救われた生と救われた命
※少し重たい描写があります。
苦手な方はご注意ください。
この話は、
「救われる」とは何か、
「生きている」とは何か、
それを自分なりに考えて書いた回です。
名前、関係、役割。
この街では、それらはとても脆く、
同時に、生きる理由そのものでもあります。
今回は説明を極力せず、
感じたままに読んでいただけたら嬉しいです。
合わなければ、そっと閉じてください。
最後まで読んでくださった方には、
何か一つ、残るものがあればと思います。
それでは、よろしくお願いします。
レンが仕事に向かう道は、いつも同じだった。
市場の外れを抜け、崩れかけた倉庫の影を踏み、裏通りを横切る。
人の流れから少し外れた、音と匂いだけが濃く残る道。
足取りは一定で、視線は低い。
急ぐ理由も、立ち止まる理由もない。
その日も、同じはずだった。
路地の角に差しかかったとき、レンはほんの一瞬だけ足を止めた。
躓いたようにも見えないほど、わずかな間。
(……ん)
音でも、匂いでもない。
危険を察したわけでもない。
ただ、違和感があった。
二人の子供がいた。
以前、拠点から追い出した二人。
今はミユナが密かに食べ物を渡していた場所にいく時間だ。
この時間帯に、ここにいる理由がない。
二人は落ち着きなく周囲を見回し、立ち止まり、また歩き出す。
路地へ入るかどうかを迷う動き。
逃げ道を探す癖。
レンは、影に溶けるように距離を詰めた。
影は伸ばさない。
まだ、様子がおかしい――それだけだった。
次の瞬間、二人は路地裏へ駆け込んだ。
ほぼ同時に、男が現れた。
血走った目。
視線は揺れず、足取りに迷いがない。
獲物を追う者の歩き方だった。
男が路地に入った瞬間、レンは走り出した。
考えるより早く、体が動いた。
―― 一拍。――
空気が、張りつめる。
次の瞬間、叫び声が上がった。
短く、喉を裂くような声。
助けを求める形にすらなっていない。
恐怖でも悲鳴でもない。
命を賭けて前に出る者の声。
通りには人がいた。
荷を担ぐ男。
野菜を並べる女。
酒を飲む連中。
誰も足を止めない。
誰も路地を見ない。
この街では、叫び声は日常だ。
誰かが殴られ、蹴られ、殺される。
それを気にしていれば、生きられない。
レンは路地に踏み込んだ。
――――――――――――――――――
狭い路地の奥で、二人の子供が走っていた。
体の大きい方が前に出る。
体の小さい方が、半歩遅れる。
息が切れているのは、小さい方だった。
足取りが乱れ、何度もつまずきかける。
このままでは、先に倒れる。
それが、分かった。
「……役割、だろ……!」
体の大きい方が、叫んだ。
誰に言うでもない。
ずっと、そうしてきた言葉。
次の瞬間、彼は振り返り、小さい方を突き飛ばすように後ろへ押した。
「行け!!」
がむしゃらに、喉が潰れるほど叫びながら、男に向かって突撃する。
ナイフが閃いた。
深くは描かれない。
ただ、鈍い感触と、体の内側が崩れる感覚。
体の大きい方は倒れなかった。
膝をつき、それでも立ち上がろうとした。
男の注意が、完全にこちらに向く。
それで、いい。
背後で、小さい方が息を呑む音がした。
――――――――――――――――――
レンが追いついたとき、最初に目に入ったのは、倒れ伏す体だった。
血が路地に広がっている。
体の大きい方だ。
目が合った。
死にかけの目だった。
恐怖も、痛みも、もう奥に沈んでいる。
それでも、その視線は必死だった。
助けろ、じゃない。
その目は、ただ一つを訴えていた。
弟を―
大きい方の視線が動く。
レンは、その先を見る。
小さい方が、男に捕まれかけていた。
影が、勝手に動いた。
レンが殺すか迷うより早く、
影が男の足を縫い止め、喉元に絡みつく。
男は、抵抗する間もなく崩れ落ちた。
レンは、小さい方を引き寄せる。
ぎりぎりだった。
次の瞬間、小さい方が振り返った。
「おにいちゃぁ゛ん……!」
叫びながら、駆け寄る。
初めて呼ばれた、その言葉。
兄の目が、わずかに見開かれる。
――ああ。
呼ばれた。
守れた。
胸の奥が、静かに満たされていく。
倒れた体のそばに膝をつき、顔を覗き込む。
血で滲む視界の中でも、分かる。
安堵が、胸に広がる。
自分の命より、
今までの全部より、
大切なものが、そこにあった。
嬉しさが混じる。
それでも、心配は消えない。
近づいた弟の目を、じっと見つめる。
自分の命より、大切なものが無事だったという確信。
弟が生きている。
それだけで、十分だった。
弟は、兄の体に縋りついた。
「おにいちゃぁ゛ん……!」
濁った声だった。
喉が壊れかけているのも構わず、泣叫ぶ。
「おにいちゃ゛ん!!」
揺する。
必死に、何度も。
力の抜けた体が、ただ揺れるだけだと分かっていても、やめられなかった。
止めた瞬間、何かが完全に終わってしまう気がして。
何度も、叫ぶ。
声が枯れるまで。
兄が、微かに口角を上げた。
息が、ゆっくり浅くなる。
意識が、遠のいていく。
最後まで、弟から目を離さなかった。
そして――
動かなくなった。
指が、兄の服から離れる。
―叫びの途中で、声が裏返り、
音にならなくなる。
弟の体が、唐突に止まった。
腕が落ちる。
目は開いている。
だが、そこに焦点はない。
感情が、限界を越えた。
静寂
その静けさの中で、弟の唇が、かすかに動いた。
「……ミユナ……」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この話は
「助けられたか」「救われたか」
その違いを書きたくて生まれました。
生き延びることと、救われることは、必ずしも同じではありません。
そして、死ぬことが、必ずしも“失うこと”だけではない場合もあると思っています。
名前を呼ばれること。
誰かに覚えられていること。
それだけで、人は生きていけるし、
それを失えば、生きていても終わってしまう。
この街では、それがとても残酷な形で現れます。
説明しきらなかった部分、
あえて書かなかったこともあります。
もし何か引っかかるものが残ったなら、
それはきっと、この物語が伝えたかったものです。
次はレンの視点になります。
彼が何を選び、何を間違え、
それでも前に進もうとするのかを書いていきます。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。




