来れば、準備ができる。
でも今は、次がない。
近づいているのか、
離れているのか、
分からない。
体が、勝手に震える。
――昔も、こんなふうに。
父が死んだ日。
匂いと、声と、空の色。
ちゃんとは覚えていない。
胸だけが、重い。
母は、隣の部屋にいる。
声はしないけど、いる。
いるはず。
さっきまで、いた気がする。
鍋の音。
布が擦れる音。
それは、思い出かもしれない。
母は、優しかった。
抱きしめるのが上手で、
髪を梳くのは、少し雑だった。
だんだん、変わった。
泣いて、
怒って、
謝って。
帰って来なかった。
置いていかれた。
理由は、分からなかった。
それでも、好きだった。
「ここで待ってて」
そう言われた。
家だった。
それとも、別の場所だった。
待つのは、慣れていた。
音を数えていた。
足音が近づくたび、
体を固くしていた。
母の足音は、来なかった。
代わりに、別の音が来た。
床が鳴る。
重い足音。
知らない音。
空気が変わる。
来た。
来てしまった。
母は、いるのに。
いるはずなのに。
「……おかあさん?」
声は、小さすぎて、
自分でも聞こえない。
返事は、ない。
「静かにしてなさい」
言われた気がする。
前にも、そう言われた。
本当に言われたのか、
今、頭の中で鳴ったのか、分からない。
レンなら、見つけられる。
音で。
癖で。
ミユナの残した、何かで。
それが、嫌だ。
来てほしい。
でも、来ないで。
レンが来たら、危ない。
レンが来たら、殺される。
だから、来ないで。
でも――
来るわけがない。
ここは、家だ。
レンは、家を知らない。
知らないはずだ。
助けて。
言葉は、胸の奥で止まる。
口に出したら、見つかる。
低い声がする。
名前を呼ばない声。
乱暴な声。
物が倒れる音。
布を掴む音。
母の声は、ない。
ミユナは、縮む。
ここにいれば、見えない。
ここにいれば、いない。
「待ってなさい」
また、聞こえた気がする。
それは、昔の声だったかもしれない。
逃げろ、と言われた。
待て、と言われた気もする。
どちらも、同じ。
来たら、終わる。
来なければ、助かるかもしれない。
どちらも、怖い。
助けて。
来てほしい。
来ないで。
来るわけがない。
全部、同時。
扉が開く音。
影が落ちる。
ミユナは、目を閉じる。
母は、いる。
いるはずだ。
そう思わないと、
音が、
世界が、
全部、壊れてしまうから。




