負け犬を装った私、鼓動を暴く副作用で“勝ち犬”を食いちぎる
「負け犬って、いい響きだよね」
壇上に立ちながら、私は笑った。
観客席に並ぶ生徒たちのざわめきが、波のように押し寄せてくる。
その中心で、彼――かつての友人であり、今は私を踏み台にした裏切り者――が、勝ち誇った顔でこちらを見ていた。
彼の心臓の鼓動は、私の耳にだけはっきりと届いている。
ドクン、ドクン。
嘘をつくとき、人は必ず鼓動を乱す。
それが、私の“副作用”だった。
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◆
三日前。
私は、学園の文化祭で行われる「公開告白劇」の主役に選ばれていた。
舞台の上で、誰かに告白される。観客はそれを見守り、拍手や歓声を送る。
学園の恒例行事であり、同時に“人気投票”のような意味も持つ。
だが、その座はあっさりと奪われた。
「彼女は不正をした」と、誰かが噂を流したのだ。
証拠はなかった。けれど、噂は瞬く間に広がり、私は“負け犬”の烙印を押された。
そして代わりに主役に立ったのが、彼――幼なじみで、かつては私の味方だったはずの男。
彼は私を庇うどころか、噂を利用して自分が舞台に立つ権利を奪い取った。
その瞬間、私は決めたのだ。
この舞台で、彼を潰す。
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◆
私には秘密がある。
それは、動物に変身できるという奇妙な力。
ただし、完全な変身ではなく、時折“副作用”が残る。
耳が鋭くなったり、嗅覚が敏感になったり。
今回の副作用は――鼓動を聞き分ける力。
相手が嘘をついた瞬間、心臓のリズムが変わるのが、私には手に取るようにわかる。
この力を使えば、彼の嘘を暴き、観客の前で“勝ち犬”の仮面を剥ぎ取れる。
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「さあ、始めようか」
私はマイクを握り、観客に向かって笑みを浮かべた。
「今日は、負け犬が勝ち犬を食いちぎるショーだよ」
観客がざわめく。
彼は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに余裕の笑みを取り戻した。
「……相変わらず、負け惜しみが得意だな」
彼の声はよく通る。観客の笑いを誘い、私をさらに追い詰めようとする。
だが、私は聞いていた。
彼の胸の奥で、鼓動が一瞬だけ速くなったのを。
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◆
「ねえ、みんな。知ってる?」
私は観客に向かって語りかける。
「勝ち犬って、嘘をつくときに心臓がバクバクするんだよ」
観客が笑う。冗談だと思っている。
でも私は知っている。
この笑いが、すぐに凍りつく瞬間を。
「たとえば――“彼女は不正をした”って言葉。あれ、本当に信じていいのかな?」
私は彼を見つめる。
彼の鼓動が、また速くなる。
ドクン、ドクン。
観客には聞こえない。けれど、私には確かに聞こえている。
「証拠はあったの?」
私は問いかける。
彼は一瞬、言葉に詰まった。
その沈黙が、観客の心に疑念を植え付ける。
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◆
彼はすぐに笑みを取り戻し、言い返してきた。
「証拠? そんなの、みんなが知ってることだろう」
だが、その瞬間――鼓動が跳ねた。
嘘だ。
私はマイクを掲げ、観客に向かって叫ぶ。
「ほら、聞こえる? 嘘をついたときの鼓動!」
もちろん、観客には聞こえない。
でも、彼の顔色が変わったのを見て、観客はざわめき始める。
「……本当に嘘なのか?」
「彼女、何か知ってるのか?」
疑念は伝染する。
私はその波を利用して、さらに畳みかけた。
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「私は負け犬だよ。みんながそう呼ぶなら、そうなんだろう」
私はわざと肩をすくめて見せる。
「でもね、負け犬には負け犬なりの戦い方があるんだ」
観客が静まり返る。
彼は必死に笑顔を作ろうとしているが、鼓動は正直だ。
ドクン、ドクン、ドクン。
速く、乱れている。
「勝ち犬を名乗るなら、堂々と証拠を出せばいい。できないなら――」
私は一歩、彼に近づいた。
「その牙、ただの張りぼてだよ」
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観客のざわめきは、もう彼の味方ではなかった。
「証拠はあるのか?」
「本当に不正なんてあったのか?」
そんな声が、あちこちから飛び交う。
彼は必死に笑顔を作り、マイクを握り直した。
「……くだらない。彼女は昔から、負け惜しみばかりだ」
その声はよく通る。だが、私の耳には別の音が響いていた。
ドクン、ドクン。
鼓動が速い。乱れている。
「負け惜しみ、ね」
私はわざと肩をすくめて見せた。
「じゃあ、みんなに聞いてみようか。――もし私が本当に不正をしたなら、どうして彼は証拠を出さないんだろう?」
観客が再びざわめく。
彼の顔に、わずかな焦りが浮かんだ。
それを見逃すほど、私は甘くない。
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◆
「証拠なら……ある!」
彼は叫んだ。
「俺は見たんだ。彼女が――」
その瞬間、鼓動が跳ねた。
嘘だ。
「へえ、見たんだ?」
私は一歩、彼に近づいた。
「じゃあ、どこで? いつ? 誰と一緒に?」
彼は言葉に詰まった。
観客の視線が一斉に彼に注がれる。
その重圧に耐えきれず、彼は視線を逸らした。
「……そ、それは……」
「答えられないんだ?」
私は笑った。
「勝ち犬を名乗るなら、堂々と吠えればいいのに」
観客の笑いが、今度は彼に向けられた。
彼の顔が赤く染まる。
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だが、彼は簡単には引き下がらなかった。
「……お前だって、嘘をついてるんだろう!」
彼は叫んだ。
「その“副作用”とやら、本当にあるのか? どうせ作り話だ!」
観客がざわめく。
確かに、私の力は誰にも証明できない。
鼓動が聞こえるのは、私だけだから。
「作り話、ね」
私は笑みを浮かべた。
「じゃあ、試してみる?」
「……試す?」
「うん。簡単だよ。ここで、ひとつ嘘をついてみて」
観客が息を呑む。
彼は一瞬、戸惑ったが、すぐに笑みを取り戻した。
「……俺は、君を裏切っていない」
その瞬間――ドクン。
鼓動が、はっきりと跳ねた。
私はマイクを掲げ、観客に向かって叫んだ。
「ほら! 今のが嘘をついたときの鼓動だ!」
観客がどよめく。
彼の顔が青ざめる。
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◆
「……ふざけるな!」
彼は怒鳴った。
「そんなの、誰にも聞こえないだろう!」
「そうだね。聞こえるのは私だけ」
私は頷いた。
「でも、みんな見ただろう? 君の顔色、声の震え、視線の泳ぎ。全部が嘘を物語ってる」
観客がざわめく。
「確かに……」
「さっきから様子がおかしい」
「本当に嘘をついてるんじゃ……」
疑念は、もう止められない。
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◆
彼は必死に言い返そうとした。
「……お前だって、完璧じゃないだろう! 昔から、弱点だらけで――」
その瞬間、私は笑った。
「そうだよ。私は負け犬だ」
観客が静まり返る。
「でもね、負け犬には負け犬なりの戦い方がある。牙を隠して、最後に噛みつくんだ」
私は彼に一歩近づき、囁くように言った。
「君の鼓動は、全部私に聞こえてる。もう逃げられないよ」
彼の顔から血の気が引いた。
鼓動は、もはや暴走に近い。
ドクン、ドクン、ドクン。
観客は、その様子を食い入るように見つめていた。
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観客の視線が突き刺さる。
彼は額に汗を浮かべ、必死に笑顔を作っていた。
だが、その笑みはもう誰の心にも届いていない。
「……まだ終わってない」
彼は低く呟いた。
「お前がどれだけ言葉を弄しても、俺には切り札がある」
観客がざわめく。
切り札――?
私は眉をひそめた。
「切り札?」
「そうだ」
彼はポケットから一枚の紙を取り出した。
「これは、お前が不正をした証拠だ」
観客が息を呑む。
紙には、私の名前と数字が書かれていた。
投票数の改ざんを示すような記録。
「……なるほど」
私は紙を見つめ、口元を歪めた。
「それを、どこで手に入れたの?」
「……友人からだ」
彼は即答した。
だが、その瞬間――鼓動が跳ねた。
嘘だ。
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◆
「友人から? 本当に?」
私は観客に向かって声を張った。
「彼は今、嘘をついた」
観客がざわめく。
「嘘……?」
「じゃあ、その紙は……?」
彼は顔を真っ赤にして叫んだ。
「嘘じゃない! これは本物だ!」
だが、鼓動は速く、乱れている。
ドクン、ドクン、ドクン。
「本物なら、どうして鼓動が乱れるの?」
私は一歩、彼に近づいた。
「それは――君が自分で作った偽物だからだ」
観客がどよめく。
「偽物……?」
「まさか……」
彼の顔が青ざめる。
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◆
「君は私を陥れるために、証拠を捏造した」
私は断言した。
「でもね、残念だったね。鼓動は嘘を隠せない」
観客の視線が一斉に彼に注がれる。
彼は必死に否定しようとした。
「ち、違う! 俺は……!」
だが、その声は震えていた。
鼓動は、もはや暴走に近い。
ドクン、ドクン、ドクン。
「ほら、聞こえる?」
私は観客に向かって笑った。
「勝ち犬を名乗る彼の心臓が、今まさに負けを認めている音だよ」
観客がざわめき、やがて笑い声が広がった。
「本当に嘘だったんだ……」
「負け犬は彼の方じゃないか!」
彼の顔が真っ赤に染まり、唇が震える。
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「……ふざけるな!」
彼は叫んだ。
「俺は勝ち犬だ! お前なんかに負けるはずがない!」
その叫びは、もはや虚勢にしか聞こえなかった。
観客は冷ややかな視線を向ける。
私は静かにマイクを握り直した。
「勝ち犬っていうのはね、最後まで堂々としているものだよ」
私は彼を見つめ、皮肉な笑みを浮かべた。
「君の姿は、どう見ても――負け犬だ」
観客が一斉に笑い、拍手が湧き起こる。
彼はその場に立ち尽くし、顔を覆った。
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私は深く息を吸い、観客に向かって頭を下げた。
「みんな、ありがとう。私は負け犬かもしれない。でも、負け犬なりの戦い方で、ここまで来られた」
観客から大きな拍手が送られる。
その音に包まれながら、私は心の中で呟いた。
――これで、終わりじゃない。
これは始まりだ。
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観客の笑いとざわめきが、波のように広がっていく。
彼は壇上の中央で立ち尽くし、顔を真っ赤にしていた。
その姿は、もはや“勝ち犬”ではなかった。
牙を剥こうとしても、空振りばかり。
観客の目には、ただの滑稽な負け犬にしか映っていない。
「……まだだ」
彼は震える声で呟いた。
「俺は……俺は勝ち犬だ! こんな茶番で負けるはずがない!」
その叫びは、必死の抵抗に過ぎなかった。
だが、観客の誰もがもう気づいている。
彼の声は震え、鼓動は乱れ、視線は泳いでいる。
勝ち犬を名乗るには、あまりにも惨めだった。
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私はマイクを握り直し、観客に向かって微笑んだ。
「みんな、見てくれたよね。これが“勝ち犬”の正体だよ」
観客が笑い、拍手が起こる。
その音に包まれながら、私は彼に一歩近づいた。
「君は私を陥れるために、嘘をつき、証拠を捏造した」
私は静かに告げる。
「でも、鼓動は嘘を隠せない。君の心臓が、すべてを暴いた」
彼は顔を覆い、震えていた。
その姿は、もはや完全な敗北者だった。
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◆
「……どうしてだ」
彼はかすれた声で呟いた。
「どうして……俺が負けるんだ……」
私は彼を見下ろし、皮肉な笑みを浮かべた。
「簡単だよ。君は勝ち犬を演じようとした。でも、私は負け犬を演じた」
観客が静まり返る。
私は続けた。
「演じるなら、負け犬の方が強いんだ。だって、誰も期待していないから。
だからこそ、最後に牙を剥いたとき、誰も止められない」
観客がどよめき、やがて大きな拍手が湧き起こった。
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◆
彼はその場に崩れ落ちた。
観客の視線は、もはや彼には向けられていない。
すべての視線が、私に注がれていた。
「負け犬を装った私が、勝ち犬を食いちぎった」
私はマイクを置き、深く一礼した。
観客の拍手と歓声が、嵐のように響き渡る。
その音に包まれながら、私は心の中で呟いた。
――これで、終わりだ。
いや、違う。
――ここからが始まりだ。
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舞台を降りると、仲間たちが駆け寄ってきた。
「すごかったよ!」
「本当に勝ったんだね!」
私は笑って頷いた。
「負け犬でも、勝てるんだよ」
その言葉に、仲間たちは笑顔を浮かべた。
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◆
後日。
学園中が、あの日の出来事で持ちきりだった。
「負け犬が勝ち犬を食いちぎった」
その言葉が、噂となって広がっていった。
彼は学園の笑い者となり、私は一躍、注目の的となった。
だが、私は浮かれなかった。
これはただの通過点に過ぎない。
私には、もっと大きな舞台が待っている。
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夜。
私は窓辺に座り、月を見上げていた。
変身の副作用――鼓動を聞き分ける力は、もう消えていた。
だが、あの日の感覚は、まだ鮮明に残っている。
「……負け犬、か」
私は呟いた。
「悪くない肩書きだね」
負け犬だからこそ、油断される。
負け犬だからこそ、最後に逆転できる。
それが、私の戦い方だ。
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◆
翌日。
私は学園の廊下を歩いていた。
すれ違う生徒たちが、私を見て囁き合う。
「彼女が、あの……」
「負け犬を装って勝った子だ」
その視線は、もう嘲笑ではなかった。
尊敬と畏怖が入り混じったものだった。
私は微笑んだ。
「負け犬でも、勝てるんだよ」
その言葉を胸に、私は歩き続けた。
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◆
そして、心の中で決意した。
――次は、もっと大きな舞台で。
――もっと多くの“勝ち犬”を食いちぎるために。
私は負け犬を装い続ける。
その牙を隠し、最後の瞬間に突き立てるために。
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舞台の幕は下りた。
だが、物語はまだ終わらない。
負け犬を装った私の戦いは、これからも続いていく。
「さあ、次は誰の番だろうね」
私は皮肉な笑みを浮かべ、歩き出した。
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