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第二章 1 終わりの始まり(後編) 

「……」

ヘンリは何も反論めいたことが言えなかった。この若く優秀な医者は、要は、子どもを諦めろと言っている。出産をしたところで、生まれてくる子はハムダル・ピュアの種の保存には役に立たないことが決まっているからだ。

「……名前も、もう決めていたのに」

肩を落としてヘンリは言った。

「妻がね、きっと男の子だって言うんだ。私にはわかる。お腹の中の子は男の子だって」

「本当にお気の毒です。ただ、お子様は授かりものと言います。次のチャンスがあるかもしれません」

「妻の年齢は先生も知っているでしょう? 気休めはやめてください!」

そう怒鳴ると、ヘンリは両手で顔を覆った。そんなヘンリに、ビリ・オットンはもう一言だけ言わなければならなかった。

「お子様を諦める場合は、処置は一日でも早い方が母体へのダメージが少なくて済みます。奥様にはヘンリ様から話されますか? それとも私がお話ししましょうか?」


気持ちを落ち着けるため、ヘンリはあえて、病院から家まで徒歩で帰宅することにした。ピュア居住区は、有害な紫外線や宇宙放射線を100%遮断する特殊なガラス・ドームの中にある。最新鋭の空気清浄装置で何重にも濾過した完全にクリーンな空気。いわば巨大な無菌室。この中であれば、感染症に弱いとされるピュアたちでも、内服薬や各種シールドや携帯型イオン・バリアに頼らずに戸外を歩くことが出来た。

道中、いくつもの記憶のかけらがランダムにヘンリの脳裏に現れては消えた。

たとえば、ヘンリの父親が突然夕食を食べに家に来て、「このまま子どもが出来なかったら、おまえはピュアとしてどうするつもりなんだ?」と訊いてきたこと。妻のチヒが同じテーブルにいるにもかかわらず、彼はその質問をヘンリひとりに訊いてきた。

あるいは、それよりもずっと前。子供時代、運動神経が悪くて落ち込んでいるヘンリに言った母の慰めの言葉。

「少しくらい駆けっこが遅いからってなんだと言うの。もしビジターに生まれてたらと考えてごらんなさい。ね? ピュアに生まれて来られただけで、とてもとても幸せな事でしょう?」

それから、チヒの妊娠が判明した日。彼女は家に帰るなり、持っていた精神安定剤を全部ゴミ箱に投げ捨てた。

「もう要らないわ! だって私、これからお母さんになるのだもの!」

そして、ヘンリを強く抱きしめた。そんなチヒを、ヘンリも強く強く抱きしめ返した。あの日は幸せの絶頂だった。こんな思いをするくらいなら、そもそも最初から妊娠なんて奇跡が起きなければ良かったのに。

それからヘンリは、

それでも「産む」……

という選択肢はどうだろうと自問した。

どんな障害を持って生まれてくるのかはわからない。だが、チヒとふたりなら、たいていの困難は乗り越えられる気がする。それにハムダルの医学はこの銀河で最高の水準にあり、それは今も更なる発展を続けている。現在では治療不可能と診断される障害も、数年後には状況が変わっている可能性はある。そうだ。可能性はあるのだ。奇跡は起きるかもしれないのだ。そんなことをぐるぐると思いながら、しかし最後には、ヘンリは思い出すのだった。ビリ・オットンの、あの通告を。


『無事にご出産をされたとしても、そのお子様には「スコア」が付与されません。「スコア」が無いということは、そのお子様にはピュアとしての権利が認められません』


(そんなバカな……)

ピュアとしての権利が認められないということは、清潔で安全なピュア居住区に住めないということだ。学校だってそうだ。野蛮で不潔なビジターたちに混じってダウンタウンの学校に通うことになる。ピュアの両親を持つ障害児。ひどいいじめの対象となるだろう。教師だってビジターなのだ。マオを……チヒは、男の子が生まれたら名前を「マオ」にするのだと何度も笑顔で言っていた。ヘンリもマオは良い名前だと思っていた……そのマオを、ビジターの教師たちはきちんと守ってくれるだろうか。

(そんな人生が、幸せと言えるだろうか……)

歩いても、歩いても、考えはまとまらなかった。まとまらないので、更にヘンリは歩いた。歩いて、歩いて、やがてヘンリはピュア居住区の西端ゲートの前まで来てしまった。我が家のある場所とは全く違う方角だった。

ガラス越しに見える向こう側は、ビジターたちの街だ。空はただの空。大気はただの大気。紫外線も宇宙放射線もカットされず、雑菌が大気中を浮遊している。色違いというだけで、間取りもデザインも同じ格安の建て売り住宅が大量に並んでいる。それぞれの小さな庭で、ブランコをこぐチリチリの黒髪の女の子や、芝生の上でじゃれ合う黄色や茶色の肌の子どもたちが見えた。更にその向こうでは、上半身裸のまま、元気良く自転車に立ち乗りをしている子ども。背中にびっしりと鱗のようなものが覆っている。鱗がある種は複数の星系にまたがって分布していて、背中にだけある種、腕と足にだけある種、顔を含む全身が鱗で覆われた種などがあるという。ヘンリはそれを知識としては持っていたが、実際に自分の目で鱗を見たのは初めてだった。どの子たちも、健康で楽しそうだった。そんな子どもたちを、夕焼けが柔らかく照らしている。

(美しいな……)

ヘンリは、思い切ってゲートの外に出ることにした。

抗ウイルスのための液体を二滴、舌の下に垂らす。この道を車で通過したことはあるが、自分の足で歩くのは初めてだった。最初の十字路をなんとなく右に折れ、次の十字路ではなんとなく左に曲がった。と、曲がった先に露店の花屋があり、ダークブロンドの髪の青年が暇そうに店の前に座っていた。

「お花はどうですか? ミスター」

ヘンリを見かけて、青年は言いながら立ち上がった。長身で白い肌。アイス・ブルーの瞳に美しく高い鼻筋。外見はピュアに見えたが、ここはビジターたちの集落である。

(もしや、この青年にも何か障害があるのだろうか。そのせいで、スコアが無く、こんなところに落ちぶれているのだろうか……)

思わず、そんなことを考える。青年は、屈託のない笑顔で、

「愛する奥さんにたまにはお花のプレゼント。良いと思いますよ!」

と、花を売り込んで来る。

チヒは花が大好きだ。だが、ヘンリは結婚以来、チヒに花をプレゼントしたことは無い。新築で家を建てた時、たくさんの花が親戚や同僚たちから届いた。ハムダルで流通している花は、満開状態のまま数年は枯れないように遺伝子操作されているし、年に一度、専門の業者がその枯れない花を入れ替えていく。なので、ヘンリの家では常にたくさんの花が咲いていて、わざわざ自分で新たに買い足す必要は無かった。

じっと、花を見る。

花を見る。

花の中にもあるはずの命を見る。

「あれ? ミスター、もしかしてピュアの方ですか?」

青年は、ヘンリの肌も青年と同じくらい白いことにようやく気づいたようだった。

「そうだよ」

短く返事をする。「君もピュアかい?」という質問は怖くて出来なかった。

「へえ。珍しいですね」

「ピュアがここを歩いているのがかね?」

「そうじゃなくて、ピュアの男性なのに、花をじっと見つめたりするのが」

「……」

「ピュアの人って、合理的とか効率的とか、そういうのが好きでしょう? 花っていうのは、そういうのとは真逆なものですからね」

「それは不正確な情報だよ。確かに私は、合理的で効率的であることは大好きだが、それと同じくらい、花の持つ美しさも素晴らしいと思っているよ。私も、私の妻も」

「へええ、そうですか。じゃ、ちょっと待っててもらえます?」

そう言うと、青年は露店の奥に一度引っ込み、やがて別の花のバケツを手に戻ってきた。

「こいつはうちのとっておきの花なんですよ。特別な花。花好きのミスターの家にも、きっとこいつは無いと思います」

「どう特別なんだね?」

「それは、買ってみてからのお楽しみです」

そう言って青年はウインクをした。少しキザな男のようだ。

(彼はどこに障害を持っているのだろう)

また同じことを考え、そしてすぐにその思考を振り払った。

ヘンリは、彼の差し出した「特別な花」を見つめる。それは、ピュアが記念日に贈答し合う花に比べると、一輪一輪が小さく地味だった。だが、白とレモンイエローの混じり合った花びらは可愛かったし、今日は手ぶらで家に帰るのが気が重くもあった。

ヘンリ・クープはその花を買うことにした。


平日に夫が突然帰宅したこと、しかもその夫がビジターの露店で花を買ってきたことに、チヒはとても驚いた。

「あなたが、こんなサプライズをしてくれるなんて!」

チヒはヘンリを抱きしめ、いつもより少し長めにキスをし、それから花束を受け取った。

「とても可愛い花ね。私、とても気に入ったわ。寝室のライトの側に飾ろうかしら。それとも食卓の上が良いかしら」

チヒは少しはしゃいだ声で言った。

「そうそう。今日読んだ本に書いてあったんだけど、美しいお花は、お腹の子の情操教育にもなるんですって。私の目を通して、この子も今、きっとこの可愛い花たちを眺めているのよ」

そう言ってチヒは、愛おしそうにお腹をさすった。そんなチヒを見ながら、ヘンリは一生懸命微笑んだ。微笑みながら心の中でこう呟いた。

(無理だ。言えない。俺には言えない……)

チヒの受けるショックは、自分の何倍も大きいだろう。明日、自分はまたグランド・スペースまで戻らなければならない。必然、チヒはこの家でひとりになる。チヒを、何日もひとりで、今回の知らせのショックと戦わせるのは忍びない。そうヘンリは思った。

「うん。このお花は食卓にするわ。あ、そうそう。実は今日、マタニティの教室にも初めて行ってみたんだけど」

話しを続けるチヒに笑顔で相槌を打ちながら、

(週末だ。週末まで待ってから打ち明けよう)

ヘンリはそう決心した。

☆小説『方舟』更新☆

世界が滅ぶ時、あなたは何を船に乗せますか?

第二章 1 終わりの始まり (後編) 

小説家になろうサイト https://ncode.syosetu.com/n0216ku/

HP(秦建日子の方舟)

https://takehiko-hata.net/novel-ark/chaptertwo1/

次回の更新は1/25(日)を予定しています。

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