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第一章 4 りんごは皿の上に(後編)

「盾」に抜擢された時に、思い切ってローンを組んで買った中古のビークル。甲虫目の昆虫に似た丸い形状と深い緑色の塗装が気に入っていたが、自分以外、たまには兄に貸すこともあるかも、くらいにしか考えていなかったので、ピュア向けの機能はゼロだった。窓ガラスは宇宙放射線カットガラスではないし、車内を無菌室化する機能もないし、座席などの素材も抗ウイルス素材ではない。ついでに、自動運転機能も付いていないし、万が一の事故の時も、簡易的なバルーンが膨らむだけだ。こんなものに大統領を乗せて良いものかメイには判らなかったし、そもそもなぜ、快適性もセキュリティも万全の大統領車は嫌なのかも理解出来なかった。とにかく大慌てで車内の清掃をし、ビジター用エントランスの車寄せまでビークルを回した。と、その時にはもう、サラ・ヴェリチェリは先に来てひとり立っていた。大統領が、たったひとりで。周囲にどう説明をしているのか、メイはとても不安になった。

「このビークル、あなたに似合ってるわね。とっても可愛いわ」

言いながら、サラはメイがエスコートするよりも早く、自分の手で後部座席のドアを開けて中に乗り込んだ。

「私のわがままを聞いてくれてありがとう。さ、出発してちょうだい」

言いながら、これから遠足だとワクワクしている子供のように、両の手のひらで、自分の太ももの上をパンパンと叩いた。

「ど、どちらに向かえば良いでしょうか、大統領」

慌てて運転席に戻り、メイは、緊張で声を上ずらせながら尋ねた。

「ちょっと家に忘れ物をしたので、取りに戻りたいのよ」

「ご自宅ですか? それでしたらやはり大統領車の方がよろしいかと。私のビークルではカプセル型道路に入れないので、時間が何倍もかかってしまいます」

「大した差じゃないわよ、そんなの。それより大統領車だと大袈裟だし目立つから、気軽に遠回りも出来ないでしょう?」

「遠回り、ですか?」

「そうよ。さ、とにかく出発してちょうだい」

サラがまた、催促するように、パンっと太ももを手で叩いた。メイは、サラに言われるがまま、ビークルのアクセルを踏んだ。エントランスから、すぐに海底トンネルの入口に。右は、VIPの居住区とザ・ボックスとをダイレクトに結ぶカプセル型道路。上下左右に敷き詰められた超伝導磁石の働きで、専用車はこのカプセル道路の中では中空に浮き上がる。タイヤを車体に格納し、時速900キロメードで滑空すれば、海底トンネルを通過するのに5秒程度しかかからない。海底を抜けると今度はそのまま高架道路となり、信号機なども一切なく、そのまま居住区まで安全に帰ることが出来る。カプセルの中は完全にクリーンな空気で満ちているので、健康面のリスクも無い。一方の左は、メイなどのビジターたちが、ゴム製のタイヤで路面を走って通勤してくる道路である。こちらは海底トンネルの出口がバンドーの埠頭の左端に作られており、そこからは地上を普通に走ることになる。

ビジター用エントランスからは左にしか入れないので、メイはそちらにハンドルを切る。カタカタと小さく振動しながらメイのビークルは走った。と、後部座席からサラが言った。

「ゼロの広場に行きたいわ」

「ゼロの広場、ですか?」

「そうよ。このくらいの時間だと、屋台が出ていたり、大道芸人がいたりして、とっても楽しく賑わっているのでしょう?」


あの時、言われるがままにメイはサラをゼロの広場まで連れて行った。彼女はビークルからは降りなかったが、わざわざ窓ガラスを開け、街の人々を見つめ、彼ら彼女らの声にじっと耳を傾けていた。たっぷり20分も。

(あれは、何かの下見だったのだろうか)

あれから二ヶ月。再びサラとともにゼロの広場に向かいながら、メイはそんなことを考える。

(彼女は何を見ていたのだろうか)

あの日、サラはずっと車窓の風景だけを見ていた。まるで、この世界の見納めかのように。今日は違う。大統領車が出発すると、彼女はすぐにリストバンドをタップした。所有者からしか見えない視野角限定のホログラムが立ち上がる。サラははそれを厳しい表情で見つめる。おそらくは、これから行う演説の原稿をサーバから呼び出して確認しているのだろう。車窓からの景色には、何の興味も示していない。

大統領車は、今日も左の一般車道に入った。カプセル型道路はセキュリティ重視の設計で、ダウンタウンには直接アクセス出来ないようになっているからだ。ゴム製のタイヤで時速130キロメードほどでゆっくりと進む。バンドーの埠頭の左端に出てまず右折。次に目抜き通りを左折。二ヶ月前に、メイがサラと走ったのと同じ道順である。

(あの時、私はハク・ヴェリチェリの話をしたんだった)

メイは思い出す。サラに『何か楽しいお話をしましょうよ』と言われ、メイはハクの名前を出した。


「そういえば、ハク・ヴェリチェリさま、もうすぐ外宇宙へ初飛行されるとか。素晴らしいですね!」

その頃、世間はハク・ヴェリチェリの話題で持ちきりだった。祖父も母も大統領という、ピュアの中でも名家中の名家に生まれたこと。誰もが認める美人だったこと。それに加え、彼女が8歳の時に起きた、大規模な個人情報流出事件……それには、ピュアの遺伝スコア情報が含まれていた……その事件が、ハク・ヴェリチェリをハムダル星でもっとも特別な人間にした。彼女が、すべてのピュアの中で最も高いスコアを持つ人間だということが、明確になったからだ。彼女がどういう生き方をし、どんな男と結婚をし、どんな子供を産むのか、ハムダルに住む者は皆、大なり小なり興味があった。ハク・ヴェリチェリがハムダル宇宙大学の外宇宙パイロットコースに進学を決めた時、人々は大いに驚いた。リッチ・カーオという若い大金持ちの投資家が、テレビで彼女に公開プロポーズをした時、人々は大いに盛り上がった。そのリッチの求婚より、副パイロットとして外宇宙に初飛行することを彼女が優先した時、人々は更に盛り上がった。メイもそんなミーハーな人々のひとりだった。働く女性として、ハク・ヴェリチェリの生き方は彼女に勇気を与えてくれた。

「大統領も、とても誇らしく思われているのではないですか? 本当におめでとうございます」

メイはサラに、心からのお祝いの言葉を伝えた。ところサラは、フッと笑って、こう言ったのだった。

「あら、あの子、宇宙に行くの?」

その表情があまりにも寂しげだったので、メイは驚いた。

「え? ご存じなかったんですか? ニュースでやっていましたよ?」

「だって、そんなの見ている暇、ないもの」

「え、でも……お嬢様とはご一緒に暮らしてらっしゃいますよね?」

「そうなんだけど……あの子、私にはとても無口なのよ」

そう言ってサラは苦笑いをし、それから二度、小さな咳をした。

ハク・ヴェリチェリ。まさかその初フライトで、殺人事件に遭遇してしまうとは。それも、死体が二つ。行方不明者が三人という大事件に。今、人々は彼女の名前を滅多なことでは口にしない。不謹慎と思われてしまうからだ。メイもまだ一度も、サラにお見舞いの言葉を伝えられずにいる。


今回も、大統領車の移動は順調だった。目抜き通りを直進して3キロメードほどで、左側にゼロの広場が見えてきた。

その時、「あ」という小さな声とともに、サラがホログラムを消した。そしてメイの方に向き直ると、優しい口調でこう言った。

「メイ。私が引退したら、その後はノア・クムの『盾』になると良いわ」

「え? どういうことですか、大統領」

「別に、どうもこうもないわよ。私ももう良い年なんだから、その後のことを考えておくのも必要でしょう? ゴフェル、これ、記録しておいてね」

「メイ・ウォンは、サラ・ヴェリチェリ引退後にはノア・クムの『盾』となる。記録しました」

ゴフェルが淡々と復唱した。

「引退を、お考えなのですか?」

そうメイが尋ねたのと、大統領車がゼロの広場に入ったのが同時だった。大統領車の防音は完璧だったが、集まった人々の興奮した表情や、大きく腕を上げたり振り回したりするその仕草が、人々の歓声の大きさを想像させた。少し車速を落としながら、大統領車は、演説を行うステージのすぐ脇を目指して進む。

「まだ引退は考えてないわよ。でもね、人生、いつ何が起きるかわからないから」

サラがメイに言う。メイがどう返答すれば良いか迷っているうちに、大統領車は目的の場所に着いた。サラが、ゴフェルにガードされながら車の外に出る。メイも慌てて反対側のドアから外に出る。


クラッシュの塔の上。ママの小型トランシーバーに再び着信が来た。

「りんごが、皿の上に乗ったよ」

今度は甲高い女の声だった。ママは少女を見た。ヤン・ドーと名乗った、今日初めて会った少女。彼女は既に、狙撃の態勢に入っている。

トランシーバーの声を聞いても、ヤン・ドーは何の変化も見せない。無表情な黒い瞳で、ライフルのスコープからゼロの広場のステージを見つめている。


メイは、サラがこれから演説をするステージの右側に立った。

(今は、任務に集中しろ)

自分に言い聞かせながら、素早く周囲を観察する。

(私は、サラ・ヴェリチェリの『盾』だ)


☆秦建日子の新作小説『方舟』更新☆

第一章4 りんごは皿の上に(後編)

小説家になろうサイト https://ncode.syosetu.com/n0216ku/

HP(秦建日子の方舟)

https://takehiko-hata.net/novel-ark/chapterone4/

次回更新予定は9/28(日)になります。

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