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第2話 生きる

レンは影のように息を潜め、

亜人の集落の外周を這うように移動した。

三日連続で盗んだ。

干し肉を二切れ、果物を三つ。

いつもの小屋の裏から、素早く袋に詰めて逃げる。

心臓の音がうるさく響くが、

体はもう慣れていた。

初めは毎回、汗でびっしょりになり、

手が震えていた。

でも、今は違う。

一ヶ月以上繰り返せば、

ルートも、亜人たちの巡回パターンも、

頭に染みついていた。

「盗人が近くにいる」

数日前、集落の焚き火の周りでそんな声を聞いた。

集落の食料が減ってる、泥鼠の仕業だ、って。

レンは知っていた。

自分のせいだ。

でも、止まらなかった。

腹が空く。

影の力が強くなるたび、

食い物が必要になる。

痣が広がる痛みも、

食べて抑えられる気がした。

「今日も大丈夫だろ」

そんな甘い考えが、頭をよぎるようになった。

慣れすぎた。

それが、間違いだった。

四日目。

いつもと同じ小屋の裏に忍び込んだ瞬間、

異変を感じた。

空気が違う。

匂いが濃い。

獣の汗と、警戒の匂い。

普段の巡回より、息遣いが荒い。

レンは影を濃くしたが、遅かった。

「……いるぞ」

低い唸り声が背後から聞こえた。

レンは反射的に影を伸ばし、

体を覆うように濃くした。

だが、もう遅い。

角の生えた大柄な亜人が、

槍を構えて立っていた。

その後ろには三、四人。

みんな武器を手に、目が赤く光っている。

「泥鼠のガキか……やっぱりいやがった」

頭領らしき大男が唸った。

レンは一瞬で判断した。

逃げるしかない。

影を最大限に広げ、

地面を這うようにして木々の間を抜けた。

後ろから矢が飛んでくる。

一本が肩をかすめ、血が噴いた。

痛みより恐怖が先に来た。

見つかった。

もう盗めない。

ここにいれば殺される。

(クソ……慣れすぎた。

警戒されてるってわかってたのに……)

自分を呪いながら、

レンは森の奥へ、奥へ、ただひたすら走った。

足がもつれ、何度も転んだ。

血の跡を残しながら、

それでも止まらなかった。

亜人たちの叫び声が、

遠くから追いかけてくる。

「ガキを捕まえろ!」

「血の匂いで追え!」

レンは歯を食いしばった。

影を伸ばして木陰を濃くし、

体を隠しながら進む。

でも、力の限界が近づいていた。

痣が焼けるように痛む。

三日間、ほとんど休まず移動した。

腹は空き、傷は化膿し始めていた。

でも、亜人の足音がまだ遠くに聞こえる気がして、

休むことを許さなかった。

水だけを飲み、

毒の心配がない木の実をかじる。

それだけで体を動かす。

四日目の夜。

雨が降り出した。

冷たい雨粒が体を叩く。

レンは倒れ込み、岩陰に身を寄せた。

もう動けない。

このまま死ぬのか。

影の力で体を覆い、

雨を少ししのぐ。

寒さが骨まで染みる。

「誰か……助けてくれ……」独り言のように呟く。

でも誰も信じない。

それがルールだ。そう決めた。

このの体に入る前のうっすらとした記憶、

影が濃くなるほどより鮮明になる。

両親の顔が何度も浮かび、涙が溢れる。

「帰りてぇ……帰りてぇ……」

何度も呟く。

声は雨に溶けて消える。

その時、かすかな足音がした。

人間じゃない。獣の足音。

でも、亜人のものとは違う。

軽い。弱々しい。

レンは牙を剥き、影を伸ばして身構えた。

雨音に混じって、近づいてくる。

現れたのは、耳が半分欠けた獣人の少年だった。

歳はレンと同じくらい。十歳前後。

尻尾は短く切られ、毛は泥だらけ。

左腕に古い鎖の跡。

目が怯えていて、

でもどこか諦めきった光があった。

少年はレンを見つけると、

びくりと体を震わせた。

そして、すぐに短剣を抜いた。

刃が雨に濡れて鈍く光る。

「……近づくな」

声は震えていた。

レンも影を絡ませ、牙を剥いた。

「お前こそ、近づくな」

お互い、殺気だけを放ちながら睨み合う。

雨が二人の間を叩く。

どちらも動けない。

少年の短剣が、レンの影に触れそうで触れない。

レンの影が、少年の足元を這う。

緊張が、空気を凍らせる。

どれだけ時間が経ったか。

突然、遠くから低い咆哮が響いた。

熊魔獣の声だ。

さっきの詰所で見た、あの巨大な熊魔獣。

少年の顔が青ざめた。

レンも同じだった。

あの化け物が近づいている。

雨が強くなり、視界が悪くなる。

咆哮が近づく。

木々が折れる音。

地面の振動。

「……逃げろ」

少年が呟いた。

「俺も逃げる。お前も逃げろ」

レンは影を収め、立ち上がった。

少年も短剣を下げ、

二人は同時に反対方向へ走り出した。

だが、熊魔獣は速かった。

木々が折れる音が近づく。

地面が揺れる。

少年が転んだ。

足を滑らせ、泥の中に倒れる。

魔獣の赤い目が少年を捉えた。

巨大な爪が振り上げられる。

レンは一瞬、迷った。

(誰も信じない。誰も助けない)

ミラの顔が浮かぶ。

あの裏切り。

でも、体が勝手に動いた。

影を伸ばし、魔獣の前足に絡ませた。

魔獣がよろめく。

その隙に、レンは少年の腕を掴んで引きずった。

「走れ!」

二人は必死で逃げた。

雨の中、泥の中、木々の間を。

魔獣の咆哮が背後で響き続ける。

レンの影が道を覆い、痕跡を隠す。

少年の嗅覚が、魔獣の方向を教えてくれる。

協力せざるを得なかった。

どれだけ走ったかわからない。

やっと魔獣の気配が遠ざかった時、

二人は倒れ込んだ。

息が上がる。

雨に打たれながら、互いに睨み合う。

「……なんで助けた」

少年が掠れた声で聞いた。

レンは吐き捨てるように答えた。

「……知らねぇよ。

邪魔だっただけだ」

少年は小さく笑った。

血の混じった笑いだった。

「……俺も、さっきお前を殺そうとしたのに」

二人はしばらく黙っていた。

雨だけが音を立てる。

やがて少年がぽつりと言った。

「……俺はカイ。

耳を切られて、尻尾も短くされて、

村から捨てられた。

お前は?」

「……レン」

それだけ答えた。

本当の名前はまだ言わない。

カイは小さく頷いた。

「……一緒に逃げるか?一人じゃ、もう死ぬ」

レンは即答した。

「嫌だ。誰も信じない」

でも、カイは笑った。

「俺もだ。信じねぇよ。でも、生きるためには、

今だけは一緒にいた方がいいだろ」

レンは黙った。

心のどこかで、

ミラの「ごめん」がよみがえった。

あの揺らぎ。

あの裏切り。

でも、今は違う。

今は、生きるためだ。

「……勝手にしろ」

それが、最初の約束だった。

それから三ヶ月。

二人は森のさらに奥、

人里離れた渓谷の洞窟を拠点にした。

最初は最悪だった。

食べ物を分け合う時も、

寝る場所を決める時も、

常に相手の急所を狙うように睨み合った。

でも、生きるためには協力せざるを得なかった。

カイは獣人の血が濃く、

嗅覚と聴覚が鋭かった。

魔物の気配を先に察知し、

レンを何度も救った。

ある日、狼の群れが近づいた時、

カイが耳を立てて言った。

「右から三匹。影で絡めろ」

レンは影を伸ばし、狼の足を封じた。

カイが短剣で喉を切り、

レンが影で体を隠した。

獲物を分け合う時、

カイが小さく言った。

「……助かった」

レンは鼻で笑った。

「次は俺が助ける番だ」

レンは影の力を少しずつ制御できるようになり、

罠を仕掛けたり、

敵を絡めて動きを封じたりできるようになった。

影で枝を操り、

簡易的な網を作った。

カイが感心したように言った。

「便利な力だな」

「……お前も、鼻が便利だろ」

二人は言葉少なく、

でも確実に役割を分担した。

カイが狩った兎を、

レンが火で焼く。

カイが川で魚を捕り、

レンが塩代わりの木の皮で味付けする。

初めは味気なかった食事も、

カイが森のハーブを見つけてくるようになり、

少しずつ美味くなった。

夜は背中合わせで寝る。

最初は緊張していたが、

次第に、相手の体温が安心に変わっていった。

最初の二週間は、言葉がほとんどなかった。

カイが狩ってきた獲物を、

レンが火で焼く。

それだけ。

分け前を決める時も、

「半分」

「いや、俺が狩った」

そんな短いやり取り。

お互い、相手の背中を向けて寝る。

夜中に、相手が動くたび、

レンは影を少し伸ばして警戒した。

カイも、耳を立てて、

レンの気配を確かめていた。

でも、ある朝。

カイが川で魚を捕っている間に、

レンは洞窟で一人、影を試していた。

影を細く伸ばし、枝を掴んで持ち上げる。

少しずつ、繊細に動かせるようになっていた。

カイが戻ってきて、魚を置いた。

「お前、影で遊んでるのか?」

「……遊んでねぇ。練習だ」

カイは笑った。

初めて見る、柔らかい笑顔だった。

「いいじゃん。

俺も、耳で遠くの音を聞く練習してる」

その日から、

二人は少しずつ、

互いの「練習」を見せ合うようになった。

カイは、森の音を聞き分ける。

「今、鹿が三匹、左から来てる」

レンは影を伸ばして、

鹿の足を絡めて転ばせる。

カイが短剣で仕留める。

獲物が増える。

腹が満たされる。

カイが言った。

「…お前がいなきゃ、俺はもう飢えて死んでた」

レンは鼻で笑った。

「……俺もだ」

夜、焚き火を囲む時、

カイがぽつりと言った。

「…なあ、レン。お前の影の力、あれ、いつから?」

レンは火を見つめたまま答えた。

「…祠で触った時から。最初はただの痣だった」

カイは耳をぴくりと動かした。

「祠?」

「古い石の遺跡。

苔だらけで、祭壇があった。

触ったらピリッとして、痣ができた」

カイは考え込むように言った。

「…俺の村にも、昔そういう話があった。

古い神の欠片が、

人間や獣人に宿るって」

「神?」

「知らねぇよ。ただの言い伝えだ。

でも、お前の力、魔物を殺すたび強くなるだろ?」

レンは頷いた。

「……ああ。殺すと、何かを吸い取ってる気がする」

カイは小さく息を吐いた。

「危ねぇ力だな。使えば使うほど、お前自身が食われてるみたいだ」

レンは黙った。

痣が疼く。

心臓近くまで広がった痣が、

夜になると脈打つように痛む。

カイは薪を追加しながら言った。

「でも、お前がいなきゃ、俺はもう死んでた」

「またか……俺も同じだ…」

二人は黙って火を見つめた。

焚き火の音だけが響く。

その夜から、

二人は少しずつ、

互いの過去を話すようになった。

カイが村のことを話したのは、

二ヶ月目の終わりだった。

焚き火の前で、

カイがぽつりと言った。

「……俺の村、ただの狩猟村じゃねぇんだ」

レンは薪をくべながら聞いた。

「…どういう意味だ?」

カイは耳を伏せた。

「…奴隷村だ。街の領主が、裏で操ってる」

レンは動きを止めた。

「奴隷?」

「ああ。村の連中は、領主に魔物の素材を納めてる。

熊魔獣の爪とか、

狼の牙とか。それで、食料と武器をもらう」

「……それで?」

「でも、納められない奴は、耳や尻尾を切られて追放される。俺の親は、狩りが下手で、納められなかった。だから、領主に奴隷の奴隷にされ殺された」

カイの声が震えた。

「俺は、親を殺した奴らを恨んで、でも何もできなくて逃げた」

レンは黙って聞いた。

「…だから、お前と出会えてよかった。同じ、糞みたいな世界を生きてる奴」

レンは薪を強く握った。

「……俺も、街で裏切られた」

カイは静かに聞いた。

「…ミラって女に、助けられて、信じて、仕事で嵌められた」

カイは小さく息を吐いた。

「…糞だな」

「ああ」

二人は黙った。

焚き火の音だけが、

二人の怒りを煽るように燃える。

カイがぽつりと言った。

「……いつか、あの村も、街も、ぶっ壊したい」

レンは薪を投げ入れた。

「……ああ」

その日から、二人の絆は深まった。

カイの話を聞いて、

レンは影の力を、

もっと強く、

もっと正確に使おうと思った。

でも、同時に、

痣の痛みが強くなる。

夜になると、

影が勝手に動き出し、

洞窟の壁を削る。

カイが心配そうに言った。

「お前、その力、本当に大丈夫か?」

レンは歯を食いしばった。

「……平気だ」

でも、心の中では、

疑問が膨らんでいた。

この力は何だ?

祠の神の欠片?

それとも、

呪い?

使えば使うほど、

俺自身が、

何かに食われていく気がする。

でも、

止まらない。

生きるためだ。

カイのためだ。

そして、

ミラとあの街の連中を、

後悔させるためだ。

影の力は、

俺の武器だ。

でも、同時に、

俺を殺す刃でもある。

レンは夜空を見上げ、

静かに呟いた。

「……どうすりゃいいんだ」

痣が、

心臓の近くで、

ゆっくりと脈打った。

ある日、

二人は渓谷の崖の上に座っていた。

夕陽が森を赤く染める。

カイが言った。

「…なあ、レン。お前、

前世だっけ?どんなとこだったんだ?」


カイに、

少しだけ話した前世の記憶。

霧がかすみ

うっすらと思い出す。

「……普通の街。

家族がいて、

友達がいて……

でも、

今は全部、遠い」

カイは耳を伏せた。

「…俺も、

村に来た時は

親と一緒に狩りに行って、

笑ってた」

二人は黙った。

カイがぽつりと言った。

「…ここじゃ、

笑うことなんて、

ほとんどねぇ」

レンは小さく笑った。

「…今は、

少し笑えるようになった」

カイも笑った。

「ああ」

夕陽が沈む。

二人は肩を並べて、

静かに座っていた。

その瞬間、

レンは思った。

(こいつがいなきゃ、俺はもう、心が折れてた)

カイも、同じように思っていた。

「…レン」

「ん?」

「…お前、俺の親友だ」

レンは少し照れくさそうに、鼻で笑った。

「……うるせぇ」

でも、心は温かかった。

誰も信じない、と言っていたはずなのに。

今は、

カイだけは、

信じてもいい気がした。

それが、三ヶ月目の、

一番大切な瞬間だった。

三ヶ月目の終わり。

二人は渓谷の外れで、

珍しく焚き火を囲んでいた。

カイが捕まえた大きな魚を焼いている。

煙が立ち上り、森の夜を照らす。

「……なあ、レン」

カイが静かに言った。

「いつか、街に戻るか?」

レンは薪をくべながら答えた。

「……戻る。戻って、全部ぶっ壊す」

カイは小さく頷いた。

「俺もだ。村の奴らを、許さねぇ。

でも、その前に……もう少し、こうしていたい」

レンは何も言わなかった。

ただ、火を見つめた。

焚き火の温かさが、二人の絆を象徴するように。

その夜。

突然、複数の足音が近づいてきた。

獣の足音。

亜人の匂い。

カイが耳を立て、

顔を強張らせた。

「……村の奴らだ」

レンは立ち上がった。

影を広げ、洞窟の入り口を覆う。

「来るなら、殺す」

だが、来たのは予想外だった。

十人以上の武装した亜人。

先頭に立つのは、

あの角の生えた大男。

集落の頭領だ。

顔に新しい傷。

目が血走っている。

「お前らが、二匹の盗っ人か」

大男が唸った。

「ガキの分際で、俺たちの食い物を盗み続けた罪は重い。しかも、カイ。お前は追放された身だ。なぜ、まだ生きている?」

カイは震えながら答えた。

「……生きるためだ」

大男は笑った。

醜い笑い。

「なら、せめて死んで役に立て、親と同じように毛皮にしてやる」

大男が合図すると、

二人の亜人が槍を構えて突き進んだ。

レンは影を伸ばし、

槍を絡めて止めた。

「触るな!」

だが、数が多い。

影の力も、まだ限界があった。

痣が焼けるように痛む。

亜人たちが次々と押し寄せる。

レンは影で壁を作り、

カイを後ろに下がらせる。

カイが短剣を抜いた。

「レン、逃げろ!俺が時間を稼ぐ!」

「馬鹿言うな!一緒に戦う!」

レンはカイを庇うように前に出た。

影を最大限に広げ、

亜人たちを押し返す。

二人が倒れ、三人が怯む。

でも、一瞬の隙。

大男の槍が、

レンの影の隙間を突いた。

狙いはレン。

だが、カイが飛び出した。

レンを突き飛ばし、

槍を胸で受け止めた。

「がっ……!」

カイが血を吐いて倒れた。

レンは叫んだ。

「カイ!!」

影が暴走した。

黒い渦が広がり、

亜人たちを絡め取る。

三人が地面に倒れ、

動かなくなる。

大男が後退した。

「クソ……化け物か」

大男は歯を食いしばり、残りの亜人たちに叫んだ。

「撤退だ! 今は退け! この影の化け物は後で狩る!」

残りの亜人たちが、恐怖に駆られて後ずさりした。

仲間を失った恐怖で、互いに押し合いながら森の闇へ逃げていく。

大男は最後にレンを睨み、

「覚えておけ、ガキ。お前らを絶対に許さねぇ」

そう吐き捨てて、雨の中に消えた。

レンの影が、まだ追おうとする。

だが、レンはそれを抑えた。

カイの元へ駆け寄る。

カイは血まみれで地面に膝をつき、

レンの腕を掴んだ。

「……レン」

声が震える。

「聞けよ……最後の、親友頼みだぞ…」

レンは泣きそうだった。

泣いてはいけないのに。

血を止めるために影を巻きつける。

でも、傷が深すぎる。

「喋るな。俺が助ける。今すぐ助けるから」

カイは弱々しく笑った。

死にかけの顔で、

無理やり笑った。

「ここは…糞みたいな世界だろ……

でも、お前に会えて、

良かった…」

レンは首を振った。

涙がこぼれる。

「うるせぇ……うるせぇよ……

生きろよ、カイ」

カイは最後の力を振り絞り、

レンの手を強く握った。

目が、優しく光る。

「お前だけは、生きてくれ。

俺みたいな奴を……

救ってくれ………」

そう言って、

カイの目から力が抜けた。

手が、ゆっくりと落ちる。

レンは動けなかった。

雨が、再び降り始めた。

亜人たちは、

仲間を失った恐怖で完全に後退した。

レンの影が、まだ暴れていたから。

レンはカイの体を抱きしめた。

冷たくなっていく体。

「……約束する」

声が震える。

「生きる。お前みたいな奴を、絶対に救う」

涙が、雨に混じって落ちた。

「……カイ」

誰もいない森で、

レンは初めて、

誰かの名前を叫んだ。

声が、森に吸い込まれる。

影が、静かに収まる。

痣の痛みが、胸の痛みに変わる。

その日から、レンは変わった。

影の力は強くなった。

痣は腕全体を覆い、

時には心臓近くまで広がった。

でも、痛みはもう感じなかった。

ただ、生きるためだけに。

そして、

いつか、

この糞みたいな世界で、

カイみたいな奴を、

一人でも多く助けるために。

レンは森の奥へ、さらに奥へ歩き出した。

腰には、

カイの短剣を差していた。

雨が止まない森で、

レンは一人になった。

でも、心に、

カイの笑顔が残っていた。

誰も信じない、と言っていたはずなのに。

心のどこかで、

小さな火が、

消えずに燃え続けていた。

レンは短剣を握りしめ、

前を向いた。

次は、誰かを救う番だ。

カイの約束を守るために。

そして、残りの亜人達を、殺す。


森の奥から、

新しい道が始まる。

雨が、涙を洗い流すように。

レンは歩き続ける。

一人で、でも一人じゃない。

カイの声が、耳に残る。

「お前だけは、生きてくれ」

そうだ。

生きる。

絶対に。

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