第6章-案内人-
カズマは翌朝、目覚めると、普段通りに端末が生活の準備を始める。目を閉じたままで、カズマはしばらくその音を聞いていた。端末が流す音楽、朝食の準備が完了した知らせ、ルート選択の提案──すべてがいつも通りだ。
だが、今日もまた、あの人物のことが頭から離れない。信号待ちの時に目が合ったあの人物。何故かその目を思い出す度に、胸が締め付けられるような感覚が湧いてきた。
カズマは自分が感じるその奇妙な違和感に、さらに深く沈んでいく。その違和感をどうしても解消できずにいた。
通勤の途中、カズマはあの人物を再び見かけることはなかったが、何かが違っていた。周囲の人々が、以前よりもさらに無機的に感じられるのだ。足音さえも、無感情に響いているようで、その一歩一歩が、まるで誰かの指示に従うように定められた動きに見えてしまう。
そして、ふと気づくと、カズマの周囲には、なぜか一人の男性が近づいてきていた。顔は見覚えがないが、彼の目には、カズマが感じていたあの違和感を共有しているかのような、鋭い視線が宿っていた。
その男は、カズマにわずかな距離を置いて、静かに歩きながらついてきていた。無駄に歩調を合わせることなく、ただ自然に、カズマの進行方向に沿って歩みを進めている。
カズマはその男に気づき、目の端で彼を追った。男は、カズマの視線に気づいた様子もなく、ただ無言で前を見つめている。その目は冷徹で、どこか不自然に感じられた。
「ついてきてる...?」
カズマは心の中で呟くと、ふと男と目が合った。その瞬間、男はほんの少しだけ微笑み、そしてすぐに顔を背けた。あまりにも自然な動きだったが、カズマはその微笑みの裏に何かを感じ取った。
次の信号を渡るとき、その男はカズマの隣に並び、声をかけてきた。
「おはようございます。カズマ・ナカムラさん。」
その声は、カズマが予想していたものとは全く違っていた。温かみがあるが無機質にも聞こえる、奇妙な響きがあった。カズマは一瞬、動揺し、その男を見つめ返した。
「なぜ、俺の名前を…?」
男は短く頷き、そして言葉を続けた。「なぜかは言えません。ですが私がここにいるのはあなたを案内するためです。」
カズマは眉をひそめた。「何を言ってるんだ、あなたは。」意味がわからない。
男は少し間を置いた後、再び口を開いた。「あなたの感じているその違和感の話です。気づいているんですよね?」
カズマはその言葉に驚きの表情を浮かべた。なぜ誰にも話していない違和感のことまで知っているんだ。
「大丈夫です、安心してください。」男は微笑みながら続ける「今はまだ理解できずとも今後そう遠くない未来であなたはちゃんと理解する機会を得られます。」
なんの話だ?思考が追いつかない。
カズマは思わず足を止めた。胸がどんどん高鳴り、呼吸が乱れ始めた。
この男は知っているんだろうか、この完璧な社会において、自分が感じている「違和感」について。
男の目が、カズマの心の奥を見透かすようにじっと見つめている。その目の奥に、何か大きな真実が隠されているような、そんな予感がした。
だが次の瞬間男はにこやかにそれを否定する。
「ご期待されているところ申し訳ないのですが、私は案内役でしかないので答えなど持ってはいませんよ。」
まるで見透かされ馬鹿にされたような気がして苛立つ。「あんたはいったいなんなんだ?」
カズマの問いに男は微笑みながら答える。「案内役だと言ったでしょう。あなたはこの世界で生きる大多数の方々の進むシステムによる1本道ではなく全く異なる道へ歩む資格を得ました、だから私はここにいる。」
カズマはもう何が何だかわからなかった、この男はいったい俺にどうして欲しいのだろう。
もはや何を聞いても帰ってくる答えを理解できるとは思えない。
「今日はこの辺にしておきましょう、今日は御挨拶ということで。」男は静かに歩き始める。「またこちらから会いに行きますので、ご安心を。」そういうと男は振り向きもせず歩き去っていく。
情報量の多さに放心気味だったカズマは我に帰り慌てて男の背中を追おうとしたがもはや男の姿は目で追える範囲にはいなかった。
なんだったんだ...
困惑しながら自分の知らないところで何かが大きく動き始めているんだろうかという不安が込み上げる一方で、何かが始まるのかもしれないという期待に胸が高まる。
そして、カズマは深呼吸をし、再び日常の中に足を踏み出す。しかし、その一歩一歩が、これからどんな世界に繋がっていくのか、まだ予想がつかなかった。