人工精霊
僕は同じクラスのA君にいじめられている。今日もお腹を殴られて、歩くたびにズキリと痛み嫌になる。そんな帰り道の途中で、変なおじさんに出会った。
おじさんは真夏なのにベージュのトレンチコートを着ていて、同じ色のハンチング帽子の下の顔は包帯でぐるぐる巻きだった。目元のサングラスが、日差しを浴びて怪しく光っている。
「坊や、よろしく」
差し出されたチラシを、僕は恐々と受け取った。断る方が怖かったからだ。おじさんから距離を取った後でチラシに目をやると、何のことはない。単なる通販広告だった。
僕はホッと胸を撫で下ろす。あのおじさんは、きっと大怪我をしてしまって顔に包帯を巻いていただけなのだろう。
チラシの端には『黒谷商会』と書かれている。掲載されている商品は見慣れないものが多く、気がつけば僕は夢中で目を走らせていた。
そんな中で、特に気になるものを見つける。
「人工精霊?」
それは、透明のガラスビンに赤い液体のようなものが入った見た目をしていた。説明には『嫌なあの人に仕返しを』とだけ書かれている。
値段は千円。金額分の切手を貼って送ればいいらしい。僕に言わせれば決して安い買い物ではなかったけれど、殴られたお腹の痛みが僕の足を郵便局へと向かわせていた。
人工精霊は、一週間後に赤い箱に梱包されて届いた。開けてみると、緩衝材代わりの丸めた新聞紙に埋もれてガラスの小瓶が一つ出てきた。手のひらに収まる大きさの瓶の中には、チラシで見た通りの赤い液体。
傾けても変形しないので、スライムのような粘着性のあるもののようだった。これがもし冷蔵庫に入っていたら、イチゴジャムと間違えてしまうだろう。
僕は同封されている説明書きに目を通す。
人工精霊の説明
・人工精霊は、あなたの恨み辛みを代理でぶつけてくれる精霊です。
・対象から半径五メートル以内で、恨みを込めながら対象の名前を口にして蓋を開けることで実行されます。
・使用回数は三回。一回目は小さな不幸、二回目はそれなりの不幸、三回目は大きな不幸を対象に与えます。
・三回の使用を終えた人工精霊は消滅します。瓶は不燃ゴミに捨ててください。
翌日になり、僕は早速A君に人工精霊をけしかけることにした。
お昼休み。A君は廊下で友達と馬鹿話で盛り上がっている。僕は彼の死角に隠れると、「A」と呟いて小瓶の蓋を開けた。
すると、中の赤い液体がA君へ向かって飛びかかる……なんてことはなく、液体は相も変わらず瓶の内側にへばりついたままだった。
騙されたんだろうか。チラシ配りの包帯おじさんに怒りが湧いたところで、A君が「いてっ!」と声を上げた。覗いてみると、どうやらふざけていて足首を捻ったらしい。
確か、人工精霊が一回目で与えるのは『小さな不幸』だった。この人工精霊は、本物だった。
とはいえ、いくら何でも不幸が小さすぎる。足を捻った程度で、いじめられてきた僕の恨みは晴れない。
放課後。帰宅するA君の後をつけて、信号待ちで止まったところで僕は再び人工精霊を取り出した。
「A」
名前を呼んで蓋を開ける。すると、耳をつんざくような轟音で僕は思わずその場にしゃがみ込んだ。なんと、車が歩道に突っ込んできたのだ。
巻き込まれたのはA君だけのようで、彼の右足はあらぬ方向を向いていた。どう見ても折れている。
「痛い痛い!」と泣き叫ぶA君を大人達が取り囲み、警察だ救急だと騒ぎ出した。
僕は途端に恐ろしくなり、人工精霊をランドセルに押し込むとその場から逃げ出した。
「ただいま」
家に帰ると、お母さんは買い物で留守のようだった。僕は食卓に座り、ランドセルから取り出した人工精霊を置く。
二回目の『それなりの不幸』であの惨事。三回目を使えば、きっとA君は死んでしまうだろう。
だから僕は、使うのをやめることにした。あの交通事故で十分今までの分の気は済んだ。A君はどうしようもない奴だけど、何も死ぬことはない。
緊張が解けたせいか、急激な眠気が僕を襲った。机に伏すと瞼は自然と落ちて、僕の意識は遠退いていった。
がさがさという音で、僕の意識は覚醒する。音の正体は、帰ってきたお母さんが食材の入ったポリ袋を漁っている音だった。
お母さんは僕が起きたことに気づいていない様子で、夕飯前だというのに食パンを一枚口に挟み小腹を満たそうとしている。その手元には――イチゴジャム。
「お母さんっ!」
「あら、おはよう和樹」
つまみ食いの様子を見られたからか、お母さんは照れくさそうに笑う。その手元で、人工精霊の蓋が開けられた。