第10話 感謝が密告に変わる
二人のガキを最初に見た時、
正直、目にも留まらなかった。
街ではよくある光景だ。
骨ばった体、破れた服、目の焦点が合っていない。
数日もすれば、どこかで転がって死ぬ。
拾う価値も、売る価値もない。
奴隷商は、そう判断して足を止めなかった。
——はずだった。
三日後、同じ路地を通った時、
ガキはまだ生きていた。
四日後、
痩せ細るどころか、歩き方に力があった。
五日目、
片方が笑った。
「……おかしいな」
呟いたのは、興味からではない。
違和感だった。
死ぬはずのものが、死なない。
それは、この街では異常だ。
奴隷商は、距離を保って観察を始めた。
二人は、決まった時間に路地を離れる。
決まった時間に戻ってくる。
手ぶらで出て、何かを抱えて帰ることはない。
なのに、腹を満たしている。
盗みの気配はない。
縄張り争いにも巻き込まれていない。
——誰かが、与えている。
ある夕刻、
影が長く伸びる時間。
女の子が現れた。
年は、十にも満たない。
だが、最初に目に入ったのは、体つきだった。
痩せすぎていない。
肩に肉がつき、頬が落ちていない。
この街の子供にしては、明らかに“育っている”。
奴隷商は、舌の裏で唾を転がした。
(……売れる)
そう思った瞬間、
女の子が包みを差し出した。
二人のガキは、辺りをさっと見渡し、受け取る。
奪い合わない。
感謝の言葉を、声を殺して吐く。
異様な光景だった。
女の子は、長居をしない。
渡すとすぐ、周囲を確認して立ち去る。
残された二人は、
その場で食べなかった。
持ち帰り、
壁際に身を寄せ、
まるで祈るように包みを開いた。
―― 一拍 ――
横を自然に通り過ぎながら目線だけを動かす
奴隷商は確信した。
(拠点がある)
しかも、
子供に分け与える余裕のある場所。
翌日、
罠は簡単だった。
2人を、路地の奥に引きずり込む。
抵抗は弱い。
骨ばった体は軽く、声も出ない。
恐怖で、目だけが見開かれている。
「言え、飯は、どこで手に入れてる」
最初は答えない。
唇が震える。
奴隷商は、女の子の顔を思い浮かべさせるように、
低く囁いた。
「あの子か?」
その瞬間、
ガキの呼吸が乱れた。
(……当たりだ)
「言わないなら、殴る」
拳を見せる。
ガキは、首を振った。
「……言え、ない……」
一瞬、
女の子の顔が浮かんだ。
迷惑をかける。
そう思った。
だが、その“ためらい”が、
奴隷商の苛立ちを煽った。
拳が落ちた。
鈍い音。
骨に響く感触。
二度、三度。
涙と鼻水が混じり、
恐怖に歪む
「そっちのガキお前は?」
喉が鳴る
「か……か影……」
「何だ?」
「影、を……使う人……」
それだけで、
奴隷商の目の色が変わった。
影使い。
他の奴隷商から聞いた
今この街で、領主から殺せば高額な報奨金が出る。
最も値のつく存在。
「……影使い、だと?」
低い声だった。
怒りでも、笑いでもない。
計算を始めた人間の声。
殴られ、鼻血を垂らしたガキは、何度も頷いた。
泣いていたが、声は出していなかった。
出せば、もう一度殴られると分かっている。
「黒い影が動く。人を縫い止める。殺さない。……でも、逃げられない」
言葉は断片的だった。
だが、奴隷商の頭の中では、それで十分だった。
最近、街で消えた人間。
檻が壊れた夜。
噂だけで終わっていた“影”。
全部が、一つの像を結ぶ。
「で、その影使いは……」
ガキの喉が鳴った。
「……レン、って……」
次の瞬間、殴られると思っていた。
だが、来なかった。
代わりに、手が離れた。
奴隷商は立ち上がり、服の埃を払う。
「……なるほどな」
呟きは、どこか楽しそうだった。
その名を吐いた瞬間、
何かが、完全に壊れた。
女の子のこと。
食事のこと。
追い出されたこと。
それでも助けてくれたこと。
——感謝は、もうなかった。
ただ、
殴られないために、
生きるために、
吐き出すしかなかった。
奴隷商は、満足そうに立ち上がった。
二人のガキは、その夜、生き延びた。
路地の外では、
女の子が、いつもより遅く帰る空を見ていた。
胸の奥が、ざわついていた。
理由は、分からない。
なぜか焦燥があった。
感謝は、
誰かを救うために生まれた。
でもこの街では、
それは必ず、
密告に変わる。
歯車は、
静かに、
確実に、
狂い始めていた。




