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第二章 1 終わりの始まり(前編) 

その日、大統領専用車がゼロの広場に入る1分前。ハムダル本星と、それとシステムを同一にする三つの衛星にあるすべてのオンライン・モニターが、大統領演説のライブ中継映像に強制的に切り替わった。

大統領の盾であるメイ・ウォンが、広場の大観衆を見て緊張を新たにしたその時。

大統領を自分の目で直接見てみようと、シード・グリンというビジターの娘がゼロの広場に来て、顔を隠した痩せぎすの黒ずくめの女にドスンとぶつかられた、その時。

それらを、ママと名乗る女が、まだ少女の面影のある狙撃手と共に「クラッシュの塔」の上から見ていた、その時。

ハムダルから51万3000メードほど上空を周回する第一衛星・ルーンでは、ヘンリ・クープという男が、ドーム・シティの集合住宅にある小さな自宅の小さな書斎で、サラの演説が始まるのを待っていた。椅子に浅く腰を下ろし、両手を膝の上で組む。右手の震えを左手の握力で抑え、左手の震えは右手の握力で抑える。掌にじんわりと汗を感じる。と、書斎のドアがいきなり開き、ひとり息子のマオが顔を見せた。

「なんで別々に見るの? 父さんもリビングで一緒に見ようよ」

マオには生まれつき下肢が無い。なのでヘンリはこれまで、可能な限り高性能の人工脚を息子に与えることに収入の大半を投じてきた。ヘンリは、ピュアの中では収入の高い方ではなかったので、色やテクスチュアの質感など人工脚の外見にまではあまりコストをかけられなかった。しかし、神経節への接続キットは常に最高級のものにアップデートし続けてきたので、ドアから入ってくるマオの動き自体は、とても滑らかで美しかった。

「? 父さん、どうしたの?」

マオが、ヘンリの顔をまじまじと見る。

「父さん、泣いているの?」

まさか。泣いているわけは無い。泣いたところで何かが変わるわけでは無い。だが、手を頬に持っていくと、確かにそこは濡れていた。それが、ヘンリの心を更に重くした。

「目に、ゴミでも入ったかな」

我ながら説得力のない嘘だ。そうヘンリは思った。

「今日だけじゃない。父さん、ここ最近、ずっと変だよ。仕事で何かあったの?」

「何もないよ。目にゴミが入ったんだ」

「でも、ハムダル本星からダイレクト・コールが来てからだよ。あれ以来、父さん、一度も笑ってない」

「そんなことはない。昨日の夜だって、一緒にコメディ映画を観たじゃないか」

「観ただけだよ。父さんは笑ってなかった。俺、ずっと父さんを観察してたんだ」

マオが心配そうにヘンリの側に来て、濡れている彼の頬に手を伸ばした。ヘンリはその手をギュッと掴んだ。マオ。優しい子だ。ヘンリは、自分の決断を後悔したことは一度もなかった。ただの一度も。

と、モニターの中の群衆が大きくどよめいた。サラ・ヴェリチェリが広場に到着したらしい。

「マオ。おまえは母さんと一緒に見なさい。父さんは、この中継はひとりで見たいんだ」

「どうして?」

「理由は、今度話す」

「……」

マオはとても聞き分けの良い子どもだった。なので、それ以上ヘンリにあれこれ質問をせず、健常者とほぼ変わらない歩き方で書斎の外に出ていった。その背中を見つめながら、ヘンリは、マオがまだ妻のチヒのお腹の中にいたあの日のことを思い返した。


当時のヘンリ・クープは、衛星ルーンではなく、ハムダル本星に住む一般的なピュアの一人だった。ハムダル星防省星防局の宇宙管理部・中遠宙域管理課に勤務していた。政府は、ハムダル本星を中心に、1光時間の近距離から50光年近い遠距離まで、全方向に約1000機の「ドット」と呼ばれる無人探査機を配置していた。ドットは、量子もつれの通信システムを搭載した半径0.2メードの小さな銀色の球体で、周囲の恒星との相対距離を把握して、自らの宇宙座標を自動で保つ機能を有していた。ドットから送られてくる定期通信のデータはすべて、まず「グランド・スペース」に届く。「グランド・スペース」とは、首都リグラブから2.5時間ほど小型マグレブ・トラックで北に走ると現れる巨大な宇宙データ管理施設で、そこでドットからのデータは集計・解析・分類・加工・暗号化され、必要とする各署に転送される。ヘンリ・クープは、それらのデータ収集業務に必要な予算と雑務を管理する総務課長だった。

月に一度、ザ・ボックスで行われる宇宙管理部の部会に出席し、それ以外の日は、「グランド・スペース」に併設されているピュア専用の単身赴任施設で寝泊りする。そして、休日の前夜からはリグラブの自宅に戻って妻のチヒと過ごす。それが、ヘンリ・クープの日常だった。


奇しくも18年前の今日だった。

「ヘンリ課長、さっき、ライ・ガザ主任が課長を探してましたよ」

若くて長身のタイム・ワーク社員から、ヘンリはそう言われた。

「ライ君が? 彼、どこにいるの」

「さあ。2スタか3スタだと思いますけど」

「ありがとう。どこですれ違ってしまったんだろう」

あと数分で昼休みという時だった。ヘンリは、妻が転送してくれたランチ・ボックスを手に、「プール」と呼ばれるデータ管理室に向かった。そこは、ハムダル宇宙データ管理施設の言わば心臓部。半径50メードほどの窓のない円形の空間に8つのスタジオが円形に配置されている。天井は視認出来ないほど高く、何層もの透明パネルが重なるように張り巡らされ、その間を青白いデータの光脈が粛々と流れている。ライ・ガザは3番目のスタジオにいた。半透明の光膜に囲まれた個人ブースの中で、難しい顔をして立っている。

「ライ君!」

声をかける。

「僕を探してるんだって? キャプラス君から聞いたよ」

ヘンリは、笑顔で尋ねた。ライは、ヘンリが手にぶら下げているランチ・ボックスをチラリとみて、

「もう昼休みでしたね。わざわざご足労いただいて、申し訳ありませんでした」

と、頭を下げた。

「人手が足りないっていう話なら聞かないよ」

そう言って、ヘンリはおどけたように肩をすくめてみせた。

「先日のザ・ボックスの会議でも、研究員不足をビジターで賄うことは認めないと強く上から言われたばかりでね。おかげで、宇宙大学卒のピュアは各所で取り合いで、物凄い競争率なんだ」

ヘンリの予想では、ライは苦笑いをしてこんな言葉を続けると思っていた

「少ない人員でも回せるように知恵を絞ってこそピュアだろう、ということですね? でも、何事にも限界はありますよ? たったの十三人のピュアで、1000のドットのご機嫌をとり続けるのはなかなか大変です」

だが、そうではなかった。ライ・ガザは硬い表情のまま、出力したばかりのファイルをひとつ、ヘンリに向かって差し出した。


HQ21-3710

HQ21-3720

HQ22-3811

HQ22-3821

HQ22-3831

HQ24-3900

HQ24-3910

HQ24-3920

HQ24-3931


ヘンリが質問をする前に、ライ・ガザが説明を補足した。

「その9つのドットからの通信が途絶えました」

「途絶えた?」

「はい。それもほぼ同時に」

「……」

アルファべの次にある2桁の数字は、そのドットとハムダルの距離を示している。21なら21光年。24なら24光年である。

「ザラフ星、ドゥール星、レイサル星。その三つの星の周回ドットが、同時にダウンしたようです」

「大きな磁気嵐でもあったかな」

「星三つで同時に、ですか?」

「それは不自然か」

「はい」

「HQタイプのドットの耐用年数は?」

「外殻は2000年。通信システムそのものは、宇宙放射線の影響を最大限に見積もって500年です」

「なるほど。もう500年は使っているのかな?」

「いえ、まだ250年から300年ほどです」

「そうか……」

「通信が出来ないので、遠隔操作で物理的な修理をしたりプログラムをアップデートすることが出来ません。新しいものを代替で飛ばすか、あるいは、修理のためのエンジニアをその宙域まで送り込むかしないと」

「むう」

ヘンリは唸った。ドット9機となると、どのような対策を取るにしても、経費も手間も膨大である。

ちなみに、ヘンリ・クープは、20光年から35光年までの中遠宙域の担当課長だった。それより近く、あるいは遠くの探査機とそのデータは、それぞれ近接宙域管理課と極遠宇宙管理課が担当している。あとほんの少しハムダルに近いドットだったら、これらの修理はヘンリの仕事にならずに済んだ。

(ついてないな……)

そんなことを思いながら、もう一度、ライ・ガサから渡されたファイルに目を落とす。

ザラフ星、ドゥール星、レイサル星。

これらの星に共通する何かはあるだろうか。

ザラフ星、ドゥール星、レイサル星。

が、ヘンリの思考は、すぐに遮られてしまった。左耳の後ろに装着していた個人用の携帯端末が、通話リクエストを通知してきたからだ。相手先の名を聞いて、ヘンリは不吉なものを感じた。通話リクエストは、妻のチヒが通う、ピュア専門の産婦人科病院からだった。

あけましておめでとうございます。

『方舟』第二章に突入しました!!

☆秦建日子の新作小説『方舟』更新☆

第二章 1 終わりの始まり (前編) 

HP(秦建日子の方舟)

https://takehiko-hata.net/novel-ark/chaptertwo1/ 

小説家になろうサイト https://ncode.syosetu.com/n0216ku/

次回の更新予定日は2026年1月11日(日)です。

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